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<東京怪談ノベル(シングル)>


『嘉神先生の憂鬱なる放課後 −俺の後ろに立つな!−』
 気だるい春の日差しがだいぶ傾いた時間、校内に流れるのは教室に居残る生徒たちのしゃべり声や笑い声だ。
 俺はその笑い声が聞こえる教室へと入っていく。
 がらりと開けた教室のドア。
 いっせいに振り向く六人の女子生徒。
「おい、早く部活に行くか、家に帰れ。用も無いのに教室でたむろっていると、週番の先生に怒られるぞ。それとも俺の教室美化活動に協力してくれるか? ん」
 俺は最大級の笑顔。生徒たちは微苦笑。
 そして彼女らは逃げるように鞄を持って教室から逃げていく。
「まきちゃん。じゃあ、また明日ぁー」
「だから、まきちゃんって呼ぶな」
 俺は苦笑しながらそう言うと、教師用デスクの上に色画用紙とプリント、マジックを置いて、椅子に座り、引き出しからのりとハサミ、定規を取り出す。
 ちなみに今から何をするのかと言うと、色画用紙に先日生徒に書かせた自己紹介文をプリントした物を貼るのだ。あとは時間割表と係りの一覧表も作らなければならない。他の先生方はこういうのはいっさい生徒たちにやらせているようだが、俺はこういうのが好きだったりするので自分でやる。
 と、言ってもまあ、すんげー凝った奴を作る訳でもなし、ごくごくシンプルなデザインの奴を作るのだが。
 黒板の上にかけられた時計の針が聞こえてきそうなほどに静かな教室。そんな教室でさあ、作るぞ! と、服の袖をまくった俺なのだが、しかしその静寂は第2テニス場を挟んで向こう側にある館…北館の廊下から聞こえてきた声で壊された。
「あ、いたぁ」
 耳朶を打ったその声に何の気も無しに視線を向けてみれば、そこには空手着を着込んだ男子生徒と女子生徒がいた。無論、いたぁ、は俺がいた、という意味だったのだろう。奴らは俺と目を合わせると、とても嬉しそうな顔をした。

