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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


羽ばたく怪異

【おでん屋台・蛸忠】

 1km2あたり約5400人もの人口密度を誇る、日本の首都、東京。
 不夜城ともバビロンの都とも喩えられるこの大都市には、星の数ほども人間がおり、当然、それを住まわせる分だけの、家がある。
 だが、マンションだの、アパートだの、と名の付くそれら住処の中で、あやかし荘ほど奇態な建物は、はっきり言って、他に類を見ない。
 それが、如何ほど謎に満ちた建築物であるや否やの説明は、この際、端折って、隅に転がしておこう。
 あやかし荘の周辺で、ひっそりと……いや、主が主なだけに、実は、全然、ひっそりとはしていないのだが……ともかく、名物屋台として知られる「おでん屋台【蛸忠】研究所」に、ある一人の男がふらりと現れたことから、物語は始まるのであった。

「いやぁ……。これは良い匂いですな。何かこう……懐かしいものを感じます。」
 嬉しそうに目を細め、男が、席に着く。
「女将……と呼んで、よろしいのでしょうかな? お勧めのものを、二、三品、見繕って欲しいのですが……」
 本日の「蛸忠」の、一番客だった。屋台はだいたい日没を合図として営業を開始するものだが、それは、蛸忠とても例外ではない。
 仕込みを終え、料理を終え、酒も味も万端に整えて、屋台の主、本郷源(ほんごうみなと)は、自慢の店のカウンターの内側に入る。体の小ささは、気風の良さと腕の良さで補って、六歳児にも拘らず、そこはかとなく威厳のようなものまで漂わせる彼女の姿は、まさに「女将」の呼び名に相応しい華があった。
「本郷源じゃ。お客人。堅苦しい呼び名は無しじゃ。屋台では、無礼講こそが、真の礼儀ゆえな」
 また毛並みの変わったお人が来たな、と、口ではにこやかに応対しつつ、源は、新顔の客の様子を盗み見る。
 和風な屋台には、およそ似合わない男だった。決して悪い意味ではない。一言に言えば、映画の中からでも抜け出てきたような、旧き良き外国の紳士風なのだ。あまりにも有名なイギリス某名探偵の名が浮かぶ。古びたパイプとステッキを手に持って、これほど違和感のない現代人も珍しい。
 こほん、と、源は一つ咳払いをした。
「……おお、お勧めじゃったな。本日の一押しは、何と言っても、この『鵜骨鶏』じゃ! インド・ヒマヤラ原産の、古来中国より薬用、観賞用として珍重された、神秘の鶏じゃ!」
 どん、と、鶏肉の塊を大皿に乗せ、手早く取り分ける。引き締まった肉はいい具合におでんのダシ色に染まり、ほわほわと湯気を上げていた。口の中に放ると、一気に溶けて、なんとも言えない芳香が体中に広がる。
「これは美味いですなぁ!」
 客の喜ぶ顔を見る瞬間が、源にとっての至福の一時。自信作を手放しで誉められ、すっかり気を良くした源は、ついでにこれもと、秘蔵の酒をいそいそと持ち出した。
「そうじゃ。まだ名を聞いておらんかったの」
「おお。これは失礼を。流伊晶土(るいしょうど)と申します。源殿」
 ここで恭しく帽子を取れば、非の打ち所のない立派な紳士であるというのに、晶土は、深々と帽子を被ったまま、決して外そうとはしない。頭を下げるとき、ずり落ちないように、手で押さえるのも忘れなかった。
 お辞儀の形も、なにやら微妙に不自然だ。頭の上に、実は何かを飼っているのかと、そんな考えが、源の脳裏を掠める。
「食べにくくはないのかの? 晶土殿。手癖の悪い客人が他におるでもなし。帽子は此方に置いたらどうじゃ?」
 さりげなく帽子を取るように薦めたが、晶土はやはり脱ぐ気配がない。
「お気遣い、痛み入ります。源殿。しかし、まぁ、何と言うか……。帽子を付けている方が、落ち着くのですよ。帽子は私のトレードマークのようなものですので」
「むぅ……そうか」
 あまりしつこく勧めるのも、無粋だろう。駄目だとなると、余計に見てみたいのが人情というものだが、源は、六歳児にはあるまじき商魂逞しい「女将」である。基本的に、客の嫌がることはしない。
 スッパリと忘れ、ここは一つ楽しい話題でも……………と思ったその矢先。
 帽子が、動いた。
「な!?」
 帽子の前唾が、明後日の方を向いている。おでんを頬張りながら、晶土は、何事も無かったように帽子を直した。
「い、今、動かなかったかの!?」
「気のせいでしょう」
 気のせいで済ませられるほど、微かな動きではなかったのだが……晶土は、にこにこと愛想の良い笑顔を浮かべたまま、空になった皿を差し出す。
「源殿。たまごと大根、はんぺんと、それに牛筋も……」
 やむを得ず追求を断念し、源が、受け取った皿に、ネタと汁をたっぷりと注ぎ込む。
 おまち、と差し出した時、今度は、帽子が、ぽんと浮き上がった。
「や、やはり何かおるぞ晶土殿!」
「いえ。気のせいですよ」
「気のせいで、帽子が、ひとりでに浮かび上がるはずがなかろうがっ! この源の目は節穴ではないのじゃぞ! おのれ! そこへ直れ、怪しの帽子っ!」
 ぽん、と思わず獣化する源。これで、その対象が狼や虎なら迫力も十二分なのだが、なにせ彼女はワーハムスター。思わず頬刷りしたくなるほど、可愛い。
「お、お、落ち着いてください、源殿」
 うろたえつつも、やはり帽子を離さない晶土。ついでにおでんの皿も離さない。必然的に両手が埋まり、飛び掛ってきた源を撃退するのは、不可能だった。
 帽子か、おでんか、どちらかを諦めなければならない状況に追い込まれた時、晶土は思った。この女将に嫌われたら、二度とここのおでんが食べられなくなる!
 かくして、心は決まった。あくまでもおでんを優先し、あっさりと見放された帽子は、虚しく地面に放り投げられる。
 中から現れたのは……。



