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<東京怪談ノベル(シングル)>


山海賛歌

 「山は駄目じゃ」
 唐突に源がそう断言した。あやかし荘の薔薇の間で、源の向かいでコタツに入ってほうじ茶を啜っていた嬉璃が、目線だけ源の方へと向ける。
 「山の幸は美味いには美味いが、何分味わいに欠ける所があるからのぅ。特におでんのような、じっくりと煮込んで出汁を染み込ませるような料理では、キノコや山菜のように淡白な味のものでは、わしの自慢の出汁に負けてしまう。やはりここは、素材自体が強い自己主張を持った海の幸じゃな」
 「…もしかして、この間の伝説のおでん種探しの続きかえ」
 嬉璃がずずずー…っとほうじ茶を啜りながら尋ねると、大仰に源が頷く。
 「まさか嬉璃殿、あれしきの事でもう諦めた等と、情けない事を言ったりはせぬだろうな」
 「そのような戯けた事など言いはせん。が、おんし、大事な事を忘れてはおらぬか」
 たん。と自分専用の湯飲みをコタツの天板に置くと、嬉璃は、何やら妙に真面目腐った顔で源を見る。何事かと源も居住まいを正して正面を向いた。
 「なんじゃな、嬉璃殿」
 「……何故にわしまで、食材探索の旅に駆り出されなくてはならぬのか。わしは、いつの間におんしの店の従業員になったのかえ」
 「嬉璃殿、伝説のおでんを、一番最初に食したくはないのか」
 「食したいかと聞かれれば、それはそうだと答えるが、ぢゃが…」
 「最高級の鰹節」
 いきなり、源がそんな事を言い出す。目は閉じ、何か素晴らしく素敵な事を想像しているような表情で言葉を続ける。
 「これまた最高級、利尻産の昆布」
 「……おんし、何を…」
 「塩は天然の赤穂の粗塩、醤油は国産大豆のみを使用し、じっくり熟成させ添加物は一切使用しておらぬものを、そして何より、それらを代々受け継がれた出汁に足していく事で味は深まり、丸みが出る」
 「………」
 「不思議なものよのぅ、おでんもカレーと同じで、少し時を置いたものの方が、断然美味くなる。焼き鳥屋のタレもそうじゃな。わしの店のおでん出汁も、長い時を経て独自の味わいを出している事は嬉璃殿も周知の事じゃろうて。…その出汁と、未だおでん種としては出会った事の無い未知なる食材とのコラボレーション…一口噛めばじわっと出汁が、しかも食材自体の旨みを存分に吸った極みなる出汁が染み出てきては、嬉璃殿の口の中一杯に、その味わいが広がるのじゃ。それは咥内の粘膜の隅々にまで染み渡り、身体の中へと溶け込んでいく。これぞまさに、骨の髄まで…と言う奴じゃな。余りの美味さに身体は天まで昇り詰めそうな程、それを人は至福のひとときと言うじゃろうて……」
 「…おんし、何をもたもたしておるのぢゃ。善は急げと言うであろ。さっさとせぬか。日が暮れるわ」
 前回も確か同じような事を言って、すっくと嬉璃は立ち上がる。すたすたと先に部屋を出て行くその後ろから、やはり同じようにほくそ笑みながら、源も薔薇の間を後にした。


 「…で、山が駄目ならどこに行くつもりぢゃ」
 源と嬉璃、二人仲良く肩を並べて歩きながら、嬉璃が源に尋ね掛ける。待ってましたと源が、意気揚々として笑みを返す。
 「勿論、山が駄目なら次は海に決まっておる。海の幸は良いぞ!煮込んで良し、さっと湯がいて出汁と合わせるも良し。勿論生でも美味いじゃろうが、今回はおでんにする事が大前提であるからのぅ。蛸なんぞは既におでん種として活用されておるが、それ以外にもきっともっと凄い食材があるに違いない!」
 拳を握り締め、やはりバックにざばーんと白く砕ける荒波を背負いながら、源が力説をする。
 「確かに、海の幸は美味いからの。特に今は冬で魚も身が引き締まっ……」
 「そうなんじゃ!」
 嬉璃の言葉を途中でぶった切って、源が大声を出す。さすがの嬉璃もびっくりして目を丸くし瞬かせた。
 「魚は冬に美味くなる!蟹でも帆立でもそうじゃ、寒い地方のもの程、美味い!だから本当は日本海に行きたいのじゃが、夕刻には屋台の仕込みに入らねばならぬ故、東京湾で我慢じゃな」
 「また随分と志が低いではないか」
 「致し方ない。伝説の食材探しは魅力的ではあるが、営業は営業じゃからの。それに、東京湾も捨てたもんではないぞ?俗に言う江戸前と言う奴じゃな」
 そう言って源が深く頷く。
 「寿司と言えば江戸前じゃ。そして寿司もおでんも美味い事には変わりはない。であれば、おでんと言えば江戸前、であっても構わぬじゃろうて」
 「…いや、それは何か少し違わぬか……?」
 源の強引な論理に、嬉璃はこっそりツッコミを入れてみるが、それを聞いているのかいないのか、源はあっさりと聞き流した。

