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<東京怪談ノベル(シングル)>


孤独な4冊目


 『隠蔽されしものの書』。
 彼女にとっては、『本』のタイトルなどどうでもいい情報だった。夫からもたらされた依頼は、またしても戰いとは何ら関係のない、ともすれば平和な内容だった。所在もタイトルも明らかな『本』を、回収するのだ。手段も特に選ばないらしい。手段は選ばん、と言われると、どうも血生臭い印象を抱いてしまうのは、それでも、海原みたまがあくまで『傭兵』であるからかもしれなかった。少なくともみたまはそう願った。
「……でも、そろそろ看板下ろそうかな。『便利屋みたま』……『何でも屋みたま』……はあ、しっくりくるのが悲しいね」
 いや、その豊かな金髪、紅玉のように紅い瞳、スリーサイズはそれほど劇的なものでもないのに豊満に見える体躯、どれを取っても『便利屋』『何でも屋』にはほど遠い一見であるのだが。
 甲板に上がると、強い日差しが降り注いでくる。みたまはサングラスをかけると、年がら年中夏真っ盛りの海に想いを馳せた。
 ここはインド洋のどこかだ。
 そのどこかの島で、『隠蔽されしものの書』の写本が確認されたという。それでも、自分に回収の依頼があったと言うことは、まず間違いなく普通の『本』ではないのだろうと、みたまは考えていた。数時間後、その懸念は無駄ではなかったことが判明したのだった。


 みたまが駆ってきた大型運搬船では、その島に近づくことは出来ないらしい。
 島を確認して、みたまは納得したが――呆れもした。
「あれが島? ……って、あれが島じゃなくて岩だとしたら……沖ノ鳥島はどうなるんだった話よね……」
 というよりもむしろそれは島というよりも岩というよりも、『本』だった。
 1坪に毛が生えた程度の岩に、推定縦5メートル横3メートル厚さ50センチの『本』がデンと乗っているのだ。双眼鏡で確認する程度では、それが『本』だとはわからなかった。『本』は石で出来ていたのだ。
 みたまは特製の紅いダイバースーツに着替え、小型ボートで『本』……もとい島に近づいた。確かに、大型船舶では近づくことが出来ない。最悪、船が立てる波だけで海の藻屑と消えそうだった。

「あらま、これは感心したわ」
 『本』に触れてみて、みたまは少し古代技術というかどこか別の宇宙というかその辺りの技術に感服した。写本は石で出来ているものの、努力次第では開きそうな造りで、しかも何ページかあったのだ。開けばそれだけという結末ではなさそうだった。相変わらず、表紙に書いてある文字は読めそうもない。地球上にこれまで存在しているかどうかすら怪しい文字だ。
「いつの時代の『本』なのよ……」
 しかしその『本』は、海水と波、時の流れによる侵食をまったく受けていないようだった。古びていて、干からびた藻やフジツボの屍骸があちこちにこびりついているものの、どこも欠けてはいなかった。タワシで磨けば光沢さえ取り戻しそうだ。
「というか、何で出来てるのよ、この『本』は」
 みたまは驚き呆れながらも、ページの隙間に指をかけた。
 『本』も道具の一つ。みたまに使えない道具はない――はずだった。
「ふ ン ぬッ!!」
 おお、この石の塊は、恐らく関取1000人分以上の目方があるに違いない。みたまが歯を食いしばって力んでも、ページはびくともしなかった。まるでみたまが開くべきものではないと頑張っているかのよう。それでも意地になってしばらく奮闘していたみたまだったが、唐突に指が滑ってページの隙間から外れ、「きゃン!」と可愛らしい悲鳴を上げて、みたまはぞぶんと海に落ちた。
「……ちょっと……どれくらい重いのよ、この『本』は!」
 『本』にすがって海から顔を出したみたまは、呻き声を上げた。もちろん、彼女がしがみついたところで、『本』は1ミクロンも島からズレたりはしなかったのである。


「私でも開けない『本』なんかどうやって運ぶのかしら、ダンナ様?」
 船に戻ってシャワーを浴びて、みたまはにこやかに夫と衛星電話にて連絡を取った。
『いやだから、手段は選ばなくていいって――』
「手段なんか限られてくるじゃないのよ、まったく!」
『お、怒るなよ』
「クレーン手配してちょうだい、もう!」
 ブチン。


