 |
闇風草紙 〜再会編〜
□オープニング□
月影がガラス窓の隙間から落ちる長い廊下。
未刀の帰りを待つ部屋には、炎が揺らぐランプと敷き詰められた絨毯。存在感だけが大きい輸入家具が並び、寝る者のないベッドは過ぎるだけの時間を乗せている。
「仁船。何故、ここに呼ばれたか分かるな」
「……次は必ず」
頷くのは長身の青年。瞳には光無く、虚ろに視線を床へと向けている。
「未刀はまだ力を開放してない。いいか、父を悩ます愚息はふたりもいらんからな！！」
足音を響かせて、似合わないブランドスーツ姿の男が出て行った。
「いつまで遊んでいるつもりなのですか…ね。ククク」
無表情のまま、仁船は激しく壁に拳を叩き付けた。
ガッ！！
掛けられていたシスレーの絵が落下する。下には血糊が隠されていた。それをゆっくりと愛しげに指でなぞる。
「血塗られた道……。私の方が似合う」
仁船は柏手を打つ。瞬時に天井の陰から天鬼が飛来した。角が１本、青黒い肌。闇よりいずる異形の者。金にぎらつく目で、主を虎視している。
「未刀を探せ。手は出さなくていい。私の楽しみを奪うことは許しませんよ」
「御意に」
声が終わらぬ間に気配が消えた。
床に転がった額縁を拾い上げ、乱暴にベッドに放る。他人の目を享楽させるものに飾る価値などない。
ランプの炎が、弟の部屋から遠ざかっていく兄の陰影を揺らした。
□色を帯びて ――天薙撫子
あれから、いく日も雨が降り続いた。
わたくしの耳に残る「ゴメン」と呟いた彼の声。雨音を背に闇夜の中へと姿を消してしまった人。
放っておけるわけ…ないじゃないですか――。
「軽い気持ちで関わったわけではありませんわ、未刀様」
そう伝えたかったけれど、時はすでに遅い。彼を見つける手立てをわたくしは失ってしまっていた。唯一残された手があるというなら、彼の気を追うことだったのに――。
大学に通う道。バイトをしている最中。夜、ベッドで見る夢の中で何度未刀様を探したでしょう。
それとも出会ったことすべてが幻影だったのでしょうか？
では、この胸の痛みは？
彼を守って戦ったことも、本当はやさしい笑顔をされる方だと知ったことも、わたくしの真実。
幻であるはずがない。
策がないと嘆いてばかりいても、わたくしの心は晴れない。しばらく自主休学することも考えながら、祖父のために朝食を用意していた。
「撫子……。ひとつ頼まれてくれんか？ ウホン！ 撫子？」
「――はい？ あ、はい！ おじい様なんでしょうか？」
炊飯器に手を添えたままになっていた。茶碗をあわてて手渡しながら、問いに答えた。
「ふむ。撫子は歩都温泉を知っておるか？」
「いいえ、存じませんわ……。温泉にでも行かれるのです？」
「いやいや。その温泉街に世蒔神社という歴の古い社があるんだが、素晴らしい名水が涌き出ているらしい。汲んできてくれんか？」
珍しいと思った。祖父はわざわざ遠方の名水を欲する方だったろうか？
でも、ご友人にでも頼まれたのかもしれない。
「分かりました。今度の休日に参りますね」
「あー……それじゃ困る。明日、行ってくれるか？」
わたくしは困惑してしまった。それでは大学を休めと言っているのと同じこと。勉学に勤しむことを一番に優先すべきと、ずっと躾てこられたのに。
しかし、緊急なのだとの答えにわたくしは頷いた。
祖父に地図をもらい、明日の始発で歩都温泉街へ。世蒔神社へと足を運ぶことになった。
＋
「ここが歩都温泉。素敵な街ですわ」
仲の良い人と歩いたら、さぞかし楽しいだろう。古き良き時代を残した佇まい。灰色の屋根瓦で統一された家々はどれも低く、平屋かせいぜい２階建てばかり。
狭い路地の間を、浴衣姿の観光客が店から店へと遊歩している。
