|
クリムゾン・キングの塔 【2】真鍮喰い鮫
■序■
ブリキのオウムが――現れた。かれはねじまき鳥。大雑把な翼を持った、鉛色1色の鸚鵡。うなじでは、小さな手回し式のねじまきがゆったりと回転していた。オウムはカシャカシャと首を傾げたあとに、くちばしを開いた。くちばしの奥の暗闇は暗黒で、星雲や恒星が光り輝いていたようにも見えた。
『ヨチタヨリンハノウオノクンシ。イシホテケスタ。
ノモクヅツニトア。ンマトイレハナガワ。
タミテツモオネガメオト、ハノモクユキサ。
ルイテシトウコヅカチガイクアナキオオ、ニウトノウオノクンシ。
バラナノイタケヅツリアデヨリンハノウオクンシガチタエマオ、
イシホテツクスオレワレワ。
イシホテツクスオチタエマオ、ハテイヒ。
ダケダルナクカタリヨガウト、ダタ。ダウユジモムバコ』
ねじまきは、永遠に同じ調子で回り続けるつもりらしい。ブリキのオウムは再びカシャカシャと首を傾げ、飛び去っていった。
東京タワーが失われ、真鍮の塔が与えられてから3週間が経つ。
僅かだが有力な情報を得たIO2(International OccultCriminal Investigator Organization)は、この『異変』を解決するために動き出した。
長身な、壮年の男が『塔』の前に立っているのはそのためだ。
「面倒な仕事だ」
男は寂びを含んだ声で、うんざりとした愚痴をこぼす。
「まあ――俺が単純な仕事にしたらいいだけか」
ぬう、と現れたのは直刃の刀。
細身の。
凶悪な。
がこん、
音を立てて、『塔』がすこし高くなった。
「……聞き取るのにコツが要るわねえ」
草間興信所の空気の入れ替えをしていたシュライン・エマは、苦笑した。不意に窓のさんにとまったブリキのオウムは、シュラインが思い出す暇も与えずに喋りだし、黙りこんだのだ。コツが要るとはぼやいたものの、彼女がオウムのメッセージを聞き取るのに、さして苦労はしなかった。
「<深紅の王>って……誰?」
尋ねても、オウムは答えなかった。そのシュラインの反応で、メッセージが伝わったと踏んだか――くるりと器用に踵を返した。
ブリキのオウムは飛び立ち、6人を『塔』へと導いた。
永久に回り続けるねじまきは、6人の歯車すら動かすつもりのようだった。
「<深紅の王>の伴侶たちよ。助けてほしい。我が名はレイトマン。後に続くもの。先行くものは、遠眼鏡を以って見た。<深紅の王>の塔に、大きな悪意が近づこうとしている。おまえたちが<深紅の王>の伴侶で在り続けたいのならば、我々を救ってほしい。ひいては、おまえたちを救ってほしい。拒むも自由だ。ただ、塔がより高くなるだけだ」
■鮫という男■
「あ」
刀を手にした男の背後で、女の声が上がった。
男が振り向くと、彼を指差している女がひとり。
「銃刀法違反」
言ってろ、とでも言いたげに、銃刀法を違反している男は無言で『塔』に向き直った。そして、悠然と歩き出した。
「ちょっと、そんなの持ってくと、色々危ないわよ」
「言っても多分無駄よ、シュラインさん」
女が――シュライン・エマが、手を下ろした。彼女の横に、ジーンズ姿の光月羽澄が立った。鈴が鳴り、シュラインは羽澄の腰に目を落とした。羽澄は、細身の鞭をウォレットチェーンのように、ジーンズのベルト通しに引っ掛けていた。
「あら……来たのね、羽澄ちゃん」
「気になって」
「私も。で、あのコワイ系のおニイさん、知り合い?」
「知り合いではないけど、知ってるわ。<鬼鮫>」
がこん。
「ぅおーい、まァた高くなったぞ」
間延びした聞き覚えのある声に、シュラインが振り向いた。
<鬼鮫>なる男が入口の前に立ったそのとき、『塔』が成長したかのように高くなったのだ。それに歓声じみたものを上げたのは、藍原和馬。
