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注文の少ない料理店
…忘れ物をしてきてしまったの。
依頼者はそう語った。
洗面所で手を洗った際に外した、母の形見の大切な指輪を忘れてきてしまったのだと。
場所はレストランだった…初めて行った店で、今まで行ったどのレストランより美味しい料理を食べさせてくれた。
場所は…どこだっただろう。
駅を出て…それからどう歩いたのか記憶がない。
確かに、行った。
確かにその店はあった。
…猫の…そう、猫のステンドグラスの嵌め込まれた扉のお店だったわ。
猫の…猫の…今に何か思い出しかけたのだけど…ダメだわ、思い出せない…。
…お願いします、あのお店を探してください。
…母の指輪を、捜してください。
駅の名前も分からないのかよ?
…行ったのは新宿で間違いないと思います。
何曜日に行った?あとその日他に何処に行った?
…日曜でした。百貨店で買い物をした帰りでした。
遠出をした記憶があるかどうか。
…ありません、時間的にもないと思います。
店の周りに自然はあった?周囲には何があった?
…よく覚えていません…白い、白っぽい壁のイメージは覚えてるんですが…。
どういう料理がありました?メニューは?
…メニューは…なかったような気がします。
どうやって帰ってきました?
…帰りのことは記憶がなくて…気が付いたら新宿駅に居ました。
…手がかり少なすぎ。
話を聞いた全員が思ったに違いない。
とりあえず手分けして足で…一部は翼で…探すしかないと言う話になり、依頼を任かされた三人は新宿の街に散った。
汐耶はまず、インターネットやグルメ関連の本でその店を探すことにしたのだが、書籍関連は全滅だった。
まず店名がわからない、場所がわからない。
本にするということは取材をしなければならないわけで、曖昧な情報では難しいと言えよう。
サイト関連では僅かに手がかりがあった。
新宿にある美味しいお店、と言うことで掲示板でちらほら見かけるのだが、誰も正式な場所を知らないようで不思議話として取り上げていたのだ。
結果は、ようするにあるはあるらしいがどこにあるのかよくわからないと言うものだったからである。
みなもと京太郎は最初から足を使って探す作戦だった。
地図とにらめっこし、手分けしてあちこちを探した。
道行く人に声を書け、一本一本路地を確かめ、地道に潰していく。
京太郎は白い鷹姿を持つ精霊を呼び出し、空からの捜索も試みたが、新宿の街はなんともごちゃついて上からは非常にわかりにくく捜索は難航した。
「…そろそろお腹、減りましたね。」
気が付けば時刻は7時を回っている。
探し始めてから数時間…歩き通しで足は棒のようだし、お腹も随分空いている。
今日は諦めてまた後日にしましょうか。
そう言おうと顔を上げたその視線の先に、汐耶は猫の姿を見た。
否、本物の猫ではない。
金色の瞳の猫を模ったステンドグラスの嵌め込まれた重厚な扉だ。
重そうな木作りの、精緻な細工の施された…。
「あれ…」
声につられて彼女の視線の先に目をやった京太郎は返答を待たずに走り出した。
「折角だ、夕飯食って帰ろーぜっ。」
「あ、ちょっと、待ってください〜!」
慌てて後を追うみなも。
あれほど歩き回った後だというのになんとも元気な学生コンビに苦笑を漏らし、汐耶も僅かに遅れてそれに続く。
新宿の街であるにも関わらず、辺りは深い霧に包まれひどく白く、静かであることに。
何故か誰も気付くことはなかった…。
ギィィ、と重い木星の扉を押すと、カランカラン、と大きな鈴がなった。
「御邪魔しまーす…」
軽やかなジャズが流れる店内は酷く落ち着いた雰囲気だった。
数人の先客が和やかに談笑している。
…初老の夫婦連れ、子供連れの母親、少ないが客はいる。
十人ちょっとも入れば一杯になるであろうこじんまりとした店内は緑が多く、机や椅子、コートかけetc.全て同じ様な材質木製で温かな空気を醸し出していた。
…ようするに、一見極普通の店だった。
「……なんか、普通っぽいですね…」
「ん、なんか意外…。」
入口には、『開いた席にご自由にお座り下さい。』と書いてある。
辺りを見渡してみたが、視界に入る範囲に店員らしき人影はなかった。
「…店員さん、いませんね。」
「とりあえず座っとく?注文取りにくるだろ。」
「そうね、周りの人にも話し、聞いてみたいし。」
