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血塗られた妖刀
年の瀬も押し迫った夕暮れ。
碇は編集部内に設置されているテレビを見ていた。
やはり、怪奇物を扱うとはいえ世の情報には常にアンテナを張っていなければならない。
夕方のニュースでは深刻な顔をしたキャスターが記事を読み上げていた。
『昨夜未明、帰宅途中の会社員、田中太郎さんが刃物のようなもので切られ死亡しました。警察ではこのところ連続している殺傷事件との関連を調べると共に広く情報提供を呼びかけています』
「また、ですか?」
碇に原稿を持って来た三下は顔中不安で一杯にしながら、テレビ画面を見ていた。
「年の瀬になると増えるわよね……この手の事件は」
「で、あのぉ編集長。お客さんが来てるんですけど……」
「客?」
渡された原稿に目を通そうとしていた碇は上目遣いに三下を見て、それから三下が見ている方を向いた。
編集部の入り口に一人の男性が立っていた。
「どうぞ……」
「ありがとうございます」
碇は自分の目の前に座る初老の男を見た。
頭には豊かな黒髪の合間に白いものが目立ち始めている。
顔は肌の色が悪く冴えず、目のくまも深くやつれているように見える。
碇は刀具資料館の館長、佐上尚彦に訊ねた。
「今日はわざわざ編集部まで来られたのは、一体どういったご用件でしょうか?」
佐上尚彦は差し出された湯のみをじっと見つめていたが、ぽつりと話しだした。
「私の息子を……止めて頂きたい」
「……おっしゃってる事の意味がわかりません」
冷静な碇の声に佐上尚彦は大きく何かを吐き出すような溜息をつくと、左手で目頭を押さえた。
「……ニュースでやっている、連続殺傷事件はご存知ですね?」
「えぇ。昨日も被害者が出たようですね」
びくりと佐上尚彦の体が震える。
その様子を一瞬も逃すまいと、鋭い眼つきで碇は続けた。
「被害者は死亡しましたが……」
「はあっ……」
佐上尚彦は大きく息を吐き出した。
拳を握り締め口元にあてがった佐上尚彦は微かに震えていた。
「正宗は……息子は、昔から感受性の強い子だった。時折、人には見えないものが見えると言っていたが、そんな事は大して問題じゃなかった。それなのに……」
佐上尚彦は顔を上げて叫んだ。
「あの子は取り憑かれているんです! あの、妖刀に!!」
碇は佐上尚彦から視線を逸らさず、静かに、だがはっきりとした口調で訊ねた。
「連続殺傷事件の犯人は、息子さんなんですね?」
苦痛と恐怖に歪んだ顔でしばらく碇を見ていた佐上尚彦は、小さく一度だけ頷くとソファに深く身を沈めた。
「お願いです……あの子を止めて下さい。あの子を…正宗を……」
小さく祈るように呟き続ける男性の背はとても小さく弱く見えた。
「妖刀・落葉……恨みで作られた刀」
碇は以前三下が取材し、その時に手に入れた情報を思い出して呟いた。
(感受性が強いといっても、そう簡単に人間が他人の怨恨なんかに共鳴するかしら? 正宗さんの方にも刀と同じような恨みの感情があった? それなら考えられなくもないけど……)
考え込んでいた碇は立ち上がった。
分からない事は調べればいい。
「三下くん! ちょっと来なさい」
碇の声にすぐ三下の返事がして、慌しく応接室へやって来る音がした。
■アトラス編集部・応接室
「碇様、ご機嫌如何ですか? 年の瀬は何かと忙しいと思い、海藻の詰め合わせを持ってまいりました。かるしうむが多いそうです」
切れ長の目を更に細めて微笑む海原みそのに、碇はやや呆れたような表情を浮かべながらも少女が差し出す海藻の詰め合わせを受け取った。
「ありがとう。後で頂くわ」
「はい。お体は大切ですから」
微笑みを絶やさない、どこか少女らしからぬ雰囲気のみそのはそう言うと、後ろを振り返った。
「皆様にも後でお持ち致しますね」
