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<東京怪談・PCゲームノベル>


蒼穹の羽 1
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もうだめだと思うこともあるし 誰も傍にはいないんだと思ったりもする
だけど、人生にはやり遂げなくてはいけない奇跡があるんだ
それは他のどこでもない、自分の心の中にある

それが何かさえわかれば、きっとそこまでたどり着ける
きっと叶うんだと信じていれば、それはきっと本当になる

きっと空も飛べる
あの青空を両手で抱きしめることもできる
朝も夜もそのことを考えているんだ
両手を広げて、どこかへ飛び立ってしまえたらいいと
開いたドアを飛び出して どこまでも飛べるさ


―――お前となら、空だって飛べると思ってたんだ。



現れた男は、くたびれたように街を歩くサラリーマンの波に、見事に同化していた。わずかばかりの違いといえば、その確りした歩き方だろうか。それすらもほんの些細な違いで、余程の注意力がない限り見逃してしまいそうだ。
「この国の人々は生気のない目をしている。こればかりは、努力しても似せられるものではない」
近づいてきた男はそう言って、冷たい光を湛えた黒い目でこちらを見つめた。東洋人のようだが、普通の日本人とはどこか漂わせる雰囲気が違う。
その理由は、すぐに知れた。名刺を出すこともなく、ありふれた喫茶店のテーブルの向こうから、男は太巻を見つめる。
「IO2調査官のチェンだ。君の噂はかねがね」
「いやそれほどでも」
謙遜を謙遜とも受け取らず、ふてぶてしい態度で太巻はタバコを咥える。
火をつけて、これみよがしに、煙を相手に向けて吐き出した。笑みが崩れないのが余計にいけ好かない。
「探して欲しいのはこの少女だ」
テーブルの上を、チェンが取り出した写真が滑った。
視線を落とす。制服を着ているところを見ると、どうやら十代らしい。サロンで焼いたらしい浅黒い肌。明るく脱色した髪。整った容貌をしているが、写真には面白くもなさそうな仏頂面でうつっている。
「最近のヤングな若者じゃねェの。ただの家出じゃねえか?」
面白くもなさそうにちらりと視線をやっただけで、太巻は相手に視線を戻す。こちらの反応を伺うように、顎を引いて上目遣いにチェンは視線を外さなかった。
「それが違うのだ。この少女を誘拐した犯人がいる。名前は榊リョウ(さかき・りょう)。現在、我々が要注意人物として目を付けている異能力者だよ」
「知ったこっちゃねぇな」
「君は、あらゆるジャンルの仕事の斡旋・紹介をしていると聞いた」
「客を選ぶんだよ」
椅子を蹴って、席を立とうとする太巻に、声が追った。
「君の奥様は長年、我々のデータの中に名前を見かけるよ」
「…………」
「無論、」
薄ら笑いを浮かべて、テーブルの上で肘をつき、チェンは指先を組み合わせた。
「現在はまだ、要注意人物に過ぎない。……だが、こちらの気分次第で、いつでも風向きが変わるんだということは、覚えておいたほうがいい」
「……おウチに帰って○#の@$#でもしゃぶってな、このク○X&*%野郎」
「下品だな」
口元を僅かに歪めてチェンは笑い、掬い上げるように太巻を見た。
「コトは、誘拐事件だよ。何も同類を殺してくれと頼んでいるわけではない。誘拐された少女を助けるのに協力してほしいだけだ」

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「IO2か」
話を聞き終えて、ケーナズ・ルクセンブルクは器用に片方の眉を上げた。IO2に紹介屋。なんとも信じられない組み合わせである。
「キミが関わりたがる連中とも思えないが……宗旨替えかね?」
「うるせえ」
普段どおりに紹介屋は憎まれ口を叩き返し、これまた普段どおり、ケーナズの不快な顔も気にせずにタバコを吹かした。問いかけは、返事を得られぬまま、暗い室内に吸い込まれていった。
普段は偉そうに踏ん反り返っている太巻大介は、満足のいくまで煙を吸い込んでから、ようやく身を乗り出して居並んだ一同を見回した。
「犯人は榊リョウ。誘拐されたのは山岸正美、ヤマンバ女子高生。榊リョウはIO2が数年前から目を付けている要注意人物だ。悪霊使いで、幻術使い。現在は坂崎ってェ名前の悪霊と行動を共にしている」
壊れかけの丸テーブルには、IO2から渡された薄っぺらな資料が乗っている。枚数にして3枚。表紙を入れなければ2枚にしかならない。資料に書かれていることは、太巻が説明した言葉だけで全て事足りた。
資料を読んだ面々の反応はまちまちである。「これだけ?」という顔をして太巻を見つめるのは、硝月・倉菜(しょうつき・くらな)と倉塚・将之(くらつか・まさゆき)だ。ケーナズは資料に二度、目を通してから、それを丁寧に折りたたんだ。シュライン・エマと御影・涼(みかげ・りょう)は、何度見たところで増えるはずのない資料を捲り、難しい顔をしていた。
「なんか、あるか?注意事項とか、言っとくこととか?」
「……そうだな。榊の幻を見せる能力は要注意だ。視覚に頼りすぎて見失うことがないよう、用心したほうがいいかもしれない」
太巻の言葉にちらりと視線を上げ、それだけ言ってケーナズは再び物思いに沈む。思い出したように折りたたんだ資料に視線を落とし、5分もあれば読み終えてしまう簡単な報告を再び読み直していた。
「太巻さん。もしかしてご存知ないかもしれないけど」
重みもなにもない三枚の紙をテーブルに置いて、倉菜が紹介屋を見た。チビたタバコを根元まで吸って、太巻は顎をしゃくる。
「あんだよ」
「私、普通の女子高生なんですけど?」
「それが?」
と、返ってきたのは味も素っ気もない返事である。まあ、言っても無駄だとは思っていた。太巻は、この店に足を踏み入れた者は都合のいい働き手だと思っており、彼の前に人が現れるのは、すべからく自分のためだと考えている。いくら倉菜が「偶々だったのよ」と言おうが、将之が「バイトがあるんだけど」と抗議しようが、それは彼には関係のないことである。
「ま、いいけど」
諦めて、倉菜は細い肩を竦めた。榊が連れている男が持った「妖刀」には興味もある。それに、誘拐されたのは彼女と同じ女子高生だ。放っておくわけにも行くまい。
「あ、そうだ。もう一人、この件を手伝ってくれそうな人がいるんだけど。連絡したらダメかしら」
「……誰だ?」
首を傾げて迷う様子を見せてから、太巻は尋ねた。倉菜はクールな顔にちらりと笑みを浮かべる。出て来たのは……某財閥の総帥の名前だった。