「しやーす」
 道場に入る時の決まり文句を言いながら神棚に頭を下げてから道場に入る。
 冷やりとした空気が肌を撫で、胴着の匂いとか汗の匂いとかが鼻腔をくすぐる。
 道場ではもう既に30分間の準備運動を済ませて、一汗かいた部員たちが床の上に寝そべっていた。
 俺は火のついていないタバコをくわえながら、寝そべっている部員に苦笑いを浮かべる。
「なんだ、そのイイ笑みは?」
「いや、まきちゃんの空手着姿って色っぽいな、って・・・ぐぅえ」
 もちろん、顔を赤らめてそう言った生徒の腹に俺はさも当然と言わんばかりに足を乗せた。
 大げさにばたばたとそいつは両手足を動かして、
「きゃーきゃー。まきちゃんが体罰をするぅー。弁護士をぉ、あの月9の主役のかわいい新人さんを呼んでぇー」
 道場は大爆笑の渦。
 俺は苦笑いを浮かべて、
「ああ、あの一般公募から選ばれた主役の子がかわいいってのは俺も認めるが、体罰ってのとは違うな。体罰は愛の無い暴力だ。しかし、俺は愛がある。っていうか、これは顧問と生徒とのスキンシップだ」
 などとふざけてそんな言葉を口にしたら、
「んじゃ、俺もまきちゃんとスキンシップする」
「だーっ!! 後ろから抱きつくなー!」
 まるで海を見ながらいちゃつくカップルのように後ろから抱きついてきた男子部員を俺は引き剥がそうとするが、
「あ、いいな。俺も〜♪」などとふざけたたわ言をほざきながら他の生徒までも俺に抱きついてくる始末。いい加減、この高校時代と変わらぬ状態に俺はぷちっと切れて、
「だぁーーーーーーっ、いい加減にしやがれぇーーーーーーー」
 張り付く部員をキックパンチ。
「「「「ひどい。ひどいわ、まきちゃん」」」」などと家庭内暴力の末に家のめぼしい物を質屋に持っていこうとする旦那に対して殴られた格好のまま頬を押さえて涙ぐむ妻の格好をしてそう言う男子部員たちはほかっといて、俺は周りでけたけたと笑う他の部員たちに向き直った。
 2、3年の見知った顔に加えて、そこには今日からの部活仮入部の1年生の顔もあった。男子と女子の部長が俺を呼びに来たのはそのためだ。
「あー、挨拶が遅れたが、俺がこの空手部の顧問の嘉神真輝だ。こん中には空手の経験者もいれば、未経験者もいると想うが、うちの部では手取り足取り丁寧に拳の握り方からレクチャーしてやるから安心していい」と、せっかくニヒルな微笑み付きで俺が決めたのに、
「まきちゃーん、手取り足取り教えてぇー」などと馬鹿がちゃちを入れる。俺はじゃんぷして、飛び蹴りをそいつに叩き込むと、
「さてと、しかしうちの部に入ってもらうにはある約束をしてもらわねばならない。それは空手の技は喧嘩のための道具ではないと言うことだ。これは空手だけでなく、すべての武道において通じる事だが、空手は肉体を鍛錬する事で己の精神を鍛え、見つめ、そして相手と拳と拳を交える事でお互いを成長させあうもの。武道家にとっての拳とは己の精神を相手に伝えるための物なんだ。だから決してその拳を…己を他人を鍛えるための空手を喧嘩に使わない者だけ、今日の帰りに渡す入部希望書に名前を書いてくれ」
 しーんと静まり返った道場。空気もそれまでとはがらりと変わった神聖なる物を孕んでいる。どうやら俺の言葉に部員たちは感動してるらしい。うんうん、大いに俺の言葉に感動して、俺を敬え。そしてまきちゃんと呼ぶな。
 と、しかし・・・
「はい、まきちゃん。自分を女と間違えてナンパしてきた男をぼこるのは、その今語っていただいた素晴らしい空手道精神に反しないのですかぁ?」
 ・・・。
 唖然とする俺。そして大爆笑。どうやら先ほどの静寂は感動していたのではなく、零れそうになる笑いを堪えていたものらしい。
「あー、おまえら、マジでムカツク」
 俺は眉間に手をあてながら大きくため息を吐いた。
 そんな俺を無視して部長がぱんぱんと手を叩いて、笑いこける部員たちに言う。
「さあ、いつまでもまきちゃんをからかってないで、練習を始めるぞ。1年生はこれから乱取りをするから、隅で見学。その後に先輩の自己紹介もかねて、型を見せるから」
 顧問の立場無しという感じだ。そういえば去年の県大会の時も、こいつがあまりにも俺以上に素晴らしいリーダーシップを見せて仕切るもんだから他の学校の先生にこいつの方が顧問みたいだと笑われたっけ。
 かなりブルーになった俺は1年に紛れて道場の隅に行こうとしたが、部長に笑顔で襟首を捕まえられる。
「まきちゃん。ものすごく久しぶりにほんとーーーーに久しぶりにせっかく空手着を着て来てくれたんだから、皆に稽古をつけてやってください」
 嫌です。という言葉はすんでのところで飲み込んだ。
「了解」
 と、言った瞬間になんか男子部員どもが「さあ、どこからでもかかってきなさい、まきちゃん」とか言って、なんかイイ笑み浮かべてるし・・・。
 俺はすっかりと教室で掲示物を作ってればよかったと後悔しまくった表情が浮かんだ顔を片手で覆い隠してため息を吐いた。
 と、
「すきやき!」
 などと言って、部員の一人が正拳突きを打ち込んでくる。しかし、
「甘い」
 俺はそれを払い返す手で、鶴角(手首を曲げた部位を相手の顎に打ち込む技)を決める。その後も次々と俺に男子部員どもが挑んでくるが結果は同じ事。100年早いわ。
「だー、もう。まきちゃん、手加減してよ〜」
「煩いわっ! おまえらのにやけた顔が嫌なんだっ」
「そんなつれない事言わないでさー」
 まるで金色夜叉の一場面かのように俺は足にすがりついてくる男子生徒を蹴る。道場は何がおもしろいのか大爆笑の渦だ。
「おー、楽しそうだなー、空手部は」
「あ、教頭先生。ちぃーす」
 って、おい。教頭先生にその挨拶はなんだ? 俺の指導力が疑われるだろう。せっかく口うるさいのが消えて、温厚な教頭先生が来たのに! などと叫ぶことはできずに俺は苦笑を浮かべる。しかし、悲劇というか喜劇はこれで終わらなかった。
「で、嘉神先生は?」
 あの、教頭先生・・・俺、あなたの目の前にいるんですけど・・・

 夕暮れ時の学校に最終下校時刻を報せるチャイムが鳴り響く。俺は風に踊る前髪を掻きあげながら、くわえタバコをしてぼんやりと、ああー、俺はあといったいどれだけ歳を重ねれば歳相応に見られるようになるのだろう? などという事を考えていた。
 そんな事を考えながら足元のタバコの箱に突っ込んであったライターを取り出して、それを口のタバコに近づけようとしたところで、
「なあなあ、おまえも空手部に来いよ。すんげー面白いぜ、空手部。顧問がめちゃくちゃ天然+反応がかわいいって言うか、んもう、俺、男なのに顧問の空手着姿に萌えて、先輩たちと一緒に先生に抱きついて、蹴ってくださいって想ったもん。いや、これ、ほんとマジでさ」
 ・・・。
 もたれていた校舎の壁の向こうから聞こえてきたその言葉に俺はしばしライターを口のタバコの先に持っていった格好のまま固まっていた。もちろん、心の中で涙を流しながら。