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<東京怪談・PCゲームノベル>




 おかしい、と、それに気づくのに時間はいらなかった。
 街並みは普通なのに、何か違和感がある。
 風景に奇異は無いのに、どこかずれた部分がある。
 すれ違う人々は笑いあい、楽しげにおしゃべりをしている。ゆっくりと歩いている自分を追い抜き、二人連れの女性がどこかへと歩き去ってゆく。
 一組。また一組。何組もの二人連れの女性が、歩いてゆく。
 何を買おうか、何を食べようか、そんな事を話しながら、追い抜いてゆく。
 そこには確かに感情があるはずなのに、どこか纏わりつくかのような、慣れ親しんだ感情の流れが、この街には無かった。
 それが、違和感の原因だと分かるのに、何故かそれなりの時間がかかった。

「やれやれ、またですか」

 それを知覚した瞬間、声がかかった。
 独り言のような声だったが、何故か自分にかけられた言葉だと分かった。
 そこでようやく、周囲を見回す余裕ができる。
 辿り着いた場所は、今まで以上に不思議で、不思議というより可笑しい場所だった。
 ストリートバスケットをする為の場所だというのは分かる。
 そこには何人かの青年がいて、その中にはどこかの制服姿が混じっていて、知り合いの顔はなかった。
 制服の青年が、今まさにゴール目掛けてボールを投げている。
 そしてその上には、猫がいた。ボールの上に、白い半袖のワイシャツに、黒のベスト、頭にはシルクハット、黒ぶちの片眼鏡をかけ、その手には懐中時計、足に革靴を身につけた、茶トラの猫が後ろ足だけで立っていた。
 何故そんな事が可能なのかと言えば、今、自分がいる空間の時が止まっているからだと分かる。
 注視すれば、茶トラの猫が持つ懐中時計の針が止まっているのが見えたのだろうが、生憎と、そこまで自分の視力は高くない。
 だが、少なくとも見間違いではないだろう。茶トラの猫と自分だけが、元の色彩を持っている。それ以外は全て、色彩が反転していた。
 確信できた。異空間のように奇異で、美しく、奇妙な場所に、自分はいるのだ。

 だが、どうして?

 声の主であろう、茶トラの猫が、その疑問を読み取ったかのように話しかけてくる。
 笑うように、だが心地よく響く、そんな声で。
「最近は迷い人が多すぎる」
「迷い人?」
「そう、あなたのような人の事を言うんです。あなたも黒猫を追いかけてきたクチでしょう?」
 芝居がかったそのセリフを聞いた瞬間、全ての記憶が繋がった。



