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『CHRISTMAS PRESENT』
「彼女の小説の翻訳はS出版社でやった事がありますし、映画雑誌の企画でも対談した事もありましてね。だから彼女の書く物語のイメージってのはよくわかっているわ。この小説も読ませてもらったけど、彼女らしい世界観でファンとしても女性としても共感できる部分がたくさんある。ええ、そういう彼女の世界観や伝えたい事を変えずに日本語に翻訳する自信はあります。だから任せてください」
シュライン・エマは青色の瞳を知的に細めてクールに笑ってみせた。
「いやー、シュラインさんにそう言っていただけるなら、うちとしてはもう大変に安心できます。ただ、これは来年の春に上映される映画に合わせての発売なんで、締め切りがちとキツイんですが・・・」
頬を掻きながら言いづらそうにそう言う彼に彼女は微苦笑を浮かべながら頷いた。
「大丈夫。プロの翻訳家シュライン・エマのささやかなプライドってのは締め切りをきっちりと守ることなのよ。今回もきっちりと期日までに仕上げて見せますから」
「すみません、無理を言って。それではお願いします」
打ち合わせを済ませてビルから出ると、世界はもう夕暮れ時だった。傾いた橙色の円盤からは柔らかな光のカーテンが東京の街を優しく包み込んでいる。
そんな街の通りを歩く人々の顔はどの顔を見てもとても幸せそうで、そして普段よりも浮かれているようにも見えた。だけどそれは当然だ。なぜなら今日は・・・
「今日はクリスマスイブですものね」
そう、今日は12月24日。クリスマスイブ。街はとても華やかで多くの人々で賑わっている。ビルのすぐ近くにある都会の小スペースに設けられた広場のところにも大きなクリスマスツリーが立てられて、綺麗に電飾が様々な光を輝かせている。
「やっぱり、いくつになっても浮かれちゃうわよね」
シュラインはくすりと笑うと、コートのポケットに手を突っ込んで、人の流れに加わった。向かう先は恋人の所だ。
流れは普段よりも気持ち軽やかで早い。
通りを腕を組んで微笑みあいながら歩くカップルに、手を繋いで仲良く会話しながら歩く家族連れ、そして仲間うちで集まって騒ぎながら歩いていく学生やサラリーマンにOL。
そんななかでもちろん、シュラインも幸せで浮かれた気分に浸りながらどこかから聴こえてくるジングルベルに合わせて鼻歌なんかを歌っている。
そして黒の前髪の奥にある青色の瞳は楽しそうにウィンドウの向こうにディスプレイされている男物のマフラーやコート。シルバーのジッポや、かわいらしい少女向けのドレスやブーツ、ぬいぐるみやビスクドールなんてのに向けられていて。
「あら、これなんて彼に似合いそうね」
お洒落なデザインのスーツが飾られたウィンドウの前でふと足を止めたシュラインだが、ちょうどその時に道路を走っていく車のヘッドライトの光の加減でウィンドウに映った真剣な自分の顔を見て、思わず彼女はわずかながらに目を見開いた後に薄く形のいい唇に軽く握った拳をあててくすっと笑ってしまった。
「やだ、私ったら」
今日はクリスマスイブだ。普通の年頃の女性ならば自然にその視線は彼氏にプレゼントしてもらいたい物へと向かうのではないのか? なのに自分と言えば先ほどから見ているのは彼氏とその妹をイメージしたものばかり。
「いや、これじゃあ、彼氏とその妹、と言うよりも旦那と娘って感じ?」
自分で言って自分で顔を赤らめて、そんな初々しい恋をし始めたばかりの乙女かのような自分にくすくすと笑ってしまう。
これを言ったら、彼はどんな顔をするだろう?
