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<東京怪談ノベル(シングル)>


『冷たき闇の中で』
「私を殺すのね、あなた」
 彼女はそう薄く笑いながら死んでいった。そう、確かに自分は彼女をこの手で殺したのだ。両手には彼女の白い肌にくっきりと扼殺痕(やくさつこん)が残るほど首を絞めた感触がありありと残っていた。だけど・・・彼女は・・・
「どうしたの? 何をそんな不思議そうな顔をしているのかしら?」
 くすくすと笑う青白い顔。闇の中で不自然に首を傾げたその殺したはずの女は不明瞭なひゅーひゅーという息を零している。それでいてそのひゅーひゅーという音が言葉に聞こえるのは謎だが。
 もはや恐慌しすぎた意識はかえってその非現実に麻痺しすぎて冷静に動いていた。しかしそれでいてこんな結論を出したのはやはり彼はもはや精神を病んでいるのだろう・・・。
「そうか。あの女は本当は死んでいなくって、それで俺を騙しているんだ。だったらもう一度殺してやる」
 彼は勝手知ったる他人の家。幾度となく忍び込んだ台所に走り、そこにある包丁を手に取って、そして振り返ると同時に愚かにも自分を追いかけてきた彼女に向かって床を蹴り肉薄すると、両手で握った包丁を彼女の左胸に突き刺した。刃が薄いブラウスごと肉を抉る不快な感触が手に伝わる。その感触と鼻腔をくすぐるむせ返るような鉄さびに似た香りに彼は彼女の死を今度こそ確信した。そして彼は殺人犯にはセオリーであるはずの凶器に残る指紋をふき取ると言う行為はせずに部屋から逃げ出し、隠しておいた車へと乗り込んだ。
「はぁハァはあはぁはあはあぁはあ」
 不規則なリズムで開けっ放しの口から荒い息を零しながら彼はハンドルにもたれこむと、くっくっくっくと笑い出した。その小さな笑い声はやがて大きな哄笑へと変わる。
「あはははははは。ざまあみやがれ。この俺の愛を拒んで、俺を馬鹿にしやがったからだぁー」
 ばんばんばんとハンドルを叩く。しかし・・・
「嬉しそうね。なにかいい事があったの?」
 後ろの方からその甘やかな声がしたのと同時に白く細い腕が両側からまわされて首へと絡みついた。
 そして彼は一瞬心臓を止めて、その転瞬後に心臓を早鐘かのように脈打たせながらそのメロディーに合わせて歌うかのように悲鳴をあげた。
「ぎゃぁぁぁぁぁーーーーーーーーー」
 口から迸らせる悲鳴を止めればその瞬間に自分の精神は狂う。そう感じたから彼は己の意思を繋ぎとめるかのように悲鳴を迸らせる。だけど瞳はその感情とは矛盾するようにバックミラーへと向けられる。
 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。俺はバックミラーなんか見たくない。見ればそこにあの口の片隅から血を一筋流す女の顔があるに決まっている。だけど目は見てしまう。バックミラーを。そしてそこに・・・
「うわぁぁぁぁぁぁっぁああああああああああーーーーーーーーーーーー」
 イヴ・ソマリアの顔はあった。

 彼女はとても優しい人だった。
 芸能人なんか自分の人気取りのために純真ぶった性格ブスなのばかりだと想っていた。現に週刊誌やスポーツ新聞なんかはそんな奴らの仮面を剥がしている。つい先日もあるスポーツ新聞が自分を勘違いしまくっている女性芸能人と年商何十億と言われる実業家との恋を報道していたが、彼に言わせればその実業家は愚かな奴としか言いようがなかった。こういう馬鹿がいるから自分を名前で呼んで、かわいこぶりっこしているあのブスが勘違いするのだ、とその実業家に本気で怒っていた。
 と、言うか彼はこの世界の人間すべてに対しての怨念を抱いていた。
 彼は独りだった。誰とも触れ合おうとせず、誰とも理解しあおうともしなかった。それは彼が自分が世界で一番不幸だと想っているから。
 しかしそんな彼が恋をした。それが彼女だった。
 彼は最初、その彼女が自分が忌み嫌っている芸能人だとは知らなかった。捨てられていた仔猫を抱き上げて、みゃーみゃーとか細い鳴き声をあげるそいつに優しく微笑みかけながら頭を撫でている彼女が人気取りのためならば何でもする薄汚い毒虫にも劣る芸能人とは思えない。だって周りには誰もいなかったのだから。彼女が自分に気づいていた可能性だってまったくない。
 彼女はそのまま自分の着ている服が汚れるのもかまわずに雨に濡れて震える仔猫を抱きながら、自分のマンションの部屋へと入っていった。
 そんな彼女を見て、彼は想った。捨てられていた哀れな仔猫に優しく微笑みながら抱きしめることの出来る彼女ならば、絶対にこんな自分でも愛してくれると。
 そんな彼女と愛し合い、夫婦になって、死ぬまで一緒にいられたらこんなクソみたいな人生だってとても楽しく幸せな…生まれてきて良かったと思えるんじゃないかって。
 彼はそんな嬉しく幸せなしかし、どうしようもなく独りよがりな思い込みに胸を嬉しい予感でいっぱいにしながら部屋のプレートを見た。そこにはイヴ・ソマリアとあった。

