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<東京怪談ノベル(シングル)>


『瑞華の姫』
 店の暖簾を持って外に出ると、鉛筆色の空からは小さな白い物がちらちらと舞い落ちてきた。
 真は暖簾を片手で持って、空いた手の手の平を小さな物をふわりと舞い散らせる空へと向ける。
 白磁のような白い手に舞い降りたのは真っ白な冷たい雪。
 それは真の手の平の上に舞い降りた瞬間にその手の温もりに溶けて消えてしまった。
「季節外れの雪、か」
 もうあと少しで3月も終わろうと言うこの時期に降る雪に真は苦笑いを浮かべる。時には4月に降る雪もあると言ったのは誰であったろうか? この世に確定している事は何も無いという事なのだが・・・確かにそれはそうだと真は想う。なぜなら彼女は人の世に人として生活しているが、その正体は神。その風を操る神力を持ってすれば天候などは意のまま。現に平安の世にて、彼女は季節外れの雪を降らせたこともあった。
 そう、まるでこの雪のように真っ白な純真無垢な心の持ち主であった少女のために。
 それは真とこの器を共有する『破壊』神格のしんととある貴族の姫君との悲しき恋物語。

 時は平安。
 その時代の真は気の向くまま風に任せて旅をしていた。
 と、言ってもそれには方向性という物はもちろん、あった。風精霊が仕入れてきた面白い話が転がっている所に彼女は出かけるのだ。その性は自由奔放。まさに風のように。
 しかし、此度、彼女がこの伊豆の山奥に作られた離宮にやってきたのは少々今までとは違っていた。
 今までは自分が楽しむために彼女はわざと危険に飛び込むような真似をして、悪党を倒し、か弱き物を助けて、皆からあがめられて苦笑いを浮かべるといった風だったのだが、今回の彼女は語り部であった。
 風が植物の種を飛ばすように、
 風が遠くの人の声や動物の声、物音などを運ぶように、
 真は風に乗り、空より見た町の与太話や年頃の娘たちの恋話。それに侍の鬼退治の話や、これまで自分が出会ってきた人の話、眷属である白狼の失敗談、話題は限りなく病弱な少女の耳へと運んだ。
 少女はただ笑う。
 その白すぎる顔と同じように血色の悪い唇に老婆のように扱けた手をあてて。
 年頃の少女が他人にそんな姿を見せるのは良しとしなかったろうにしかし、彼女は違った。彼女は己の運命を知っていた。結核という病にかかり、もはやその病に体を貪り尽くされて、そしてあと数日で自分が死んでしまうことを。そう、だからこそ彼女はその短き命を毎日最大限に燃やし、自分がその次の瞬間に死んでしまってもいいようにその一瞬を限りなく生きている。

 気丈で、気高き娘。ゆえにその尊き心の持ち主である彼女は都のどの姫よりも美しかった。

 姫と真の出会いはやはり風が運んだ出会いであった。
 姫は幼き頃より病弱な身で、一年の大半を床で過ごしていた。
 高い塀の向こうから聞こえてくる同じ年頃の子どもたちの元気に遊ぶ声を聞いて、彼女が悲しくないことはなかった。
 やはり泣いたことはある。
 世界に向かって恨み辛みを吐いたことも。
 父や母だって困らせた。
 だけどそれでどうなる?
 この生来病弱な身が元気になるとでも言うのか?
 やがて姫は笑うことも泣くこともしなくなり、ただ人形のように無表情に季節ごとに移ろいゆく庭を見つめているだけになった。

