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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


警察官、至急現場に臨場せよ!

【オープニング】

「草間!! お前のところのイキのいい若人を、数人、俺に回してくれ!!!」

 人買い業者のようなことを堂々と大声でのたまって、例の悪趣味な呼び鈴を鳴らすのも忘れ、一般人ならまだ夢の中を漂っているに違いない早朝の五時に、決死の形相で駆け込んできた迷惑な客人は、誰かと思いきゃ、草間武彦の大学時代の悪友だった。
 出世コースなどとは大きく外れ、儲かった試しのない興信所で細々と食い繋いでいる草間とは違い、彼は、国家一種試験を一発合格した、いわゆる「出来の良いお役人」である。
 現在は、警察庁に籍を置く警視正。広大かつ豪勢な部屋の真ん中に陣取って、都民の皆様が汗水垂らして作り上げた税金を使い込み、下々の地味に働くお巡りさんを鼻で笑ってあしらっているような、そんな立場の御方が、何故か、へこへこと草間に頭を下げる。
 彼、曰く。

「うちの管内の警察官の半数が、食中毒で倒れたんだ! 人手が足りない! とにかく足りない! 一日でいい。臨時増員に協力してくれ! 頭数そろえるだけでいいんだ。一日凌げば、他から応援が来てくれる。一日だけ、警官のふりをしてくれ! 交番を空にするわけにはいかないんだ!」

 おいおいおい……。草間は思わず苦笑する。
 草間の事務所に出入りしているような、筋金入りの民間人を、たとえ一日とはいえ、警察組織に引っ張り込んでしまって良いものなのか。
 別に俺は止めないけど、と、草間は、ゆったりと、マルボロの煙を燻らせる。
 たまたまこの場に居合わせている者たちを一瞥し、ご随意に、と、呟いた。

「一日お巡りさんをやってみたい奇特な奴は、俺の悪友に力を貸してやってくれ」
 
 どこの世界にでも、物好きはいる。
 数人が、それも面白いかもね、と、名乗りを挙げた。

「何も難しいことはないんだ。警察官の制服を着て、ただ交番に待機していてくれればいい。たまに道案内でもしてやってくれ。事件の少ない、安全な場所に配置するようにするから」

 それなら、難しいことはない。
 派遣された数名は、安心しきって、この妙な依頼に臨んだ。



 まさか、あんな凶悪事件が起きようなどとは、夢にも思わず……。



 交番配置後、数時間。
 無線機が、緊迫した警報を鳴らした。
 司令室係官の、上擦った声が響いてくる。

「銀行強盗事案発生! 場所は遠見区桂木127番地22号。東都大鵬(とうとたいほう)銀行本店! 既に死者一名が出ている模様。客、行員含む四十名以上が建物内に軟禁状態。犯人は複数人と思料されるが、詳細は未だ不明。なお、犯人グループは、拳銃、ライフル銃にて武装済みとのこと。人質の救助を第一に考え、速やかに犯人逮捕を敢行されたい!」

