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<東京怪談ノベル(シングル)>


『セレスティーが尊敬した作家』
「ふむ、読んでしまった・・・」
 セレスティーは書庫に納められていた最後の本を閉じた。
 そして軽く頭を俯かせてはぁーと大きくため息を吐いた。
 頬にかかる髪を洗練された仕草で掻きあげながら、彼は閉じた本を手にとって、立ち上がり膨大な本が並べられたちょっとした図書館並の本棚の前に立つも、そこに並べられた本に手が伸びる事は無い。
「・・・ここにある本を読み直すといっても、今日はまた違った本を読みたい気分なのですよね」
 今日は久しぶりの休み。その余暇を読書で潰したいのだがしかし手持ちの本はすべて読破してしまった。だが彼は本を読みたい。さて、どうする?
 彼は形のいい顎に手を当てて、悩む。そして彼はほとんど視力の無い瞳をパソコンに向ける。
 数の概念をも超えるようなネットに存在するホームページの中には文章サイトがあり、小説好きのマスターが自分のサイトの中で自慢の小説を載せている。その中には当然なかなかにそこらの下手な三流小説家よりも面白い小説がある。
 が、
「今日は本を読みたい気分なのですよね。本を」
 セレスティーは微苦笑を浮かべる。それすらもとても美しい彼は、その微苦笑を浮かべたまましばし考えて、そして突然にさも何かいい名案が浮かんだとばかりに手を叩いた。
 彼はインターホンを手にとって、
「あの、すみません。ちょっと出かけたいのですが」
 すぐに執事が部屋に入ってきて、恭しく頭を下げる。
「ご主人様。車が玄関の前に参りました」
「ああ、ありがとう」
 執事はセレスティーの車椅子を後ろから押そうとするが、それをセレスティーは笑顔で制して、自分で車椅子を動かしながら玄関へと。
 車はセレスティーを乗せて、静かに発進する。
 運転手は走り出した車を運転しながら確認するように言った。
「あの、ご主人様、本当に行くのですか?」
 セレスティーは最高の笑顔で頷く。
「ええ。お願いします。図書館へ」
 天下のリンスター財閥総帥がまさか都内の図書館に連れて行けなど、にわかには信じられまい。しかし、セレスティーは本気だった。昔から常々、図書館には行ってみたいと想っていたのだ。この機会を逃す手は無い。
「しかし、いくつか図書館がありますがどうしますか?」
「そうですね・・・」
 セレスティーは顎に手を当てながらしばし考え込み、そして運転手に逆に問い掛ける。
「確かあなたの娘さんはN大学の学生さんでしたよね?」
「え、ええ。そうですが」
「確かN大学は図書館を開放しているはずですよね?」
「え、あ、はい。確かそうなはずです。って、ご主人様、まさかN大学に? しかし、他にももっといい大学の図書館がたくさんありますよ。それに」
 などとしどろもどろに言う運転手にセレスティーはくすくすと笑いながら、
「いけませんね。大切な娘さんが勉学を勤しんでいる学校をそんな風に言うなんて。とにかくそちらに向けてください」
「かしこまりました」
 そして車はN大学の前に止まり、セレスティーは杖を片手に車から出た。
 
 季節は初夏。気持ちのいい光と風に包まれたキャンバスには若い声が溢れている。
 セレスティーの美貌はそんな中にあっても色褪せる事は無く、学生たちの視線を引き寄せるのであった。
 男も女も木漏れ日の中を歩くセレスティーを目で追う。
 しかし、セレスティーはそんな視線など意に介さずに気持ちのいい初夏の温度と、肌に心地よい風を感じながら図書館を目指した。
 N大学の敷地の隅にその建物はあった。この大学の創立時に建築学の客員教授をしていた外国建築士のデザインによるレンガ造りの図書館はレトロな感じでとてもお落ち着いた雰囲気を持っていた。
 中に入ると、館内の空気は古い紙とインク、そして埃の香りとで満ちていた。だがしかし、それは自宅にも膨大な本を納めた書庫を持つセレスティーには馴染みのある匂いだ。
 セレスティーはその本棚に並べられた一冊を手にとりぺらぺらとページをめくる。視力がほとんどない彼だが、彼は情報媒体に触れるだけでそれが持つ情報を読み取る事が出来る。それはとある教授が書いたかぐや姫伝説などに見られる日本の古典文化と風習と、外国の特に北極に住むエキスモーの文化・風習との相似点などについて論じているなかなかに面白い本であった。
 さすがは著名な日本文学の教授が揃い、多くの児童文学や純文学、それに最近ではジュニアノベルの作家を輩出している大学の図書館だ。ざっと見ただけでも面白い本がたくさんある。その中の一冊を彼は手に取り、閲覧室の隅の席へと向かった。
「おや、先客がいたようですね」
 感覚の鋭い彼がしかし気づけなかったほどにそこにいた先客…彼女は一心不乱に何かを書き綴っていた。時期から考えて大学の前期考査のテストに代わるレポートだろうか?