三人は唯一開いていた厨房に近い四人掛けに腰を下ろした。
「…?」
メニューを開くと、そこには『今日のオススメ』とあった。
ひっくり返してみるが裏は真っ白である。
「…メニュー、これだけ?」
「…みたいですね…」
…ドリンクメニューもないし、なんとも…。
「私、お持ち帰りできたらと思っていたんですがこれでは無理でしょうね…」
まぁないものは仕方がないと溜息を付き、みなものはふと隣の老夫婦に眼を止めた。
独特の睦まじい雰囲気…あんな風に年を経っても仲のいい夫婦っていいなと思う。
「…あの、ここよくこられるんですか…?」
恐る恐る声をかけてみると、婦人は穏やかに微笑んで頷いた。
「えぇ、年に何回かね。もう何十年になるかしら。ねぇ、あなた?」
「そうじゃな、最初のでぇとできたのがここじゃったからなぁ。」
老人がほっほっと笑う。
「いやですよ、おじいさんったら。」
ころころと笑いながら婦人は萎びた頬を赤く染めた。
「そうですか…あ、ココ美味しいです?」
そう言えば、と尋ねれば、老婦人はなんとも嬉しそうに顔を綻ばせた。
「そりゃもう!…ただ、来たい時に来れるわけじゃないのが玉に瑕なのよねぇ。」
「来たい時に来れるわけじゃない…?」
どういう意味だろう…首を傾げていると彼女はクスクスと笑った。
「えぇ、気が付くとね、お店の前にいるの。」
「探すと見つからんのだよ。何度も来とるはずなのだがどうしても道を覚えられん。」
「……。」
三人は顔を見合わせる。
「探しても探してもみつからないわけですね…。」
「大丈夫でしょうか…」
「何度来ても無事帰ってまた着てるってことだろ?危険はないんじゃね?」
声を潜めて話し合っていると、厨房から誰か出てくる気配を感じて京太郎は顔を上げ…硬直した。
「……!!」
「…?」
つられて顔を上げたみなもも、汐耶も息を止めた。
…そこには猫がいた。
いや、猫の顔をした人と言うか…人間大の二足歩行の猫と言うか…しかも白いコック服を身に纏い、ご丁寧にも両耳の間に背の高いコック帽を被っている。
ロシアンブルーの毛並も美しい猫だ…巨大だが。
「お、新客さんにゃね、いらっしゃいませにゃ。」
猫は、流暢に日本語を紡いだ。
上げかけた悲鳴を殺すみなもの横で、老婦人は穏やかな顔のまま笑っている。
「今日のオススメはなんですかねぇ。」
「いい海老が手に入ったんでエビフライにしてみたにゃ。」
猫は手にしたトレイから鮮やかな狐色に上がった大振りのエビフライとサラダの皿やスープ、ワインなどを次々と老人の前に置いた。
「ね、猫…」
誰かが呟いた。
「あら、根古さんと御知り合い?」
「え、いえ、顔が猫と言うか身体が猫と言うかあの、その」
「こんなハンサム捕まえて猫はないでしょ。」
指差してわたわた言うみなもに、老婦人はまたころころと笑った。
「おにゃ、お嬢さん方には見えるみたいですにゃ。」
そう言って猫は、ぴんと張った髭を扱いた。
「根古ですにゃ。以後お見知り置きを。」
丁寧な仕草で深々と頭を下げ、厨房に戻っていく猫を、三人は呆然と見送ってしまった。
指輪のことを聞き忘れてしまった、と気付いたのは猫が姿を消してからだった。
「…つ、次来たら聞きましょう。」
「…だな。」
机に並べられたものに、三人は絶句した。
…一粒一粒が艶やかに輝く白いご飯、パセリとクルトンの浮かんだスープは澄んだコンソメ。
緑のレタスに添えられた金色のカボチャとサツマイモのサラダ、艶を持った鮮やかな赤のミニトマト、そして中央にはカラッと上がって狐色に輝くエビフライ。
なんとも言えない香りが鼻腔を擽り、改めて空腹を思い出した胃が収縮し、唾液が湧き上がる。
それだけなら一気にがっつきたい光景だが、ナイフに手を出すことはできなかった。
『食べて食べてーw』
『キャー、あたしが先よ、あたしっ!』
『醒めないうちにお願い〜!』
…なんか聞こえる。
てゆーか、ミニトマトが、エビフライが、跳ねてる。
「………。」
「どうぞ、冷めないうちに召し上がりくださいにゃ。」
にこやかに笑っている猫。
「…や、冷めないうちにって…あの…」
「これ食えってか…?」
『うん、そー!』
答えたのはエビフライだった。
視線を落とすと目が合った…キラキラしてる。
顔があるわけではないのだが、目が輝き、頬が高潮しているのがわかってしまった。
「!?」
慌てて回りを見回すと、老夫婦や親子連れは極普通の様子でそれを口にしている。
…ひょっとして、普通の人には聞こえてない?