 落し物の受理と道案内に勤しんでいた、なんちゃって警察官たちをも巻き込んで、一つの指令がもたらされた。



「警察官、至急現場に臨場せよ!」





【六人の警察官】

 水上司と、大神森之介が、現場に一着した警察官だった。
 彼らが配置になっていた交番は、被害場所から極めて近い位置にある。信号無視に二つほど目を瞑ってパトカーで疾駆すれば、なんと110番指令から五分後には、早くも目的地に到着してしまった。
 他にもちらほらと警察官が臨場し始めていたが、まだ、ケーナズ・ルクセンブルク、村上涼、海原みたまの姿はない。
「これほどギャラリーが多くなければ、いっそ強行突破してしまうんだが」
 水城が、ぐるりと辺りの人垣を見回して、溜息を吐く。真っ昼間の平日の往来は、恐ろしいほどに人の数が多い。こんな所でその特殊な力を披露すれば、野次馬の記憶に、カメラに、ビデオに、目眩がするほどの量の証拠映像を残すことになるのは、間違いなかった。
 下手をすれば、銀行強盗よりも、世間様を騒がす羽目にも陥りかねない。
「完全に、立て籠もるつもりみたいだ……」
 森之介が、真っ昼間にもかかわらず、がっちりとシャッターの閉じてしまった銀行の出入り口を、睨んだ。中の様子は、全く窺い知ることが出来ない。
 彼の能力を持ってすれば、感じることは可能だ。だが、見ることはできない。それは、彼の兄の力なのだ。神眼に、知覚できないものはない。
「いない兄さんのことを考えても、仕方ない。俺には俺の出来ることから、始めないと……」
 今この場で何が必要か、と、考える。自ずと、答えは出た。
「とりあえず、無関係の人たちを、これ以上巻き込まないようにした方がいいな」
 森之介は、パトカーに戻り、ロープを取ってきた。水城と二人、手早くそれを路上に張ってゆく。警笛を鳴らし、下がれと二人が合図をすると、野次馬が一斉に身を引いた。
 二人は、まずは流れ弾を警戒したのだ。相手は銃で武装をしている。しかも、戦闘用ライフルだ。当然のことながら、射程の長さは半端でない。そして、威力は、防弾チョッキをもやすやすと貫くほどに強力だった。
 きーっと甲高いタイヤの軋みを響かせて、また一台、パトカーが止まった。中から現れたのは、ケーナズ・ルクセンブルク。いかにもゲルマン民族らしい金髪が、今は、くっきりとした烏の濡羽色に染められている。瞳の色も、わざわざカラーコンタクトを使用して、漆黒だった。
 一応、彼としては、日本人に扮したつもりなのだ。が、うまく化けたと思っているのは本人だけで、こんなに目立つお巡りさんも珍しい。
「まだ特捜隊や機動隊は来ていないのか。SATも」
 遅い、と、思わず舌打ちする。彼はドイツで兵役をしていたから、どこか軍人気質が残っていた。この極限状態、遅い行動には本気でイライラさせられる。
「もうすぐ来る……いえ、来たわ」
「マジで本格的ねー。けっこうヤバい事件になりそう」
 ケーナズに遅れること二分。パトカーから飛び降りたのは、海原みたまと村上涼。
 二人は同じ交番に配置になっていた。こんな婦人警官になら補導されたいと思う愚かな男は多いに違いない。事実、二人は、パトカーで交通違反車両を追いかけ回していた最中だったのだ。到着が遅れたのは、そのためである。
 と。
 無線機が、機動隊の現着を知らせた。
 物々しく武装した車が次々と止まり、盾を装備した隊員たちが、瞬く間に壁を作る。なかなかに壮観だが、その盾とても、ライフル弾を防ぐほどではないな、とみたまは冷静に分析した。
 連続して打ち込まれたら、間違いなく貫通するだろう。日本の警察組織の装備は、外国の軍のそれと比べると、あまりに脆い。
「馬鹿なまねはやめて出てきなさい! 要求は何だ? とにかく人質を解放しなさい!」
 交渉役が、前に進み出る。
 目立たないよう隅に寄った五人は、スピーカーで喚く交渉人を横目に、彼らは彼らの為すべきことを話し合った。
「まずは、銀行内部の現状把握、ね」
 海原みたまが言い、
「見取り図が必要だ。防犯カメラの位置、カメラ室の場所、それに、通風口、フロアの構造……」
 水城司が、現実的な意見を添える。
「中の人数は……」
 壁の向こうに意識を集中していた森之介が、訝しげに眉を顰めた。
「四十人……だって? そんな人数じゃない……。もっと……少なくとも百人以上は人がいるぞ!?」
「無線に、誤報が混じっていたようだな」
 ケーナズが、建物を振り仰いだ。
「東都大鵬銀行は、四階建ての建物だ。そのうち、一階、二階が本店。三階、四階は、本部の一部になっている。無線で流れていた人数は、本店の一部分だけだったのだろう」
「結局、正確には、何人いるわけよ?」
 村上涼が、森之介とケーナズの顔を交互に見やる。二人が答えた。
「百二十八人」
「百二十八!?」
 冗談だろう、と、さすがの五人が青ざめたとき、銃声が、轟いた。

