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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


青い国もメリークリスマス


「あー」
「あーあー」
 倒れたクリスマスツリーの下から出てきた茶色の熊は、ぼろぼろになっていた。
 兄妹はあーあーと嘆息しながら、しばらく無残な姿のぬいぐるみを眺めることしか出来なかった。
「哥々がらんぼうにひっぱるからだよ」
「花が早く出せって言ったんじゃないか」
「せきにんてんかだね、哥々」
「いきなり難しい言葉使うなよ、小学生のくせに」
「花霞は哥々より年うえですー」
「……ともかく、このぬいぐるみ、どうすんだよ。捨てるのか?」
 兄が、ぬいぐるみを取り上げた。そもそもクリスマスツリーが倒れたのは、兄妹が部屋の中でバドミントンに興じたからなのだ。そして、深追いしすぎた兄がツリーに突っ込んだからだった。そうそう倒れることもなさそうなもみの木の下に、茶色の熊は1週間前から座っていた。妹が、サンタの扮装をさせてツリーの下に置いたのだ。
 ぼろぼろになったぬいぐるみを、妹が大声を上げながら兄の手から奪った。
「だめー! これ、哥々からもらっただいじなくまさん! わすれたの?」
 妹は叫びながら、よろりと一歩よろめいた。
 兄が譲ったその熊は、体長1メートルはある大きなもので、ずんぐりとしていて、貫禄があった。
 ぬいぐるみの腹はばっさりと見事に裂けており、はらわたが――腹の中の綿がもあもあとはみ出していた。妹は口を尖らせながら、その綿を裂け目の中にぐいぐい押し込んだ。
『ぐえ』
「ん?」
 妹は手を止めて、目を点にした。
「……哥々、なんか言った?」
「何にも。……それ、直しに出せば? うちはみんなクリスマスの準備で忙しいしさ……花と僕が直したら、フランケンみたいな縫い目が出来て、カッコ悪くなるよ」
「直るかな?」
「プロならやってくれるさ」
 兄はタウンページをひっくり返した。
 自分が贈った熊を、妹がこれほど気に入ってくれているとは思っていなかった。ツリーを倒したのは自分だし、確かに乱暴に引っ張りだした。引っ張ったときに、ぶつりばつりといやな音がした。ついでに『ぬわぁ』という悲鳴もだ。兄は『TEIGUNZAN』なる近場のぬいぐるみ店を見つけて、すぐに電話を入れ――兄妹は仲良く家を出た。重体の熊に詫びながら。
 青月支倉、賈花霞、茶色の熊。
 種族も姓も違えど、かれらは家族だった。

『TEIGUNZAN』は評判が良いらしかった。その評判を兄妹が耳にしたのは、ぬいぐるみを修繕に出した翌日のことであったが。
 緑と赤、金と銀のオーソドックスな飾りつけに彩られた老舗は、それなりに人が入っていた。新品が出ていくばかりで、今の時期は修理の仕事もあまり入らず、職人は専ら製作にまわっているのだという。『TEIGUNZAN』のショーウインドウに並んでいるぬいぐるみは、すべて手作りなのだそうだ。
「じゃあ、いそがしいんですね」
 花霞が肩をすくめると、職人は笑った。
「いいさ。気分転換になる」
 職人は花霞がしたように、はみ出した綿を熊の腹の中にぐしぐし押し込んだ。
『へぶっ』
「……」
「……」
「僕、何にも言ってないからな、花」
「……うん」


 倒れて、枝が折れ、飾りつけも乱れてしまったツリーも元通りになった。花霞と支倉が、夕食までの時間と夕食後の時間をかけて直したのだ。
 だが、それまでツリーに寄り添っていたサンタ熊がなくなっているのは、何かうら寂しいものがあった。ツリーとぬいぐるみに起きた惨劇を知らない手伝いやふたりの父も、「何かヘンな感じだ」と、たとえようのない違和感を抱いているようだった。熊はすでにこの邸宅の居間に馴染んでいたのだ。
「はやくなおるといいね」
「うん」
 兄妹は、カレンダーを見た。
 クリスマスが近い。
 修繕が終わる予定日は、もっと近い。


 深夜10時、邸宅の電話が鳴った。
 花霞は寝ていたし、支倉も翌日は朝から練習が入っていたので、すでに寝る支度を整えていた。その矢先の電話は、ふたりを飛び上がらせた。
 その日は、あの茶熊のぬいぐるみの修繕が終わるはずの日だったわけで――とうとう、午後10時まで店から連絡は来なかったことに、ふたりは落胆していたのだ。
 まさか、いまになって連絡か?
 いや、『TEIGUNZAN』は午後9時閉店だ。
 花霞が、奪い取るようにして受話器を取った。
「もしもし?」
『あア! 俺だよ俺!』
「え?」
『俺だっての、俺!』
「花、誰さ」
「なんか、『おれ』しか言わないよ……」
「そ、それって流行りの――」
「『おれおれ詐欺』?!」
 ぬいぐるみも直らず、流行りの詐欺の標的にもされるとは。
 兄妹は溜息をついた。なんとついていないクリスマスだろうか。
『ちーがーうーっての!』
 花霞はたまらず受話器を耳から遠ざける。聞き覚えのない声は、支倉の耳にも届いた。粗野なだみ声だった。無論、男のものだ。それも中年の。
「おじさん、誰?」
『ばッ、俺はなァ、こう見えても若いんだ! 信じろ! 信じねエと矢ァ飲ませッぞ!』
「あの、だから」
『熊だよ、熊ァ! 茶色のよ! ……って何すんだ黒兄ィ! どぅわア!』
 がちゃん、つーつーつー。
「……テンション高い電話だなぁ……」
「花霞たちと正はんたい……」
 沈黙が痛い。花霞は呆然としたまま、受話器を一度下ろし――
 今度は、毅然とした態度で支倉が取った。花霞がフックに受話器を掛けた途端、またかかってきたのである。
「あの、詐欺はやめてく」
『おい、貴様! 4000円だ』
 めったやたらと重低音で、しかも威圧的な声が支倉に叩きつけられた。無論男の声だ。それも中年の。渋い。
「……はい?」
『茶熊はあずかった。返してほしくば4000円を持って定軍山に来い。わかったな!』
 がちゃん、つーつーつー。
「……」
「哥々、何の電話?」
「……僕らの熊、捕虜になっちゃったみたいだ……」