猫は真直ぐにこちらを見ている…だらだらを脂汗が流れ落ちる。
「…あ、あの、すみません!」
最初に我に返ったのは汐耶だった。
そう言えば食べにきたわけじゃなかった…出された以上食べないわけにもいかないのかも知れないが、否、食べたくないが…とりあえずその辺の葛藤は置いておく。
「私達指輪を探しに着たんですけど…」
事情を話すを店主の猫は首を捻った。
「指輪ですか…うーん、あったかにゃぁ。覚えがないにゃぁ…。」
意外なところから声があがった。
『あたし知ってるー!』
エビフライがむっくり身体を起こした。
「……お前が?」
「本当?教えてくれる?」
『いいわよ、でも一つだけ条件があるの。』
…ひしひしと、嫌な予感がした。
警鐘が聞こえる、聞いちゃいけない、この先を聞いちゃいけない!
『…食べて。』
…ぽっと頬が赤く染まった。
『あったかいうちに、食べて。』
「!!」
そそっと彼女(?)は京太郎の手に尻尾を乗せた。
「…頑張ってください。」
やや引き気味に、みなもは呟いた…。
『ぁっ!』
フォークを差すと、声上がった。
…正直泣きたい気分だった。
みなもと汐耶の視線が刺さるように痛い。
きつく目を閉じて、覚悟を決めて、京太郎はそれに齧り付いた。
『!』
びくっと大きく跳ねて、それは動かなくなった。
「うわ…」
口の中にはなんとも言えない味が広がった。
からっとした衣、ぷりぷりの海老の甘味、タルタルソースの絶妙な味付け、どれをとっても今まで食べたエビフライとは違っていた。
正直こんな美味いものは食べたことがない!
…こんな微妙な気分にさせられるものも。
美味しいは美味しいのだ…これで喋りさえしなければ、動きさえしなければ…。
少しだけ、一般人でない自分が悲しく思えた瞬間だった。
「あの、大丈夫ですか…?」
「ん、美味いよ、滅茶苦茶…」
…が、しかし、声に覇気はなかった。
『貴女は食べてくれないの…?』
『…私達、捨てられるの…?』
しくしく、しくしくとみなもと汐耶の目の前の皿の上で別なエビフライが泣いている。
『…折角、折角美味しく料理してもらったのに…』
「………。」
一種の拷問かも知れない、そう思ってしまった自分に罪はないと思う。
「…あ、ところで指輪…」
知っている、と言ったエビフライから声はしなくなっていた。
そりゃそうだろう、いなくなったのだから。
「……ってどうやって聞けっつーんだ!」
『…食べてくれなきゃ、あたし達無駄になっちゃうのに…』
えぐえぐと相変わらず皿の上ではエビフライが泣いている。
…泣きたいのはこっちです…とは言えなかった。
結局指輪は店主の手によって洗面所の床に落ちていたのが発見された。
任務は果たした、夕飯もすませた、満足といえば満足な状況だろう。
お腹はいっぱい、味も見た目も、店の雰囲気も申し分なく、。値段も場所と味の割には格安だった。
でも二度と来たくない…。
視線を交わしあい、溜息をつく三人の背後から猫が追いかけてきた。
「ちょっとまつにゃー!」
はぁはぁと息を切らし、額の汗を脱ぐって猫は三人に紙袋を差し出した。
「はい、おみゃげにゃ。」
「え?」
「お持ち帰り、したかったんにゃろ?」
「え、なんでそれを…」
いや、でももういいですって感じなのだが…
「秘密にゃ。」
ハートマークの飛びそうな満面笑顔で言われて。
「……あ、ありがとうございます…」
みなもはなんとも複雑な表情で仕方なくそれを受け取ったのだった…。
−END−
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
1252/海原みなも/女性/13歳/中学生
1449/綾和泉・汐耶/女性/23歳/都立図書館司書
1837/和田・京太郎/男性/15歳/高校生
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■ ライター通信 ■
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注文の少ない料理店、ご参加ありがとうございました。
気持ち悪い物を食べさせてごめんなさい…(笑)。
またこの猫関連のネタを考えていますので、お気に召しましたらまた参加してやってくださいませ。
このたびPNをyu-kiから結城 翔へと変更させていただきました。
今後ともよろしくお願いいたします。
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