「あんたも来たのね」
「来ちゃいけなかったような言い方はよしてくれよ、悲しくなるだろ」
「誰もそんなこと言ってないわ」
「なら、ついでに聞かせてくれ。<鬼鮫>って誰だ? あのコワイ系おニイさん、何もンだ?」
羽澄は快く和馬の望みを受け入れた。
彼女が<鬼鮫>について話し始めた頃には――青月長石の目を持つ少年がそばに立っていた。
羽澄もシュラインも、最早「あなたも来たのね」に類する言葉はかけなかった。少年は『塔』を見上げていて、<鬼鮫>を見つめていて、羽澄の言葉に耳を傾けようとしていたから。
オウムに導かれてやって来たのだ。この場に居る者たちは、すべてが今日のパートナーだ。
<鬼鮫>は真鍮の入口を、白木の鞘に入れたままの刀で、コンコンと軽く叩いた。
石橋をこれから渡るもののように。
錆びた金属が生み出す、ちくちくとした匂いが充満していた。真鍮は<鬼鮫>をじっと値踏みしていた。
さっ、と<鬼鮫>が振り向いた。鞘から抜かれた刃が、背後に振るわれた。
「何だ、おまえは」
刃を向けてからのご挨拶だった。
<鬼鮫>の前には――よれた、無精髭の、映画の中の探偵じみた男がぼんやりと突っ立っていた。右の頚動脈に刃を突きつけられているのだが、男はさっぱり恐怖心を見せず、のろのろと<鬼鮫>から刀に目を移した。
「しがない探偵だよ。ああ、酔っ払ってる探偵って言ったほうがいいかもな。俺は今何だかものすごくいい気分なんだ。あんたについていきたくてたまらないんだよ」
「……」
「この『塔』がいけ好かなくてね……あんたのこの『匂い』なら、壊せるかもしれない……俺も手伝いたいくらいだよ」
「何だ、おまえは」
今度の問いかけには、少し、呆れが混じっていた。刃は微動だにしなかった。俎板の上の男は、ふわりとぼんやりした笑みを浮かべた。
「志賀哲生」
「志賀な」
<鬼鮫>は刃を退くと、ぱちんと鞘に収めた。
「俺の前から消えろ」
「ああ、わかった。後ろをついてくよ」
「……」
<鬼鮫>はちいさく溜息をついた。
「化物が」
だが、殺しはしなかった。
「おいおい、何か誰か鮫野郎についてっちまってるぞ」
「あ! 哲生さん!」
ふらふらと<鬼鮫>についていくよれた男を見て、羽澄は声を上げた。追おうとするところを、青い目の少年が引きとめた。
「待ってよ。<鬼鮫>の怖いところを話してくれたのは羽澄じゃないか。俺たちは、他の入口から入ろう。<鬼鮫>が今あの哲生とかいうのを殺さなかったんだから、きっとずっと殺さないんじゃない?」
「そうだけど――」
「俺たちは急いで、助けを求めてるひとたちを助ければいいんだよ。<鬼鮫>より早く動けばいいんだ。だから、行こう!」
少年は<鬼鮫>が入っていった入口がある北側を避けて、『塔』の南側へと走り出した。
「あ、忘れてた! 俺、石神月弥っていうから!」
その声が真鍮の中に溶けていった。
がこん、
『塔』が微かに揺れて、かたちがわずかに変わった。
シュライン、羽澄、和馬が入口をくぐったときには、すでに月弥と名乗る少年が入ったときと、『塔』の構造が変わってしまっていた。
<鬼鮫>の恐ろしいところ。厄介なところ。IO2さえも手を焼いているところ。
それは、彼自身が『化物』と認めた者は、手当たり次第に斬り捨てるからだ。それも、断末魔を愉しむために斬り捨てるのだ。『化物』は少し前に彼の妻子を惨殺し、彼自身を『化物』に変えてしまった。