 やがて二人は、あやかし荘から然程遠くはない、東京湾の一角の港に辿り着いた。中途半端な時間故か、出港する漁船もなく、冬の海の割には波も穏やかである。潮風に黒髪と着物の裾を煽られながら、嬉璃が源の方を向く。
 「さて、着いたの。…で、どうやって海の幸を獲るつもりぢゃ?今度は前回のように歩いて捜す等と言う事は出来ぬぞえ。やはり、漁と言えば網かの。それとも、竿を使っての一本釣……」
 「何を生温い事を言っておるのじゃ!」
 再び、嬉璃の言葉をぶった切って源が大声を上げた。今度はさすがに嬉璃も驚く事はなく、なんじゃ、と至って冷静に源の言葉の続きを待つ。そんな嬉璃の様子を見て、源は振り上げ掛けた拳を解くと、自分の顎を思案げに撫でた。
 「…嬉璃殿、いやに冷めてはおらぬか……」
 「冷めてなぞおらぬ。些細な差ではあるが、おんしより常識的なだけぢゃ」
 「何を言う、わしは何物にも縛られぬ自由な発想でじゃな…」
 「分かった、分かった。それでは、おんしの自由は発想を聞かせてくれぬか。竿や網は生温いと言うのなら、何を…」
 「勿論、海女じゃ!」
 自信満々でそう言い放つ源に、さすがに嬉璃の口があんぐり開いた。
 「…あ、あま……?」
 「そうじゃ、海女じゃ。己の身ひとつで海に潜り、黙って銛で突く!これに限る!」
 「………この寒空にか?」
 そう言って嬉璃は鈍色の海を見渡す。昼下がりで天気もいいとは言え、なにせ真冬の事である。夏の海に潜るのとは明らかに訳が違った。が、源はと言えば、そんな嬉璃の反論は予想の範囲内だと言わんばかりに、にやりと不敵な笑みを口元に浮かべる。
 「嬉璃殿、今は女の時代じゃ。つまりは海女の時代じゃ!軟弱な男では出来ぬ技じゃ、だからこそ、ここの漁師の目には留まらぬような食材もあるに違いない!行くぞ、嬉璃殿!準備は良いか!?」
 「って、おんしだけぢゃないのか?!」
 さすがにこの寒さの中…いや、例え今が真夏で寒くなくとも、進んで海に入ろう等と考えてもいなかった嬉璃が思わず怒鳴り返す。甘いわ!と一言喝を入れると、源が可愛いピンク地に雪の結晶模様の着物を、ヒーローのマント宜しく、がばッと脱ぎ捨てた。
 「……おんし」
 嬉璃がぼそりと呟くその言葉には、ほんのちょっとだけ感心したような響きが混ざっていた。何故なら、着物を脱ぎ捨てた源は既に海女の装束を身に纏っていたからだ。
 「…いつの間に、そのようなものを……」
 「用意周到であろ?これぐらいは予想の範囲内じゃ」
 ふふんと自信たっぷりに笑みを浮かべて、源が軽く準備体操をする。どこから取り出したのか、水中メガネを装着し、シュノーケルを咥えると、パン!と両手の平で両頬を叩いて気合を入れた。
 「よし!いざ行かん、母なる海へ!目標は、未だ嘗てないおでん種、まずは海の宝石、キャビアじゃ!」
 「待ちや!」
 そう叫んで海へとダッシュする源の、襟首を引っ掴んで嬉璃が引き止めた。そんな、力ずくで引き止められるとは思ってもみなかった源は、勢い余ってすっ転び、したたかに尻を地面に打ち付けた。
 「いッ、……痛たたたた……な、何をするのじゃ、嬉璃殿……?」
 「おんし、今、キャビアを獲りに行くと言わなかったか?」
 「言った。それがどうかしたかの。まずは高級食材を押さえるのが世間の常識であろう」
 どの辺りが世間の常識なのか、その辺はツッコむのを諦めて、嬉璃は真顔で源に言った。
 「……キャビアが獲れるチョウザメは…淡水魚故、海にはおらぬぞ」
 「…………」
 たっぷり数分、源は沈黙して嬉璃の真顔を見詰めた。嬉璃は、そんな源に大きくひとつ頷いて言葉を続ける。
 「だから、海に入るのは止……」
 「いや、そんな事はない!」
 てっきり止めると言うかと思ったのに、源は拳を握り固めて力説した。嬉璃の目が点になる。
 「……は?」
 「チョウザメはそんな根性無しばかりではない!海にもいる筈じゃ!そして、海にいるチョウザメの持つ卵こそが、究極のキャビア、キャビア・オブ・キャビアに違いない!」
 「待ちや!おんし、自棄になっておるであろ?そんな事で下らぬ意地を張ってどうするのぢゃ〜!」
 「離せ、嬉璃殿!ウミチョウザメ(そんなのいません)がわしを待っておるのじゃ!後生じゃ、後生じゃ〜!!」
 じたばたと暴れる、海女装束の源を、背後から羽交い絞めにして嬉璃は必死で引き止めた。寒く冷たい冬の海何ぞで泳いで、源の身体の事が心配なのは勿論の事、万が一、この寒い中、源が溺れるような事でもあれば、自分が助けに入らねばならぬかと思うと、嬉璃は、ここは何としてでも源の暴挙?を阻止せねばならないのであった。