「……鳥か?」
「……たぶん、鳥でしょう」
「どうしてそう自信無さげなのじゃ」
「正直、この生き物が何なのか、私にもわかりません。鳥……に近いような気がしますが」
 帽子の中から現れた「鳥もどき」は、きえぇぇぇん、と、物凄い声で一声鳴いたかと思うと、いきなり、何の前触れもなく、ドボンとおでんダシの中に飛び込んだ。
 唖然とする二人の前で、がつがつと、源が精魂込めて作ったおでんを、平らげる。やがて、おでんまみれの翼をばさっと広げ、羽のない人間たちには如何ともしがたい大空へと、飛び立った……。





【一刻も早く忘れたい記憶】

 ばっさ、ばっさ、と羽音を立てて、「それ」が彼方に去って行く。
 黄金色の羽毛。紅玉のような双眸。そして…………フォワグラ用のガチョウだって、もう少しスマートだろうという、とんでもない巨体。「あれ」が空を舞うなどという不条理があって良いものかと、源は、六年間生きて来て得た常識や良識を、一気にかなぐり捨てたくなった。
 あり得ない。「あれ」が帽子の中に入っていたなど、絶対に絶対にあり得ない!
 どう考えてもサイズオーバーだろう。それとも、流伊晶土の帽子の中身は、実は異界にでも通じているというのだろうか!?
 悩む源の眼前で、大鳥の姿が、徐々に徐々に遠ざかる。
 一刻も早く遠くへ行って、早く目の前から消えてくれと祈る源の隣で、晶土がしみじみと呟いた。
「いやぁ。無事孵りましたなぁ。良かった良かった」
 どうやら、卵から温めて、孵していたらしい。どうせなら、きっちり孵して、お空に飛び立って行くのを見届けたその後で、おでん屋台に来て欲しかったと、やはり常識を捨てきれない源は、大きく溜息を一つ吐き出したのだった。
「美しい光景でしたなぁ……」
 真面目に感動している晶土の声に、
「………………美しいか?」
 冷淡な源の反応が重なる。無理もない。
「美しいではありませんか! 卵から孵った雛が、空へと自らの翼で戻って行ったのですよ! 感動ものです!」
「………………感動か?」
「源殿のおでんを始めて食したときと同じくらい、感動しましたとも!」
「あの鳥もどきと、わしのおでんは、同レベルなのか……」
「私は、今日というこの素晴らしい日を、一生涯、忘れません!」
「………わしは一刻も早く忘れたい」
「そんな、つれない事を仰らないで下さい。他にも卵は第二、第三、第四と……」
「妙な物をうちの屋台に持ち込むでないっ!!!」
「そんな冷たい……」
「二度と御免じゃぁ!!!」



 この後も、流伊晶土は、帽子の中に何かを飼って、源の屋台を訪れる。
 それににこやかに応対しつつも、源は、出会った日のあの「事件」を、決して忘れたわけではない。
 


「次は何を飼っておるのじゃ」
「いえ。姪に頼まれて、このようなものを……」
「取らんで良い! 取ったら仕置きじゃ!!」
「そんな冷たい……」
「鳥もどきは、わしの店では禁句じゃ!! 破ったら、今までのツケ、倍額にして即行返してもらうからの!! 忘れるでないぞっ!!!」



 かくして、出会いの物語は、終わりを迎える。
 一刻も早く忘れたいのに、あの「きえええぇぇんん」という声が耳に居ついて、一生忘れられそうにない源の姿が、そこには、あったとか、無かったとか……。