志賀哲生という『化物』を<鬼鮫>が殺さなかったのは、哲生が断末魔の声を上げそうになかったからだ。死の恐怖をたっぷりとくれてやってから殺さなければ、復讐と享楽の意味がない――恍惚とした表情でついてくる哲生は、少なくとも『塔』を憎んでいるようであったし、仕事の邪魔にはならないはずだ。それに、時折酔っ払っているかのように、『塔』についての情報も話した。
<鬼鮫>は、『化物』を初めて利用することにした。
■真鍮のねじ■
「ようこそ」
「なあ、旦那。気をつけた方がいいぜ。下手に手出しすると、大工道具にされちまう」
哲生の忠告は、<鬼鮫>も黙って信じていた。IO2が握っている情報と何ら変わりなかったからだ。<鬼鮫>は何も尋ねなかったが、哲生の話しぶりから、この男が以前『塔』に潜りこんで、方々に調査結果を流した6人のうちのひとりだと気づくことが出来ていた。
ようやく現れた黒いカソック姿の天使が、『塔』の管理者だということもすぐにわかった――
「おや、志賀哲生くん。また会ったね」
「また会うとはな」
「霧嶋徳冶くんも一緒か」
「黙れ、化物」
<鬼鮫>は低い唸り声のようなものを上げると、鞘から刀を抜き放った。天使が――エピタフが、肩をすくめて一歩退いた。
「ごめんよ、今は、<鬼鮫>だったね」
答えは、容赦のない一閃だった。
――あああ、まったく、何か策を練っとけって言ったのに。知らねえぞ。
しかし哲生は、心のどこかでぼんやりそ考えていただけだった。<鬼鮫>が放つ死の匂いに、すっかり酔わされていたのだ。
「……殺っちまえ、旦那」
哲生が呟いたのは、そんな一言。心のうちとは裏腹な、本音の一つ。
「やめて!」
「ちょっと!」
「ああ、殺った!」
<鬼鮫>、エピタフ、哲生の、頭上で声が上がった。
道なりに1階を進んでいたはずの羽澄、シュライン、和馬は、どういうわけか現場を見下ろすかたちになっていた。
勿論、<鬼鮫>と哲生は、ただの一段も下に降りた覚えはないのだ――
がつっ、
ばしっ、
ばらばらばらばら――
「う、」
まともに<鬼鮫>に斬られた天使が、赤い瞳を見開いた。
「い、痛、痛痛痛痛痛痛痛痛痛、い、痛痛痛、い、い、」
がふっ、とエピタフが咳こんだ。真鍮の床に、エピタフの口から溢れ出したものがぱしゃりと広がった。それは深紅の血にあらず、無数の真鍮製のねじ。
「化物」
<鬼鮫>は、それまで哲生が何を言っても動かさなかった表情を崩した。
怒りが浮かんでいた。歪んだ喜びもだ。
「やめて! 何するの!」
羽澄はほとんど悲鳴を上げていた。
エピタフが、2撃目を浴びていた。翼とねじと釘が飛び散った。金鋸で真鍮を切ったときの、胸を突く匂いが立ちこめた。
「エピタフ! おい!」
真鍮の柵に手をかけて、和馬が牙を剥いた。
「得意の『天罰』はどうしたんだよ!」
エピタフが仰向けに倒れた。羽澄とシュライン、和馬を見上げたその瞳は、蒼だった。
「いま下すよ」
シュラインが、はっと息を呑む。
真鍮の呟きが――それまで、ただ無機質に、規則正しく動いていた真鍮の仕掛けたちが、不意にいやな軋みの音を作り出したのだ。シュラインの耳が、羽澄や和馬よりも先にそれを捕らえた。
「何か来るわ」
「『天罰』か?」
「……ここから離れた方がよさそうだけど……」
「怪我人――怪我天使をほっとくのか?」
そしてそのとき、すべての歯車と仕掛けが、これまでとは逆に動き出した。
■黙って喋るんだな■
<鬼鮫>が吹っ飛んだ。
哲生の目の前で、悲鳴すら上げずに。
「貴様が見えたのだ! 自分の手でしっかり見たぞ! 貴様を爆破し、貴様の釘をスープの中に叩き込んでくれるわ、さあ回れ!」
<鬼鮫>が蹴り飛ばされた。
哲生は死の匂いが、無機質な無臭にかき消されていくのを、ぼんやりうっとりと眺めていた。あああ。
「回れ!」
がつん、
「飛べ!」
がつん、
「進め!」
がつん、
「笑え!」
がつん!
