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<東京怪談・PCゲームノベル>




 いつもと変わらぬ日常。
 ちょっとした変化があるとすれば、それは兄の匡乃と待ち合わせをしているという点だろう。
 いつもは家に食べに来る形が多いのだが、なんとなく外食の気分だったらしい。兄が気分屋なのはいつもの事なので、汐耶も別に何も言わずにOKした。
 外食ついでに、今一番マスコミやメディア関連を賑わせている“神隠し事件”について、情報を交換するつもりでもいる。
 交換。
 とはいえ、調べているのは主に汐耶。匡乃が何を提示してくれるのかと言えば、珍しい今日の外食の代金である。
 等価交換なのだろうかとふと考えてしまうが、まぁ、そんな事は取るに足らぬ事である。何せ兄妹なのだから。
 待ち合わせ場所は、時計台の下。
 よく使われる場所の為にかえって目的の人物を見つけにくい場所で有名だが、匡乃の身長が高いだけにすぐに見つける事ができた。
「お待たせしました、兄さん」
「いえ、時間通りですよ、汐耶」
 笑みを浮かべた匡乃が、人差し指を立てる。視線を上にやれば、そこには午後十二時ジャストを示す時計の針。

 長身同士の兄妹はそこそこに目立つようで――その上、汐耶の片手には分厚い本が一冊、無造作に握られているのだからして、少しばかり周囲の好奇と奇異の視線を浴びつつ、その場から動き出した。
「情報は、きちんと? 汐耶」
「抜かりはありませんよ、勿論」
「結構結構。首尾は上々といった所ですか」
「まぁ、そんな感じです。ところで兄さん、どこへ向かうつもりかしら?」
「予約しておいた良いお店があるんです。まずはそこに……」
 楽しげに会話を交わす、言葉が途切れた。
 不自然に。
 意図的ではなく。
 途切らされたかのように。
 不意に。
 そして、そこに滑り込む台詞が一つ。

「逃げたいですか? 逃げたいでしょう? 逃げましょう」

 パッと、先に振り向いたのは汐耶だった。一瞬遅れて、つられるように匡乃もまた振り返る。
 横道へと走ってゆく、黒猫の姿。
 何のことはない、どこにでもあるような、不自然などまるでない、一つの景色。
 しかし、そうではない事を汐耶は知っている。
「兄さん、アレ」
「猫ですか」
「黒猫でしたね」
「どこにでもいるでしょう」
「行方不明者の共通項に黒猫があります」
 きっぱりはっきり言い切って、汐耶は兄を見た。たった一言。だが、意味は十分に伝わった事だろう。
 汐耶は確信していた。事件に関連性が無いとは、言わせない。
 それでもどうするのかと無言で問う。独断行動は少しどころかかなり危険だ。
 問われた匡乃は少しだけ思案するように間を置いた。
 そうしてから、何かを呟く。
「まぁ、私情ですらありませんね」
「は?」
 と、聞き返す前に、問い返された。
「追いますか?」
 今度はこちらが一瞬無言になり、そして、頷く。
「では、逃げられないうちに」
 そう言って、軽い足取りで駆け出したのは、今度は匡乃が先だった。黒猫の消えた角を曲がり、汐耶が後ろをついてくるのを確認しながら、再度の問い。
「行方不明者とやらも、同じように先ほどの、セリフ? 聞いたんですか?」
「さぁ……それは本人達に聞いてみないと」
 だが、行方不明者の当時の同行者の中でたった一人、そんなような言葉が聞こえたような気がしたという証言が取れている。らしい。その同行者本人も空耳だったような気もするし、と、曖昧な事この上ない証言ではあるのだが。
「十分な証拠ですね」
「えぇ、……っと、兄さん、どこへ向かっているのか分かっています?」
 兄についていっているだけで、というより黒猫についていっているという方が正しいのかもしれないが、とにかく汐耶には既に今の居場所が分からなかった。
 だが、匡乃の一瞬の訝しげな顔に、嘆息を一つ。
「前見て、走ってくださいね」
 無言の兄に、汐耶は少しだけ呆れたように言葉を続けてやった。
 匡乃は素直に前を向いて、黒猫を追ってゆく。
 否。
 追いかけようとした、その直後。
 細い路地が開けた場所には、異質な空間が広がっていた。

