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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


雪の聖夜 奇跡の日


 クリスマス前夜。
 翡翠は恒例の仕事着に身を包み、姿見の前に立っていた。
 赤いケープコートにワンピース。それぞれのすそには、白いファーがふんだんにあしらわれている。上質な革のベルトに、純白の手袋、黒のロングブーツ。手に持つ赤いサンタ帽をかぶれば、可愛いサンタクロースのできあがりだ。
 くるりと一回転すると、緑の瞳を細め、微笑む。
「準備完了♪」
 ふわふわと揺れる肩までのブロンドを整え、サンタ帽をかぶる。
 時計の針が十二時を指す頃、窓の外からシャンシャンという鈴の音が響いてきた。
 誘われるように窓を開け、出迎える。
 月の浮かぶ空の向こうから、六頭のトナカイが率いるソリがやってきていた。荷台には白い大きな袋がいくつも乗せられている。
「メリークリスマス、翡翠!」
 現れたのは、かっぷくの良い白髭のサンタクロースだった。


 堕天使はサンタクロースを手伝うのが仕事だ。
 架せられた仕事とはいえ、翡翠は毎年この時期を楽しみにしていた。
 担当するプレゼントを一晩で全て配るのは大変なことだ。
 けれど子どもたちがプレゼントを手に喜ぶさまを思い浮かべると、そんな苦労は吹き飛んでしまう。
「今年も、たくさんの子どもたちが喜んでくれるといいですねぇ」
 言って、サンタクロースの操るソリに相席する。
 振動はほとんどなく、ソリは滑らかに聖夜の空を駆ける。
「喜んでくれるとも。クリスマスは一年で一度、奇跡の起こる日なんじゃからな」
 白い袋の中には、大小・ラッピングも様々なプレゼントがあふれている。
 翡翠はそのプレゼントをひとつひとつ取り出しては、子ども達の枕元にそっと届けて回った。
 真夜中を過ぎ、ほとんどのプレゼントを配り終えようという頃。
 翡翠は、その中にひとつの古びたプレゼントを見つけた。
 それまでに配ったプレゼントと比べ見ると、明らかに月日を経た代物であることがわかる。
「サンタさま、このプレゼントは配っていいんですのぉ?」
 翡翠の手に取ったプレゼントを見つめ、サンタクロースは少し難しそうな顔をした。
「ああ……そのプレゼントは……」
 どうやら心当たりがあるらしい。
 サンタクロースはぽつりぽつりと事情を話し始めた。
「送り届け先の子どもが行方不明になってしまってのぅ……。もう何年も預かったままになっているんじゃ」
「依頼主さんにはご連絡差し上げたんですかぁ?」
 サンタクロースは首を横に振った。
「依頼をもらった年に、その方は亡くなってしまったんじゃよ」
 翡翠は思わず目を伏せた。
 そこで、プレゼントにカードが添えられているのに気付く。
「きっとその子ももう大人になっているじゃろうし……今から届けるのは難しいのぅ」
「でも……でもサンタさま。あたしはこのプレゼント、届けたいですよぉ」
 包装やカードを見る限り、プレゼントは贈る相手への思いで溢れていた。
 たとえ受け取ってもらうことが出来なくても、かつてその子にプレゼントを贈った者がいたことを伝えたい。
 そうでなければ、プレゼントに託された思いは行き場をなくしてしまう。
「サンタさまが無理なら、あたしが渡しに行きますぅ」
 サンタクロースは何度も翡翠を諦めさせようとしたが、彼女は渡しに行くと言ってきかない。
 最後にはサンタクロースも折れ、プレゼントを届けることに同意した。
「これ以上プレゼントを袋にしまい込んでいても、何の解決にもならないしのぅ……」
 そう呟くと、サンタクロースはプレゼントの送り届け先であるエリアス――エリアス・ベネディクトの元へとソリを走らせた。