倉菜が日々を多忙かつ悠長に過ごしていく総帥に連絡を取るべく店を出ていってしまうと、涼は改めて資料から顔を上げ、太巻に視線を向けた。
考え深げなその表情には、僅かに懸念の色が伺える。
「妖刀って……また、なのかな」
黙って聞いていたシュラインとケーナズが、これには反応してちらりと顔を上げた。手渡された資料には、「剣豪・坂崎」という名前がタイピングされている。それを見て、数ヶ月前に体験した奇怪な「血の記憶」を思い出したのだろう。
坂崎というなの剣豪は、涼を含め、いまだ三人の記憶に新しい。彼らがとある事件をきっかけに「見た」記憶が正しいのならば、坂崎は、村を助けるために鬼を殺してその呪いを身体に受けた。その結果、鬼の呪いで気が狂い、やがて人の手によって焼き殺された悲劇の剣豪である。
以前、シュライン、ケーナズ、涼の三人は、共通の知り合いである渋谷透という青年の夢の中で、剣豪「坂崎」と思われる人物を目の当たりにしているのだ。奇妙な符号だと思わずにはいられない。
「……話の腰を折って悪ィんだけど」
深刻な顔をして口を噤んだ彼らを眺めて、ひょい、と将之は手を上げた。
彼は、ケーナズたちのように過去、坂崎という名前に関わったことはない。だから今ひとつ今の事情が飲み込めないのである。
「それ、なんか今回の誘拐事件に関係あるのか?」
「……あぁ、いや。榊が連れてるっていう妖刀使いに、ちょっと心当たりがあったもんでな」
不自然に落ちた沈黙を取り繕うように太巻が手を振る。
「心当たりって……、そいつそんなに有名な剣豪なのか?」
「歴史に名が残っているわけじゃねェよ。だが、強いことは強かったらしいな。鬼を倒したっつー噂もあるくらいだ」
ふぅん、と生返事をして、将之は口を噤んだ。彼も、刀をたしなむものとして、強い相手には興味があるのだろう。
「……ま、いいけどさ」
頭脳労働は、他の連中に任せればいい。自分は戦闘要員として、必要な時に控えていればいいのだ。そう決めて、将之は素直に引き下がった。
一方では誰もが、どこかにものが引っかかったような顔をしている。太巻が紹介するのには「らしくない」依頼主と、輪郭の掴めない依頼内容に戸惑っているのだ。
難しい顔をして考えていた涼が、ぽつりと零す。
「それと、気になるのはIO2のことだ。どうして犯人の正体まで分かっていて、彼らが直接手を出さないんだろう?」
「何故本部の人間が太巻さんに接触してきたのかも分からないわよね」
ようやく資料から視線を外して、シュラインはそれを丁寧に整えた。
「異能力者を相手にするなら、同じ能力者を使ったほうがイイからじゃないっすか?」
カウンターに肘をついていた将之が、髪の毛を引っ張りながら口を挟む。
「それは確かにそうだけど、IO2は能力者の存在を否定しているのよ」
ちらりと、テーブルに視線を落として椅子を鳴らしている太巻を眺めて、シュラインは腕を組んだ。
「それに太巻さんはアウトローだし、あんまり人の言うことを聞くタイプでもないし。人質を救出したいのなら、もっと協力的な能力者を探しても良さそうなものでしょう」
「……何か、裏がありそうだね」
「本部が動いているのも気になるし……ね。日本国内で起こっていることなら、日本支部の担当のはずでしょう」
四人の会話を、太巻は両手を頭の後ろに回して聞いている。
「ま、今そんな話をしたって、何がわかるわけでもねぇ」
ぱん、と膝頭を掌で叩いて、太巻は大儀そうに立ち上がった。吸殻で山盛りになった灰皿にさらに新しく吸いカスを追加して、歩き出す。
「新しい指示が出たら、また知らせる。それまでは今ある情報でよろしく頼むわ」