 その奇妙な街に入り込んでしまったのは、ほんの、本当に些細で微量な出来事からだった。



「ねぇ……巽ちゃん」
「はい?」
「ちょっと、いいかな?」
 それは、小さな予感だった。
 ほんの一瞬の、妙な、嫌な予感。
「……なんですか?」
 次の講義までの合間の時間に、一人の女生徒が巽・千霞(たつみ・ちか)の元を訪れた。
 大学生活も既に半分以上を過ぎた今では、校内での友人、とでも呼べる人間が増えた。さほど深くつきあわず、さりとて浅すぎるわけでもない距離感。千霞には都合の良い、ある種大学の特長とも言えるだろう。
 だからこうして話しかけられれば、軽く返す程度の余裕はできた。悪く言えば捌き方を心得たとも言える。
 だが、そう、それでも、
「ちょっと、相談に乗って欲しい事があって……」
 無理な時はある。
「っ……」
「え、あ、えと」
 露骨に動揺が顔に出た千霞に、驚く女生徒。無理も無い。千霞もそうと頭では認識している。だから、慌てて取り繕うように、
 ――――ダメダ。
 頭のどこかで、警告音が鳴った。何かを見落としている。そんな気分。だが、それが何なのか、具体的に出てこない。苦手意識から出てきたものなのだろうか。
 相談事だけは、嫌なのだ。本当に。どうしても、感情を引きずりこまれてしまう事が多いから。
「だ、だめ、かな」
 女生徒の動揺がはっきりと流れ込んでくる。まずい。感情同調――シンパシー、そう呼べる能力をゆるやかに押さえつけながら、それでも警告音は鳴り響く。
(驚いた……久しぶりかもしれない)
 能力は制御できる。例えそれが逸脱した能力であろうと、同じ事が言える。
 本人が望もうと望むまいと、その能力は本人のものだからだ。
 千霞も例外ではなかった。シンパシー自体は好きではないが、制御はできるようになっている。それなのに、まさか、『感情を無意識に流し込んでくる者がいるなんて』。
 警告音はこれなのか。
 ――――イヤ、チガウ。コノコハ……――――
「あ、あの、ごめんね。もしかして時間ない?」
 今までの会話を振り返ってみる。さっきまでの、じゃない。彼女と出会ってから、千霞はこれまでに交わした会話を懸命に思い出す。言葉の節々から感じ取れるものを、思い出していく。
「ごめんね、だったら言ってね。巽ちゃん結構ぼーっとしてるからよくわかんなくて」
 黙ってしまった千霞を不安に思い、女生徒は言葉を続けていく。
「あ、でもね、悪い意味じゃないよ? ていうか悪い意味だったら相談乗ってくれなんて言わないわけで、その」
 あ、と、何かが千霞の中で引っかかった。警告音が、言葉になってくる。
「なんていうか、達観してるっていうの、そういう感じがして、私らなんかよりずーっと大人っていうか」
 コノコハ、ダメダ。
(……パターン的に、少しまずいかもしれない……)
 千霞の経験上、次に出てくる言葉は、
「なんか、気持ち分かってくれそう、みたいな」
(ほらね)
 やけにさめながらそう考える傍らの作業で、千霞は鞄を片手に教室を飛び出していた。



 幼い頃から、人形が友達だった。
 人の気持ちなんて、知っても何も嬉しくなかった。
 知られた人は皆、離れていくから、感情のない人形だけが友達だった。
 今でもそう。
 すごくたまにだけれど、思う時がある。