 反転した色彩。
 動かない時計の針。
 ストリートバスケットを楽しむ、動かない人々。
 時の止まっている証拠。
 それらは、そこら中に存在していた。
 バスケットゴールに向けって放たれたボールもまた、止まっている。
 空中に、留まっている。

「また、奇妙な所に出ましたね……」
「呑気な事を」
「やれやれ、またですか」
 兄妹の会話に、第三者が加わった。
 それは、ボールの上に立つ茶トラの猫。白い半袖のワイシャツに、黒のベスト。頭にはシルクハット、黒ぶちの片眼鏡をかけ、その手には懐中時計、足に革靴を身につけた、猫にしては人間くさい格好の、猫の、声。
 それ以外には考えられなかった。
 今は、匡乃と、汐耶と、その茶トラの猫だけが、元の色彩を持っているのだから。
「……また?」
 汐耶の問いが聞こえているのか、あるいは聞こえない振りをしているのか。
 茶トラの猫は独り言を、兄妹に聞こえるような声量で、独り言を呟く。
「まったく、最近は迷い人が多すぎる。あなたも黒猫を追いかけてきたクチでしょう? 申し訳ないんですが、彼を私の前に連れてきてくれませんかね」
 べらべらと、人間の言葉で喋る。妙に口数の多い猫だった。
 だが、こちらは人間。一風以上に変わっているが、猫に気圧されるわけにはいかない。
「どうしてです?」
「おやおや、これは意外や意外。ではあなた方も逃げてきたと、そうおっしゃると?」
「いや、それはありませんが」
 きっぱりと言い切ってしまった。
 ならいいじゃないですか、と茶トラの猫。完璧に匡乃の負けである。
 兄の様子に苦笑しながら、汐耶が口を開いた。
「彼、というのは先ほどの黒猫ですよね?」
「勿論、お嬢さん。あなたの言うとおり」
「それで、その“彼”を連れてきて、私達にどのようなメリットがあると?」
「お礼に、元の場所にお帰ししてさしあげますよ」
 少し愉快そうに、猫は笑った。人を誘い出す黒猫の気配に通じるものがないでもなかったが、それは汐耶の気のせいだろうか。
 いやそれよりも。この場が閉じた空間だと分かった瞬間、汐耶は黙った。そうして思考する。
 閉じた空間。封印された場所。ならばこじ開ける事は可能か。不可能か……。
「お願いしますね」
 無言を了承と勝手に受け取り、一方的にお願いをすると、茶トラの猫はシルクハットの中へと消えた。

 消えた瞬間、
 色彩の全てが元に戻り、
 止まっていた人々が動き出し、
 時計の針も動き出し、
 そしてボールが、ゴールに入った。

「やれやれ……」
 苦笑しながら、匡乃がシルクハットを拾い上げる。
 中を見るが、当然猫などいるはずもない。被ってみたが、当然消えるはずもない。
「あぁ、それなりに似合いますよ」
 汐耶は、別にお世辞でも冗談でもなく、本心から言ってみた。だが、どうにも兄は嬉しくはなかったようだ。言ってから、自分でもぼけた事を言ってしまったと少しだけ反省。兄は、手に持っていても邪魔なだけだと判断したのか、とりあえず被っておく事にしたらしい。
 ついでに、バスケットの邪魔にならないように二人で端へと移動した。
 同じチームが何度もゴールを入れているのは、同じ人間が何度もゴールを入れているのは、気のせいだろうか。
 気のせいだと、思いたい。
「行きましょうか、とりあえず、動きましょう。散歩代わりに」
「散歩って、兄さん……」
 呑気すぎる匡乃の言葉に、汐耶の苦笑が目に映る。
「ところで汐耶」
「はい?」
 無目的に歩きながら、匡乃は問いかける。
 いくつかある通りの一つを無作為に選び、進んでゆく。
 そうしながら、先ほど考えていた事を、兄に問われた。
「あなたの力で抜け出せますか? ここから」
「分かりません」
 みもふたもない。
「いや、できるとは思いますが、どれぐらいのリスクを伴うかが、分かりません」
 自分でもそう思ったので、言い直した。匡乃は一つ頷いて、それから肩を竦めて通りを出る。
「では、改めて、あの黒猫を探す事に専念しましょうか」
「……そう、ですね」