■シュライン・エマ
「太巻さん」
「……あぁ?」
他の人間を置いて、ぶらぶらと立ち去りかけていた太巻を、シュラインは小走りに近づいて呼び止めた。さっきタバコを吸い終わったはずなのに、もう新しいタバコが煙を揺らめかせている。
相変わらず周囲のペースなどどこ吹く風という態度だったが、シュラインが彼を呼び止めた時に見せた表情は、やや硬い。何だかんだと文句を言いつつ、シュラインに対しては好意的に接する太巻にしては珍しいことだ。
「あら、呼び止めたら悪かったかしら?」
「んなことはねえよ」
ばつの悪そうな顔をして、太巻は振り返った。ポケットに手を突っ込んで、細めた視線はシュラインの持つ資料へと落ちている。
「ここに書かれている榊の同行者のことだけど」
やっぱな、という顔をして、太巻は天井を仰ぐ。どうやら、ある程度その質問は予想していたようである。
「……太巻さん」
「ああ、ああ。わかってるよ。別に隠そうとしたわけじゃないぜ。聞かれなかったから話さなかっただけだ」
往生際悪く言い訳をしてから、太巻はタバコの先端を赤く光らせて煙を吸った。
「結論から言うと、その資料にある男が坂崎惣介である可能性は非常に高い。……都内のとある神社から、刀が盗み出されたのは知ってるか?ニュースにもなったんだが」
「……ああ。あったわね、そういえば。でもあれは夏の終わり……」
地方紙の片隅に、他の記事に埋もれるようにして、そんな記事があった気がする。あまりに小さな記事だったので、太巻に言われなかったら思い出すこともなかっただろう。
都内神社で、本尊として奉ってあった刀が盗まれたのだ。事件が起こったのは夜であり、周囲には人家も少なく、目撃者もいない……と。その後、続報を聞いた覚えもない。
「でも、まさかそれが……?」
「……盗まれた刀の名前は、落陽丸というんだそうだ。榊に同行している坂崎某は、その刀を持っているって話だよ」
「そう……なのかしら。以前の鬼の足跡から考えて、刀はどこか水辺にあるものとばかり思っていたのだけれど」
「…………沼」
「え?」
ぼそりと言った言葉が理解できずに聞き返すと、後ろ手に大きな手を振られた。
「なんでもねぇよ。とにかく、刀は神社にあったんだ。それが盗まれてから、あの家なし小僧の身の回りで妙な事が置き始めた」
わかったかよと言い捨てて、太巻はぶらりと歩き出した。
「太巻さん」
もう一度だけ、引き止める。背中を向けたまま、僅かに太巻が顔を上げた。煙の角度が変わる。
「……今度ァ何だ」
「IO2が何を考えているか、太巻さんは検討がついているんじゃないの?」
空気を低く震わせて、笑い声が届いた。
「知らねェな。おれはいつもどおり、仕事を斡旋してるだけだ。っちゅ――の」<3−1>



「そちらは何か分かった?」
人の波を抜けながら、シュラインは携帯電話越しに、相手と話しこんでいる。
『いいえ……。セレスティさんが榊・リョウについてのデータを調べてくれたんですけど、そちらも国内に該当者はいないって』
聞こえてくるのは、別行動を取って正美に関する情報を集めている倉菜の声だ。
榊・リョウについて、セレスティが調査を依頼した探偵は戸籍まで照合して調べたらしいが、IO2から提示された資料に該当する名前の男は、日本には存在しない、ということだった。
シュラインは唇を軽く噛んで、少し黙る。
――やはり。
「日本には、榊リョウという名前で、それに該当する人はいないのね?」
『ええ』
「――、元々榊はアメリカに居たということは考えられないかしら?」
電話口の相手が何か言った。それに頷きながら返事を返して、シュラインは電話を切る。
「どうやら、正美ちゃんは放課後、このあたりで遊んでいたらしいわ」
携帯をハンドバッグに落としながら、シュラインが涼に声をかけた。
シュラインは涼と連れ立って、渋谷の街を歩いていた。ジーパンにシャツやトレーナーと、カジュアルな服装の若者が多い中、しっかりと服を着こなした二人はかなり目立つ。
「どこへ行くんですか、シュラインさん」
シュラインに歩調をあわせながら、涼は困惑した顔だ。何しろ、「正美のことに調べるらしい」ということ以外、涼はシュラインが何をしようとしているのか、分かっていないのである。
大人数で学校に押しかけていっても得るものは少ないと判断したシュラインは、涼を誘って別ルートから情報を当たることにしたのだった。それが、草間興信所で事務をするうちに知り合った情報屋たちである。
「正美さんが姿を消した時の状況を、出来るだけ詳しく知っておこうと思って」
すい、と彼女の身体は一つの角を曲がり、また込み入った道へと入っていく。
「……今回のIO2の行動には、解せないことが多すぎる」
呟いたのは、涼だ。歩みを緩めずに、シュラインもそれに頷いた。
「そうね。日本で起こった事件なのに、本部から人が来ているというのも気になるし」
だからこそ、日本に榊リョウという名前が存在しないと聞いた時、真っ先に浮かんだのがアメリカ合衆国だったわけだが。
彼女の予想が正しいかどうかは、結果待ちである。
「IO2は、何か隠しているんじゃないかな」
太巻から話を聞いた時から心に秘めていた疑問を、涼は口に出して呟いた。何気ない調子で、太巻には返答を回避されてしまった感がある。太巻も何かを隠しているのではないかというのが、涼の印象だ。
「誘拐犯の名前や正体まで分かっていて、俺たちに仕事を頼むなんて、なんだかおかしいでしょう」
「そうね。まあ、私たちに榊の注意をひきつけておいて、その間に内情調査を進めている可能性もあるけれど」
可能性を述べながらも、シュラインは自分の台詞にあまり信憑性を感じていないようだった。
太巻が能力者と親しく付き合っているのは、周知の事実である。恐らく、IO2でもそれくらいは分かっているだろう。
異能力者を否定する立場にあるはずのIO2が、何故よりにもよって太巻に白羽の矢を立てたのか。
――能力者同士、互いに潰しあえばいいと思っているのか、それとも……
能力は使うなよ、と言った太巻の声の調子がよみがえる。元々、他人が何をしようが我関せずという態度の男が、珍しく「使うな」と言っていた。
それに、なにか意味があるのだろうか……。
「それに、もう一つ気になることがあるのよ」
奥まった通りにあるみすぼらしい小さな喫茶店の扉を開けながら、シュラインは言った。
「何です?」
「正美ちゃんが、本当に誘拐されたのか、ということ」
怪訝そうな顔をしている涼を残して、シュラインは「準備中」とかかれた薄暗い扉の向こうへと姿を消した。