「まずは、世蒔神社への道を訊かなければ……」
祖父の地図は温泉街までしか表記されていなかった。宿の女将なら知っているはずと、わたしくは１軒の門をくぐった。
「すみません。世蒔神社へ水を汲みに行きたいのですが、どこにありますでしょうか？」
「あら、神社に行かれますの？」
石畳みに水巻きをしていた女将が顔を上げた。屈託のない笑顔で優雅な会釈をされた。
わたくしがもう一度行きたい理由を告げると、
「ほら、あそこ。森がこんもり高くなって山になってるでしょう？ あそこから上がられるといいですね」
東の方角。屋根の上に僅かに見える丘のような山を指さした。
「ありがとうございます。行ってみますので」
「階段長いから、気をつけて下さい」
わたくしは歩き始めた。なぜだろう。一歩進むごとに歩みが早くなっていく。次第に速度を増して、石作りの狭く長い階段の前に立った時には、既に息が切れてしまっていた。
大きく深呼吸をひとつ。
激しく打つ動悸を収めつつ、わたくしは社へと向かった。
一段。
一段。
緑に囲まれた神社への階段。華やいだ街から離れ、一気に厳かな雰囲気に包まれた。宮澤賢治の小説を思い出す。幻想的、それでいてどこか恐ろしい何かを内包しているかのような、森の闇。
太陽の光は追い茂る木々に遮られ、わずかに木漏れ日となって瞬いているだけ。
登りつめた先にあった広い境内。色落ちした朱の屋根。小さな社。その周囲を、楡や杉の巨木が護衛のように取り囲んでいる。
プラネタリウムの天井のように、その巨木達の枝葉は丸く象られていた。そこから無数の小さな光が目に届く。
「……まるで星ですわ」
呟く。
「アンタには、そう見えるのか……」
「！！」
反射的に振り向いた。
「未刀様！！ ど、どうしてここに！」
「アンタこそ。ここに来たのは偶然？ それとも――いや…帰った方がいい」
やはり突き放される。
伝えたかったことなどたくさんあるのに、驚きと戸惑いが心を支配して声に出すことができない。
ただ、無事であったことが嬉しくて溜まらない。
込み上げてくる何か。
「わ、わたくしは――」
辛うじて唇を動かした時、妙な気配を察知した。
その瞬間、彼の腕がわたくしを引き寄せた。突然の出来事に、胸が鳴る――。
「くそっ、追っ手だ。アンタもつくづく運がないようだな」
「いいえ！ こうして手助けすることができますわ」
ようやく口にできた言葉。
そう、わたくしは未刀様の役に立ちたい。ただ心配して、見守っているだけなんてわたくしではない。
一緒に戦いましょう。
常に持ち歩いている妖斬鋼糸を放った。瞬間、影が右へ移動した。左側へと視線を走らせると、社の奥へから下界へと続く小道が見えた。
「アンタ、そんな力を持っているのか！？」
「アンタじゃありませんわ。撫子と呼んで下さい。退路は確保しましたわ」
神斬を引き抜いた。
光を反射して白銀に輝く刀身。
ビィィーーン！
天空高くから、数え切れない雷鳴が落ちる。
「降りかかる火の粉はわたくしにお任せ下さい。未刀様はお逃げ下さい」
神斬を構え、妖斬鋼糸を頭上に張り巡らせる。電撃は鋼糸を伝って大地へと吸収されていく。
「バカか！！ アンタを置いて逃げられるわけない。誰の追っ手だ！！ 姿を現せ！」
ガサリと影が動いた。
「天鬼――くそ、仁船か……。連れ帰るつもりなら、僕は戦う。自分の道は誰にも決められたくない」
「そういうわけには参りません。例え、死体となられましても仁船様の元へ行ってもらいますよ」
社の屋根に舞い降りたのは、青黒い肌に角。まさしく彼が天鬼と呼ぶに相応しい、異形の者。
「未刀様！」
わたくしは、背後に廻った。
雷鳴を操る者ならば、どの方向からも狙えるということ。
