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今年最後の大喧嘩
二〇〇三年大晦日。四方峰家は帰省してきた姉弟のおかげで、賑やかに新年を迎えようとしていた。
ただしその賑やかさは、どう見ても、悪い意味での賑やかさだ。
佳境に入った紅白歌合戦をなんとはなしに眺めつつ、姉弟の母親は、チラリと横目で庭を眺めた。
まだしばらく、喧嘩は終わりそうにない。
きっかけはごくごく些細なものだったのだが‥‥。
あまりにも些細すぎ、むしろ情けなくもなってくるその理由を思い起こして姉弟の母親はこっそりと溜息をついた。
「‥・・・‥」
年越し蕎麦に入っていたその物体を見つけて、司は沈黙した。そして、静かにそれを端に避けた。
司は、練り物が苦手である。今避けたのは、蕎麦に入っていたナルトであった。家政婦も司の苦手なものは知っているはずだが、うっかり入れてしまったのだろう。
ちょうど隣に座っていた恵が、ひょいと司のどんぶりに目を向けた。司の不自然な箸の動きを目に止めてのことである。
「あれ、司。なに避けてんの」
恵ももちろん知っている。司が、練り物が苦手である事は。
だがだからといって残して良い理由にはならない。
「‥‥残す気なんだ」
じと目の視線をあえて無視するかのように、司は黙々と蕎麦の続きを食べていた。当然、端に避けたナルトには一切手をつけずに。
「司‥‥いいか、食べ物ひとつにしたって、たくさんの人が額に汗して作ってるんだぞ。それに、今この瞬間にも食べ物がなくて――って、どこ行くの、司っ!」
恵の言葉を聞き流し、蕎麦を食べ終えた司はあっさりと無言でその場を立ちあがった。
スタスタと自分の部屋に入る、そんな司を追い掛ける恵。
パタンと、扉の音。そして、ガチャリと鍵の音。
「‥・・・司ぁっ!」
どんどんと扉を叩くが、司はまったく無視してしまっている。
だが!
ここで諦める恵ではなかった。
どんっ! がんっ!!
バタンッ!!!
扉が、壊れた。‥‥‥というか、壊された。
恵の思いっきりの蹴りによって。
一瞬目を丸くした司であったが、続いた恵の台詞を聞いて即座に我に返って怒鳴り返した。
「食えって言ってんでしょうがっ!」
「断固拒否するっ!」
そしてここに。
無駄に賑やかな――はた迷惑とも言う、第二十五回フルコンタクト姉弟喧嘩が勃発したのであった。
最初はただの口喧嘩でしかなかったそれは、一歩も譲らない両者の言い分に際限なくエスカレートしていく。
「ちょ、ちょっと・・・二人とも」
不穏な気配を察した両親が様子を見に来たが、だがそんな程度で止まるようなら最初から喧嘩などしていない。
「いい加減子供みたいな我侭言ってるんじゃないのっ!」
言葉とともに、恵の切れの良い拳が繰り出された。
「なんと言われようと、嫌いなものは嫌いなんだから仕方がないだろうっ!」
ひょいと避けたその勢いのままに、司の鋭い蹴りが飛ぶ。
格闘戦は熱を増し、窓ガラスを破り、舞台は月下に明るい庭へと移動していった。
白熱する喧嘩を止めようと庭の見える部屋へ移動してくる両親。
だが。
その頃には喧嘩の元の理由など忘れてしまったかのように、ひたすら打ち合い続ける二人の様子には鬼気迫るものがあり。
「おまえら、新年を迎えるめでたい日に喧嘩などするんじゃないっ!」
なんとか気合を入れて頑張って、威厳たっぷりに割り込んできた父親は、
「「邪魔っ!」」
二人同時の言葉と蹴りをくらってばったりその場に倒れ込んだ。
「‥‥諦めましょう」
残された母親はあっさりとそう呟いて、潔く紅白歌合戦の観戦で現実逃避へと走った。額にひとすじの冷や汗が落ちていたのは内緒である。
ゴーン
どこかの家のテレビからか。それとも近くに寺でもあっただろうか。
除夜の鐘の音が聞こえた。
だがその音色は、ちょうど間合いをはかっていた二人にとっては戦闘再開の合図にしかならなかった。
緊張感に満ち満ちて、静かに佇んでいた二人が、同時に地を蹴る。
司の回し蹴りを見事に受けとめ、空いている片手で恵は拳を繰り出した。
が。
その頃には司はひゅっと小刻みに後ろに飛んで、恵の拳は司の腹を掠めるだけに終わった。
追撃をかけてきた恵の猛撃を軽やかに避け、向かってくる勢いを利用して、司は見事に恵を投げ飛ばした。
しかし恵もなかなかのもの。
受身をとって、司の追い打ちが来る前にザッとその場に立ちあがる。
ゴーン
この鐘が何回目なんだか二人は数えていなかったが――何度めかの鐘の音が辺りに響く。
父親を介抱しつつ、母親がこっそりと庭の様子を窺った。
まだ、派手な喧嘩は終わりそうにない。
拳と拳の応酬が続き、そして。
ゴーン
またさらに何度めかの鐘の音。
恵がダッシュで司に近づき、司の体勢が整いきらないうちに低い姿勢から蹴り上げた。
司は上体を逸らしてそれを避け、くるっと半回転して恵に回し蹴りをお見舞いする。
が、それもあっさりと受けとめられて。二人は再度、間合いをとって相対した。
これが手合わせか試合であれば、見事な攻防と褒められるだろう。そんな、ある意味美しい、流れるようなやりとり。だがそれも今この状況下ではただの近所迷惑な姉弟喧嘩でしかなかった。
「なかなかやるじゃないか、司」
「姉さんも、ね」
‥‥二人とも、もう喧嘩の原因忘れてるでしょう‥‥。
現実逃避をしながらもしっかりと状況を把握していた母親は、心の中で呟いてテレビに視線を戻した。
ゴーン
鐘の、音が鳴る。
止まっていた二人が、動き出す。
ほぼ同時に繰り出された、拳。
ゴーン
一〇八つめ。最後の鐘の音。
と、同時。
二人の身体が崩れ落ちた。
どうやらこの勝負、同時ダウンの引き分けらしい。
「さて、と」
最後まで見届けたのちに、母親は。
二人の後片付けをするべく、よいしょとテレビの前から立ちあがった。
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