 汐耶が、顔をしかめた。無理も無い。
 そこには、繰り返しゲームを続けるストリートバスケのゴールがあった。

 知っているようで知らない街の中、一つの黒猫を探すというのだから、それは大変な作業だ。
 まともな街ならまだいい。
 人に聞ける。うまくすれば、情報を得られる。
 それは、ここがまともな街であればの話だ。
「ここは、まともな街じゃないですからね」
 とりあえず、普段通りを装って、クールなコメントを一つ。
 汐耶だって、戸惑っていないわけではない。
 人に聞けば、意味の無い、同じセリフの繰り返し。
 不自然に駅に停まったままの電車を覗けば、そこは終わらない車両の繰り返し。
 無作為に通路を選べばあの場所へと逆戻りなのは目に見えていた。
「扉を開けてみる、というのは?」
「勝手に、人の家のをですか……?」
 一応一般論を言ってみたのだが、匡乃は自信満々に返した。
「気にしないでしょう。“彼ら”は」
 そう言って、勝手に人の家の扉を開あけてみた。
 新しい行為に文句をつける人間はいなかったが、その向こうにも同じ景色がある事に、匡乃は顔を顰めるしかなかった。
「無駄足、ですね」
「まったくもって。とりあえず、向こう側を歩いてみる事にしましょうか」
「ちなみに理由は」
「なんとなくです。いけませんかね? やっぱり」
「まぁ、この際仕方ないですね」
 一つ一つ。
 確かめるように違う事をやっていくしかなさそうで。
 そう、根気の要る、かなり根気の要る作業だと覚悟を決めて扉を潜る。
 二人が潜り、扉を閉める。
 ほんの微かに、どこからか、汐耶の耳に、リン、と鈴のような音がした。
 口を開く。喉から声を出そうとする。だが、その前に。