 人形のように、私は成長しないのかもしれない。



 大学を出た千霞は、それからただひたすら走り続けた。
 止まる事を知らないように、自らの恥を隠すように、一人きりになる為に走り続けた。
 さして長い距離を走ったわけではないが、何のために走っているのか、途中で分からなくなる。
 そろそろ止まろう? 鞄の中のわんこの人形を脳裏に思い浮かべ、いつもの腹話術。走りながらでは普段どおりに人形を取り出せないから、結局は落ち着かない気分になるだけだった。
 人通りの多い通りを抜けて、角を曲がる。通いなれた道とは、反対の方向。
 その瞬間、
「きゃあっ」
「…………!?」
 誰かと正面衝突。最悪だ、と思っている間もなく、バラバラと鞄の中身が零れ落ち、自らもしりもちをつく。鈍い痛みがそれほど痛いと感じることはなかった事の方に驚いた。
「す、すみません……!」
 鞄の中に入っていた人形まで路上に転がっていて、千霞は気恥ずかしい思いで謝罪の言葉を口にする。相手の目なんて見れるはずがなく、視線は下を向いたまま、大慌てで荷物を拾いにかかる。勿論、人形が一番最初。
「あら、あらあら、こちらこそごめんなさいね……大丈夫?」
 教材を拾う手に、皺一つ無い手が重ねられた。声につられてその手を辿るように視線を上げ、少しだけ驚く。
 そこにいたのは、修道服を着た女性だった。年のころは四十には入っているだろうか、とあたりをつけるぐらいしか千霞にはできない。柔らかい雰囲気の、
(……茶髪のシスター?)
 いや、問題はそこではない。
 気がつけばありがたくも鞄の中身はシスターの手によって拾われていた。
 恥ずかしさ倍増で立ち上がった千霞は、シスターからそれを受け取ると頭を下げる。
「いえ、あ、はい。大丈夫です……ありがとうございます」
 我ながら妙な返答だと、千霞は胸中で苦笑した。シスターは「いえいえ」と微笑するが、今の千霞には客観的につっこみを入れることはできてもその冷静さを表に出す余裕が無い。さっきよりも、まずい。周囲に影響を及ぼす前に、冷静さを取り戻さなければ。
 そんな思考を誤魔化すように鞄に手の中のものを詰めると、もう一度頭を下げてから、千霞はまた足取り速くシスターの横を通り抜けて行く。
 シスターの、ほんの少し伺うかのような視線を振り払うかのように。
(どうしたんだろう、今日の私は……少し落ち着かないと)
 さして長くも無い距離を歩くと、千霞は頭を軽く振って、鞄にしまったばかりの人形を取り出す。
 先ほどとは違い、きちんと立ち止まって、人形と目線を合わせて。
「……だよね?」
「そうだよ」
 小さく笑う。自分が喋っているのだと分かっているけれど、それでもどこか、少しだけ安心できた。
「ほら、いつもと違う道に入っちゃってる。探検でもするの?」
「いえ、そういうわけじゃあ、ないんだけれど……」
「なら、逃げたいですか? 逃げたいでしょう? 逃げましょう」
「うん、え、誰?」
 思わず自分以外の言葉に反応してしまい、千霞ははっと顔を上げた。
 何か、黒いもやのかかったような、うまく表現しづらい感情が見えた気がしたのだけれど。
 いや、それよりも、
「……逃げる……?」
 それに、自分は「うん」と答えてしまったような気がする。例え、反射的にであろうとも。
「まずいんじゃなーい?」
 手に持ったわんこの口を借りるまでもなかった。
 それは、つい先日、大学の怪奇研究サークルが出した通称、幽霊新聞(幽霊のように忘れた頃に出版される事からこのあだ名――というか蔑称に近い――がついたという説が濃厚)に記載されていた現象と同じだったからだ。誰からの情報かまでは読み込んでいないが、確かタイトルは、そう。
『衝撃の真実! 逃がし屋猫が隠し神!?』
 あからさまにセンスのないタイトルというのは、頭にこびりつくものらしい。
 一刻前とは明らかに違う嫌な予感に、千霞は大急ぎで通りへと引き返した。さすがに、先ほどのシスターはもういない。通りはいつもと同じく、買い物をする人達で賑わっているように思えた。
「………………あ、れ……?」
 だが、何かが違う。
 違和感の正体を確かめようと歩き出し……そして、千霞は一際おかしな空間へと入り込んだのだった。



「おや、違うんですか?」
 記憶の中では、黒猫を追いかけた記憶はない。
 それが表情に出たのか、千霞の思いを読み取ったかのように茶トラの猫が質問を重ねてきた。
「えぇ。でも、声は聞きました。なんだか、えぇと……あなたと、似通った、でも性質の違う声」
「うんうん、良いヨミですよ、あなた。でも、弱りましたね、そうだとすると、あなたは巻き込まれたという事になる……うーん」
「何か、問題でもあるんですか?」
 おおありだろう、と千霞は思ったが、茶トラの猫の困り方が少しオーバーに思えたから聞いてみた。つい癖で敬語は抜けないが、一応動物相手だからか、見ようと思っても感情がうまく見えないおかげで、ずいぶんと気分は楽だ。
「ここは、あなたが居た場所と同じ世界であり違う世界。ついでに言えば、とある黒猫のおかげで少しばかり狂ってしまった鏡の世界でもあります。要は、あんまりここにいちゃいけないって事です」
「はぁ……あの、ここから抜け出す事って、できるんですか?」
「できますけど、ていうか入れたんだから扉があるんですよ。扉なしじゃ無理ですけどね。問題はその扉が……」
「はい?」
「クダンの黒猫が抱えてるって事です」