「……また強烈なのが出てきたわ」
「私、ちょっと頭痛が痛くなってきた……」
「おいおい、しっかりしろよ。今のうちに俺はあいつを助けに行く!」
柵をひらりと跳び越えて、和馬は階下に降り立った。エピタフはとりあえず生きているようだった。心臓も肺もない身体で、それでも『生きている』と言えるのならば。
「つかまって!」
羽澄が鞭を下ろし、和馬はそれにすがった。すがらずとも、彼の脚力なら、柵まで跳ぶことも出来た。だが、ここはレディの心遣いに甘えることにしたのだ。
シュラインは突然、何の前触れもなく現れた天使に目を奪われていた。まるで意味の繋がらないうわ言を叫びながら、軍服姿の真鍮天使がひとり、がつんどかんごすんと<鬼鮫>に蹴りを浴びせ続けていた。<鬼鮫>はすでに死んでいるか、気を失っているか、はたまたまったく効いていないかのいずれかだ。どれだけ蹴られても彼は悲鳴を上げなかった。
「……ターミネーターだわ」
「どっちが?」
「どっちもよ」
「かれはソウル・ボマーだよ」
傷口から溢れ出すねじを拭いながら、エピタフが答えた。どうやら、痛いが平気らしい。
「『塔』の住人?」
「『罰』を与える役目を持ってる。僕らを傷つけた人間を傷つけるんだ。かれの気が済むまでね」
「で、あんた、大丈夫なの?」
シュラインは屈みこみ、エピタフの傷口を診た。
人間の身体ではなかったし、そもそも動物のものでも、おそらくサイボーグのものでもなかった。シュラインは、思わず傷口から目を背けた。あとからあとからねじが溢れ出してくる傷口の向こう側は、夜空だった。宇宙かもしれない。流れ星を見たのだ。
「……エピタフ、あんた、一体……」
「さあ、何だろう。『何だと思う?』」
ずしん。
「……人間ではないわね」
シュラインの答えは、そのまま羽澄と和馬の答えでもあった。
<鬼鮫>が、立ち上がった。
哲生は――自然と手を伸ばし、そこにはない手錠を呼び出していた。死神の鎖は、軍服姿の天使の足に絡みついた。天使は倒れた。いい気味だった。
「やっちまってくれ、旦那!」
<鬼鮫>はしかし、ぺッと鮮血混じりの唾を吐いただけで、ぴんぴんしていた。哲生はぼんやり数えていたが、<鬼鮫>は軍靴に顔を13回、腹を5回、胸を21回蹴られていた。骨や歯が折れ、気を失って然るべきなのだ。
哲生の鎖に足を取られた天使に、<鬼鮫>が刃を振り下ろす――
きあッ、と天使が奇声を上げた。
そのとき、『塔』そのものが吼えたかのようだった。
哲生の鎖と、<鬼鮫>の刀が粉々に砕けた。
「星屑だな! 貴様らは星屑だな! まったく飲みこめんな! 自分はこの世のジョン・ドゥーだ!」
ききききっ、
ままままっ!