「イメージできないわね」
彼女はひょいっと肩をすくめながら、まだくすくすと笑いながら足を進める。そしてまた彼女が見るのはやっぱり彼と妹に似合いそうな服やら、小物ばかり。余計に笑えたのは事務所に必要そうな物まで物色してる自分に気づいたから。そしてそんな自分に気づいたらやっぱりこう思わざるおえない。私って本当につくづく演歌の似合う女よね、って。
微苦笑を浮かべながら何気なく見たウィンドウの向こうで華やかにディスプレイされているのは純白のウェディングドレスだった。
無意識にそのウィンドウの前で足を止めたシュラインはしばしそのウェディングドレスをうっとりとした目で眺めていたが、やがてまた肩をすくめてため息を吐く。
止めていた足を再び前に向かって動かすのだが、そのスピードは先ほどよりも速かった。
彼、草間武彦との関係ってのはもう長い。傍目から見れば雇い主と事務員。だけど二人の関係は恋人同士。しかし、いい雰囲気ってのはここ最近無い。自分としてはそろそろ・・・
「稼ぎが無いってのを気にしているのかしら?」
ついつい思考はそちらに行ってしまう。ほぼ家事手伝いのボランティア状況ってのになっている興信所の事務員の仕事だって有能にこなしているし、作った料理も美味しそうに食べてくれる。会話だって豊富。愛されている自信は幸せな事にある。ただ、そういう雰囲気だけが無い。それこそ結婚してしまえば心置きなく妻として興信所の仕事だってちゃんと手伝ったり出来るし、ご飯だって毎日作ってあげられるのに・・・。
思考は巡りまわってまた先ほど呟いた、稼ぎが無いってのを気にしているのかしら? に行き着いてしまう。
「って、何を考えているのよ、私は」
シュラインは苦笑しながら頭をげんこつで殴った。そしてぺろりと舌を出して、再びコートのポケットに手を突っ込んで、
その時に彼女はコートの裏ポケットに固い感触を感じて思い出した。
「ああ、そういえば編集長にもらったんだっけ」
出版社を出る時に編集長からクリスマスプレゼントだと封筒をもらったのだ。
手に取って取り出した中身を見て、シュラインは苦笑いを浮かべてしまう。それはこのクリスマスに恋人たちに贈る、とかって、ばんばんとCMされている話題の恋愛映画のチケットだった。内容は死神の少女と天才ピアニストとの恋。ラストは死神の少女が愛する彼を助けるために死神の掟を破り、それ故に存在を抹消され、そして助かった彼は自分が死ぬ日であったクリスマスイブに一人誰もいないコンサート会場で彼女のために曲を弾くというもの。ちなみにシュラインはその映画の原作である小説を読んで、ラスト間際の15ページでティッシュ一箱を使い切ってしまった。
「そりゃあ私だって、彼と一緒に映画を見て、その後にディナーってのは夢なんだけどね」
駅前で待ち合わせして、喫茶店で上映時間まで何気ないおしゃべりして、手を繋ぎながら映画を見て、美味しいって有名なお店でディナー・・・その後はお洒落なホテルの一室で夜景を彼と並んで見ながら・・・
「って、馬鹿か、私は」
無し無し。今の想像は無し。シュラインは真っ赤な顔で歩き出そうとして、そしてその時にふと視界の端にそれは映った。
都会の片隅にある薄暗い路地で凛と咲く白い小さな花。それはとても健気で、そして見る者に優しさを抱かせる。
思わずその花に微笑んだシュラインは路地裏に入り、その花の前でしゃがみこむと、頬にかかる髪を耳の後ろに流しながらそっとその花に手を伸ばすのだけどその小さな白い花の茎に指が触れそうになったところで彼女の指は止まった。
「・・・やっぱり、ダメよね。こんな寒くって光もろくに届かない場所でがんばって咲いてるんですものね。珍しいからって摘んじゃかわいそうか」
両目を柔らかに細めながら彼女はコートのポケットに手を突っ込んで携帯電話を取り出した。
そしてしばらく色んなアングルでその花を携帯電話のカメラから覗いてから、最高のアングルを見つけてパシャリ。
「一番輝いている時を納めさせて頂きました」
その白い花にそう言って礼をした彼女は慣れた操作で草間武彦のアドレスを呼び出して、送信。
すぐにコール音。シュラインは珍しく反応の早い彼に微笑みながら電話に出る。
「もしもし」
『おお、シュラインか。で、今送られてきた花の写真は?』
「微笑ましいお土産でしょう。都会の片隅でがんばって健気に咲く白い小さな花って」
『私みたいに凛としていてって?』
「ばか」
電話の向こうにいる彼に向かって苦笑しながらそう言う。まったく、この人は。だけどその次に彼がクリスマスプレゼントにと聞かせてくれたドイツに伝わるこの白い花によく似たスノードロップの伝説はシュラインを喜ばせた。
スノードロップ。昔、色を持っていなかったこの世のすべての物に神様が色を付けようと言った。しかしただ雪だけが神様に色を塗ってもらえなかった。雪が神様に自分にも色を塗ってくださいと言った時にはもう神様のパレットには色が無かったから。神様に他のものから色をもらいなさいと言われた雪。だけどどれもが冷たい雪を嫌って色をくれなかった。しかし、スノードロップが白で良かったら、色をわけてあげると言ってくれた。雪はとても喜んだ。そしてそれからは雪が降っても、色を分けてもらった雪の恩返しなのか、スノードロップだけが雪の中でも咲くようになった。花言葉は希望。
あの白い花はスノードロップではないが、しかし希望という言葉はひどくあの白い花に似合っているように思えた。
そして再び人の流れに合流したシュラインはコートのポケットに突っ込んでいたチケットを手で触りながら勇気を振り絞って、だけど声だけは何気ない日常の予定を恋人に提案するように言う。
「ねえ、明日って暇? もしもよければ映画のチケットをもらったんで、一緒に行かない?」
『映画か。いいな。最近見ていなかったんだ。じゃあ、その後に一緒に飯でも食いに行こうか』
「ほんとに? じゃあ、今そっちに向かっているから、また会ってから話しましょう。ああ、何か必要な物などあったら買っていくわよ?」
シュラインは何気ない軽口を叩きながら彼の下へと歩いていく。今はもうしばらくこんな二人の感じもいいかもしれない。二人の未来はあの白い花が指し示してくれているような気がしているから。
とりあえずは明日は映画で彼を困らせてしまおう。
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