 手始めに、海洋船クレーンを試した。基本中の基本だ。
 みたまが『本』にワイヤーをかけて、巨大なフックにしっかりと固定。
 牽引開始。
 ぶっちん。
「……どれくらい重いのよ、ダンナ様」
『ひょっとしたら島にくっついてるのかもな、ははは』
「あー、地球はさすがに引っ張り上げられないわよね、クレーンなんかじゃ。ふふふ。――つぎ!」

 次鋒、どこかの国の軍の運搬ヘリ。
 またしてもワイヤーを『本』にかけたのはみたま。
 牽引開始。
 ぶっちん。
『警報! 警報! 失速した墜落するもうおしまいだ、オーマイガ!』
 ぼっちん。
「……死者が出るとこだったわよ」
『死体回収には慣れてるだろ?』
「いい加減にしないと、ちょっと」
『怒るなってば。つぎだろ? ちゃーんと考えてあるから』
「……」

 中堅、黄変した紙切れ。この辺りからだんだん怪しくなってきた。
 紙切れに綴られた謎の文句を読み上げるのは、やはりみたまだ。
 詠唱開始。
 ぼひっ。
「……派手なバックファイアがあったらどうする気だったわけ?」
『転移呪文もだめなのか。ああ困ったな、それは困った』
「私の苦情、聞いてる?」
『聞いてるよ。でも何ともなかったんだろ?』
「ばか!」
 『本』にかき消された古代の呪文、その反動はみたまの金髪を思い切り逆立たせた。それ以上の被害はなかった。不幸中の幸いだ。みたまは鬼のような形相で髪を撫でつけた。
 そして――
 人ならざるものの気配に空を仰ぐ。
「……早いわね、大将の到着が」
 翼持つオウガなど見たこともなかった。みたまの夫が急遽派遣した怪物だ。その翼が立てる風は海を焼くようだった。両腕の筋肉はヒトが到達し得ない領域のもの。牙のかわりに生えた触腕のような髭。紅い瞳に青黒い肌。
 見たことはなかったが、それはまるで――

 怪物は翼を背中のどこかに収納した。
 低い唸り声を上げて、太い腕を『本』にかける。みしり、とかすかに音がした。だがそれを見ている者はみたまだけだったし、音を聞いたのもみたまだけだ。船員たちはすでに「海の魔物だ海の海のうわあ」と喚いてブリッジに逃げこんでしまっている。
 ――いける?
 みたまはその光景を見て、音を聞き、身を乗り出した。
 怪物は己の力の半分も出してはいないようだった。あの存在ならきっと地球を持ち上げることすら出来る。たぶんきっと。
 しかし、
 ぼひっ!
「あー!」
 島が光に包まれ、怪物もまた光に包まれた。無情な光だ。原初の光だろうか。何の色も温度もなく、ただ『光』であった。光に包まれた怪物は、まったく何の兆しも見せないままに、青黒い宝石と化した。宝石はインド洋のぎらつく陽を浴びてぎらりと光り、虚しく海中に没したのだった。
『……もう打つ手がないよ。落とし子でダメなんじゃあ』
 みたまは最早何も言わず、黙って通話を切った。


 『隠蔽されしものの書』の写本は、今もインド洋のどこかに寂しく頑固に居座っている。だがみたまの夫は、どうしても回収したいようだった。すでにみたまではない誰かにと話をつけているらしい。海原みたまにとっては屈辱だった。
「あーあ。ほんとに、もう、看板下ろそうかなあ」
 しかし彼女は溜息をつきつつぼやきながら、インド洋沿いのリゾート地でこんがりと肌を焼いていた。
 屈辱の見返りはもう手の内だ。お詫びにと夫がキャッシュで買った小島で、1週間ほどのバカンスである。それと、もし『本』が回収できたら、中身を見せてくれるとの約束。
「島っていうのは、こうあるべきよねえ」
 みしりと少しだけ動いた島……いや、『本』を想い返しながら、みたまは冷えたビールを飲み下した。




<了>