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<東京怪談ノベル(シングル)>


破滅に至る病 〜アンティーク〜

 その店は古くからその場所にあった。茶色のベニア色の木製の壁をしたその店は、昭和40年代のはじめ頃からそこにあったという。
 今ではいつつぶれてもおかしくないほど傷んでしまっているが、そこに住まう一人暮らしの店主が手を入れるようなそぶりはここ十年全く見られなかった。
 アンティーク店とはよくいったもの。若者が気軽に手にできるようなありふれたものは、その店にはない。
 古い年代の味わい深い、ヨーロッパ製の人形や家具などがところ狭しと積んである。値札すらつけていない。
 値札をつけることで、跡が残ったり、傷がついたりする可能性のあることを、店主は納得するわけにはいかなかった。
 あまり広いといえる店内ではないが、そこに置かれた数多くのものには、どんなに売れ残っている隅の品物ひとつとっても、全く埃がかぶっていない。
 そこからしても、彼が店の外観からは想像もつかない程、商品を大事にしていることはよくわかった。
「……それじゃ、これで」
 一人の客が笑みを浮かべて、店を出て行く。
 この店の常連客はけして多いとはいえない。しかし、そのだれもが、店主のように物を大切に思う心を持っている、と彼は思っていた。
 店主の頑固で不器用なのを笑って許せる人たちだけなのさ、と、客は答えるかもしれない。
 気に入った人にしかけして品物を売らないのだから。
 しかし、それでは生活が潤うはずもない。
 現に店主の妻は、家計を支えるために、パート勤務を余儀なくされた。
 店主も妻に迷惑をかけるわけにはいけない、と、店を閉める覚悟は何度もした。他の安価でよく売れる商品を置いてみないか、という常連客の勧めもあったが、それは辞退した。
 質流れ品を扱ってみないかという話だと思うが、妻が猛反対してきたのだ。何よりも家具や人形を愛していたのは妻のほうだった。
 店主と妻は16も年が離れていた。店主が、この店を開店して間もない頃の常連客のひとりだった。
 セーラーとおさげがみのよく似合うかわいらしい女学生さんで、学校の帰り道にいつも寄った。
「こんな古臭い人形が、面白いかね」
 若い頃から顔だけは気難しかった(と、妻はよく笑った)店主が、はたきをかけながら笑うと、少女の妻はこう答えた。
「かわいらしいですわ。それにもましてこの雰囲気が好きですの。あなたとこのお店、ここに漂っている空気、すべてが大好き」
 そういうと少女は、自分の両親が喧嘩がちで、家庭に休まるべき場所がないことを話し出した。不幸な生い立ちに生まれた彼女は、母の三度の離婚結婚に振り回され、すっかり疲れ果てていたのだ。
 やがて、高校を卒業して就職した妻は、店主のうちに住み込むようになっていた。
 たいした結婚指輪も買えなかった代わりに、彼は妻のために仕入れのために訪れたイギリスのお土産にと、青いドレスをつけたアンティークのドールを与えた。
 妻は喜び、その人形をとても愛した。
 妻の母は何度か怒鳴り込んできて娘を連れ帰そうとしたが、後には認めてくれて、最後はこの家で息を引き取った。
 そして、その妻自身も、昨年、突然癌と告げられ、あっというまに死んでしまっていた。最後まで人形を肩身はなさず抱いたまま。
 人形は棺に入れてやるべきとも考えたのだが、形見にと残すことにした。今も店内の棚の中で彼をやさしく見守っている。
 貧しいふたりの暮らしには貯金もあまりなかったが、店主はもう年金をもらう年齢になっていたし、家具以外にはたいした趣味もなかったので食うに困るというようなこともない。
 たまにいい家具が売れると、新しいものを仕入れに行く。
 それだけが小さな楽しみだった。
 真冬の盛りに突然小春日和のような温かさだったその日、フランス製のドールとイタリア製のチェストが売れた。
 15万円の現金が金庫に入った。
 店主はカウンターでのんびり思いをはせていた。次はどんなものを購入しよう。
 