「いや、あたしは海藻なんかより刀とかの方がいいなぁ」
頬を掻き笑いながら言う、乃木みさや。
「へへ……刀といえば、妖刀。こういうのにワクワクしちゃうと、不謹慎って言われるんだろうけど刀剣マニアとしては黙っていられないのよね」
大きな瞳を輝かせ、みさやはニッと笑んだ。
「でも、怨恨ねぇ……」
長く緩やかなウェーブのかかった髪を軽くかき上げ、真迫奏子は肩を竦めた。
「まぁ、その男の子の背後調査をまずすればいいのよね? ついでにその刀もかしら?」
奏子の言葉に真名神慶悟は短くなった煙草を灰皿に押し付け、隣で気だるそうに煙草を吹かしている忌引弔爾を見た。
「だったら、あんたが良く知ってるだろ? 何せ、以前に一度その妖刀・落葉を間近で見た唯一の人間なんだからな」
慶悟の言葉にその場の全員の視線が弔爾に集まる。
弔爾はゆっくり煙を吐き出すと、見るとも無しに靴先を見ながら覇気の無い声を出した。
「まぁな……」
「それだったら、あなたも少しは佐上正宗について何か知ってる事があるんじゃないかしら?」
碇の言葉と視線は応接室の一番後ろ――壁にもたれ、暗い表情を浮かべるシュライン・エマに向けられた。
「シュラインさん……」
三下の気遣わしげな声に、シュラインは小さく笑みを浮かべると、表情を引き締め碇の目を見返した。
「確かに、以前妖刀の話をした途端正宗さん様子が妙になったわ。でも、理由までは分からない。これについては尚彦氏や祖父の尚仁氏にも話を聞く必要があると思うわ」
シュラインの言葉に碇は頷き、良く通るはっきりした声で言った。
「妖刀・落葉は三下くんが以前に調べた話によると、妹を殺された刀匠がその殺した武士を呪いながら造ったものだそうよ」
一旦言葉を区切ると碇は全員を見渡し、静かな無感情な声で続けた。
「その刀匠に同情する余地はあるかもしれないけど、今は平成の時代。妖刀や怨恨がどこまで本当なのか……連続殺傷事件との関連性。佐上正宗が本当に犯人なのか。……皆、頼んだわよ」
「落葉か……こんな再会になるとはな。人生何が起こるかわからねぇ」
それぞれがそれぞれの感慨を持ち頷く中、弔爾が呟いた言葉にシュラインは固く唇を噛んだ。
◆怨恨? それとも……
車を降りたシュラインは再び訪れた場所に目を細めた。
古い家屋の勝手口のような戸は開け放されており、以前来た時となんら変わっていなかった。
戸を潜ったシュラインは息を止め、目を見開いた。
地面が剥き出しになった作業場の、火が込められた炉の前には一人の人間が座り、外に背を向けていた。
そう、まるで――
「正宗……さん?」
無意識に口にした言葉に、炉の前にいた人物が振り返った。
「あ……尚仁さん……」
正宗の師匠であり、祖父でもある佐上尚仁はシュラインをじっと見ていた。
鋭い尚仁の視線にシュラインは居心地が悪くなると同時に、自分の目的を思い出し慌てて頭を下げた。
「私、アトラス編集部の者ですが、正宗さんの事についてお伺いしたく……」
シュラインの言葉を遮るように立ち上がった尚仁は客間の方へと歩いて行く。
「あ、あの……!」
「帰れ。お前さんらに話す事はねぇ」
低く不機嫌な物言いに、だがシュラインは引き下がる訳にはいかなかった。
「いいえ、そういう訳には行きません。正宗さんに……あの時妖刀の事を話してしまったのは私なのですから」
自分の責任だ、とシュラインは心の中で歯噛みしていた。
いや、あの時シュラインは何も知らなかったのだから、彼女が責任を感じる事は無いのだ。
真っ直ぐ尚仁を見るシュラインをただ黙って睨むように視線を受ける老人。
先に息を吐いたのは、佐上尚仁だった。
「……お前さんが、責任を感じるこたぁねぇ……」
尚仁の言葉にシュラインは少し、目を伏せた。
「私に……正宗さんの事を教えてくれませんか?」
「………入んな」
ぶっきらぼうに短くそう言うと、尚仁は客間へと消えた。