 建物二階の窓ががらりと開き、若い男が顔を覗かせた。
 機動隊や銃器対策刑事課の狙撃班が、一斉に、銃口をそちらに向ける。男は泣きながら首を振った。犯人ではないのだ。犯人により、交渉役に選ばれてしまった、哀れで平凡な、ただの人質だった。
「う、撃たないで下さいっ! 犯人たちの言うとおりにして下さいっ! 五十億円と、ヘリコプターを、五時間以内に用意してくださいっ!」
 どよめきが広がる。無理だ、という声が、人垣の中から上がった。五十億円と、ヘリコプター。そんなものを与えたら、みすみす犯人に大金の持ち逃げを許すことになる。
「まずは話し合おうではないか。五十億は大金だ。そんなにすぐ用意できる金額ではない。わかるだろう? ヘリコプターもだ。とにかく、五時間では無理だ。時間が……」
 交渉役が、窓に向かって呼びかける。
「時間はあるはずだ」
 冷たい無機質な声が、それに答えた。



 人質の青年のその遥か後ろに、若い男が立っている。マイクを使って、その男が喋っているのだ。
 誰に聞かなくとも、わかった。この男こそが、主犯だ。他の下っ端とは、雰囲気が違う。気配が違う。従わせることに慣れた者の、威。それは、即興で身に付けられるものではない。
「年末のこの時期なら、どこの銀行も、金は十分に用意されている。五十億を集めるのは、それほど難しいことではないはずだ。だいたい、安い要求額だとは思わないか? 百以上の人命が、わずか五十億で救われるんだ。保険料で換算しても、一人頭五千万にも満たない。実に現実的な金額だろう?」
 揶揄するような響きはない。男は、あくまでも淡々と話す。自らの行いを、そもそも大事と考えてはいないようだった。いい天気だな、と、友人に愛想でも返すような口調なのだ。そのあまりにも平坦な声質が、かえって不気味だった。
 男は、さらに言葉を続ける。
「ヘリの機種も、指定させてもらおう。RAH-68だ。横浜基地にある。最高速度が新幹線をも越えるRAH-68なら、横浜なんて、ご近所も同然だ。すぐに持ってこれるだろう?」
「RAH-68……!」
 ケーナズとみたまが、呻いた。彼らは、職業柄、こういった軍需知識に非常に詳しい。一人は諜報員。一人は傭兵だ。どちらも、肉体の強さはもちろんのこと、それ以上に、知識と情報こそを必要とされる生き方をしてきた。
「な、何よ? そのRAH-68ってのは?」
 村上涼の問いに、まずはケーナズが答えた。
「ヘリコプターの中では、最速最新を誇る、怪物だ。最高速度は、420km/h。重武装、高機動を守りながら、一方でステルス性をも堅持できる。これに追いつくためには、戦闘機を持ち出すしかない」
 みたまが、ケーナズの後を引き継いだ。
「現在のアメリカ陸軍最強のヘリが、AH-64。湾岸戦争、イラク戦争でも怒涛の活躍を見せて、その強さは証明済みね。それを上回るのが、最新型RAH-66。これは、まだ配備すらされていないけど。RAH-68は………さらに、その上」
「それが、日本の横浜基地にあるとなると、間違いなくトップシークレットだよね? なぜ、強盗のあいつが、それを知っているんだ?」
 森之介が、もっともな疑問を口にする。
 話を聞きながらも、視線だけは決して二階窓から外すことの無かった水城が、答えた。
「奴は、ただの強盗じゃないってことだな……」



