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『RAVENOUS』
一年もそろそろ幕を閉じようとする頃。
ラクスには余り馴染みの薄い四季の移ろいが最後の季節を迎える。
即ち、冬。
その日お屋敷の暖かな書斎でティータイムを楽しんでいた最中のことであった。
「―――…」
躊躇いがちに切り出された相手からのその『お願い』にちょっと驚いた。
多分、驚きが表情にでていたのだろう。
取り繕うように慌てた様子で、忙しくケーキを切り分ける先方。
目の前のカップからは仄かなRoseMaryの香り。
ハーブティーと呼ばれるあれである。ラクスも効能は知識としては熟知していた。特にシソ科の其れは、その昔とある国の王妃様も愛用したらしい。精神疲労に効き、かつ頭の回転を早くする効果、記憶力向上、頭痛等にも効力を発揮するといわれていた。それを伏目がちに啜っては、小さく吐息を零す。
(ラクスに遠慮なされているのでしょうか?う〜…お世話になっているのは此方ですのに)
何より家賃を払っていないラクスとしては恩返しのチャンス。
驚きこそ顔に出したものの、お願い自体は当然断るつもりなど無かった。
切り取られたケーキは真っ黒チョコ色で、寝そべるようなラクスの前にそっと差し出される。それを口に含む前に、
「分かりました。微力ですけれど、ラクスにお任せ下さいっ」
深碧の眼差しで、今ではすっかり大好きになってしまったその人を見つめる。
そんなラクスの勢い込んだ台詞に、少し目を丸くして驚く相手だったが、やがて悩みの一つが氷解したことにほっと胸を撫で下ろした様子で。
ありがとう、と礼を言われてしまえば、かえってラクスの方が恐縮する。
「は、はいっ、何時もお世話になっているお礼も込めてっ」
(がんばらねば…)
相手の笑顔に、ラクスの微笑は心持ち緊張に引き攣っていた…。
***1***
具体的に頼まれたこととは、とある遊び場と遊び相手の提供である。
大和撫子に喩えられる知的美人のそのお方。
まあ色々と訳ありで、最近では特に鬱屈が溜まっているらしい。欲求不満もこのまま放っておくと、最悪暴走する恐れがあるので、この辺でガス抜きしておこうというつもり…其処でラクスへと相談。
とまあ、お願いの難易度は―――結構高かかったのである。
延々と続くかの重厚な石畳を歩み、やがて其々が意味を持つ柱の横を通り過ぎるスフィンクス。優美な女神像の穏やかな笑顔に見下ろされつつ、ほぅと溜息をつく。
此処は『三大図書館』の一つ。
目の前に広がる石造りの大空間は、神話に名高いセラエノ大図書館を想わせる。何処までも石の本棚が広がり、一種の異界を象徴するように木の匂いが感じられなかった。代わりに岩と本の匂いが周囲に満ち、その空気は高潔に澄んでいる。
周囲の本の山を見回すスフィンクスは――言わずと知れたラクス・コスミオン。
あの後、ラクスは例の件を引き受けると、すぐさま段取りを決めたのだが、幾つか必要不可欠な道具の存在が持ち上がった。それを借り受けるために急遽この場所へと訪れることとなり…。
中でも重要と思われるのが神性創造級魔術儀式で使われる万全な魔術結界。これは『図書館』の専属部門の人々から借り受けることとなったが、予想していた以上に簡単に借り受けることが出来た。条件としては使用時の戦闘データを提供することだが、借り受けた魔術結界が高等記憶様式を有していたのでさほどの問題はない。
後は『遊び相手』だったが、これはラクスが自分の常備品を使うつもりであった。ただ、それだけでは恐らく不十分と察しが着いたので、魔法生物創造部門のちょっと研究熱心すぎる人たちのところに寄って、幾つか物色してみるつもりである。実験データ提供との話を聴けば、快く力になってくれると思う。実際そういうことに怖いくらい情熱を傾けている人々であったから。