■――interval
「やれやれ……」
IO2に関する依頼を受けて店を出ていった時雨をようやく正しい方向へ導いて、太巻は無人の店の椅子に腰を落とした。
誰もいないのは、気配を探るまでもなく承知している。だらしなく椅子にもたれたままポケットを探り、彼は携帯を取り出した。
メモリーセットしていない電話番号をそらで押し、通話ボタンを押して耳に当てる。
相手が出るまでの数コールの間に、タバコを咥えて火をつけた。
『もしもし……』
相手が出た途端に、太巻は喋りだしている。
「おれだ。参加者がもう一人増えたぜ――」
ややあって、電話の向こうで空気が震えた。
ヤツが、笑ったらしかった。



タバコの匂いが染み付いた店内は、喫茶店というよりはスナックのようだった。穴の開いたビニールのボックスシート。安っぽいテーブル。天井や壁に浮いた染みは、暗い照明のせいでかろうじて隠れてみえる。
カウンターの向こうには誰もおらず、奥でやかましいほどにテレビの音が聞こえる。よほど古いのか、時々笑い声がひび割れた。
「シュラインさん、やっぱりまだ準備中……」
そっとシュラインの袖を引いた涼は、その肩の向こうに、人が一人座っているのを発見した。まるで壁のしみのように、店の風景に同化していて、気づかなかったのだ。
ポータブルのラジオを持ち込み、モスグリーンのジャンパーを羽織った初老の男だ。広げているのは競馬新聞で、下唇を突き出すようにして、ラジオの中継に聞き入っている。
「こんにちは。久しぶりね」
シュラインが声をかけると、ゆっくりした仕草で、男は顔を上げた。みすぼらしい男だが、彼に話を聞けば渋谷のことで分からないことなどないとさえ言われている、手だれの情報屋なのだ。男の目じりが垂れて三角形になった目がシュラインを捕らえ、同行している涼を眺め、二人の背後へ向かった。
「その、でっかいのもあんたらの連れかい」
「え?」
「あ……うわ!」
男の言葉に、シュラインと涼は振り返り、そして度肝を抜かれて飛び上がった。いつの間にやら、二人の背後には黒ずくめの大男がぬぼっと立っていたのだ。
「って……五降臨さん」
先に衝撃から立ち直ったのはシュラインである。まだドキドキしている胸を押さえて、彼女は大男……五降臨時雨をまじまじと見つめた。
彼とは、とある事件で顔をあわせたことがあるのである。
「どうしたの、こんなところに。偶然……なわけがないわよね」
「あの……太巻……が、ここに来たら……キミがいるから、……って」
「太巻さんが……ね」
思わずシュラインは呆れたため息を漏らした。ここへ向かうことを、シュラインは太巻どころか、草間にだって言っていない。変なところで油断のならない男だ。これは後で釘でも差しておかないと、と心中で決心しながら、シュラインは情報屋と涼に、時雨を引き合わせた。
「五降臨時雨(ごこうりん・しぐれ)さん。まあ、わたしの知り合いなんだけど」
「御影涼(みかげ・りょう)です。……よろしく」
「こちらこそ……」
ぺこりと頭を下げた涼に対抗するかのごとく、時雨は直角90度に頭を下げた。背負っていた大刀がその拍子にひょいと跳ね上がり、安いテーブルに引っかかってガン!と盛大な音を立てる。
「あっ。ごめ……」
わたわたと時雨がテーブルを掴み、その拍子に刀の鞘が再び、カウンターの回転イスにぶつかって派手な音を立てた。混乱がさらに混乱を招くタイプである。収拾がつかない。
「はいはい、五降臨さん、ちょっと落ち着いて。刀は目立たないようにって、太巻さんから言われてないの?あなた、目立つわよ」
それは言われていないけど……と、たどたどしく時雨は頭を掻いた。
「太巻が……伝言。……よろしく、…って」
「……そう。…………」
この場合「よろしく」とは「こいつの世話をよろしく」という意味なのであろう。シュラインが僅かによろめいていた。
「あの、五降臨さんて……何をしている人なんですか?」
思わず涼が聞くと、どこか遠くに視線を逃しながら、シュラインは小声で答えてくれた。
「…………殺し屋……」