 どうしようもできない運命の分かれ道があったのだとしたらそれは一ヶ月前のあの日だろう。
 その日、イヴ・ソマリアはとある道で雨が激しく降る中佇んでいた。
 その空の慟哭かのような雨音をただ耳に流しながら、道の片隅に供えられた枯れた花束と缶ジュースを眺めていた視線を彼女は動かし、そして唇を囁かせた。
「ねえ、わかている? あなたはもう死んでしまったのよ」
 もしもそこに誰かがいたのなら彼女は何を独り言を言っているのだろう? と想ったに違いない。しかし、彼女のその言葉に応えるように、ただ雨の匂いしかしなかった空気に二つの香りが混じり出した。それは血と線香の香り。
 そしてまだ真新しい染みが残るアスファルトに幼い女の子が空間から浮き上がるように現れた。半透明の儚い女の子。彼女はその胸を締め付ける想いに目を細めた。
「お母さんが泣いてたの」
「ええ」
「お父さんも、お兄ちゃんも妹も・・・皆が泣いてたの」
「うん」
「あたし、死にたくなかった・・・こんな所で死にたくなかった・・・」
「そうよね」
 イヴはどこか冷たい笑みを浮かべる。
「それであなたはここでどうするの?」
「どうするの? って」
「ここにずっといるの?」
 それはきっと跳ね飛ばされてしまった時の格好なのだろう。チという字をもう少しだけ書き崩したような格好で彼女は虚ろな瞳だけをイヴに向ける。
「うん、いるよ。ここにずっと。だってここにいればお母さんたちが来てくれるから」
 彼女の魂だけでなく、家族の心もここに縛り付けられているのは雨の音に紛れて聞こえてくるいくつもの嗚咽が教えてくれていた。
「だけどお母さんたちが来てくれないとあなたは独りぼっち。それはとても哀しいでしょう?」
「うん」
 びくっと空気が震えた。
 その後にイヴが発したその甘やかな誘惑の言葉に。
「だったらここを通る人たちの中から誰かを選んで殺す? そしてあなたと同じ幽霊にしてここに縛ってしまえばあなたはもう独りじゃないわ」
 その言葉にだけど彼女は小さな身を半分だけ起こして、血だらけで骨も覗いている顔を横に振った。
「それはいや。だってそしたら・・・そしたら泣いちゃうもん。その人の家族も泣いちゃうもん。あたしのお母さんやお父さん、お兄ちゃんや妹みたいに泣いちゃうもん。その人も泣いちゃうもん。ここに来る度に泣いちゃうもん。あたしのお母さんたちだって泣いちゃってるもん・・・」
 それは嫌だと泣く彼女に、イヴはとても何か眩しい物でも見るかのような表情を浮かべると、道路の真ん中・・・その娘の傍らに立って、しゃがみ、ぎゅっとその女の子を抱きしめた。
「そうね。泣いてしまうものね。だけどあなたがここにいてこうして独りで泣いているって知ったら、もっと泣いてしまうわよ」
 イヴの胸の中で「だったらどうしたらいいの?」と、迷子の子どものような顔をした彼女にイヴは優しいお母さんのような表情で微笑む。
「もうわかっているでしょう。あなたが逝くべき場所へ逝けばいいのよ。そうすればここにいるよりもあなたはもっともっと大切な人たちの近くにいられる」
 そう言った瞬間に女の子の血塗れだった顔がとても綺麗な咲いた花のようなかわいらしい表情へと変わった。そして半透明の儚かった体は温かな金色の輝きに包まれて、イヴの腕から解き放たれた彼女は灰色の分厚い雲の隙間から零れる太陽の光の筋の中を昇っていく。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「ええ」
「あの、」
「ん?」
「お願いがあるの」
「なにかしら?」
「仔猫を・・・あたしが死ぬ前に捨てちゃった仔猫を助けてぇ」
「ええ。まかせて」
 そしてその日、仔猫が彼女の家に来て、もう一人招かざる者も彼女の周辺をうろつくようになった。