「がんばらねばっ」
女神像に力強く頷き返したラクス。
忙しく『図書館』を往復する彼女は、ちょっとしたプレッシャーに押されながらも何とか期待に応えたい思いで一杯だった。
***2***
借り受けてきた魔術結界の設置場所には、屋敷の地下室が適していた。
もともと『こちら側』とは関係のない亜空間を使用するのだが、万が一何かあったときにも地下室ならばある程度の支障を抑えられる。そして予め別なる結界も施しておき、二重の安全対策のもとに遊び場を設ける。ラクス自身はデータの観測とオペレータを兼ねるので、書斎のパソコンを使って魔術を行使することにした。かなり変則な方法であり、少々特殊な手段を用いて地下室の魔術結界と書斎の端末を繋ぐ。依頼主の協力もあってか問題なく成功した。
「これでよしっ、ですね?」
全ての準備が整った後、一人書斎のパソコンに向かい合う形で呟く。
問題のあの方も現在地下室の魔術結界、その真ん中に佇んでいるはずだった。準備は整っているので、何時でも魔術を発動できる状態である。
「――…それでは、行きますよっ!」
言葉と共にカチカチと独特の響き。
―――Enterがスイッチされた。
発動された魔法力はコンセントを媒体にして、地下室に施された魔術結界へと流れたのだろう。
指先から確りとした手応えを感じるし、屋敷内の地下から迸った魔力を意識できたから。
―経過は順調―
ディスプレイは件の亜空間を写していた。
キーを打つ手は大分慣れを見せ軽快。一つ一つに魔術を編む緊張が含まれていたが、こと高等演算に関してはミスの無いままに。
構築された世界が些細な亀裂を生じそうになれば、名うてのプログラマー宜しく簡単な修復を施していく。キーボードを使う魔術には馴染みが無かったが、そこはなんと言っても得意分野である。コツさえ掴めば問題はなく。
「最初は…以前の戦闘を基に、例の魔法生物さんを召喚ですっ」
(とりあえずは五体、力を解放した状態ならば問題ない数…だと思いますが?)
あの時の戦闘力も凄まじかったが、今回はそれとは比較にならないはず。それでも、もし万が一荷が重いようならば、遊び相手を瞬時にデリートさせるつもりであった。
やがてディスプレイの向こう側で、白い柔肌を獣毛へと変異させる依頼主。向こうも戦闘準備完了っぽい。
予定通りラクスの方も件の夜鬼の第一陣をディスプレイ――即ち亜空間へと送り込んだ。
最初の戦闘は予測どおり圧倒的な遊びであった。
(さすがは神話級――…圧倒的な力の持ち主ですね)
大好きな人の、苦戦のくの字も見当たらない戦いぶりを見つめながら、記憶処理に勤しむラクスであるが、顔色は驚きを隠せない。
「それにしても、影まで操れるのですか…」
愉しげに戦うその姿、普段の印象からは程遠いと感じる。
暗黒色の其れをあらわす数値へ目を向けてみると非常に怖くもなった。
一応最初に送り込んだ五体の夜鬼の全滅を確認すると、ラクスは控えめに干渉した。
その際使用したのはマイク付きヘッドホン、直接音声入力するかのようにディスプレイ向こうと交信する。無論、これもラクスの施しておいた一種の魔術であった。
「あの、とりあえずは御苦労様でした。と…その〜、まだお続けしますか? ラクスとしては、もう少しお付き合いしても大丈夫ですけれど?」
データの収集もそうだが、依頼主が全然満足していない様子なので、半ば心配するように問いかけてみた。
すると案の定―――、
肯定と否定的な発言が何故か二つ。
どちらを採るか一瞬迷ったが、此処はラクスにしては珍しく、前者の意見を尊重することにした。
「了解しました〜。ではっ、引き続きいきますね?」