「何が知りたいんだよ、あんたらは」
再び興味を失ったように新聞に鼻をつっこみながら、情報屋は聞いた。
「この子なんだけど」
シュラインは用意してきた写真のコピーを男に見せる。正美が通う学校のアルバムから拝借してきたものだ。青い背景の中、一人の少女がふてくされた顔で写真に写っている。
「なんでもいいんだけど、知っていることはないかしら?」
「最近見かけねえな」
「失踪しちゃったのよ」
カウンタに肘を置きながら、シュラインは男を眺めている。老眼なのか、写真を近づけたり離したりしていた情報屋は、ふんっと鼻を鳴らした。
「見かけねえわけだよ」
「なんでもいいから、教えてくれない?行き着けの店だとか、最近親しくしていた人がいないか、とか」
いいながら、シュラインの手は、男が頑固に睨んでいる新聞に伸びて、それを取り上げる。
「相変わらず、好きねぇ、馬」
「うるせぇ」
「負けてるの?」
下唇を突き出して、男は背中を丸めている。負けがこんでいるのだろう。
機嫌を悪くされて情報がもらえなくなってはたまらないと、はらはらしている涼の脇で、シュラインは平然としたものだ。涼やかな視線を競馬新聞に落としている。
やがて、彼女の手が赤鉛筆を取り上げて、無造作に新聞にぐるりと円を書いた。
それを、情報屋の目の前に戻す。
「……」
相変わらず頬を膨らませたまま(どうやらそれがクセらしい)、男は人差し指で鼻を擦った。
「……よく、駅前の喫茶店で、男二人連れてメシを食ってんのを見かけたぜ。以前はその女と三人だったこともあったが、そういえば最近はふたりきりだ」
もそもそと、男は呟いた。
「どの喫茶店?」
「ノワールだよ。今でもな、男連中の方は、あそこにメシを食いにくるんだ。ちょうど、今ぐらいの時間かな」
「ありがと」
軽く手を振って、シュラインはさっと出口に向かって歩き出した。
慌てて涼と時雨も後を追う。
「あの……お礼とか、しなくていいんですか?」
たまに見る刑事ドラマだと、情報屋にはこっそり酒を奢ったり、お金を握らせたりするものではないのか。怪訝そうにしていると、ドアを開けながら、シュラインはいたずらっぽく笑った。
「いいのよ、競馬の勝ち馬を教えてあげたんだから」
シュラインの声に重なって、軽快な携帯の着信音が響く。鳴っているのは、涼の携帯電話だった。
閉まりかけた扉の内側で「おーい、ママ。金貸してくれぇ!」と、先ほどの男の声が聞こえている。


「もしもし?」
『あっ、御影さん?私です。硝月です』
透き通ったガラスのような声が電話口から聞こえてきた。倉菜だ。その声は少し緊張して聞こえる。
「どうしたの?何か情報がつかめた?」
涼が尋ねると、シュラインと時雨が、そろって会話に耳を澄ませた。
『つかめたっていうか……チェンと、榊のことを調べてたんですけど』
『どうも、興味深いことが分かりましてね』
と、倉菜の声にセレスティの深く静かなそれが割って入った。どうやら、スピーカーにして会話をしているらしい。
「興味深い……というと?どういうことです?」
何か掴んだらしい、とシュラインたちに身振りで示しながら、涼は携帯を耳に押し付けた。
『ケーナズさんとセレスティさんが、榊リョウの過去とチェン捜査官について、調べてくれていたんですけど』
『そん時にな、奇妙な符号っつぅか……どうもチェンってヤツと榊は、過去になんか因縁があったっぽいんだよな……』
興奮を押し殺した様子で倉菜と将之が交互に喋っている。涼は何と答えていいかわからずに、受話器を耳から放してシュラインと時雨に視線を向けた。
倉菜と将之のステレオサウンドの説明にセレスティの注釈が加わった話を統合すると、以下のようになる。

まず、シュラインの予想したとおり、榊・リョウの国籍は日本にはなかった。調べてみると、どうやら数週間前に、日本にそれらしき人物が入国したことが分かっている。
アメリカから直接日本にやってきたわけではない。偽造パスポートを使い、アメリカはケネディ空港からカナダに飛び、そこを介して日本に入国したのだ。
しかし、現在のところアメリカ国内にも「榊リョウ」という名前の日本人は存在しないことになっている。
また、ダイ・チェン捜査官を調べていて分かったこともある。彼は捜査官としてIO2に参加してからずっと、本部勤めのエリートである。一度出向という形で、1987年にカリフォルニア州に滞在。96年のFS事件を契機に、本部へと戻っている……。

「FS事件?」

『ファイア・スターター事件と呼ばれている事件のようです。発火能力者(ファイア・スターター)としてIO2の保護下に置かれていた少年の能力が暴走して、当時少年が暮らしていた家が全焼した、と』
「それを機に召還、ねぇ……。彼はその事件に関わっていたのかしら」
『その可能性は高いと思います。それに、もう一つ……』
『この事件で、発火能力を持つ少年は家に閉じ込められて焼死しているんです。けど、当時その少年と同じようにIO2の保護下に置かれていた少年がいるようなんです』
「まさか……」
『名前は載ってないんスよ。けど、イニシャルはR.S.。リョウ・サカキもイニシャルを取れば、R.S.ですよね』