 イヴ・ソマリアは、一日警察署長のイベントに、参加していた。
 アイドルには珍しくも何ともない仕事。極上のスマイルを浮かべて、安全運転してくださいねー、と、ドライバーたちにパンフレットを配り歩く。
 それでなくとも交通量の多いこの東京、彼女見たさに有象無象の車が集まって、かえって事故が多発しそうな大渋滞を引き起こしているという事実に、署長以下、誰一人として気付いていないのが、いっそ不思議な話ではあった。
 イベントは、平和に進行していた。
 何事もなく、平和なままに終わる予定だったのだ。少なくとも、イヴのマネージャーはそれを望んでいただろう。だが、世の中、事件と病人は時期を待ってはくれない。凶悪事件を報せる警報が、全ての警察官の無線機に容赦なく流れ込んできた。
「銀行強盗事案発生!」
 戻りましょう!と引き止める芸能事務所関係者を振り払って、イヴは現場に駆けつけた。
 理由はともあれ、今の彼女は署長である。管内の警察官全ての身を、案じなければならない立場だ。
 人任せにしてなるものか、と、支配者の意識が働いた。彼女は王族なのだ。異界の女王の妹。責任は、彼女にとって、簡単には放棄できない、生まれながらの義務のようなものだった。

 現場には、草間の知り合いたちがいた。

「ケーナズ!?」
 ぽかんとイヴが口を開ける。驚くのも無理は無い。恋人は、その金髪を真っ黒に染めていた。瞳も夜の闇色だ。おまけに、警察官の制服を着ている。まさかこんな姿のケーナズを拝む機会がこようなどとは、夢にも思わないイヴだった。
「イヴか。そう言えば、今日は一日署長をやるとか言っていたな……」
「状況は?」
 すっと、イヴが真顔に戻る。驚いたのは、一瞬だけ。気難しげな表情の奥で、あれこれと対策を考える。そのたおやかな見かけほど、イヴ・ソマリアは、おとなしい女では決してない。
「人質の人数は、百二十八。死人も出ている。要求額は、五十億。最新型軍用ヘリを、逃走手段として提案。銀行強盗としては、最大規模といっても過言ではないだろうな」
「人質が、百二十八人……」
 イヴが、唯一開け放ってある二階窓を、見上げる。犯人の代わりに立たされた男は、恐怖のあまり顔色が白くなっていた。彼の背にライフル銃の銃口を突きつける形で、主犯格の男が立っているのだ。
 もちろん、外からでは姿は確認できない。だが、草間ゆかりの能力者だけは、その顔を、たちの悪い現実のものとして、認識していた。
「笑っているわ。あの男」
 イヴが、ぎりりと唇を噛む。彼女は恐れる様子もなく機動隊の盾の前に進み出て、交渉人からスピーカーを取り上げた。
「わたしはイヴ・ソマリア。あなたの要求は聞きました。わたしからも、お願いが一つあります。人質を交換しましょう。お年寄り、子供、そして、女性の解放を希望します。これだけの人数を手元に置き見張るのは、あなたの方も大変な負担になるはず。決して悪い取引ではないと、確信しています。時間がありません。素早い返答を期待します」
「人質の対象は? 代わりに建物内部に来る勇気のある人間は、誰になるのかな?」
 男が尋ねる。イヴが答えた。
「わたしが行きます」
「残念ながら」
 間髪いれず、やはり抑揚のない拒絶の言葉が、返ってきた。
「厄介な異能力者を、わざわざ好んで手元に置きたいと、誰が考える? 却下だよ。イヴ・ソマリア。君は危険すぎる」
 思わず、スピーカーを、取り落としそうになる。背筋を悪寒が駆け抜けた。この男はわたしを知っている……! 異能力者、と、はっきりと口にした。少なくとも、彼女が「普通」でないことを、男は当然のことのように知っているのだ……!
「ああ、でも、彼女なら、いいかな。村上涼。君がおいで。歓迎するよ……。もちろん、武装は解いて、身一つでね。代わりに、五十人の人質の開放を、約束しよう」
 二重の衝撃が、草間事務所から来た警察官たちを、襲った。
 主犯の男は、イヴ・ソマリアが能力者であることを、知っていた。そして、村上涼が、草間事務所に所属する者にしては珍しく、異能力を持たない身であることをも、知っていたのだ。
「行くな!」
 無意識のうちに進み出た涼を、司が、捕まえた。細い手首に指先が食い込むほどの、力だった。悪い予感、などでは済みそうにもない、恐ろしいほどの戦慄が、足元から這い上がってくる。
「奴は普通じゃない……。奴も異能力者だ。間違いない……! 殺されるぞ!」
 涼は、普通の人間なのだ。弾丸一発で死んでしまう、ごく普通の大学生なのだ。
 自分を含む、他の能力者たちとは、明らかに違う。草間事務所においては、むしろ異例の、一般人。
「名指しでリクエストされたからには、行くしかないのよね」
 苦々しく、涼が笑う。帯革を外した。警察官の装備一式が、全てこれに取り付けてある。拳銃も、警棒も、武器全てが、ここにある。それを取り除いてしまったら、文字通り、丸腰だ。無線機を持つことすら、許されなかった。
「とりあえず、中で頑張ってみるわ。だから……だから、必ず、そっちも、頑張ってよね」
 助けてね、とは、言わない。それはあまりに他力本願すぎる。まずは自分が足掻かなくては、何も始まらない。異能力者の、銀行強盗犯人か。上等じゃないか! ただの人間にはただの人間の意地があるということを、嫌と言うほど思い知らせてやる……!
「気をつけて」
 止めても無駄だということを、真っ先に悟ったのは、イヴだった。自分と同じ気質を、あるいは涼の中に見出したのかもしれない。
 ふわりと、アイドルが、孤独な人質に抱きつく。涼が驚いてイヴを見返した。
「イヴさん?」
「大丈夫よ。貴女は死なない。二つの異形が、貴女を守るわ」
 その言葉の意味するところが、涼にはわからない。ただ、心配してくれていることだけは理解できたので、ありがとうと、頷いた。
「まぁ、死なないでしょ。たぶん」
 ひらひらと手を振って、涼が歩き始める。銀行の巨大な建物が、まるで、彼女を飲み込もうとしているように、司には思えた。
「あの無鉄砲娘が。何が、たぶん死なない、だ。死なない人間なんて、いないんだよ、馬鹿が!」