断りを入れて再び『遊び相手』の召喚を試みる。今度は倍の数で…。
***3***
ラクスお手製のナイトゴーントの一群があっさりと蹴散らされ、次から次へと送り込む遊び相手も、長く持たずして消滅する。まさに黒い台風を相手にしている感じだった。
「うう〜っ」
思わず唸るラクス。
珍しいことにちょっと意地になってる節もあったが、魔術処理に集中しているあまりに自分の心境に気づかない。
ともかく、此方の用意した並の、否…かな〜り並みではない相手も、軽い獲物の様子だった。こうなってはいた仕方がない。
「こうなれば、奥の手を使うですっ…ふふふ」
最後の追い込まれたような微笑は、闇ラクス。
そして唇から零れた綴りは夜鬼たちを弔うがごとく、同じクトゥルフ世界から其れを具現化。
されど今度は奉仕種族とはわけが違う。
――ウザ・イェイ、
――ウザ・イェイ、
指先からも魔力が満ち、かつての旧支配者の一人を召喚すべくキーを打つ。
イカア・ハア・ヴフォウ・イイ――
かの偉大なる大魔道書の第八断片に記された、其れこそは象牙の玉座に鎮座し、眠りについていた残忍な王。
ラクスのナイトゴーント、『図書館』から借り出したゴーレム、神話に良く見る魔獣たちのレプリカ等。それらのオードブルにはもう飽きた依頼主にとって、今度の相手は調度良いメインディッシュとなろう。
本格的な実験データの採取を行うべく、ディスプレイと、その横に羅列する数字を注意深く見守る。
その瞳の奥に邪悪な化身が映り始めると、先ほどよりも熾烈な戦闘が予感されたのだった。
―――。
書斎に仄かな魔力が漂い始めてから数時間。
漸く終った。
くて〜と姿勢を崩して長い吐息を零したラクス。
今頃は地下室で同じようにぐて〜としているあの方。亜空間から戻って一息入れているのは間違いない。
あの後、召喚した旧支配者をも労せず屠った相手。やはり無意識に意固地になっていたらしく、続けざま神話級の大物をぶつけてみたラクスだった。ドラゴンを想わせる魔獣もいれば、ハスターの名を冠するかの神性、紛い物とはいえ風の邪神すら召喚した。が、結果は惨敗――。
もっとも流石に相手様も疲労の色を見せ始め、頃合を見計らったようにラクスから白旗を揚げてようやく、長きに渡る戦闘は幕を下ろしたのである。
「ええっと、データの採取は…成功。問題はありませんね、というか結果は恐るべしです〜、御苦労様でした…」
引き攣った笑みで感想を述べ、労いの言葉は誰に対してのものか。
ちなみに同時刻にまったく同様の感想を抱いていた依頼主なのだが、ラクスには知る由も無い。
それにしても…これが神殺しと恐れられる力なのだろうか? より詳しいことは『図書館』の方で分析するのだろうけど。
「……………」
複雑な思いを彩った長い吐息を紡ぎ出す。
そして、相手の飢えを無事に満たしたのは良かったのだが、気が付けばもう夕食の時間をとうに過ぎている。
今度はラクスが飢えるのか…?
依然として時計の針は容赦なく時間を刻み続ける。
億劫な動作でパソコンの電源を落とす間際、ラクスのお腹が可愛く鳴った。
うぐっ、と恥ずかしげに頬を染めると、
「〜っ、とりあえず、細かい後片付けはお食事の後に…しましょうか」
著しく消耗が激しいラクスであった。
後、何時もより3時間も遅くなった夕食。その量は日ごろの倍であったとかなかったとか。当然――地下室の後始末が完全に終ったのは、深夜零時を過ぎる頃となり。
また、ラクスの手によって記録された貴重なデータは、数日後予定通り『図書館』へと送り届けられた。それがまた別の波紋を呼ぶらしいのだが…。
―それはまた別の話―
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