『塔』が崩れた。まるでレゴブロックを積み上げて作り上げたもののように、『塔』の部品と一部とは、がらがらと崩れ、消えていく。
哲生は咄嗟に鎖を伸ばし、3週間前のように、何もない空間にぶら下がるはめになった。死の匂いを救うために、哲生は空いている手からも鎖を伸ばした。<鬼鮫>の血濡れの手に――そう、彼はただの一瞬で罰せられ、膾切りにされていた――鎖を絡めた。
「旦那――大丈夫か?!」
その死の匂いがなくなってはこまる。
その死の匂いは、格別なのだ。
「離せ、化物」
<鬼鮫>が唸った。
彼は、血濡れの手で、懐に隠していたらしいドスを抜き放った。ためらうことなく、彼は鎖が絡みついた左手に刃を突き立てた。
ぎちぎち、ぐりぐり――ブつ。
「……!」
『化物』に救われてはかなわないと踏んだのか。哲生の手錠が戒めているのは、<鬼鮫>の手首だけとなっていた。
「旦那ァ!」
1階にいたはずなのに、どこまでも落ちていく<鬼鮫>――
「俺を捨てないでくれぇぇえッ!」
しかし勘違いすることなかれ、哲生はただ、死の匂いに見捨てられたくはないだけだ。
哲生の身体を、ぐいと力強く引っ張り上げたのは、和馬だった。
「なあ、あの鮫野郎より俺の方がいい男だろうが、頼むから助けた俺に惚れるなよ」
「……勘違いするな。何で俺が男に惚れなきゃならねんだ」
「あああ、志賀哲生くん」
憮然とする哲生の前に、かちんと落ちた真鍮のねじ。降り掛かることば。
「ソウル・ボマーを転ばせたね。ちょっとだけ、『罰』」
「なに?! おい、待……」
「『きみは周波数がなかなか合わない鉱石ラジオ』」
ザ、
ザ――――――――――――――――――――――ッ。
■天使のお礼■
軍服の天使は、床に開いた穴を見下ろして、何の気配も持たずに立ち尽くしていた。羽澄はそれなりに警戒しながら、ソウル・ボマーに近づいた。天使は羽澄がすぐ傍に立って、顔を覗き込んでも――叫んだり、蹴りを繰り出してきたりはしなかった。
「……はじめまして。私、光月羽澄よ」
とりあえず、自己紹介。
ソウル・ボマーの赤い目がきろりと動いたが、羽澄には一瞥もくれなかった。視線は不安定に泳いでいて、この 『塔』でならどこにでもある、真鍮の歯車のシャフトを追っている。
「朝焼けが好きだ」
真鍮天使はぽつりと呟くと、どこからともなく玩具のようなブリキの銃を取り出して、己のこめかみに銃口を当てた。羽澄が止める暇はなかった。羽澄の目の前で、ソウル・ボマーの脳髄らしきものが飛び散る――真鍮の壁や床にぶつかって跳ね返る脳髄は、真鍮のナットとシャフト、チェーンの塊で出来ていた。重い音を立てて、天使の身体が床に倒れた。真鍮の翼が壊れた。
「……」
「おいエピタフ、天使が自殺なんかしていいのか?」
「僕らは誰からも死ぬなとは命令されてないよ」
「そういう問題じゃないと思うけど」
「なに、平気平気。ほら、来た」
エピタフが通路の奥を指差した。
足音が近づいてくる。軍靴の固い靴底が、力強く真鍮の床を踏みしめている。
「定物定位置だ! 覚えろキャベツども!」
床にあった丸い真鍮のハッチを開けると、ソウル・ボマーがソウル・ボマーの残骸を投げ捨てた。
「いざたて、いくさびと! みはたにつづけ!」
立ち尽くす訪問者たちには目もくれず、軍服の天使はくるりと回れ右をして、来たときと同じ調子で歩き去っていった。
「『まだ<鬼鮫>が「塔」にいるから、追っ払ってくる』だって」
「そう言ったわけか?! いま?!」
「ともかく、助けてくれたきみたちにお礼をしないとね」
唖然とする3人に、ぢゃらりと鍵が差し出された。
「……助けてないわ。助けようとして、間に合わなかった」
「いいや、助けてくれたよ。この 『塔』に来てくれたじゃないか」
鍵は、エピタフの傷口から取り出されたものだった。例に漏れず真鍮製で、恐ろしく鍵らしい鍵だった。古い南京錠の鍵でも、ここまで『鍵』としか思えないような形はしていないだろう。まるで人間が始めて作り、「これが鍵」と定義づけた鍵のようだった。
「……どこの鍵?」
「僕が知らない扉の鍵だよ。そのうち使う機会もあるだろう。<深紅の王>の部屋の扉は開かないけれど、きみたちが開けたいと思った扉はそれで開く」