彼もまた孫を一刻も早く助けたい。藁にも縋る気持ちがあった。
シュラインは何だか、小さく見えてしまう老人の背に心の中で改めて決意をした。
「何としても止めないと……」
まずは少しでも多く、情報を手に入れる為、シュラインは足を踏み入れた。
■犯罪者
夜……新月の空には雲が多く、町のネオンや街灯の明りでぼんやりと妖しく明るかった。
そんな中、一人の女性が歩いている。
仕事帰りなのか、スーツ姿の理知的な女性はヒールの音も高く街灯が少ない路地を行く。
女性が更に細い路地の横を通り過ぎた時、真後ろで何かを引き抜くような高い金属がすれる音がした。
女性が振り返る。
暗い路地に、鈍く光る細長い刃。
ゆらりと闇から現われた男性は静かな顔をして、女性を見ていた。
「あなたは……」
ごくり、と唾を飲み込み吐き出した女性に、男はにこりと微笑んだ。
「すみませんが、貴方には痛い思いをしてもらいますね。もしかしたら、死んでしまうかもしれませんが」
まるで、何事も無い世間話のような口調で言った男は刀を振り上げた。
「そこまでだ」
大きくはないが相手を威圧するような声に、男は振り返る。
そこには弔爾とシュライン、それに奏子が立っていた。
「おや、これは……シュラインさんではないですか。お久しぶりです」
正宗は久しぶりにあった知人を暖かく迎え入れる笑顔を浮かべた。だが、その右手にはしっかりと刀が握られている。
「正宗さん……」
「あの人が連続魔ね。とっても優しそうだけど、人間顔だけじゃわからないわね」
奏子も正宗の異常さを敏感に感じ取り、冷や汗を流しながらも強気な笑みを浮かべた。
「正宗殿……いや、我が同胞妖刀・落葉よ。貴様が為すは悪業。刃を貶める事、赦す訳にはいかん」
厳しく言い放つ弔爾は己の持つ、妖刀・弔丸を引き抜いた。
今、彼の体を動かしているのもこの妖刀・弔丸である。
「……大人しく武器を捨てるか、抗うか。だが、あんたのした事に変わりはない」
気がつけば、女性の後ろにも慶悟、みさや、みそのが通りを塞いでいる。
正宗は完全に囲まれていた。
「佐上正宗さん。事の重大性は分かっているでしょう。その刀を捨てなさい」
囮となっていた碇が抑揚の無い声で、鋭く言うと正宗は息を吐いた。
「やれやれ。罠、と言う訳ですか……」
正宗の態度はまるでゲームに負けた程度のようにしか感じられない。
「正宗さん!あなたは、小さい頃から霊感が優れていた。幼い頃から霊を見たり、妖刀に触れると人が変わったり……だから」
「だから、今回の事件もこの妖刀が影響している、とおっしゃりたいのですか?」
見透かしたように言った正宗にシュラインは黙る。
「この落葉のもつ恨みが、私を暴走させたのだと……私もまた被害者だと」
「違うというの?」
奏子の問いに答えたのは正宗ではなかった。
「違いますわ。だって、落葉様からはただ深い悲しみの波動しか伝わって来ませんもの」
正宗と同じく穏やかな表情のまま言ったみそのを碇は視線だけ向けた。
「どういう事?」
「落葉様は確かに妹様を殺した方を恨んでおいででした。しかし、それは一時期の感情。理由もなく、何の罪もない方を傷つける事は落葉様の意とするところではないのです」
「それ、あってると思う。じいちゃんの資料にあったけど、落葉を造った人は刀を納めた後身投げしたんだけど、死んでないんだ。それから出家僧になってる。そんな人が何百年立っても残るような恨みを残すなんておかしいと思ったんだ」
みさやはじっと落葉から目を離さず、みそのの考えを押した。
「では……今回の事件は……」
「正宗殿!」
慶悟と弔爾は一歩、正宗に近づいた。
「日本刀は美しい。だが、その美しさはただ鑑賞するだけのものではない……使用する事によって更に美しさが増すと、思いませんか?」
