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<東京怪談ノベル(シングル)>


ある悲劇と迷惑な決意

 さて、ある演歌が大ヒットを遂げたのは今も尚記憶に新しい。メロディや歌唱力の問題ではなく、その歌誌が余りにも的を射ていたからに他ならないだろう。
 その曲に曰く、孫より可愛いものなど世の中に存在しない。
 多くの祖父だの祖母だのにとってこれはかなりな確率で真理である。孫可愛さの挙句小遣いなどを与えすぎて、教育熱心な嫁に大目玉を食らって逆恨みをして嫁イビリ、一家崩壊などと言う事例も枚挙に暇がない――のだとしたら困ったものだが。
 彼、本郷・宗一郎(ほんごう・そういちろう)にとっても孫とはそういう存在であった。
 ちまちまっとした可愛らしい孫は、年の割に口も回りしっかりしていて、本気で宗一郎にしてみれば目の中に入れても痛くないほど可愛い存在である。ロマンスグレーの60歳。実力も経済力もある財界の風雲児は今や立派な爺馬鹿として第三の人生を華麗にスキップしている。
 この物語は、そんな彼の、孫愛しさゆえの悲劇であり、そして感動の戦いの記録なのである。



 さて、スキップステップ爺馬鹿生活。
 本郷宗一郎の一日は孫にはじまり孫に終わる。そして孫はといえば現在はあやかし荘に居を構えている。
 ならば爺馬鹿としてはどうするか。答えなど決まりきっている。自らもそこへ住み込むしかない。そして自立心旺盛な孫には気付かれてはならない。
 その難問を宗一郎はコソコソ居候する、という離れ技で解決していた。正に完璧! 素晴らしいぞわし! と自画自賛するのものの、勿論こんな巨大な居候がばれていない訳がない。ただ単に見逃してもらえているだけである。その影には身形のしっかりしたどことなく宗一郎に面影が似た青年が『……申し訳ありません』と遠い目をしてあやかし荘に多額の寄付などをしていったという美談がある。裏方とはいつでも大変なものなのだ。
 さて、そのあやかし荘だが、この場所、孫娘にとっては真にいい生活環境だが、残念な事にその祖父にとってはそうとは言いがたい。
 昨今女性が強くなったというがまだまだ社会は男性優位である。だがしかし、このあやかし荘、その社会常識をものの見事に覆す場所なのである。
 つまり素晴らしいばかりの女尊男卑。
 トイレ共同。調理場共同。上下水道設備無し。古井戸は多数あり。風呂も共同で、天然温泉の広大な露天風呂がある。本当にここは東京なのかという環境だが、あるものは仕方あるまい。
 問題がこの温泉なのだ。宗一郎君60歳は無類の風呂好き。本来ならこの温泉という風呂環境には孫とマイムマイムを踊りたいくらい喜ぶところなのだが。
 この温泉、勿論混浴ではない。
 そして女尊男卑まかり通るあやかし荘では勿論良い環境は女性のほうへと回される。
 男性浴場は、はっきり言って冗談じゃねえ環境の中にあったのだった。



 間欠泉。
 熱湯や水蒸気を周期的に断続して噴出する温泉。温泉大国日本でも非常に珍しい形態のその温泉が何であやかし荘にあるのかは突っ込んではいけないところである。
 男湯と暖簾のかけられたその場には、飛沫と共に水蒸気が湧きあがっている。
 正しく間欠泉そのもの。勿論源泉の水柱である。その温度は立ち込める水蒸気から嫌というほど察せられる。
「むむむむ」
 その場で仁王立ちした宗一郎は実に男らしい姿であった。未だ若々しさを保つその肉体は表情と動揺引き締まり、やはり恐らく未だに実用可能だろう下半身の傑物とあいまってダビデ像もかくやという見事さである。いやダビデ象より確実に立派だ。つまり全裸である。
 飛沫の熱さにさえ、ひくりと眉が動いてしまう。いくら風呂好きとは言えこんなところに特攻をかけたら爺馬鹿のしゃぶしゃぶ所かそのまま意識を失って佃煮になりそうだ。
「いいや、わしは負けん! ここで引いたら男が廃る! 孫のためにもわしはひけんのじゃああぁああぁ!!!!」
 裂帛の気合と共に、逞しい初老の男は駆け出した。
 天へと吹き上げる間欠泉へと向かって。



 結果。
 住人達によって真っ赤に茹であがった爺馬鹿が温泉から引き上げられる事となったのは言うまでもない。



 はっと目を覚ました宗一郎はがばりと跳ね起きた。真っ赤に晴れ上がった体は己の敗北を悲しいほどに示してひりひり痛い。何故か下半身に褌が締められている事に、宗一郎は気付かなかった。
 気付けなかったが正しい。
 悔しさのあまりに。
「くくうううう」
 宗一郎は畳に爪を立て下唇を噛んだ。
「つ、次こそは勝って見せるのじゃ!」
 涙ながらに宣言するその姿には、決意がありありと現れていた。



 更に結果。
 男湯の前に『男性入浴時には下着または水着着用の事』と言う張り紙が貼られる事となった。