 この姫の父は下位貴族の身なれど、しかしその野心は強く、妻に娘が生まれたと聞いた時はとても喜んだ。娘とは父の出世の道具となるからだ。しかし生まれてきたのは美しくはあるが病弱な娘。とてもではないが高位の貴族の子息に嫁がせることなどできはしない。そしてこの父にも多くの貴族の男性がそうなように姫の母の他にも女性がおり、そしてその女性の一人が娘を産んだ。
 また一つ、姫に不幸が重なった。いや、二つ、か。
 父はその珠のようにかわいい妹の家ばかりに赴くようになり、そして姫の母は嫉妬に狂い鬼となって、父を呪い殺し、また自らも懐剣で喉を突いた。
 しかしそれすらも姫は涙を見せなかった。
 心はとっくの昔に死んでいた。
 だから叔父の計らいによって都から伊豆の離宮に養生のためという名目の厄介払いをされても姫は何も想わなかった。
 しかし・・・
 とある夜、姫は蝋燭の灯りも燈さずに夜の庭をただ眺めていた。星月夜の綺麗な夜だ。蝋燭の灯りなどいらないだろう。
 そう、誰もがそう想っていた。
「おまえか、ずっと辛気くせー声で、早く迎えに来てなんて訴えていたのはぁ」
 それは威風堂々としたまるでこの世で自分が一番と言うような神の驕りにも似た気位の高い男の口調だった。しかし・・・
「おかしな人。女の身なれど殿方の言葉を使って」
 もしもこの時にこの場に姫を見知った者がいたのなら、その者は大いに驚いていただろう。なぜなら石の姫と揶揄されていた彼女が小さく微笑を浮かべたのだから。
 声の主は大仰に肩をすくめる仕草をした。
 満月の明かりがまるで図ったかのように声の主を照らす。それは華奢な身なれどその実豊かな胸に、くびれた腰、そして安産型の形のいい尻をした美しき女性であった。風に遊ぶ艶やかな黒髪を無造作に(しかしそれすらも無意識の美に溢れ)掻きあげながら彼女は、水色の瞳を面白くもなさげに細めながらふんと鼻を鳴らす。
「悪いがはずれだぜ」
 姫はちょこんと首を傾げた。
 女性は苛立ったように舌打ちをする。
「俺は女じゃない」
 その言葉への姫の対応はというと、それはまるで石の姫らしくない年相応の悪戯っ子のような笑みとからかい半分の行為であった。
「女じゃない。こんなにも大きな乳房をして」
「って、胸を揉むな!!!」
 女性は後ろに飛んで、何やら真っ赤な顔をして両手で胸を隠している。
 姫は呆れた。
「おかしな人ね。同じ女同士なのだから恥ずかしがる事もないでしょうに」
「だ〜か〜ら〜、俺は男だ!!!」
「殿方って、あな、た。ごほごほごほ」
 普通の少女の身なればなんて事の無い量の会話も、動きも、しかし姫には多くの体力を必要としたし、またその限り少ない命を削る行為であった。
「大丈夫か?」
 女性は口に手をあてて咳き込む姫の背を摩った。
 姫は手の平を汚した血を懐から取り出した布切れで拭き、それをまた綺麗に折りたたんで懐へと入れて、そしてその白すぎる顔に笑みを浮かべた。
「あと、私はどれぐらいですの? なんなら、今すぐにでもかまいませんよ」
 女性は渋面を浮かべた。
 姫は不思議そうな顔をする。
「おかしな顔をする」
 口にも出した。
「なにがおかしな顔だ。そんな哀しい事を言われれば、それ相応の反応を浮かべるのは人も神も同じだ」
「死神なのに?」
 これに女性はとても嫌そうな表情を浮かべた。
「俺は死神じゃない。『破壊』の神だ」
 女性は自分をしんと名乗り、そしてその他にも女性には『享楽』の真と『慈悲』のさなとも名乗った神格があった。三人の話では、三人でその一つの体を共有しているそうだ。そしてちなみにしんは他の二人の話からも男性である事が証明された。
「これでわかったか」
「ええ」
 姫は口に手をあててくすくすと笑った。そしてただただしんはそんな彼女に仏頂面を浮かべていた。

 離宮に仕える人たちの間ではちょっとした話題が花を咲かせていた。それは石の姫と揶揄されていた笑わない姫がしかしどうした事かここ最近、笑みを見せるようになり、またどんなにつくしても無感動で礼の一つも述べなかった姫が労わりの感情を見せるようになったのだ、と。
 人とは現金な者。以前は自分の不幸に浸って鼻持ちならない嫌な女と揶揄していたのに、姫がそんな表情を見せ始めると皆は姫の事がいっぺんに好きになった。病弱で不幸な身の境遇なれど健気に笑う彼女はまるでユキノシタのようだと。

 ユキノシタ・・・真っ白な雪に覆われた世界でも凛と咲き誇る小さな白い花。

「ねえねえ、姫様。また、お美しくなられたと想わない?」
「ええ、私もそれは想ったわ。ひょっとして、姫様は恋をしているのではなくて?」
「まさか。だって、この離宮には女しかいないのよ?」
 その晩、女たちは姫の部屋を見張ったが、しかし姫のところに夜這いにくる男など見つける事はできなかった。