空は今にも泣き出しそうだった。重い雲がビルの尖塔に引っかかりそうなほど低く立ち込め、街全体が淀んで見える。
目指す喫茶店は、黒地にネコと月が描かれた看板を掲げていた。店内には、何組か客が入っているようである。
ちりんと鈴の音を響かせて、ドアが開く。
通りの向こうで喫茶店の様子を眺めていたシュラインたちは、出てきた人物に目を凝らした。
「……居た」
緊張した面持ちで、涼が囁く。
出てきたのは、二人組の青年だった。中背の男と、体格の良い長身の男。タートルネックのシャツにタータンチェックのマフラーを身に着けて、何を警戒するでもなく歩いていく。
涼とシュラインは、背の高い男の容貌を確認して眉を顰めた。
「そっくりね」
「……やっぱり、あれは渋谷さんの……」
背が高いほうが坂崎であるということは、すぐに分かった。
シュラインも涼も、以前あれと同じ顔をした男を見たことがあったのだ。くっきりした眉の形に、彫りの深い顔立ち。精悍さはシュラインたちの知っている青年からは窺えないが、目元が驚くほど渋谷透によく似ている。
「見失う……よ。ぼうっとしてると」
珍しく、時雨が考え込んでいる二人に声をかけて正気に戻らせた。相変わらずマイペースな口調だったが、その目の隅には、かすかに興奮した光がある。
同じ妖刀使いに遭遇して、彼も思うところがあるのだろう。
「倒す……の?邪魔するなら……倒さないといけない……よね」
「ダメよ」
じりじりと背中に背負った刀に手を伸ばそうとする時雨を、シュラインが止めた。
「目立つことはしないほうがいいわ」
「……そのようですね、どうやら」
シュラインの言葉に応えて、涼も苦笑する。
先ほどから、彼らと同じように喫茶店を監視する視線があることに気づいていたのだ。
「なん……で」
「あなたも気づいているでしょう。喫茶店の周りを取り囲むようにしてた人たち」
まさかこの距離で声が聞こえることもないだろうが、シュラインは声を潜めた。
「IO2の連中よ。どういう理由で張り込んでいるのかわからないけれど……」
「特殊能力を使えば、目をつけられること間違いなし、ってことですね」
角を曲がろうとしている二人組を視線で追って、涼が呟く。
「……でも、むこうから攻撃してきたのなら、正当防衛成立……だよな?」
「どうかしら」
と、まだ考え顔でシュラインは呟く。彼女には、太巻の態度がずっと引っ掛かっていた。
「もしIO2の目的が、榊を捕らえることと同時に、能力者を焙り出すことにあるとしたら」
それならば、IO2が、敢えて太巻に接触してきたことにも説明がつく。太巻は筋金入りのアウトローである。
能力者の知人が多いのも周知の事実だし、彼に調査を依頼すれば、能力者に声を掛けることは容易に想像がついただろう。
まさか炙り出しが目的で榊を放置しているわけでもあるまいが、一挙両得を狙っているというのは、ありえそうな話だ。
(問題は、太巻さんがその辺りをわかっていそうだってことなんだけど……)
相変わらず好き勝手なことをやっている男の顔を思い浮かべてため息を吐く。今更、電話をして確かめるというわけにも行かないだろう。
「とにかく、危険は冒さないほうがいいわ。あちらさん(IO2)が、いざという時私たちの言い分を聞いてくれる保障もないわけだし、ね」
「シュラインさんがそう言うなら。……けど、危険が及ぶようなら、俺たちだって黙っているわけにはいかないですよ」
「その時は、その時よ。さ、行きますか」
榊と坂崎は、既に路地を曲がり切ってしまっている。時雨と涼を促して、シュラインは足を速めて交差点を渡った。