 目の前を、黒猫が横切った。

「兄さん」
「あれだと良いですね」
 一言ずつの会話は、既に走り出しながらだった。
 猫のスピードについてゆくのは、いささか困難で、距離は一向に縮まらない。
 救いといえば、縮まらない代わりに遠ざかりもしない事。
「力は使えそうですか」
「ちょっと、距離が……」
「動物には敵いませんね」
 関心なのか呆れなのか、匡乃が愚痴るように言葉を零す。
 その間にも、電車の中を通り抜け、他人の家の中を通り抜け、バスケットをしている人々の間を縫うように走り抜けて、通りの角を曲がった。
 そう、まるで、ここに来た時と同じ道を巻き戻るかのように。
 それは、まるで、何かに導かれるように。
 それらは、まるで、決まりきった事のように。
 そうして三人は、通りの真ん中で足を止めた。
 黒猫が止まり、二人が力を使おうと距離を縮めたその瞬間、足を止められた。
「逃げたいんですか?」
 その一言が、妙に耳に張り付いて。
「は?」
 声は、黒猫のものではなかった。匡乃が頭に手をやると、シルクハットはなくなっていて、振り返ったその先に、茶トラの猫が笑っていた。
「止めません。逃げたいのなら止めません。けれど、駄目ですよ。その中に入っては」
「その中?」
「合わせ鏡の中」
 ほら、と茶トラの猫が短い腕で指し示す。
 黒猫が立つ場所には、二枚の鏡が向き合って浮かんでいた。
 いつの間にか? いや、最初から?
「……取り込まれる、とでも?」
「出られなくなりますね」
「封印ならば、私の専門分野ですよ」
 汐耶の言葉に、茶トラの猫はまた笑う。
「リスクが怖くないならば、どうぞ、あの中へ」
「………………」
 黙る二人を目の前に、黒猫は鏡の中へと吸い込まれるように消えていった。
 諦めたのか、誘っているのか、その無言劇の挙動からは分からない。
「あの中に入ったが最期、私や友人ですら助け出せなくなります」
 茶トラの猫は、それを見ながら真顔で言った。
 いや、真顔というのは単に雰囲気であって、兄妹のどちらとしても猫の表情は分かりづらかったが。
 それでも、愉快そうな笑みだけは、分かった。
「お二人にお願いです。アレ、鏡だけ、とりあえずなんとかしてくれちゃいませんか?」
「構わないんですか?」
「構いませんよ、勿論。鏡だけなら、なんのリスクもありません。そのうち、別の場所で復活しちゃうでしょうけど」
 この猫、喧嘩を売りたいのだろうか。いや、それは決して、絶対に、……無いとは言い切れないが、とりあえずはどうでもいい。
 匡乃が、合わせ鏡の直前まで足を進めた。
 汐耶もまた、その隣に並ぶ。
「一気に封印するのが、手っ取り早いですよね?」
「僕の出番は無しですか」
「無い方が良いでしょう?」
「まぁ、ごもっとも」
 ずっと、ずっと手に持っていた本を、厳かに汐耶は開く。
 小さな呪は、鏡に宿る力だけをその本へと静かに吸い込んでいった。
 力は螺旋を描き、青白い光を放って閉じ込められる。
 静かに、静かに。それは美しき無言劇。
 そして、それを打ち破る声。
「お見事!」
 当然の如く、茶トラの猫だ。拍手をする仕草をしているが、肉球が邪魔をしているのかパチパチと音は鳴らない。
 なんというか、最後の最後で間抜けである。
「それでは約束通り、元の場所へとご案内致しましょう」
「捕まえられていませんよ?」
 匡乃が、首を傾げながら言った。約束通りと言うならば、そういう事だ。
 だが、茶トラの猫はやっぱり笑う。笑うだけ。
「逃げなかったでしょう? 十分です」
 わけがわからない。
 顔を見合わせる兄妹をよそに、二枚の鏡が扉のように繋がりあった。
 鏡は鏡のまま、匡乃の長身と、汐耶の凛々しい姿を映し出す。
「“彼”には手を焼いているんですよ。誰にも捕まえる事はできない。大人しくもしていない。……友人がいれば、少しは現状も変わるのでしょうが、今は留守でしてね。捕り物が得意なんですよ、彼は」
 聞いていないことをべらべらと喋る茶トラの猫。その言葉を聴いているうちに、鏡は扉となっていた。
 見上げるほどに大きな。見上げていると、少し首が痛くなるぐらいに大きな扉。
 周囲を見回せば、何も映さない鏡が取り囲んでいる。
 何も映さないのに、汐耶にはそれが鏡だと分かった。兄はどうだろう。きっと同じ事を思っている。
「さ、どうぞ。ここを潜れば、元の場所です。あなたの日常。今度は、私の友人が居る場所でお会いしたいですね」
「いや、できれば遠慮したいです」
「というのは冗談で、またご縁があればという事で」
 さらりと言ってのけたのは匡乃で、社交辞令のように汐耶がフォローを入れた。
 最後の最後の最後まで、茶トラの猫は芝居がかった仕草を続け、そのままの調子で礼を一つ。
 それが合図であるかのように、扉が開く。その先は光に包まれていて、見えない。まるで、光を反射している鏡を見ているかのように。
「それでは、また」
 シルクハットを振る茶トラの猫に見送られ、二人は日常の中へと戻っていった。
 時計を見ると、十二時を十分ほど過ぎている。秒針は動いていて、人々は動いていて、人の流れは相変わらずで、きっとすぐそこの通りを曲がれば、匡乃の言うお勧めの店に着く。
「……あら」
 失敗した、とでも言うかのように、汐耶が一つ、声をあげた。
「どうしたんです?」
「名前、聞くのを忘れてしまったわ」
「というか、お互い名乗りもしませんでしたね」
 思いつきさえしなかった。その出来事は、昼食の最中の、いくつかある話題の一つとなった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 1537 / 綾和泉・匡乃 / 男性 / 27歳 / 予備校講師 】
【 1449 / 綾和泉・汐耶 / 女性 / 23歳 / 都立図書館司書 】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして。紫玉です。
 ある意味「夢オチ」のような曖昧とも言える終わり方でしたが、いかがだったでしょうか……(どきどき)
 汐耶さんにはツッコミ役……というか、ストッパーというか、過激な面もあるという事でしたのでそんなような立ち位置となりましたがいかがだったでしょうか。
 兄妹という関係なので、こんなのもアリかなというちょっと冒険した作品でした。

 最後に、この話への発注をありがとうございました!(ぺこり)