「申し訳ないんですが、協力して彼を私の前に連れてきてくれませんかね。そうすれば、お礼に、元の場所にお帰ししてさしあげる事ができます。お願いしますね」



 どこか一方的な申し出を、千霞は結局断ることも出来ずに引き受けてしまった。
 協力して、という部分に引っかかりを覚えたものの、それを問いただすより前に茶トラの猫の姿はシュルリという衣擦れの音と共に消え去ってしまい、取り残されたボールが勢いよくゴールへと入る景気の良い音が続いて響く。
 それに驚いている間に、周囲の色彩も時間も時計の針も全て動き出していて、千霞は少しばかり混乱した頭を抱えてひとまずその場を離れた。
 なんとなく、あてもないのでバスケットを眺めてみる。
 数分とたたないうちに、ゴールが決められる。先ほどと同じ側のようだ。制服を着た青年がガッツポーズを決めている。
 そしてまた、数分とたたないうちに勢いよくボールが放たれ、点が決まる。
 そして、三度目。
 一度目は気づかず、二度目で気づき、三度目で確信に変わった。
 まるでビデオを連続再生しているかのように、青年は飽きる事無くシュートを打つ。
「ここ、も、危ないのかしら?」
「襲ってくるような気配は無いけど、動いた方が良さそうだよ」
「……だよね」
 どうにも締まらない頭をシャキッとさせる為、腹話術で自分のするべき行動を再確認した千霞は、適当な路地に入ろうとして、ふと、立ち止まった。
「どうしたんだい?」
 どうしたんだろう。千霞は手の中のわんこにはあえて答えず、くるりと身体を反転させた。あえて言おうとするならば、なんとなく気になったのだと言うしかない。
 だが、そのなんとなくを実行してみようという気にはなった。元々不可思議な場所なのだ、知らない街も同然なのだし、どう進んだところで最初の一歩に違いは無い。冷静な頭のどこかが、そう読んだのもある。
 ともあれ、そうして一歩目は踏み出された。



 ストリートバスケット用の空間を出た直後、頭の中で、チリン、と小さな鈴の音が聞こえたような気がした。



 その後は、あまり意味の無い直感の元、千霞は行きたい道とは正反対の行動を取った。
 右かな、と決めれば左に行き、戻るしかないと思えば少しばかり無理をして柵を越えて前進。
 おもむろに引き返そうとすると、今まで来た道とは全く違う道に変化した時は、さすがの千霞も声が出なかった。代わりに、わんこが律儀に言葉を発する。
「……わーお」
 道を進むと、時折、千霞の耳にあの鈴の音が響くことがあった。
 ――――……チリン。
 今もまた。
 進むべきか僅かに迷い、千霞は思案しながらも前へと足を踏み出す。
 両サイドは、薄汚れた白い石壁。こんな時でもなければ、石畳と合わせていい雰囲気をかもし出していたりもする。
 ――――チリン。
 鈴の音は大きくなってきていた。
(何の音……?)
 特に意識もせず、千霞はただの習慣で、わんこと目を合わせてみた。
 そのまま、視線を僅かに下へと下げてゆく。
(………………まさか……猫の首輪の音?」
 千霞がポツリと呟いた直後、視界の端に異物を捉えた。
「!?」
 思わず足を止めた千霞の目の前には、何の変哲も無い木製の扉が一つ。喫茶店のような作りのそれは、開けてもらいたがっているかのような錯覚を覚えさせる。
 それに誘われたわけではないが、ゆっくりと、慎重に、千霞は扉のノブへと手を伸ばした。
 握った瞬間、一際大きな鈴の音が、脳内にこだまする。
 ギュッ、とわんこを握り締めて、扉を大きく開いた。