「大丈夫!?」
路地の向こうから現れたのは、別行動をしていたシュラインと涼である。その後ろには、黒ずくめで刀を背負った大男……五降臨時雨が続く。途端に騒がしくなった路地に、状況を確かめるように、坂崎は視線を走らせた。
壁に手をついて身体を支えているのは、榊だ。坂崎は、抜き身の刀を車椅子に座ったままの麗人の喉元へ押し当てている。薄暗い路地でも、まるで夕陽を吸い取ったように赤い刀身は、白いセレスティの肌と対比をなして不吉に見えた。
「さかざき……。あれが」
時雨の目が、坂崎の手にする刀にひきつけられる。思わず刀の柄に伸びた手を、シュラインが止めた。
「やめなさい」
短く言った目が、目立つことはするな、と告げている。
「……きみが、榊か」
坂崎の視線を気にしながらも、涼は一歩、壁際にいる榊に歩み寄った。黒い瞳が静かに涼を捕らえた。
「正美さんは無事なのか?おれたちは、彼女を無事に家に帰すように依頼を受けているんだ」
言いながら、内心で涼は動揺を押し隠すのに苦労していた。
まさか、榊がこんなに若いとは思っていなかった。……二十代前半……せいぜい、25,6というところだ。ニュースで放送されるテロリストたちのような険しい目もしていない。
手を出せずに立ち尽くしている涼たちの前で、榊はようやく息を整えて背筋を伸ばした。身体の感覚を確かめるように、拳を握ったり開いたりする。
「IO2か」
短く榊が呟いた。黙ったまま、坂崎が榊へと視線を向ける。
榊は自らの手に視線を落としたまま、しばし物思いに沈んだようだった。
やがて、おもむろに顔を上げて、一歩、二歩と彼らから距離を取る。
「IO2に関わる時は、気をつけたほうがいい」
「……なんのことだ」
涼の鋭い瞳を見返して、榊は口元だけに笑みを閃かせた。軽く首を左右に振る。
「利用されているのかもしれないと思っただけさ。老婆心だったな」
言うなり、背中を向けて歩き出す。
「待てよ、お前……!」
思わずと言ったようすで将之が手を伸ばしたが、視界の隅に移った坂崎の姿に、悔しそうな顔をして足を止めた。榊の後姿は、角を曲がって人気のある通りへと消える。
榊が十分な距離を取ったことを確認したのか、刀をセレスティの首筋に宛てたまま、涼や将之と睨み合っていた坂崎が刀を引いた。
腕を下ろすと、チャリ、と鍔が鳴る。両腕をだらりと下げたまま、坂崎は仲間たちの間を悠然と歩き出した。攻撃に備える気配もない。
「てめぇっ……ちょっと待てよ!」
ざっとアスファルトを蹴って、坂崎に攻撃を仕掛けたのは将之だった。バックパックに忍ばせていた刀を抜き、坂崎の背中に向けて横に薙ぐ。そのスピードと切れに、相手を捕らえたと確信した瞬間、硬いものにぶつかって将之の刀は弾き返された。
金属同士がぶつかりあう耳障りな音が響き、強く振ったはずの腕は、それ以上の強さで跳ね返された。
「……何……」
「力任せの太刀筋では、すぐに軌道を読まれるぞ」
相手の反撃を覚悟して身を硬くした将之に降ってきたのは、刀ではなくて低い声だけだった。一振りで将之の刀を振り払ってみせた男は、それ以上は追撃する様子もなく、悠々と刀を鞘に収めた。
それきり、その場にいる者たちから興味を失ったかのように歩き出す。
「坂崎惣介」
背中から届いた女の声に、角を曲がりかけていた足が止まった。怪訝そうな顔をして、坂崎は声の主を振り返る。
黒い瞳がゆっくりと動いて、シュラインの切れ長の瞳を見つめた。
「産まれてくるお子さんに、透という名前を付けたのはあなたなんでしょう?」
「えっ……」
シュラインの言葉に、坂崎よりも驚いて数人が振り返った。IO2によって渡された資料には、数百年前に名をはせた剣豪としか記載されていないのだ。ただ榊によって呼び出された悪霊だと思っていた男に、過去や家族があるなどとは考えてもいなかった。
「どういうことなんですか?」
「知り合いに、そういう子がいるのよ」
唖然として問いかけた倉菜に、シュラインはそれだけ答えた。多くを説明するのは、後でもいいだろう。
シュラインは、ある事件がきっかけで、渋谷透という名の青年の過去を垣間見たのだ。その中で、二人の男女が、生まれてくる子どもに透という名前をつけるという話をしており……男の方は、彼女の目の前にいる坂崎惣介と同じ名前と顔だった。――かいつまんでいうなら、そういうことである。
黙って足を止めた坂崎に、シュラインは言葉を続けた。
「あなたの息子さんにかけられた血の毒は、呪縛を逃れたわ」
「――なるほど」
ゆっくりと顎を引いて、坂崎はシュラインに頷いた。ゆっくりときびすを返して歩き出す。
その姿からは、彼が何を感じたのかは測り知ることが出来なかった。
「ちょっと……待っ――」
制止の声が届くよりも先に、坂崎の姿は路地を曲がって視界から消えた。
坂崎が遠ざかると、ようやく弾かれたように将之と涼が駆け出す。
角を曲がると、人通りが多い通りに出た。左右を見回しても、ぞろぞろと身長も体格もさまざまな若者たちが、同じようなペースで歩くのみで、肝心の二人組を見つけることは出来ない。
「見失った……くそっ!」
舌打ちする将之の後ろで、時雨が空中に手を伸ばした。まるでスズメが鳴くような声を呟いている。
「何やってんだ……?」
敵を見逃した憤懣のやり場を見失って、将之が不機嫌な声を掛ける。
パタパタと軽い羽ばたきがして、街路樹の一つで羽を休めていたらしいスズメが、大勢の人に臆することもなく飛んできて、伸ばした時雨の指先に止まった。
しきりに首を傾げて、時雨の手の上でスズメは囀っている。
鳥の鳴きまねをして時雨がそっと手を持ち上げると、スズメは彼の指を蹴って飛び立っていった。
「……何?今の」
「二人……探して後を追うように……頼んでみた……」
「……はぁ」
時雨の能力を知らない倉菜は、さてなんと言うべきかと思いながらも生返事をして、灰色の空に吸い込まれた小さな姿を目で追った。

■榊・坂崎
するりと温い風が吹いて、榊は坂崎が追いついてきたのを知る。
12月も半ばの街では、立ち並ぶ店から、耳慣れたクリスマスソングが路上にあふれ出している。一方で若者たちは漂うように街を通り過ぎるばかりで、明るい曲はどこか場違いだ。
「……二人。人の中に一人、今、店から歩き出した男がもう一人」
低く、坂崎が呟いた。彼の人並み外れた感覚は、的確に二人を追うIO2の人数を言い当てる。わかったと言うように頷いて、榊は背後に意識を集中した。
現実と幻との境を感じさせず、彼らに幻影を見せる。しばらくまっすぐ歩いてから、二人は歩道橋を上った。半分まで上り切った位置にある踊り場で足を止めて、背後を振り返る。
それぞれらくだ色とグレーのコートを纏った男が、足早に歩道橋の脇をすり抜けていった。先ほど、坂崎が捕らえたIO2の捜査員である。彼らはいるはずのない坂崎と榊の後姿を追って、足早に雑踏に紛れて消えていく。
彼らが完全に見えなくなったのを確かめて、榊は再び階段を上った。ひっきりなしに車が潜る歩道橋を渡り、通路の向こうへとゆっくりした足取りで歩いていく。
ズボンのポケットに手を入れ、マフラーを首に巻きなおして、榊は空を見上げた。
ビルの切れ間に覗く黒に近い色をした雲は重く、人の気分を憂鬱とさせる。
「……なんていうのかな」
「どうした」
「こういう天気のことを」
海外暮らしが長い榊は、こんな空をなんと表現していいのか知らない。同じように空を見上げた坂崎は、あぁ、と吐息のような声を漏らした。
「今にも泣き出しそうだ、と言えばいい」
目を細めて、榊は笑う。
「日本語はきれいだな」
そして空から落ちてきた最初の一滴を頬に受けて、「あ、泣いた」と呟いた。
見上げた空を、小さな鳥が一羽、横切っていく。
「……あれは」
その鳥影を見送って、ぽつりと坂崎が声を漏らした。
「いいんだ、あれは」
空よりも暗い色をした足元に視線を落として、榊はゆっくりと歩き出した。
彼らが歩いた跡を、ぱらぱらと降り出した雨が、黒い染みへと変えていく。