 セレスティーは肩をすくめて、邪魔にならぬように場所を変えようとするが、その時にふと彼女に感じる感覚が自分の知っている物に感じられた。そして彼はそれがいったい誰と同じなのかしばし考えて、そしてその答えに行き着いた時、全身の毛穴を開いて鳥肌を浮かべた。
「まさか…まさか、あなたは『湖の中をたゆたう彼女』を書いた人、ですか?」
 セレスティーはおそるおそる訊いた。
 すると一心不乱に何かを書き綴っていた彼女は顔をあげて、セレスティーを見た。そのソバージュが落ちかけた亜麻色の髪に縁取られた彼女の顔はしかし、キャンパスで擦れ違った学生たちの若さ溢れる顔とは違っていて、骸骨のように痩せ細った物であった。目の下に隈を作った彼女はその顔の表情を歪めた。おそらくは笑顔を浮かべたつもりなのであろう。
「あなたは『湖の中をたゆたう彼女』を知ってるの?」
「ええ。あなたのお友達のお父上が私の知人でしてね。その関係であなたがお友達にお渡しになった『湖の中をたゆうたう彼女』を読ませていただいたのです」
「そう」
 彼女はそうやって笑う(相変わらず歪んだ表情だ)と、身を乗り出して、セレスティーに訊く。
「で、あの、聞かせて欲しいんです。その、おもしろかったですか、私が書いた小説?」
 セレスティーはまるで娘に大好きな昔話を聞かせてあげる父のような優しい表情をその精緻な彫刻かのような顔に浮かべて、彼女に自分が読んで抱いた『湖の中をたゆたう彼女』の感想を述べた。そしてそれを聞く彼女の表情は相変わらず歪みきった表情になっていない表情だが、それでもそれはセレスティーのほとんど見えぬ目にはとても嬉しい…それこそ大好きな物語を聞かせてもらっているような表情に見えた。
 まず先に述べておこう。
 この彼女は生きている人間ではない。死者だ。
 生きている時は、このN大学日本文学部に通う2回生で、セレスティーの運転手の娘の親友であった。
 この彼女の夢は児童文学の作家となり、多くの人たちに自分の本を読んでもらい、そして自分の世界を共感してもらいたいというものだったらしい。
 しかし、彼女は白血病という病におかされ、その夢も半ばに病死してしまう。
 その彼女が書いた…いや、未完に終わった『湖の中をたゆたう彼女』がセレスティーの手に渡ったのは、運転手の娘が父に止められるのも無視して、セレスティーの前にやって来て、涙ながらに親友の夢を叶えてやってほしい…この『湖の中をたゆたう彼女』をリンスター財閥で出版して欲しいというものであった。そのお金は大学を辞めて自分が払うからと、訴えたのだ。
 セレスティー自身は未完ながらも『湖の中をたゆたう彼女』を気に入った。しかし、それは未完で終わっている。残念ながらリンスターの名において出版する以上は未完では話にはならなかったのだ。
 しかし・・・
 セレスティーはそれまでの表情を引っ込めて、幽霊の彼女にリンスター財閥総帥の表情を見せた。
「まずは自己紹介をしましょう。私はセレスティー・カーニンガム。リンスター財閥の総帥です」
 そう言うと、彼女は大きく開いた口を両手で押さえて、驚いた表情を浮かべた。
「それで商談を交わしたいのですが、どうですか? もしもよろしければ貴女の書いた『湖の中をたゆたう彼女』をリンスター財閥から出版させてもらえませんか?」
 彼女は泣きながら頷いた。そしてセレスティーが携帯電話で持ってこさせてノートパソコンに向き直って、彼女は未完に終わった小説を書き始めた。
 セレスティーは椅子に座り、リンスター財閥が完全に貸しきった図書館の空気を感じながら、彼女を見つめる。そして彼は口の中で呟いた。