「ぃよっしゃあ! わいの読み通りや!!」



 そして、鈴の音をかき消すような少年の声を知覚する。
 開いた扉の向こうには黒い塊と鈍い光を放つ二つの鏡面と、それをはさんで更に向こう側に一筋の白い線が横長に引いてあった。
 線だと思っていたそれは光となり、光は奔流となって全てを飲み込んでゆく。
 何が起きたのか、すぐには理解できなかった。最後まで見届けることすら叶わなかったのかもしれない。
 目に焼きついている最後のワンショットは、倒れこむ少女を支える少年、その向こうのシスター、彼女らへと突っ込んでゆく黒猫、――そして、その反動とばかりに私へと向かってくる、二枚の白い鏡……。



 …………………………。



 気がつくと、ただ白いだけの空間に立っていた。
 周囲を見回そうと顔を動かしかけて、ちりん、と鈴が鳴る。
 ぎくりと、千霞は身を竦ませた。だが、すぐに緊張を解きほぐす。
 あの時に聞いた、澄んだ音ではない。安物の人形についているような鈴。手に持ったままのわんこの首についた鈴の音だ。
 これは、警告の音だろうか。
 その通りだと、声が聞こえた気がした。
 目を凝らしてみれば、目の前には一枚の鏡がある。そして、視覚では認識していないが、自分の後ろにもう一枚、同じ鏡があるのだと千霞は悟った。
「合わせ鏡の中……」
 後ろを振り返りたい欲求に駆られた。
 ダメダ。
 そこには、未来や、過去の自分が映っているのだという。
 ダメダ。
 もう一人の自分が住んでいるのだという。
 ダメダダメダ。
 もしかしたら、不安が全て解消されるかもしれない。
 ダメダダメダダメダ。
 見たい、父や母に愛されていた頃の、自分を。
 フリカエッチャダメダ!
 ちり、と微かな雑音が頭を掠めた。ぎゅっと目をつぶり、千霞は欲求に耐える。
 分かっていた。無意味なのは分かっている。
 だから、

「あぁ、良かった。間に合った。まったく、無茶をしてくれますね……あなたは」

 聞き覚えのある、オーバーな仕草がウリのような猫の声を聞いたときには、少しだけ安心してしまった。
 猫だと分かっているけれど、いや、だからこそ、わんこから聞こえたというのも、笑いを誘う要因かもしれない。
「無茶とはなんや無茶とは。わいは言われたとおりの事をしただけや」
「だからといって、お二人を巻き込むような形になってしまったではないですか」
「せやかて仕方ないやん、他にやり方知らんし」
 そんな会話がしばらく続いたおかげで、さっきの言葉は自分に向けられたのではないと遅まきながらようやく気づいた。なんだか、ラジオでも聞いているような気分。
 ふと、ラジオ代わりにされているわんこの首の鈴の姿が目に入った。
「……ありがとう」
 素直に礼が言えた。次もまた、言えるだろうか。
 そんな事を考える暇も無く、ぴょこりとわんこがひとりでに動き出した。
 何故だろう、千霞の胸中に驚きは無い。
 これは夢だから?
「さぁ、すみませんね。お待たせしました、ついてきてください。道案内を致しましょう……少し、迷いが長かったようですね」
 そうかもしれない。
 だとしたら、ここは素直に答えてみよう。
「えぇ、でも、別に大丈夫ですよ」
 いつもとさして変わらない言葉だと、千霞は目を閉じたままで苦笑した。