■太巻・チェン
「見失っただと?」
冷えたなかに苛立たしさの混じったチェンの声を、太巻は右から左へと聞き流した。どうせ、彼が話しているのは、坂崎と榊の後を追いかけていた捜査官である。
チェンが太巻を呼び出す少し前、シュラインからは携帯に連絡があった。時雨が機転を利かせて、小鳥に後を付けさせたのだという。
彼らは都内のマンションへ入っていった、とシュラインは苦々しい口調でそう言った。首尾に不満があるわけではないだろう。だが、思うところはあるに違いない。
今度ゆっくり話を聞かせてもらいたいと、彼女の台詞の端々が言外に語っていた。
顰めたチェンの声を後ろに聞きながら、太巻はゆっくりした仕草でタバコを抜き出し、口に咥える。
ジッポでその先端に火をつけたところで、チェンが通話を終えて大股に歩み寄ってきた。
「サカキの居場所は分かったのか?」
それが相手の神経を逆撫でするのを承知で、太巻は眉を上げ、ことさらゆっくりした仕草でチェンを見た。口元に笑みを浮かべる。
「オタクの捜査員が、追ってたんじゃなかったのか?」
「くだらん嫌味はやめてもらおうか。君も聞いていただろう」
叩きつけるように返事が返る。
指先でタバコを摘んで、太巻はソファに身体を沈めた。
「お前が使っている者たちは、サカキの居場所を掴んだのか、と聞いている」
タバコを吸って、煙を吐き出すまでの間、チェンを待たせてから太巻は鼻を鳴らした。
「路地で撒かれた、ってよ。大方、あんたらの捜査員と同じ手で目を眩まされたんだろう」
太巻の台詞に目を細め、チェンは座ったままの男に、僅かに腰を屈めて顔を近づけた。
「……もう少し協力的になってもらいたいものだな。君の立場を、忘れられては困る」
形式上、日本に詳しいこの男に協力を仰いだことになっているが、所詮立場はIO2の方が強いのだ。いつでも好きな時に、IO2は彼の妻を要注意人物に仕立てて「狩る」ことが出来る。
「サカキは、能力者だ。同じ能力者ならば今回の件に有利に働くと思ったからこそ、この件に彼らの介入を許したのだ」
そして、まだ発見されていない能力者を見つけだし、リストに加算する。
一石二鳥だな、と心中で嘲笑いながら、太巻は肩を竦めて見せた。
「デキのいいヤツの考えることは、ムズカシすぎてわかんねェよ」
一時間ほど前から降り出した雨は、サァサァと耳に心地よい音を立てて、乾いた大地に降り注いでいる。


■サカキ
雨が降っている。細かな水滴が優しく窓を叩き、そっと窓を開くと風とともに雨が落ちる音まで室内に吹き込んだ。
雨は嫌いじゃない。
しみったれた路地が色とりどりの傘に彩られるのが好きだったし、雨が降る音も好きだった。
雨の音に混ざって、小さな鼻歌が聞こえる。
英語どころか国語だって「ワケわかんねーよ状態」な彼女には、ちんぷんかんぷんの曲だ。
ただ、彼が歌うと哀しげに聞こえる。することもないので、彼女は聞いた。
「なに、それ」
静かな部屋に彼女の低い声が響くと、鼻歌が止む。勿体無いことをした。
「……何って?」
「今、歌ってたじゃん。なんて歌?」
「……I believe I can fly」
「どーゆー意味?」
少し考えてから、彼は手を伸ばして窓を閉めた。細く開いた窓の隙間から、雨が降り込んでいた。
「『きっと空も飛べる』」




空だって飛べる。
そう信じて僕たちは…………


雨の音が、思い出も記憶も掻き消してゆく。
晴ればかり続く青い空の下でみた夢は、手を伸ばしてもまだ届かず、今にも見失いそうなほどに遠のいてしまったのかもしれなかった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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・0086:シュライン・エマ
・1481:ケーナズ・ルクセンブルク
・1883:セレスティ・カーニンガム
・2194:硝月・倉菜
・1555:倉塚・将之
・1831:御影・涼
・1564:五降臨・時雨

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NPC
・太巻大介:相変わらずろくでなし。
・榊・リョウ:悪霊使いで幻術使い。
・坂崎惣介:数百年前に非業の死を遂げた剣豪。渋谷透の父親。

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■         ライター通信          ■
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こんにちは!
なんとなくお久しぶりです……。
クリスマスは楽しくお過ごしになられましたか?
一足遅いクリスマスプレゼントのお届けです。
ぷ、プレゼントになっていないとかいうツッコミはなしの方向でお願いします……。
蒼穹の羽、第一部のお届けです。シュラインさんの鋭さには、いつも頭が下がります。
○部作と銘打っておきながら、事件が一話で解決したりするんじゃないかとか……色々恐怖刺激です(嘘です楽しんでます)
ではでは、乱文ですが、楽しいクリスマスをお過ごしください。

在原飛鳥