 というわけで兄妹は底引き網を手にぬいぐるみを縫い続け売り続けて70年、『TEIGUNZAN』へと出陣した。店は目を疑わなければならない状態にあった。クリスマスの飾りつけやポップは派手に打ち壊されて、ぬいぐるみたちがずらりと店舗前に並び、青い旗を掲げていたのである。
「こ、これなに? どういうこと?」
「まるで国を興したみたいだなあ……」
『遅いぞ貴様ら! 首を取られたいか!』
 雑兵ども(と思しきぬいぐるみ)を蹴散らして、店の中から黒い熊が飛び出してきた。左目にあたるボタンが取れていた。大きさは――茶色の熊よりも、わずかばかり大きい。渦中の茶熊は、黒い熊の後ろで小さくなっていた。
『4000円は持って来たんだろうな?!』
「もってきてないよ! おなおし代、前ばらいだったもん」
『何だと、この俺を苔にするか!』
 腹に響くのは、黒熊のウーファーの効いた声だけではない。
 ずずん、と一歩踏み出したその衝撃も、紛れもない現実のものだった。片方しかない、つぶらなボタンの瞳に殺気と怒りの炎が浮かんでいた。
『黒兄ィ、よ、よせって……』
『茶、おまえは黙ってじじいの相手をしていろ!』
『黒兄ィぃいいぃ……』
 黒熊にすごまれ、茶熊はすごすごと後ろに下がった。彼の後ろでは、サンタクロースが数人歌って踊っていた。ほーっほっほっほー。
「何でこんなことしたの? りゆうがあるならおしえてよ」
 黒い熊の片方しかない目の中に、何を見たか。
 花霞と支倉は、一旦網を構えた手を下ろした。黒い熊はその言葉を聞いても、のしのしとした前進を止めなかった。彼の後ろから、じりじりと控えめに、青い旗を持ったぬいぐるみたちが続く。
「俺はなあ、あの茶と同じ職人の手で、同じ時期に作られたんだ」
 ずしん。
「売られた時期も同じ、傷をこさえた時期も同じ。俺たちはなあ、一心同体だ。家族ってわけだ。従兄弟ってわけだ」
 ずしん。
「それが――見ろ。俺を買う気もないガキが俺に無双乱舞かましやがって、目ん玉がどっか逝っちまった。俺の直しは後回しだ。忙しいしな。同じ目ん玉はもう作ってなくて、直しようがねえときた。俺はこの先ずうっと片目だ。そんな馬鹿な話があるか。何で俺がひとりで、茶がぬくぬくじじいの仮装をしていられるっていうんだ! 俺と茶は従兄弟なのに!」
 ずしん!
 嫉妬しているのか、怒っているのか、悲しんでいるのか、寂しがっているのか――
 或いはその全てなのか。
 黒熊が、子供部屋の匂いがしみついた腕を振り上げた。青い旗を持ったぬいぐるみたちが、ときの声を上げる。
 支倉が、花霞の手から網を取った。
 支倉はときの声にも負けない雄叫びを上げて、網を広げた。
「花!」
 網が、黒い熊と、青い軍に絡みつく。
「茶色の熊を助けるんだ!」
 網をかけられてもがく黒熊に、ぼふんと支倉が組みついた。花霞はその様子を確かめることがなかった。支倉に言われた通りに動いたのだ。
 サンタクロースの横で小さくなっていた茶色の熊――
 もう、腹の裂け目はきれいに直っていて、綿などただの一筋もなかった――
 花霞は、ふわふわとしたその身体に抱きつくと、抱え上げて、走り出した。
『黒兄ィ――』
 花霞の肩越しに、その声が流れていく。
『ああ、ちくしょう、杯を交わしたのは、もう何年ぶりだっただろうなア――』

「哥々」
「なに?」
「あのくま、いくらだったの?」
「確か、3500円。あの大きさでは安すぎるくらいだよ」
「じゃあ、黒いくまは、ちょっと大きいから……4000円だね」
「あれ――ドラマCD、買うんだろ。無双の……」
「茶いろのくまさんがなくんだもん」
「……」
「それに、多いほうがにぎやかだよ。クリスマス、にぎやかなほうがたのしいでしょ?」
「そうだね」
「まだあるかな」
「あるさ。片目だもの」
「片目ってところが、いいのにね」

 茶色の熊は、泣いてなどいなかった。
 ただ前と同じ、無口になって、時折知らない間に『TEIGUNZAN』の方角を見ていた。
 泣いてなどは、いなかったのである。
 もちろん今も、泣いてなどいない。
 ツリーの下で、隻眼の黒い熊と並び、サンタの服を着せられているのだ。




<了>