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『FAN LETTER』
瞼を開くと、そこには眩しいぐらいに輝く照明があった。
耳朶を叩くのはノイズのような歓声。
「負けたのか・・・俺は・・・・・」
そう、俺は負けた。
俺の名はゼファー。ゼファー・タウィル。
かつてはアーツやフグを1RKO出来ると謳われたほどだったが、今では鳴かず飛ばずだ。
だけどそれには訳があった。
俺にとっては何だかヤバイものの血を引いている程度の認識しか無いのだが、俺の先祖には邪神ウムル=アト=タウィルがいる。そのためか俺は極度に集中した時、無意識のうちに時を止められる能力を持っていた。そう、かつてはアーツやフグを1RDKO出来ると謳われた俺はそんなズルを行っていた。
そしてそんなのは嫌だと能力を封印した結果がこれなんだ。
マットに仰向けに転がったまま俺は汗に歪んだ視界に照明を映しながら、ただノイズを聞いていた。
「ゼファー。おまえさんにファンレターだぜ」
ある日、道場のトレーニング室でトレーニングに励んでいると、会長がやって来て、俺に一通の小さな封筒を渡した。
「ファンレター?」
俺は顎から滴り落ちる汗を手の甲でぬぐいながら、首を傾げる。はて、一番記憶に新しい試合も見事に負けた俺にそんな物が来るなんて・・・。
ファンレターを受け取った俺に、しかし会長はすぐにはトレーニング室から出ては行かずに、腹筋台に腰を下ろして、俺を観察でもするかのような目で眺めた。
「ゼファー。ファンレターなんてのは久しぶりだよな。かつてのおまえさんは、そりゃあ強くカッコいいK―1選手だった。誰もが皆、おまえさんに憧れたもんさ。だけどある日、突然おまえさんは負けた。まるでその負けで何かが狂ったようにおまえさんは試合で勝てなくなり、そして・・・多くのファンと言っていた奴がおまえさんの周りから消えていった。だけどよー、ありがたいことだよな。離れていった人間もいりゃあ、そうやって未だに復活できないおまえさんに愛想を尽かさずにファンレターをくれる人がいる。その人のためにも次の試合は勝たなくっちゃならん。自称ゼファーのファン一号の俺としても、そのための努力は最大限にするつもりだ。一緒にがんばっていこうや。な」
会長は俺に欠けた前歯を見せて笑いながらそう言うと、トレーニング室を出て行った。
俺はしばし会長が閉めたドアを見つめていた。
「会長・・・すみません。かつての俺は・・・貴方が夢を託してくれたゼファー・タウィルは偽者のK−1選手だったんです。俺には格闘家としての才能は・・・」
俺は胸になんとも言えない寂しさと悲しさを抱きながら・・・それを感じるのが苦しいから・・・だからそれを吐き出すように長い息を吐いた。
耳朶にはまだ残っているリングの上で聞こえていた俺に向けられた歓声が。
かつては能力なんか使わなくっても、俺が持つ才能とセンス、そしてキックボクシングの技とで、K−1の頂点に立てると想っていた。
だけどそれが驕りであり、勘違いであり、夢であった事を、能力を封印しての初めての試合でまざまざと思い知らされた。
そう、俺は能力を使っての勝利を、俺自身が持つ才能とセンス、キックボクシングの技故の勝利だと信じて疑っていなかったのだ。
だけどかつて謳われた俺から能力を差し引いてしまった物だけでは俺はまったく・・・
「はぁー」
俺は憂鬱なる想いと、このファンレターをくれた人への罪悪感を抱きながら、封筒を開いた。
真っ白のシンプルなレター用紙に書かれていた内容はだけど、俺がそれまで感じていた想いを吹き飛ばさせて、俺を戦慄させた。
そこにはこうあったからだ。
ファンなんだけど、秘密を知ってる。次の試合は絶対勝って。でないとばらしちゃうからね。ゼファーさんが時間の神様だってこと
「なんだよ、これは? いったいどうして・・・?」
疑問符の海で溺れながら俺はその手紙を観察した。字面はどうも小学校低学年ぐらいの男の子。しかし、この子はどうして俺の能力を知っているのだろうか?
その後、俺はずっとこの手紙の事を気にかけていた。子どもの言う事と、一笑する事もできずに。
そして時は過ぎ、今度の試合、と、手紙に書かれていた試合の当日となってしまった。
真っ暗な館内に俺の入場曲"The Fallen Angel"が大音量で流れる。
そして【西風の白虎】と俺の仇名を連呼する観衆の声。
リングに上がると同時に、館内の空気はびりびりと声にならない叫び声で震えた。
鼓動は早鐘のように。耳朶にはごぉー、ごぉーという血の流れの音が。緊張感に高まっていく体温。体も気力もこれ以上無いというぐらいに充実していた。しかし・・・
試合開始。
俺は相手の間合いに飛び込み、ハイキックを放つ。それは相手の右腕でガードされるがそのまま蹴り足を旋回させての連続の蹴りだ。それはことごとく相手にガードされるが、しかし俺は諦めない。リズムを読まれないように微妙にリズムを変えて、蹴りを放ち続ける。相手はガードのみ。
(ここで叩き込めば・・・)
極度に集中していく意識・・・と、その時に俺の全感覚が過剰に反応してしまう。そう、時が止まる一瞬前の空気に!
