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聖夜をあなたと
サービス業というのは、他人様が遊んでいる時ほど忙しい。
そう評したのは誰だったろう。
誰が言ったにしても、たいして高尚な哲学ではないようだ。
「ぐへー」
あやしげな声を出して、怪奇探偵がデスクに突っ伏す。
やっと調査が終わり、報告の電話をしたところのだ。もちろんこれで完全終了ではなく、報告書書きという難事業が残っている。
それでも、
「ご苦労さま。武彦さん」
「お疲れさまです。義兄さん」
シュライン・エマがねぎらいの言葉をかけ、草間零がお茶を運んでくる。
厄介な仕事だったわけではない。ただの浮気調査だ。
だが、単純で簡単だからこそ面倒なのだ。
尾行と張り込みと盗聴をひたすら繰り返す。
陰性の仕事である。
年末も押し迫ってきているのに、こんなロクでもない仕事をしているとは‥‥。
怪奇探偵ならずとも不本意の極みだろう。
「忙しいことは良いことだ、と、言いたいところだけど」
コーヒーカップを繊手でつまみ、シュラインが言う。
秀麗な顔に疲労の影が漂っている。
師走‥‥坊さんも走るし探偵も走る時期。
「結局、イブは仕事で終わっちゃったわね」
卓上電子カレンダーを見つめる。
日付は、すでに二五日に変わっていた。
聖夜は仕事だけで終わってしまったようだ。
恋人と過ごしていたのに。
いっそ逢えない方が、納得できるというものだ。
恋人といるのに仕事。笑うに笑えない状況である。
「その場合、私はお邪魔虫ですね」
シュラインの表情を読み、零が笑った。
照れたような苦笑を返す。
「仕方がないですから、そのときは一人寂しく外に出て」
「出て?」
「マッチでも売ってきましょう」
「マッチ売りの少女!?」
「春を売る方がイマドキでしょうか?」
「だめだーっ!」
女同士の会話に割り込む草間武彦。
「援交なんでダメだっ! パンツ売るのもダメだっ!!」
しかも、なんか怒っている。
「なに興奮してるのよ? 武彦さん」
怪訝な顔をするシュライン。
どこからどうみても冗談である。怒る方がどうかしている。
「まったく‥‥いまどきの若いもんはっ」
「‥‥武彦さん‥‥零ちゃんが最年長‥‥」
「ち‥‥っ」
「ちっじゃないわよ。忘れてたでしょ。じつは」
「しくしく」
泣き真似をする怪奇探偵。
ようするに、いまどきの若い娘をたしなめようと会話に加わったのだが、残念ながらギャルという世代のものは、ここにはいなかったりするのである。
若い娘に見える零はじつは最年長だし、黒髪蒼眸の美女も、二〇代半ばを過ぎている。
援助交際だのなんだのをするような歳でもない。
むしろ買ってくれない?
「いやっ! そんなことはないぞっ! シュラインだったら俺は一〇〇万だしても買うっ!!」
えらく強調する怪奇探偵。
真っ赤になるシュライン。
「義兄さん‥‥もう少し女心を学びましょう」
ぽむぽむ。
妹が兄の肩を叩いた。
死霊兵器に同情されるようでは草間もオシマイである。
まあ、とっくに終わっているという説もある。
「買ってくれるのは嬉しいけど、ほら、いちおーもう武彦さんのもんだし、もう」
真っ赤っかの顔のまま、埒もないことをいう事務員。
草間と同レベルだ。
割れ鍋に綴じ蓋、と表現すれば語弊があるだろうか。
ずずず、と、零がお茶をすすった。
なんだが、目が糸みたいに細くなっている。
翌日。
というより、帰宅したのが午前〇時を過ぎていたのだから、当日である。
一二月二五日、クリスマス。
探偵事務所の忙しさは、まったく変わっていなかった。
「ま、予想したことではあるんだけどね」
さして残念そうでもなく言うシュライン。
ひとつの調査が終われば、次の仕事がはじまる。
そういうものだ。
それに、日本人というのは本祭よりも前夜祭が好きなのである。クリスマスよりクリスマスイブ。元旦より大晦日の方がワクワクする。
白い肌に青い瞳の彼女も、心はすでに日本人だ。
「そーいえば」
唐突に草間が口を開く。
「あによ?」
「来年Jリーグにデビューするヤツに、シュラインと同じヤツがいるな」
「なにそれ?」
「日本生まれの日本育ち。苦手教科は英語という変な外人だな」
「べつに珍しくもないでしょうに‥‥」
シュラインが呆れ顔をした。
国際交流が盛んなこの時世。日本で育つ外国人がいたって不思議ではない。
