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<東京怪談ノベル(シングル)>


開かれる刻<把握>

 開かずの間は、一人の新人司書の手により、完全な開かずの間ではなくなった。開かずの間という名は、既に相応しくは無くなった。
「開かずの間?……違います。開かずの間ではなく、知識の溢れ出ている場所なんです」
 にっこりと笑って、新人司書は言う。綾和泉・汐耶(あやいずみ せきや)という、新人司書はそう言って青い目を細めるのだ。ショートカットの黒髪をふわりと靡かせながら。


 とある図書館で司書として働いている汐耶は、一つの決心をしていた。意志は固く、ただ真っ直ぐに前だけを見詰めている。目の前にある、一つの扉を。
「やはり、私が言わなければいけませんよね」
 小さく呟き、汐耶はぐっと手を握った。そうして、上を見上げる。扉の横の方に『館長室』と書いてある。
「……行きますか」
 励ますように呟き、汐耶は意を決し扉をノックした。2、3回軽く叩いてから中に入った。
「失礼します」
「ああ、君は今回新しく入った……」
「綾和泉・汐耶です」
「綾和泉君。……どうしたね?」
 館長はにこにこと笑って対応した。汐耶は小さく息を吸い、まっすぐに館長の目を見詰めた。
「お願いがあります」
「何かな?」
「皆さんが『開かずの間』と読んでいらっしゃる所の話です」
 汐耶が言うと、館長は「ああ」と呟いた。
「あそこが、どうかしたかね?」
「勿体無いと思っているんです」
「勿体無い?」
「ええ。あれだけの素敵な蔵書は、滅多にあるものじゃありません。それらを全て分類し、補修の必要な者は補修すべきだと思うんです」
 汐耶の言葉に、館長は黙った。汐耶の言っていることには間違いが無い。開かずの間の中には、貴重な文献が山のように眠っているし、その中には修繕しなければならぬものも数多くある。それが出来ないのは、それら自身に問題があるということなのだが。
「……君は、あの開かずの間に入ったということだね?」
「ええ」
「そして、そこにあった蔵書たちを見た。……その上で言っている言葉なのだね?」
「当然です」
 きっぱりと言いのけた汐耶に、館長はくつくつと笑ってから汐耶に挑戦的な目で見つめてきた。
「いいだろう。好きなようにやっても構わんよ」
「……本当ですか?」
 汐耶は驚きながら聞き返した。こんなにも、簡単に了承されるとは思っていなかったからだ。
「ただし、条件がある」
「条件、ですか」
 汐耶は聞き返し、それから妙に納得した。簡単に了承が降りたのには、条件があったからだ。館長のこの挑戦的な目も、それに付随している。
「何、そう難しい事ではない。……ただね、君は新人だ。入ったばかりだろう?」
「ええ」
 館長はにやりと笑う。
「認めさせてみたまえ。君の他の司書達に、君が開かずの間に干渉すべき人間なのだと、認めさせてみるといい」
(認めさせる……)
 汐耶は呆気にとられた。館長の言っている事は正しい。新人である自分が、今まで誰も手を付けようとしなかった領域に踏み込むのは回りの信頼を勝ち得なければならない。それは至極自然な事だ。先ほどの汐耶の言葉以上に、正論である。
「……分かりました。出来うる限り、やってみます」
 汐耶はそう答え、深く頭を下げた。今から取り掛かる信頼を得るという仕事を、遂行する為の決意を秘めつつ。

 図書館の蔵書の所に行った汐耶は、まず並べられている本に何があるのかを把握する事を始めた。リストをぱらぱらと捲り、自分の目で確かめる。
「綾和泉さん、頑張ってるわね」
 小さく微笑みながら、先輩の司書が話し掛けてきた。返却された本を、元の場所に戻そうとしていた所に、汐耶がいたのである。
「いえ……まだ半分程度しか分かってないですから」
「半分でも凄いわ。……ええと、これは」
「それなら、二段目の左から三番目の所です」
 ちらりと先輩の持っている本を見て、汐耶は言った。先輩は目を丸くし、その通りの場所に本を入れた。汐耶は本を見て言っただけで、実際に場所を確認して言った訳ではないのだ。普通ならば、50音順に確かめながら入れるのだが。
「凄いわね、綾和泉さん」
 先輩がぼそりと呟いた。カタン、という音を小さく響かせながら本を入れて。だが、それが汐耶の耳には入っていかなかった。汐耶の頭には、ただただ蔵書の位置とリストを照らし合わせる事しかなかったのだから。
「ああ、先輩。因みに、もう一冊は向こうから三番目の棚の下から二番目、右から5冊目ですから」
 ちらりとしか見ていなかった本をふと思い起こし、汐耶は言った。先輩ははっとし、本を確認した。汐耶の目はこちらには向いてはいない。ただ、先ほどちらりと見ただけの記憶で言ったのだ。先輩は小走りで確認に走った。本は、確かに汐耶の言う通りの場所に収まる。
「……凄いわね」
 ぽつり、と先輩は呟いた。汐耶は、まだ半分くらいしか分かっていないのだと言っていた。それはつまり、半分くらいならば全ての蔵書の場所を完全に把握しているという事なのだ。
「凄いわね」
 もう一度、先輩は呟いた。汐耶が全ての蔵書を把握するのは近くない未来だと確信しながら。