(ダメだ)
俺は心の中で叫ぶと同時に、集中していた意識を弱めた。
相手にもそれがわかったようだ。その一瞬に目に鋭い光を走らせて、ガードした腕で俺の蹴り足を押し返して、前に出てくる。
そして相手は、そのまま今度は連打のパンチを放ってきた。
逆に俺は両腕を体の前に出して、ガードの姿勢を取る。
(くそぉ。またか、また、俺は負けるのか)
相手はリズムに乗った。
流れは完全に相手の物だ。
俺にはもうあの力無くしてその流れを変える自信は無い。
くぉー。
どうする? あのファンレターにはァ・・・
(!!!!!?)
と、その時、突然、時間の流れが遅くなった。
(俺はまた無意識のうちに能力を発動させたのか? いや、違う。これは・・・)
そして俺は本能的に観客席から一際強く感じる視線の方へと振り向いた。
そこを見た瞬間に、俺の全身の肌が粟立つ。そこにはフードをすっぽりとかぶった、肌の白い男の子がいたのだ。
笑う彼は血色の悪い唇を動かす。
「さあ、勝ってよ」
俺はその時に確かにすくみあがりそうになるぐらいの恐怖を感じた。そしてだから俺の体は以前のように・・・流れが遅くなった時のせいでスローな動きで俺にストレートパンチを放ってきた相手にクロスカウンターを叩き込んだ。
そのパンチに館内は大きな歓声に包まれ、そして相手は白いマットの上に沈む。
俺は大きく肩を上下させながら、その白いマットの上に沈む相手を見据える。
対戦者をマットに沈めたのなんて久しぶりだ。
だけど俺はちっとも嬉しくなかった。
どこか空しさと、そして自分に怒りを感じた。
そう、怒りだ。俺はこの怒り故に能力を封印した。
だけど能力を封印し、連敗し続けると、その大きく燃え上がっていた怒りはだんだん小さくなっていき、そして消えてしまった。
いや、消えたと想っていた。だけど残り火程度の怒りはまだ確かに自分に絶望し、諦めきっていた俺の中にあって、そして俺はそれに気づいてしまい、
そしてその怒りの炎は今、どうしようもなく燃え上がった
俺は観客席を見る。そこにいる彼を。
そしてざわめく観衆の声に視線を立ち上がってきた対戦者に戻した。
奴の目はまだ死んでいない。OK。それでいい。
そして奴は俺に突っ込んできて、ストレートパンチを放つ。
あえて俺はそれを受けた。
マットに沈む俺。
実況の「やはりダメなのか、ゼファー」などという悲鳴に近い声が真っ白な世界に聞こえた。それに俺はこう答えた。「いいや、違う。これからだ」と。
そう、これからだ。
俺は立ち上がる。
これで貸しは無しだ。
俺は俺の怒りの炎にすべてを燃やして勝つ。そう、勝つんだ。これまでの日々鍛錬し続けてきた自分を信じて。賭けてみようと想った才能とセンス、キックボクシングの技を信じて。
そして俺は相手の懐に飛び込み、キックとパンチの連打。相手はガードのみ。高まる意識。その時に毛穴が広がり、まるで静電気をたっぷりと帯びた巨大な下敷きを上に持ってこられたように全身の毛が逆立つ。時が止まる一瞬前。いつも俺はだからそれを回避するために集中を解いていた。だけど今回は違う。そう、時を止めるという能力を操作するのだ。
操作の方法は時よ、止まるな! と強く念じること。
俺はそう想いながら、必殺の『パイルバンカー』と命名された電光石火の左ストレートを叩き込んだ。確かに正常に流れる時の中で。
そして試合終了の合図。俺はリングの真ん中で天井を・・・そこで眩しすぎるぐらいに輝く照明を見つめる。やはりその照明を映す視界は歪んでいた。涙で。そう、いつもマットに沈みながら見上げていた天井を映す視界を歪めていたのは汗ではなく、悔し涙だったんだ。
そして俺は惜しみない拍手をくれる観衆の中でじっと俺を見つめる彼を・・・もう一人の俺を見た。
俺が俺の中にあった怒りに気が付いた時に俺はすべてを理解していた。
そう、彼は俺の中にあった怒り…自分の可能性を信じたいという心だったのだ。しかし俺はそのマイナス思考故に彼を閉じ込めてしまっていた。見ないふりしていた。だから彼はそれに気が付かせるために俺の前に現れた。
俺は彼に向かって対戦者を沈めた左腕をあげてみせた。
そして頷いた彼は消えていく。いや、俺の中に戻っていく。
今日の勝利はひょっとしたらマグレかもしれない。
だが、俺は俺の中にある怒りを知ったから、だからまだやっていけると確信していた。
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