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宴がはじまる
暑い。
まだ五月だというのに、汗が噴き出す。
森を渡る風も爽やかさを欠き、なんとなく粘ついた感じだ。
苛立たしげに、男が黒い前髪を掻き上げた。
汗が飛ぶ。
鍛え抜かれたサーベルを思わせる長身。印象的な紅い瞳。
巫灰慈という。
肩書きはフリーライター。金になるならどんな記事でも書くゴシップ屋。
そしていま、彼はある事件を追っていた。
行方不明事件だ。埼玉県で六人の児童が連続して消えたのだ。むろん、子供が自分の意志で消えたとは考えにくい。
となれば、
「さらわれたってことなんだよな」
呟く。
子供に対する犯罪が横行する嫌な時代だ。警察の捜査も熾烈を極めた。
だが、いまだに子供たちは見つかっていない。
「‥‥当然なんだけどな」
日本警察は無能ではない。客観的にみてかなり有能な部類に入る。
それでも巫は、警察では子供たちを見つけられないと知っていた。少なくとも生きている状態では。
誘拐された六人は、すでに殺されているからだ。
彼にはそれが判る。
判りたくなくても、判ってしまう。
紅い瞳の青年の特殊能力であった。そして彼のもうひとつの顔だ。
浄化屋、と、人は呼ぶ。
報われぬ霊たちを慰め、向こう側への道を啓いてやる。
もちろん、公言できる仕事ではないし、報酬などゼロに等しい。
「割に合わないよなぁ」
とは、本人の台詞であるが、やめるつもりはなかった。
このあたり、軽薄そうにみえても敬虔なのである。
いま現在はどちらの顔で動いているのか、彼自身にも不分明だった。
ただ、六人もの子供が殺された事件だ。あまり良い記事にはならないだろう。あるいはサディスティックな大衆は喜ぶだろうか。
いずれにしても、記事を書くかどうかはこのあとの展開次第だ。
「書きたくても書けないって状態もあるしなぁ」
戯けたような笑い。
子供たちがすでに亡くなっているということは、殺した犯人がいるということだ。
巫が犠牲者の列に加わらないという保証は、どこにもない。
下草が鳴る。
背後に人の気配。
感じた瞬間、巫は右に跳んでいた。
森の中だ。いつ背後を取られてもおかしくない。
そう思っていたことが吉と出た。
跳びながら身体を半回転させ、相手を視認しようとする。
「ちっ!」
大きくのけぞる青年。
目前に、一〇センチも離れていない距離に相手の顔があったのだ。
正確極まる動きで追尾されたのである。
二転三転と蜻蛉を切る。
いきなり本気モードだ。
猫科の猛獣のような巫の速度についてこれるものなど、そう滅多にいない。
つまりそれだけ油断ならない相手、ということである。
たかが誘拐殺人犯と侮ったら、本気で死者の列に並んでしまうだろう。
一旦距離をおいてから再突撃して最接近戦に持ち込む。
回転しながら、ごく簡単に作戦を立てる。
着地と同時にチャージ‥‥は、できなかった。
赤い光が、正確に巫の額を照らしていたからである。
一分の隙もないポインティング。
「フリーズ(動くなよ)」
正面に立った男。彼よりわずかに年長そうな男が言う。
黒い髪が風にそよいでいた。
そして、右手に握られている拳銃は、絶対にモデルガンには見えなかった。
「‥‥動けねぇよ‥‥」
ふてくされたように応える浄化屋。
銃を向けられて、なお動き回れる人間がいるとすれば、余程のバカか実戦経験のないものだけだ。
実際に撃たれたら、痛いどころの騒ぎではないのだ。
「警察まで来てもらうぞ。一緒に」
「誘拐犯が銃まで持ってるとはな‥‥」
男たちの声が重なる。
まったくかみ合わずに。
「はぁ?」
「だれが誘拐犯だって?」
そして質問をぶつけ合う。また同時に。
間抜けな話だった。
紅い瞳と、黒い瞳が点になっている。
先ほどまでのシリアスなムードはどこに行ってしまったのだろう。
その答えは、ふたりとも持ち合わせていなかった。
「なるほどねぇ」
巫が頷く。
慌ただしく自己紹介がおこなわれ、とりあえず敵ではないということは判った。
マルボロとキャメルが、細い煙を紡いでゆく。
「麗香女史から名前だけは聞いたことがあるぜ。怪奇探偵だったな」
「その異称はやめてくれ」
「じゃあ、武さんって呼ぶわ」
笑う浄化屋。
四歳も年長の人間を呼び捨てにする、というのも気が引ける。
こう見えても、それなりに礼節は重んじるのだ。
「ああ。俺はアルプスの少女って呼んでやろう」
草間武彦と名乗った男も笑う。
「それは勘弁だぜ」
「じゃあ、普通に灰慈だな」
「そうそう。普通が一番さ」
どうでもいいが、わずかな間にどんどん吸い殻が地面を汚してゆく。
ヘビースモーカーが揃えば、まあ当然の結果だろう。
地球に優しくない二人だった。
「で、被害者たちはもう殺されてるっていうんだな?」
黒髪の探偵が訊ねる。
苦々しい表情になるのは、このさいは仕方ないだろう。
警察とは違う切り口で調査していた草間にとっては、努力を無にするような話だからだ。
とはいえ、彼自身、被害者が無事でいるとは考えていなかったのだろう。
「これ以上の被害者を出すわけにはいかないな」
「ああ」
「灰慈はどう解決するつもりだったんだ?」
「この森に死体がある。それを探し出してやるつもりだった」
「それは、浄化してやるために?」
探偵の質問に笑みを返す。
成仏できない霊体が巫に助けを求めたのだ。それが彼の参戦理由である。
だが、おそらく他人に言っても信じてはもらえないし、理解してももらえない。
そういうものなのだ。
「浄化もあるけど‥‥死体が発見されたら警察はそこから犯人までたどり着けるだろ?」
「たしかにな。この国の警察は無能じゃないからな」
軽く頷く探偵。
彼は、むろん巫の内心を忖度したりしなかった。
人それぞれの事情があるからだ。
「だがまあ、とりあえず目的は同じだな。そこで提案なんだが」
「よし。のった」
「おいおい。まだ言ってないぞ」
「即断即決が俺の流儀だからな。それに、武さんが何を提案するのかなんて、すぐに判るさ」
「ほう?」
「手を組まないか。だろ?」
「ご名答」
シニカルな笑みを交わし合う。
森の中。
怪奇探偵と浄化屋。
この時点で、まさかこれほど長い付き合いになろうとは気づいていなかった。
神ならぬ身の上、とは、よくいったものである。
木漏れ日が、二人のうえに落ちかかっている。
終わり
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