 サンタ役にとって都合の悪いことに、エリアスは眠ってはいなかった。
 サンタクロースは眠っている子どもにプレゼントを送り届けるのが仕事だ。
 そして、翡翠はそのサンタクロースを手伝うことが仕事だった。
 サンタクロースが大人にプレゼントを渡しに行くなど、前代未聞である。となれば、手段はひとつしかない。
「頼んだよ、翡翠」
 サンタクロースはエリアスの住居上空にソリを止めた。
 翡翠はサンタ帽を脱ぎ、ソリの上から地上を見下ろした。
 伸びをするように翼を広げると、家の前に舞い降りる。この建物の一室に、エリアスがいる。
 明かりのついている部屋を見て、家の場所は把握していた。建物に入り、目的の部屋の扉をノックする。
「あの……こんばんはぁ。クリスマスの贈り物を届けにまいりましたぁ」
 扉はすぐには開かれなかった。
「……申し訳ありませんが、後程明朝にお越し下さい」
 エリアスの声は冷たい。相手が翡翠だからというよりは、深夜に訪れた不審な客と見られているのだろう。確かに、深夜の来客など不審以外のなにものでもない。
 しかし、プレゼントを渡すまでは引き下がるわけにはいかない。
「あのっ、でも、あなたのお爺さまからの贈り物なんです。ちゃんとカードも付いてるんですよぉ。見てもらえればわかると思うんですぅ」
「……祖父の……?」
 翡翠の言葉に興味を持ったのだろう。鍵を解く音が響き、ゆっくりと慎重に扉が開かれた。
 銀の髪に白い肌。薄闇にぼんやりと照らし出された彼は、いつもより頼りなさげに見える。翡翠の姿を認め、青い瞳が揺らいだ。
 翡翠は怖じけつつも、プレゼントに添えられていたカードを渡す。
 カードは古びていたが、書かれた文字だけははっきりと読みとることができた。
「『我が最愛なるエリアスへ捧ぐ』……」
 読み上げ、飾り付けのリボンをほどく。年月を経た包みはしなびて良く手に馴染んだ。何度か紙を撫で、丁寧に包装紙を開いていく。
 緩衝用の新聞紙をどけた後に出てきたものは、木製のクリスマスピラミッドだった。
 塔の形をした“クリスマスピラミッド”は、ピラミッドの土台にキャンドルを立てると、キャンドルの炎の熱によって上昇気流が起こり、塔の上部に付けられたプロペラがくるくると回る仕組みになっている。
 土台にはミニチュアながら手の込んだ木製の人形が配されていた。
 木製玩具といえば、ドイツの伝統的な工芸品だ。
「これは……」
 日本に移り住んでいるとはいえ、生粋のドイツ人であるエリアスには、それが間違いなく本物のドイツ製玩具であることがわかった。
 玩具から目を離し、緩衝用に使われていた新聞紙を見やる。日付は二十年近くも前のものだ。
「これは……一体いつ預かったものなのですか……? なぜ貴女が持っていたんですか……?」
 エリアスの顔には不信と興味が入り交じっていた。
 かつて忽然と死んでしまった祖父。その祖父がエリアスへ贈るために用意したというプレゼント。そして、二十年近くを経て贈り物を届けにきた少女。
――プレゼントを託された経緯を聞きたい。
 しかし、翡翠は真実を話すわけにはいかなかった。
 しどろもどろになって応える。
「え、ええっと、お知り合いのお爺さまがずっと渡しそびれていたらしくってぇ、自分じゃ合わせる顔がないからってあたしが……ごめんなさぁい!」
 言葉が終わる前に走り出していた。
 口を開けば開くほど泥沼な気がしたのだ。建物から出ればサンタクロースがいる。
 翡翠は建物から出るとすぐに翼を広げ、待ち受けていたソリに逃げこんだ。
 翡翠が乗り込んだのを確認し、サンタクロースは全速力でソリを走らせる。
 降り始めた雨は、小さな雪に変わり始めていた。


 翡翠を追って建物の外へ出たエリアスは、舞い落ちる粉雪に気付いて天を仰いだ。
 プレゼントを届けにきた少女の姿は既にない。
 夢でも見ていたのだろうかと思うが、吹き付ける風は確かに冷たい。
 そこでふと、少女が赤いケープコートにワンピースを着ていたことに気付いた。サンタクロースを模したつもりだったのだろう。
 エリアスはそこで今日がクリスマスであることを思い出した。
 彼女が誰であれ、祖父のプレゼントを届けにきてくれたことに間違いはない。
「Frohe Weihnachten... 貴女にも素敵なクリスマスが訪れますように……」
 白い息を吐きながら呟く。
 もう一度雪の夜空を見上げると、エリアスは自室へ戻った。


 翡翠を乗せたソリは、彼女の家へ向かって走っていた。
「ともあれ、無事に届けることができて良かった。これでわしの心配事がひとつ減ったのぅ」
「でもぉ……エリアスはあのプレゼントを気に入ってくれたのかなぁ……」
 結局あのまま逃げてしまったので、不信感だけは倍増してしまったのではないかと思う。
 悪戯だと思われてしまったら、エリアスの祖父に申し訳が立たない。
「大丈夫じゃよ、翡翠」
 翡翠を部屋へ送り届け、サンタクロースは自慢の白髭を撫でながらにっこりと笑った。
「クリスマスは一年で一度、奇跡の起こる日なんじゃからな」


 静寂の中、雪は世界を白く染め上げていく。
 ソリをひく鈴の音は、どこまでも遠く響いていた。



“Ich wunsche Ihnen frohe Weihnachten...”