ついでにいうと、シュラインは外国語が堪能だ。
「いやあ、あんまり増えると、希少価値がなくなるかなぁ、と」
くだらないことをのたまう草間。
「‥‥‥‥」
無言のまま、シュラインが手招きした。
室温が七度くらい下がったような気がする。精神的に。
刑場に引き出される死刑囚の顔で歩み寄る所長。
「‥‥調子に乗ってる?」
「いや、ぜんぜん」
「ふーん」
「ホントだって」
「ま、いいわ。次に似たようなことを言ったら‥‥」
「‥‥‥‥」
「殺すから」
にっこり。
物理的な痛みすら感じる笑顔。
草間の顔が引きつった。
「‥‥はい」
震える声を絞り出す。
「仲がおよろしいですねぇ」
ずずず、と、お茶をすする零。
なんだかデジャヴュを感じてしまう光景だ。
ただし、
「ピロートークもけっこうですが、そろそろ仕事をしませんか?」
昨夜とは違い、冷静無比のツッコミが炸裂する。
音を立てるように頬を染める探偵カップルだった。
少しずつ。
少しずつ未処理の書類の山が削られてゆく。
環境破壊の縮図のようだ。
むろんこの場合は減れば減るほど良いのではあるが。
ほかにも減っているものがある。
今日という日の残り時間。
クリスマスイブとクリスマスを仕事で潰すをいうのも、寂しい話だ。
まあ、サービス業とはそういうものなのであるが。
「はぁ‥‥」
ちらりとディスプレイ右下の時計を見たシュラインが溜息を漏らした。
二一時‥‥。
今夜も午前様になりそうだ。
そういえば、零とふたりで作ったケーキをどうしよう。
このまま冷蔵庫でせ眠らせておくのも変なものだが、なんとなく今から食べるのも白けた感じだ。
「むぅ‥‥どうしよっか‥‥」
キーボードを打つ手を止め、シュラインが呟いた。
他人に聞こえるほど大きな声だったわけではないが、
「どうしたんだ? シュライン」
怪奇探偵がこちらを見る。
「べつに‥‥」
なんでもない、と、首を振ってみせる。
むろん、世界で一番説得力のない単語では、草間は説得されてくれなかった。
心得たようににやりと笑う。
「今日は、このくらいにしておこうか。仕事」
「???」
「せっかく、シュラインと零がケーキを作ってくれたんだしな。食べないまま聖夜を終わらすのは、ちょっとまずいだろ」
「‥‥もぅ」
ややふくれるシュライン。
ちゃんと草間はケーキがあることを判っていた。
そして気づかぬふりをするのだ。
そういう男だということは、恋人になる以前から知ってる。
「怒るなって。ちゃんと俺も準備してあるから」
歩み寄った草間が恋人の髪を撫でる。
「準備って?」
くすぐったそうにした蒼眸の美女の目に、色とりどりのロウソクが映った。
「キャンドルくらいあったほうがいいだろ?」
「武彦さんがロウソクもってると、なんか怪しい趣味の人みたい」
くすくす笑うシュライン。
「そういう趣味に走っても良い?」
「‥‥オマエを殺す」
「はいはい。ピロートークはベッドに入ってからにしてくださいね」
なかなかすごいことを良いながら、零がケーキとシャンパンを運んできた。
困った恋人たちにグラスを手渡す。
「それじゃあ、乾杯しましょう」
などと言いながら。
一応今日は、この惑星に愛を説いた人の誕生日なのだ。
「めりーくりすます!」
零のグラスが掲げられ、探偵と事務員もそれに続いた。
澄んだ音を立ててぶつかるグラス。
窓の外には、ちらつく粉雪。
「おやおや。ちょっと決まりすぎね」
「こういう日はキザなくらいでちょうど良いのさ」
言うが早いか、草間が恋人の身体を抱き寄せる。
小さく悲鳴をあげたシュラインだったが、逆らいはしなかった。
「もう‥‥」
奇襲攻撃は、何度されても慣れない。
まあ、嫌いではないのだが。
「ケーキ食べないんですか?」
もぐもぐと、ケーキを頬ばりながら零が言った。
目が、糸のように細くなっている。
なんだか昨日と同じような展開に頬を染めながら、探偵カップルが寄ってくる。
「あー。今夜は私イヤーウィスパーつけて寝ますから。ご存分に」
余計なことを言う義妹。
「‥‥武彦さんの教育のせいね」
「俺のせいかよっ!?」
ちらりちらりと降る雪が、街を白く化粧してゆく。
きっと明日の朝には溶けてしまうだろう。
一晩だけの魔術。
否、こういう日には別の言い方が相応しい。
すなわち、奇跡、と。
終わり
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