「思わぬ! 刀とは武士の魂。清廉なる精神を持って、己を鍛え、愛する者を守る為に振るう物。決して訳無く他人を傷つけるものではない」
「しかし、この刀の初めの持ち主は人を殺した。くだらぬ理由で」
「だからと言ってあんたが人を殺す理由はどこにもない」
ゆっくり囲んでいる人たちの顔を見渡し、正宗は頷いた。
「そうですね」
「分かってるならさっさと自首しなさい」
言った奏子に正宗は微笑みを向ける。
「そういう訳にも行きませんので……ねっ!」
正宗はいきなり弔爾に斬りかかった。
だが、今の弔爾を支配しているのは弔丸。超人的な反応で正宗の刀を防ぐ。
二撃目を予想し、身構えた弔丸だが、正宗の体はその横を駆け抜けシュラインと奏子に迫る。
「正宗さんっ!」
悲痛なまでのシュラインの呼びかけにも、正宗はただ笑っていた。
「ちっ!このっ……」
奏子がシュラインを押し倒すように塀に体を避けるのと、正宗が振るった落葉の刃が髪の一房を切り落としたのはほぼ同時だった。
「むっ……!」
虚をつかれた慶悟だが、素早く投げつけた札――【金気を封じる相剋である火気の札】が落葉に張り付く。
そこを弔丸が峰打ちで篭手を狙った。
鋭い一撃に落葉を取り落とした正宗は身を翻し、暗い路地へと逃げ込んで行った。
緊縛の術を使った慶悟だが、間に合わなかった。
「ちっ……逃したか」
「私の髪を……っ!佐上正宗めぇ〜!!」
アスファルトの上に散った自分の髪をがっくりと見、奏子は拳を握り締めた。
「髪だけで済んだのだ。有難いと思わねば……」
言った弔丸は落ちている落葉を見つめた。
「災難、でしたわね。落葉様」
すっと落葉の前に膝を付き、両手で掲げるように持ち上げるみそのは優しく語りかけ、その上からみさやがうきうきと弾む声を押さえ切れないのか言った。
「これが落葉かぁ〜。欲しいな、うん。やっぱ、絶対買い取ろう」
どうやら、どんな言い値でも買い取る気らしい。
そんな周りの声も聞えてないのか、シュラインは地面に座り込んだまま正宗の消えた角をずっと見ていた。
「彼は、狂気に囚われてしまった。落葉の恨みは……引き金に過ぎなかったのかもしれないわね」
碇の呟きにシュラインは拳を握り締め、弔爾は無言で弔丸を鞘に収めた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1650/真迫・奏子/女/20歳/芸者】
【0845/忌引・弔爾/男/25歳/無職】
【2411/乃木・みさや/女/16歳/高校生・鍛冶師】
【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0389/真名神・慶悟/男/20歳/陰陽師】
【1388/海原・みその/女/13歳/深淵の巫女】
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■ ライター通信 ■
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明けましておめでとう御座います。
壬生ナギサです。
旧年中は御引き立て頂き、真に有難う御座いました。
本年も精一杯頑張らせて頂きますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
・・・と挨拶早々、遅くなり申し訳ありません!!
今年は早め早めの行動を心がけ、皆様にも期日より早めに作品をお届けしたい、
と思っております。
どうぞ、叱咤激励遠慮なくお願いいたします。
本編では■は共通。◆は個別となっております。
正宗に関しましては、東京怪談の個別窓にて補足を入れたいと思っております。
では、今年が皆様にとって笑顔多き年でありますように。
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