 涼が銀行内に入り、代わりに、五十人の人間が、解放された。年寄りと子供が多かった。犯人は、イヴの要求を、少なくとも半分は守ったのだ。
「わたしが行きたかったわ!」
 イヴが、掌が白くなるほど、拳を握り締める。俯いた途端、水色の髪が、豪奢なベールのように落ちて、その表情を隠した。
「わたしなら死なない。弾丸を一、二発くらい受けても、絶対に死なないわ! どうして彼女なの! あんな普通の……あんな短い寿命の人間を、行かせたくなんてなかったわ!」
「落ち着け。イヴ。らしくもない」
 ケーナズの手が、そっと頬に添えられた。なぜか、潮が引くように怒りが萎んでゆくのを、イヴは感じた。
「ケーナズ。わたしは、今日ほど、この身に流れる血と力を、疎ましく思ったことはなかったわ」
 強いから、イヴは主犯の男に煙たがられた。手に負えない、と、判断されたのだ。
 それは、ある意味、名誉なことなのかもしれない。だが、代わりに、彼女とは比べようもないくらい「普通」の人間を、死地に向かわせることとなってしまった。
「俺は、今日ほど、君の持つ血と力に、感謝したことはなかったがな」
 人質を吐き出して、再び不気味なほどに沈黙してしまった銀行を眺めやりながら、ケーナズが呟く。イヴが不審そうに恋人を見上げた。
「どういう意味?」
「おかげで、君は、行かないで済んだ」
 水城の前では、とても言えない、言葉。
 だが、それがケーナズの本心だった。大丈夫、と言われても、それでも、嫌なのだ。理屈ではない。これは感情論だ。理屈の塊のような自分が、こんな感情論を振りかざす事実に、ケーナズは思わず苦笑を禁じえない。
「SATが動く前に、全てを終わらせよう。でなければ、彼女は……」
 Special Assault Team。
 主にテロ戦闘や人質救出等を使命とする、高度に訓練された特殊技能と最先端の装備を誇る、エリート集団。
 SATが動けば、銃撃戦が、間違いなく、始まる。
 