「ほほう、人と交わりを持たれるとはお珍しい……。では、仲良く倒されて頂きますか」
無表情だった天鬼の口元が歪む。
功を労ってくれる主の言葉でも、想像しているのかもしれない。しっかりと着付けた着物の下を冷たい汗が伝う。
「お前如きに僕が倒せるものか」
「ですが、あなたは力をお捨てになった身。危険が迫ったからと、今更衣蒼の力にお縋りになるおつもりですかな」
未刀様の内心をつく言葉だったらしい。彼は苦しげに眉を寄せ閉口した。
笑い声を零し、天鬼が両腕をあげた。
その両腕の間に大量の雷鳴が集められていく。
凄まじい音と光が向かってくる。
わたくしは無我夢中で神斬を振った。神聖なるオーラを浴びて霧散する雷。浄化された光となって空へと帰っていく。
「大丈夫ですか！！」
覗き込んだ目を見つめる青白い顔。その瞳には苦悩とわたくしを心配してくれる色があった。
何かを決意したかのように、わたくしの肩を叩くと後ろに下がらせた。
「仁船に伝えることはないか……。僕が伝えてやる」
「何を言い出すのです？ 伝達のお役は私の――。な、何を！！」
未刀様の両手が真っ直ぐに差し出された。円を描き、空を切る。頭上から振り下ろされた右腕。その跡に、開いたのは闇。
「封門は開く。我、権魎を封印せし者。蒼き衣に覆いて！！」
楕円の異空間。光輝く縁の内側は、どこまでも続く闇。
天鬼が残したのは、断末魔の叫びだけ。渦巻く、風と共に闇の中へと吸い込まれていった。
「……どこまでも離れられない…か」
打ちひしがれ、跪いた彼。わたくしは駆け寄った。
ひどく辛そうな背中。
未刀様が封印の力を持っているとは思いもしなかった。しかし、自分を襲ってきた妖を封印しただけで、どうしてここまで憐憫の表情をするのだろうか？
わたくしは無性に彼が愛しくなった。
もしかしたら、封印などしたくなかったのではないだろうか。わたくしを守るために、そうせざるを得なかったのではないだろうか……。
「未刀様、お逢いしたかった！！ ずっと心配していたのです」
感情に押し流される。
わたくしは彼の背中に抱きついた。
消えてしまいそうな彼の心を、少しでも和ませることができるのなら、それでいい。
「わが家においで下さい。祖父も喜びますから……」
伝えるのが精一杯。
わたくしの心が淡い撫子の色を帯びる。
変化していく心。
傍で支えたいと思った。衣蒼未刀という、新たな胸の楔を。
□END□
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
＋ 0323 / 天薙・撫子(あまなぎ･なでしこ) / 女 / 18 / 大学生（巫女）
＋ NPC / 衣蒼・未刀(いそう･みたち) / 男 / 17 / 封魔屋（逃亡中）
＋ NPC / 衣蒼・仁船(いそう･にふね) / 男 / 22 / 衣蒼家長男
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
依頼ありがとうございますvv ライターの杜野天音です。
前回に引き続き、ご参加下さり本当に嬉しいです。今回は仁船系列の追っ手でしたから、撫子さんには誰のことだか分からなかったでしょうね……。この辺りの事情は後に知ることとなりますので。
恋に落ちようとしている様子は如何でしたでしょうか？
共に戦いたいと言って下さる素敵な女性に出会えて、未刀は本当に幸せ者だと思います。
次回は「休日編」となります。未刀の生立ちなどに触れたいと思っております。
またご参加下さると嬉しいですvv
受注予定については「東京怪談〜異界〜 闇風草紙」にてご確認下さい。
ありがとうございました！
|
|
 |