 そのままで躊躇いもせずに最後の一歩を踏み出し、白い闇から解き放たれる。



「巽ちゃん? ねぇ起きて、起きてよぉ。大丈夫って言ってましたよね? ね!?」
「大丈夫ですよ」
「…………………………」
「やかましい姉さんやなあ、ほら、起きたみたいやで?」
 目を開けると、四つの顔が私の事を覗きこんでいた。
 一つは今にも泣き出しそうな顔で、一つは柔和な笑みを湛えていて、一つは無表情で、一つは人形。
 泣き出しそうな彼女は、人形に文句を言われている事はどうやら頭の片隅にすら置いていないようだ。
 たった一個の事にしか集中できない、彼女らしいと思う。
 そんな事を考えていることなど露にも出さず、私はゆっくりと上体を起こした。特に異常はない。鞄は傍らにあり、人形は片手に握り締めたまま。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい……大丈夫です。二度目ですね」
「覚えていてくださったんですか、はい、二度目ですね」
「なんや、知り合いかいな」
「えぇ、向こうに行く直前に少々……あら、あらあら」
「こっちの姉さんの方が大丈夫やないみたいやな」
「ぇぐっ、う〜……死んじゃうかと思ったんだからぁ!」
「あなたの事、ずっと心配していたのよ。探しに来てくれたんですって」
「ご、ごめんなさい」
 彼女の剣幕に、思わず謝罪する私。
 会話の奔流と直線的な感情が少しも苦にならないのは、久しぶりだった。彼女を除く二人――三人?――が、私と同じくどこか逸脱した能力を持っているからかもしれないが、それは分からない。
 目ざとい人形の少年が、私の右手にある人形を指差して尋ねてきた。
「せや、さっきから気になっとったんやけど、これ、なんやねん」
「これは……」
「これとはなんだよ、二人して失礼だな!」
 言いよどんだ私の変わりに、少年の目の前に私が掲げたわんこが声を荒げた。
 少年も驚いたようだったが、それ以上に、彼女は意外なものでも見たかのように、目を丸くする。
「う、うわぁ……嘘」
「……なんや、あんたさんもかいな」
「巽ちゃん、何ソレ、え? えぇ!?」
「腹話術って言うんです」
「凄っ。そんな事できるなんて初耳だよ!?」
「……あぁ、そうだ」
「ナニ」
 なんで教えてくれなかったのさという彼女の非難ごうごうの視線を受け止めて、私は顔になるべく多くの笑みを浮かべて言った。
「ありがとうございます」
「………………………………こっちこそ、ごめんね」
 短くない沈黙は、どのような意味を持っていたのか。
 私はシンパシーの能力を使って探るようなことはしなかった。当然といえば当然。私の一言もきっと、多くの意味を含んでいたのだろうから。
 一つだけ、決めたことがある。



 遠くない彼女の誕生日に向けて、茶トラの猫のぬいぐるみを探してみよう。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 2086 / 巽・千霞 / 女性 / 21歳 / 大学生 】
【 2390 / 隠岐・智恵美 / 女性 / 46歳 / 教会のシスター 】
【 2061 / 白宮・橘 / 女性 / 14歳 / 大道芸人 】

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■         ライター通信          ■
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 まずは、ぎりぎりの納品もうしわけありませんでした!(平伏)

 次回はのっけから謝罪などは避けたいなと誓いつつある紫玉です。
 『迷』の受注をありがとうございます。
 えぇと、さて。
 前回発注をお受けした回の続きっぽく、でもぽいだけで微妙に関係なくお話を進めてみました。
 なんだか言い訳がましくなりますが、長期の風邪(とインフルエンザ)を間に挟んだせいか…………(黙)
 シリアス、ほのぼの、コメディという3パターン。それぞれがリンクしつつ離れつつ三つの行動が最終的に纏まっているように目指したつもりです。
 なんだか傾向別れしたのは、まだまだ技量不足だからでしょうか。
 特に意味は無いですが、女性ばかり(?)で華やかですね。嬉しい限りです。

 巽・千霞様のお話はどうにも重くなってしまいましたが、最後は爽やか目指しました。
 なんというか、考えていることとは裏腹に人が集まってきそうだなぁと勝手に夢想しつつ氷というよりはカキ氷っぽいなと思って描いてしまったのですが(なんだそりゃ)、いかがだったでしょうか。