「イヴ、どうした?」
 携帯の液晶画面を見つめたまま固まっていたイヴに、彼女の恋人は心配そうな表情を浮かべた。
「なんでもないの」
 だけどイヴはそう言って携帯電話のメール画面を消してしまった。
「本当に?」
「ええ、本当に」
 もう一度本当に? と訊いてくる彼に彼女は苦笑しながら…しかしそんな心配性な恋人が愛しくってたまらないという表情を浮かべて、顔を横に振って、
 そして彼の胸に額を押し付けてそっと背中に両手を回しながら、言う。
「ありがとう。大好きよ」
 彼の手が優しく頭を撫でてくれて、それがとてもくすぐったくって、嬉しくって。唇を重ね合わせながら、彼女はぎゅっと彼を抱きしめた。異界の者と人間界の者。その違いはあってもイヴはどうしようもなく人間が好きだった。だけど・・・

 どうして俺の送ったメールに応えてくれない。俺はあんたが好きなんだ。どうしようもなく。なあ、メールをくれよ。一度だけ。一度だけでいいからメールをくれ。俺はあんたじゃなきゃダメなんだ。あんたとじゃなきゃ俺は幸せにはなれなんいんだよ。だから・・・。お願いします。メールをください。俺を愛してください。

 そしてそのメールのすぐ後…彼が来てからすぐに送られてきたメールには・・・

 なんだよ? なんで男を家に入れるんだよ? あんたは俺の…俺の彼女だろう。なのにどうして俺を裏切るような真似をするんだよぉ。
 芸能人だからだな。芸能人だからそんなブランドに目がくらんでどうしようもないのが寄ってくるんだ。やめさせてやる。芸能人なんか今すぐにでもやめさせてやるからな。

 おそらくはこのメールの主はここ最近…そう、あの女の子の幽霊に頼まれて、仔猫を連れ帰った日からずっとストーキングしている男だろう。
 普通ならばストーカーごとき愚かな人間などどうとでも手の平の上で転がして遊んでやるのだが、もはやそんなレベルではない。こいつは自分を邪魔する人間だ。

 人間ごときがこの私の邪魔をするだぁ? そんなのは許せない。許さない。だから滅ぼしてやろう。私の神経を逆撫でした奴には後悔し、考え直すチャンスすら与えない。

 かつんかつんと冷たい夜の闇にハイヒールのかかとがアスファルトを叩く音が響く。そしてそれに混じってもう一つ靴音が。
 イヴはだけどそれを無視した。
 マンションの部屋のドアを開ける。開けた瞬間にすぐそこの角に隠れていた男が飛び出してきて、イヴの口を片手でふさぎ、そのまま背を体全体で家の中に無理やり押して家の中に入れると、後ろ手でドアを閉めて鍵をかった。
 なんとか男の手を振り払ったイヴは悲鳴をあげながら、部屋の奥へ。
 男は彼女を追いかけ、部屋の真ん中で彼女を押し倒し、彼女のブラウスに指をかけると強引にそれを引き裂いた。
「やめてぇ。やめてよ、この下種。やめろぉぉぉーーーー」
 叫んだ彼女は自分の胸を鷲津掴んでいた彼の手を両手で引き剥がすと、噛み付いた。そして男がひるんだ隙に彼を押し倒し、さらに部屋の奥へと逃げた。
 そして、
「この変態。あんたでしょう。私をずっとストーキングしてたのはあんたでしょう。あんた、何様よ? なんなのよ。気持ち悪い」
 気持ち悪い…それがずっといじめられ続けた彼のトラウマを刺激し、そして彼は気づいたら彼女を殺していた。
 だが、ソファーの上でテーブルクロスを顔にかけた彼女の死体を背に泣いていた彼の耳を叩いたのは、殺したはずの彼女の薄い笑い声だった。
 振り向いた先にあった冷たい闇の中で笑う女の顔。
 そしてもう一度、彼女を殺した彼はしかし、二度も殺した彼女に運転席の後ろから抱きつかれたまま車を発進させた。
 恐怖に囚われたまま彼は車を運転し、そしてその100キロを越えるスピードで暴走していた車は電信柱に激突して、どこか断末魔の悲鳴かのような甲高いクラクションの音を上げ続けた。
 シートベルトをしていなかった彼の体は激突の瞬間にフロントガラスに頭から突っ込んで、彼は首の骨を折って死んだ。

 フロント部分が滅茶苦茶になった車の傍らにイヴが立った。彼女は髪を掻きあげながら、薄く笑う。
「あなたが悪いのよ。私の邪魔をしようとしたあなたがね。あの世で後悔なさい。この私の邪魔をしようとした事をさ」