「さてと、それで彼の方はどうしましょうかね?」
 彼は不敵に笑う。
 そのセレスティーの青の瞳が見据える彼女の後ろには古めかしい格好をした男の幽霊がいた。この図書館全体を包み込む空気と同化をしていることから考えると、おそらくはこの図書館の自縛霊であろう。そして彼女は一回生の時からこの図書館で小説を書いていたという。その二人がここでこうして一緒にいるというのを考えれば・・・
「彼が彼女を殺した、か」
 セレスティーは冷たく笑う。
 そして彼は一心不乱にノートパソコンのキーを叩く彼女の後ろでこちらをものすごい剣幕で睨んでくる彼を、見据える。絶対零度の温もりを宿す瞳で。
「あなたは知ってますか? 彼女の書く文章というのは人を魅了してやまないのですよ。この私ですら、あやうく湖で自殺し、その後成仏できぬままその湖の中をたゆたっていた彼女と、その湖へと迷い込んでしまった青年との恋物語に涙を流してしまうところでした」
 そういって苦笑して、そして彼は椅子から立ち上がると、わずかに開いた窓の隙間から吹き込んでくる風に揺れていたカーテンを開き、ついで窓を開けた。
「そう、この私ですら魅了する話を書く彼女は生きていればそれこそ多くの人々を魅了し、人を幸せにできる物語を書いていたでしょう。その可能性を…未来を、彼女の夢をあなたは自分勝手な想いで奪った。見たところあなたは自殺した魂らしい。寂しかった? ふざけないでください。あなたは自分の意思で死んだのでしょう。ならばそうなったのは自業自得。それを身勝手な想いに…。だから私はあなたを許しません」
 セレスティーは手を開けた窓の方へと向ける。その瞬間に噴水の水は最高点まで昇り、そしてそれはまるで生きているように吸い寄せられるようにセレスティーの方へと虚空を流れ、彼の体を蛇かのように包み込む。
 空気は濃密な緊張とプレッシャー、そして男のセレスティーへの殺意を飽和しきれぬほどに孕む。だが、それにセレスティーが浮かべたのは最大級の嘲り。
「幼稚な。あまりにも幼稚なその殺意。意思。想い。ああ、だから私はあなたが許せない。その程度のあなたがこの私が尊敬する才能を持っていた彼女を殺した事が」
 空気は振動し、そして男の幽霊は見るもおぞましい姿となってセレスティーに襲いかかるが、しかしセレスティーはいっそ哀れむような目で彼を見つめ、手を無造作に振った。その瞬間、水は生きているかのように男の魂を包み込み…球体を成したそれはぶくぶくと沸騰し、爆発すると、分子のレベルにまで破壊された。男の魂はその水の分子よりもさらに細かく破壊され、もはや転生も叶わぬだろう。
 セレスティー・カーニンガム。それが彼が持つ性だ。
 そして彼は、それまでの騒動などにも気づかぬほどに一心不乱にキーを叩く彼女をとても愛おしい物でも見るかのように青の瞳を細めて、見守った。

 リンスター財閥総帥の部屋のドアが品良く3回ノックされる。
 セレスティーはきっちりと3秒後に返事をし、そして彼の秘書が入ってきた。彼女が部屋に入ってくるのと同時に彼女の香水の匂いと、そして真新しい紙とインクの香りが空気に混じった。
「総帥。先ほど、この度児童文学部門より出版される『湖の中でたゆたう彼女』の見本が届きました」
「ありがとう」
 彼は本を手に取り、開く。完成した物語のラストはセレスティーが想像していたよりも素晴らしく優しい物だった。
 そして冷たい湖の中でたゆたっていた彼女が青年の愛によって成仏していったように物語を書き上げ、それが出版される事を喜びながら成仏していった彼女を想いながら、その本を大切に読み始めた。