「オウムが言ってたな。<深紅の王>――」
和馬は鍵を受け取りながら、首を傾げた。
「その王様の扉を開けたいと思ったら、開くのか?」
「中で<深紅の王>が鍵を閉めていたら、開かないね」
「矛盾してるわ」
「そんなものだよ」
「エピタフ」
羽澄の呼びかけに、エピタフは笑顔で答えた。羽澄の質問は、もう知っているらしい。
「この『塔』、私たちが価値を決めていいものなの? その答えはひとつだけ? それとも――人それぞれ、60億以上の答えがあるの?」
「この『塔』はきみたちのためのものだ。きみたちが価値を決めるものだよ。1000年前のきみたちがこの『塔』に価値を見出した。だから僕らはまた来たんだ」
エピタフは、羽澄が今日描いた『塔』のマップに目を落とした。迷わないように――記憶に留めておくために、羽澄が丁寧にマッピングしたものだ。帰りに役立つかどうかは、見当もつかなかったが。
「『その今日限りの地図にも、きみたちは価値を見出すのかな?』」
ずしん。
■高い高い■
3人と鉱石ラジオは、迷わず『塔』を出ることが出来た。
鉱石ラジオは『塔』を出ると同時に志賀哲生に戻り、悪態や愚痴をつき始めた。目はうろうろと<鬼鮫>と死の匂いを求めていたが、見出すことは出来そうになかった。
4人の目の前で、『塔』のかたちは刻々と変化し、また高くなっていっている。<鬼鮫>の姿は見えず、ただ、何階なのか見当もつかない位置に、船乗りの姿をした天使が立っていた。かれの酔っ払ったような奇声が聞こえた。かれの肩に、ブリキのオウムがとまっていた。
――ゾタイマハラビ――
「ああ、あいつ」
和馬が苦笑した。
「どうかした?」
「いや、あのオウム……俺の仕事を手伝ってくれたらしい」
シュラインは親切なオウムから、さらに上に目をやった。夕陽が真鍮の塔を照りつけて、鈍い輝きを帯びていた。針の先のような 『塔』の頂上は、ぼんやりとかすんでいた。
「また随分と高くなったみたいね」
「悪意と敵意で大きくなるんだわ、きっと」
「それじゃそのうち宇宙にまで行っちまうぞ」
「<深紅の王>って――どこに居るのかしら?」
「ボスはてっぺんだ。決まってる」
「じゃ、エンディングまで、また遠くなったってことなのね――」
がこん、
がこん、
『塔』は伸び続けている。
そして、シュライン、羽澄、和馬のポケットやバッグの中で、ものも言わずに真鍮の鍵の数が増えていた。ポケットとバッグから溢れ出した鍵は、音もなく地面に落ちていくのだった。
「……こんな『塔』、なくなっちまえばいい。俺にとっちゃ、何の価値もないガラクタだ」
がこん、
哲生の小さな呟きに、真鍮の塔がまた1cm高くなった。
<了>
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1282/光月・羽澄/女/18/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【1533/藍原・和馬/男/920/フリーター(何でも屋)】
【1943/九耀・魅咲/女/999/小学生(ミサキ神?)】
【2151/志賀・哲生/男/30/私立探偵(元・刑事)】
【2269/石神・月弥/男?/100/付喪神】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
ライター通信
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
モロクっちです。お待たせしました。『クリムゾン・キングの塔【1】』をお届けします。
今回のノベルははじめ1本だったのですが、長くなりましたので分割しました。プレイングの都合上、4人・2人で分けています。また、今回も一部個別になっております。2人側のノベルは4人側のノベルよりもちょっと時間があとになっています。落っこちた鬼鮫がどうなったかは、もう片方のノベルでわかるはずです。
また新しい天使が出て参りましたが、彼のセリフはノリで書いているので、本当に無意味である場合がほとんどです。えぅ。
1話目と同じく、不可思議な世界をお楽しみ頂けたのならば幸いです。また是非お越し下さいませ。
|
|
|