 そんな折だった。
 店の前でガシャン、と自転車が倒れるような音がした。
 ガヤガヤと騒ぐ若者たちの声が聞こえる。
 ……またか。
 店主は眉を寄せた。
 よりにもよってこんな日に。
 それは店主の唯一の孫だった。幼い頃はそれでもかわいいと思っていたのだが、今はあやしげな連中とつるみ、悪さばかりしている。
 両親も愛想をつかしかけているらしく、時々、店主のもとに小遣いをせびりにくるのだ。
「よーす、じーちゃん」
 表の扉を勢いよく開いて、ガムをかみつつ少年は入ってきた。
「何のようだ」
 にらみつける。引き出しは絶対に彼に見られてはいけない。
「1000円でいいから貸して」
 少年はかわいく両手をあわせて聞いた。店主はにらみつけるだけだ。
「……どうせろくなことに使わないのだろう。……それより今自分なんだ。学校に行ってる時間じゃないのか?」
「そんなこと…・・・どうでもいいじゃんよお!」
 少年は地面と強く踏みつけた。
 まるで駄々をこねる幼児のようだ、と店主は思う。
「知らん、出て行け」
 店主が厳しく言うと、少年の目が光った。
 彼は近くにあった家具をにらみつけた。彼の両親はけして少年におじいちゃんの家具を触ってはいけないと幼い彼に口をすっぱくしていったものだ。
 おじいちゃんとおばあちゃんが何よりも大事にしているものだから、と。
 少年はスニーカーで近くにあったドレッサーを蹴飛ばした。
 店主の目の色が変化する。
 いきなり飛び掛ってきた。
 少年の頬が拳で殴られる。仰向けに転んだ少年よりも、店主はドレッサーを大切に抱いた。
「おおおお、なんてことだ、こんな傷が……」
「なんだよ!」
 少年は起き上がる。
 無性にくやしかった。腹がたった。
 転んだときにきった口元を手首でぬぐうと、血が出ているのがわかった。
 ますます腹がたった。
「このジジイ!!!」
 少年は勢いよく立ち上がる。
 ポケットに硬いものがあるのに気がついた。
 それを手に取り、店主に飛び掛った。
「!?」
 くぐもった声がする。
 手に取ったものがナイフだったことに、いまさら気づく。
 倒れこむ店主。床に血の海が広がる。ぬめぬめとした赤い血糊が少年の指の間を抜けて、滴っていく。
「う、うわああ!!」
 少年は叫んだ。
 店のカウンターに飛び込み、救急車を呼ぼうとまず考えた。
 けれど気が動転していたのか救急車の番号が思い出せない。うろたえながら電話帳を探そうとしたその腕が引き出しを引いた。 
 そこに古びた金庫があり、開くと札束が見えた。
「……」
 急に高ぶっていた心が静まるのを感じる。
 彼は何をするためにここに来たのか、思い出した。
 金が……必要なのだ。
 ゲームセンターに行くためだったが、それは彼の狭い交友関係の中で、友人達と仲良くしていられるための必要な金だった。
 床に伏している老人に目をやる。
 さっきまでうめき声が聞こえていたようだが、今は静かだ。
 ……もう死んでる。
 体が震える。
 でも、行かなければ。逃げなければ。少年はそう思った。ゲームセンターに行くんだ。
 以前、友人が言っていたのが、頭の中に響いた。
「……どうせ、少年の間は何したってたいした罪にはなんねえんだよ」
 現金をポケットに突っ込み、彼はカウンターから出た。


 そのとき。

 カタカタカタ…。
  …カタカタカタ。
 ……カタカタカタカタ。

 店内のあらゆる場所から小さな音が響いた。
「ん?」
 少年は視線を感じたように、そこを振り返った。
 人形と……目があった。
「えっ!」
 青いドレスの青い瞳の人形。さっきまでは確実に棚の中にあったはず。
 そればかりではない。店内のあらゆる人形が、彼を見ていた。
「ひぃっぃ!!!!」
 戸口に逃げ出そうとする彼の前に、小さな人影があった。
 かわいらしいおかっぱ頭の少女だ。きれいな着物を着ている。彼女は少年を見上げ、にこっと、いや、にやっと笑った……。
「……お前……なんだ?? 見たのか?」
 少年はナイフをポケットからまさぐりながらつぶやいた。
 かわりに現金を取りこぼす。あわてて拾い上げて気づいた。血でぬれた手でつかんだ札束は赤く染まっていた。
「この店の主人は……人形が好きじゃったのじゃなあ……家具も人形も心があるようじゃ」
「心?」
 問い直し、辺りを見回す。
 人形が見ている。
 その視線はビシビシ感じる。
「だから……」
 ひるがえる声を飲み込みながら、少年は少女に怒鳴った。
「なんだっていうんだよ!!!」
 
 ボーン!!

 古い大時計が突然ときを告げた。
 少年は思わず、「ひいい」と声を上げた。
「おまえは……人形の主にはなれんて…・・・」
 少女はさらにクックックとのどを鳴らした。
「……時計か……」
 少年は驚いた自分を恥じながらつぶやいた。彼の腕時計のG−SHOCKは41分を指していることを、彼は知らない。
 それにさっきから、少しずつ店内が狭くなっているように感じたことも、気のせいでないかと思っていた。
「だめじゃの」
 少女は声をたてて笑った。
 同時に少年の視線の端に、床に落ちていたナイフが飛び込む。
 少年はニヤリと笑い、それに手をのばした。そして、それを掴むと、少女に切りかかる。
「うるせぇぇ!!」
 だが。
 それは果たせないのだった。
 彼の体は、まるで石にでもなったみたいにぴくりともしない。
 さらに、青いドレスの人形が、すうっと彼の目の前を移動した。
 空を飛んで。
「……」
 人形は倒れている店主に近づき、さめざめと泣きはじめた。
「ど…・・・どういうことだよ……」
「さあな…・・・おまえにはわかるまいて」
 少女はもう一度、ニヤリと笑った。
 古時計が鳴り響きだす。同時に、ゴゴゴゴ、と地響きがする。
 少年はようやく気づいた。店内の家具が、自らに近づいてきていることに。
 さらに冷たい小さな手のひらが、少年の首下にからんでくる。人形たちは彼を取り巻き、首を絞めようとしているのだった。

「うわあああああああああああああああ!!!!」

 少年の絶叫は一度だけ響き、それからは何もなかったように静まりかえるのだった。

 やがて。
 赤色灯を煌かすパトカーに囲まれる小さな店舗の中。
 殺害された老人と、心臓麻痺で死んだ少年が発見される。
 そしてそのなぞは永久に解かれないことだろう。ふたりが身内だということ以外、わからないことが多すぎる。
 
 それを遠くから眺めていた少女は微笑むように目を細め、闇の中へと再び身を翻した。あでやかな振袖の袖を振りながら。


                                        おわり。