 部屋では真が教えてくれたこの女たちの噂に姫が目を瞬かせていた。
「あなたはどうなの?」
「私は・・・」
 だけど姫はごまかすように微笑んだだけであった。
 真もその表情に想う事を顔には出さなかったが、しかし・・・
(しん。彼女はあなたの事を愛しているわ。そしてあなたも・・・)
 姫の衰弱は目に見えて明らかであった。しかも真らは神。余計に人の死の気配には敏感であった。
 姫はこのまま病気も回復し元気になるのではないのかと皆に期待を持たせるほどにここ最近顔色も良く、また元気にしていたが、それが消える前の蝋燭の炎であることは真らにはわかっていた。
 しんはその事実から逃げるように、ここ最近表には出なくなった。
 そんな彼女が真に訊いたのは真っ白な雪の事であった。
 真は思い出す。初めてここに来た日に聞いた彼女の声。幼い姫の願い。
「雪にこの手で触れてみたい」
 その切実で透き通った願いに惹かれて、ここにやって来た。そう、雪を望む彼女の本当の想いにも気がついていたから。
「そうね、雪はもう少し待たないと降らないかしら。今は星空なんか澄んでて綺麗ね」「雪、降るまで待てるでしょうか」
「弱気はダメよ? 大丈夫だって、信じなきゃ」
 彼女の命の灯火が、限りなく儚い事は分かっていた。だからこそ真はしんに誰よりも苛立っていた。

 別れはいつも突然に・・・。
 姫は残り少ない命を燃やし、懸命に真に笑ってみせた。雪を待てずに逝くことに本当はとても哀しいだろうに。
 季節は秋の終わり。
 雪が降るにはもうしばらく時がかかる。だけど・・・
「風よ!高き天の果てより真白き瑞華の舞を!」
「あぁ、雪だ」
 姫は布団から這い出て庭に行こうとするが、もはやその力も無かった。絶対に涙を見せなかった姫がその瞬間にくしゃっと表情を歪めて、しかし・・・
「泣きたければ泣けばいい。人は泣けるようにできているのだから」
 姫の体がふわりと持ち上げられる。
「しんさま・・・」
 しんは姫を抱き抱えたまま庭へと出た。
 しんしんとしんしんと真っ白な雪が舞い落ちる庭で、姫はしんに抱き抱えられながら、雪を眺める。
「綺麗。雪って温かいのですね」
 姫がぽつりと零した言葉。ぎゅっと姫は最後の力でしんに抱きつく。

 雪が温かいと想ったのは舞い落ちた雪が触れたのが涙に濡れた頬だったから・・・
 いいや、それはきっと彼女が心の奥底より愛する人に抱き抱えられながら死んでいける喜びに満ちているから。

「私がずっと雪を望んでいたのはそれは私の存在を真っ白に塗り潰して欲しかったから。最初から私がいなかった事にできれば・・・そしたら母は死ななくってよかったから・・・。私は・・・私は・・・なぜに生まれてきたのだろう・・・?」
 ぎゅっと姫を抱き抱えるしんの腕に力が込められる。
「俺はおまえと出会えて嬉しかった。気の遠くなるほどの昔から生き、そしてこれからもずっと生きていく俺は・・・おまえたち人間のようにほんの短き時を濃密に生きることもできずにただ永遠の生を薄っぺらに生きていくだけだと想った。だけど俺はおまえに出会えた。姫、俺はおまえに出会えた事をとても喜ぶし、嬉しいとも想う。姫を愛する事が出来たのが幸せだと想う。それではダメか?」
 姫はぼろぼろと零れる涙に濡れる顔にとても幸せに満ちたただただ綺麗で優しい笑みを浮かべて、そして最後の力で顔を横に振って、
「私がこの世に生まれてきた意味がしんさまに出会い、愛され愛するためのものなのでしたら、私はそんなにも嬉しい事はありません」
 しんはそれにとても嬉しそうに微笑み、唇を姫の唇に重ねた。
 そして姫は幸せそうな顔をしたまま眠るようにして逝った。

 暖簾をかけた真はもう一度、鉛筆色の空を見上げ、そして呟いた。
「次に出会ったら、約束通りに雪うさぎ作りましょうね」