 実際、把握は7割程度に留まった。汐耶は雑誌関係を不得意とし、またその内容までが把握不可能だったからである。しかしながら、雑誌関係を除けばほぼ全ての蔵書を把握したと言っても間違いではなかった。
 そして、受付に関しても完璧であった。どのような客が来ても、どんなに忙しい時でもにこにこと応対する。探していると聞かれたら、持っている知識とメインコンピュータを用いて徹底的に検索する。この図書館にないものだとしても、どの図書館にならあるのか、そしてそれが取り寄せ可能か等。簡単に見えて、そこまで徹底的に、また素早く対応できる事は難しいものだ。それを汐耶はにこにこと対応する。
「あ、先輩。これ、修繕しますから」
 更に、空いた時間を見つけては本の補修をもしている。綺麗に、そして丁寧に、尚且つ迅速に。傍から見ていても、その動きに無駄が無い。
「綾和泉さんが来てから、雰囲気が変わったみたいだわ」
 ぽつりと先輩は漏らした。今までは検索一つとっても、今の倍以上の時間がかかっていたように思えて仕方が無い。本の補修など、やっている暇が無いくらいに。
「そうですか?」
 汐耶はにっこりと微笑んだ。嬉しそうに、少し頬を赤らめて。
「本当よ。これなら、任せても大丈夫そうよね」
 先輩は小さく微笑み、一つの鍵を手渡す。開かずの間の鍵だ。汐耶は顔をほころばし、鍵を握り締めた。
「いい?危険だと思ったらすぐに止めるのよ?」
「はい」
 汐耶は鍵を握り締めたまま、深く頭を下げた。そして、すぐさま小走りに開かずの間へと向かうのだった。
「変わった子ね。あんな所を任されたいだなんて」
 先輩は汐耶が行った後、苦笑した。館長から言い付かった言葉をふと思い返す。
『綾和泉君に任せていいと思ったら、鍵を渡してあげてください』
 そう言って預かった鍵だった。最初は、あんな危険な所に人をやりたくなくて、絶対に認めまいと思っていた。だが、少しずつ考えは変わってきていた。不思議な感覚に捕らわれていたようだった。いつの間にか、汐耶にならば任せられるのではないかと思い始めてきたのだ。
「そう思わせる力が、あるのね」
 先輩は微笑んだ。汐耶が自らの力を以って示した、信頼を思いながら。

 開かずの間は、前に一度案内された時と一つも変わってはいなかった。
『おお、汐耶ではないか』
 一冊の憑くも神憑きの蔵書が、汐耶の来訪に喜んだ。そして、途端に他の九十九神憑き蔵書たちも騒ぎ出す。
『来てくれてよかったよ、汐耶。君がこないから、酷く彼はご立腹でね』
『そうよぅ。もう、ずっと機嫌が悪かったんだから』
「すいません。私が力不足でして」
『力不足、じゃと?』
「ええ。他の司書の方々に認めていただけたら、こちらを任せてくださると言われたんです。でも、私の力不足でこんなにも時間がかかってしまって」
 俯く汐耶に、蔵書たちは笑い始めた。
『時間なんて、かかっても構わないじゃないですか』
『あなたはこうして、我々の前に立っている』
『事を成しえたのではないのかね?』
「そう……そうですね」
 蔵書たちの言葉に、汐耶は微笑んだ。最初に汐耶に声をかけてきた蔵書が、仰々しく『ゴホン』と咳払いをする。
『汐耶。……頑張ったのじゃな』
「そんな……いえ、有難う御座います」
 汐耶はにっこりと笑って言うと、一歩ずつ足を踏み入れた。前々から、汐耶には気になる一冊があったのだ。それは、前に一冊の九十九神憑きの蔵書が言っていた言葉だった。
「ここら辺り、でしたか?」
『そうよぅ、汐耶』
 汐耶は声に従い、一冊の本に手を伸ばした。それは、呪符の資料集であった。九十九神憑きの蔵書曰く『ふとした弾みに術を発動しようとしている』のだという。手にしてみると、確かに通常ならばされていて当然の術封じが消えかかっているのが分かる。
『汐耶、それをどうにかしてくれるの?』
 蔵書の不安げな言葉に、汐耶はただ小さく微笑んだ。片手で呪符資料集を持ち、もう片方の手で本の少し上あたりにかざした。途端、少しずつ光が本を中心に広がっていく。
「やはり、封が切れかかってますね」
 汐耶は小さく呟き、それから封じにかかった。ばらばらに広がっている光を、本を中心にして纏め上げてく。散らばろうとする力を、本に集中させているかのように。そうして、だんだん光は本の周りをゆっくりと回り始め、それが徐々にスピードを増して回ってゆき、そうして本の中にすう、と入り込んでいった。汐耶はふう、と溜息をついて本を机の上にそっと置いた。
『封じてくれたの?』
「ええ。……これで、当分は大丈夫の筈ですよ」
 にっこりと汐耶は笑った。目に見る事は敵わぬものの、苦情を訴えていた九十九神憑きの蔵書もにっこりと笑ったようであった。
『汐耶、それならば僕の隣の奴も』
『何を。俺の方が先だろうが!』
「皆さん、大丈夫ですから。順番に、ちゃんとやりますから」
 我先にと主張してくる九十九神憑きの蔵書たちの言い争いを、汐耶は慌てて止めた。
(時間なら、あるんですから)
 そっと握り締められる、開かずの間の鍵。
(これから、私はここの管理をする事が出来るのですから)
 封じられた机の上においてある呪符資料集を見て、汐耶は微笑んだ。まだ一つしか分類は済んでいない。しかし、言い換えれば一つは確実に分類が済んだのだ。0と1の差は、果てしなく大きい。
「さあ、どんどん行きますよ!」
 汐耶はそう言って、腕をまくる。そうしていく内に、開かずの間がいつしか開かずの間ではなくなることを、汐耶自身が実感するのであった。

<開ける為の鍵を握り締めながら・了>