 
 
【闇の中で……】
 
 銀行強盗事件発生は、午後二時四十八分。
 金とヘリを用意するために、主犯の男が提示した時間は、五時間。
 真冬は日没が早く、四時を過ぎると辺りはたちまち暗闇に包まれる。
 タイムリミットの午後七時四十八分に先立つ午後七時、SATによる急襲が、正式に決定された。
 
「銃撃戦が始まったら、人質の無事は保障できないわね。ヤケになって、犯人が人質を撃ち殺すかもしれないし、流れ弾が当たる可能性も高い」
 海原みたまが、五人の前に、行内見取り図を広げる。警察本部からコネを駆使して手に入れたものだ。
「内部の人間の分布は、こんな感じかな」
 大神森之介が、その見取り図に、赤ボールペンで印を付けてゆく。彼の持つ感応能力で探り当てた、人間の分布図だ。人質の位置、犯人の居場所までも、正確に割り出している。五人は、それをすぐさま頭に叩き込んだ。
「一階には、人質はいない。見張りが三名いるだけ。これは無視していいわね」
 みたまが、赤マジックで、きゅっとバツ印を引く。
「作戦は?」
 ケーナズが促す。ちらりと時計を見た。午後六時二十分。時は、容赦なく迫っている。
「奇襲を仕掛ける」
 水城が、言った。
「暗闇を、利用する」
 敵も味方も見えない闇の中では、さすがの強盗犯たちも引き金を引けない。何も見えないのだから、当然だろう。下手をすれば、味方を射殺してしまう。
「どうやって、暗闇を作り出す? 内部にいる村上涼に、建物内の電灯を全て消させるのか? そんな真似をすれば、彼女は間違いなく殺されるぞ」
 もっともなケーナズの意見。目立つ行動を取るものは、とかく死にやすい。
「あの子に、そんな無茶はさせないわ。明かりを消すのは、ケーナズ・ルクセンブルクと、私の役目よ」
 みたまが笑った。
「私?」
 ケーナズが訝しげに眉を顰める。何をさせる気だ……と、ありありと警戒の色が伺えた。
「建物内に電気を供給している配電盤は、二つある。これを同時に破壊すれば、十五分だけ、闇が確保できるんだ」
 森之介が、見取り図の二点を指した。
「配電盤は、この二箇所にある。これを、ライフルで外から狙撃する! これができるのは、みたまさんと、ケーナズさんだけだ。俺は銃なんて使えないし、司さんも、さすがにこれは狙えないって」
 十五分が過ぎれば、予備電源が働き、再び建物内は明かりで満たされる。この予備電源は、外からは物理的に狙えない位置にあるため、放置しておくしかないのだ。
 また、能力も使用できない。超能力も霊力も便利な代物だが、今は、観客が多すぎる。外には、野次馬と警察組織の目が、中には防犯カメラのレンズが光っている。これに映る可能性がある限り、全員、能力は一切使わないと決意していた。
「話は、わかった」
 ケーナズが立ち上がる。
 その彼に、みたまが、SATから持ち出してきたライフル銃を渡した。

「弾丸は、一発だけよ」

 チャンスは、一度きり。
 失敗は、許されない。





【狙撃手】

 正式にSATのメンバーなら、堂々と人前で射撃の腕も披露できるのだろう。
 だが、彼らは、成り行きで警察組織に一日だけ潜り込んだ、民間人にすぎない。
 目立つ行動は、ことごとく控えなければならないのだ。みたまも、ケーナズも、まるで影と闇に紛れるように、ひっそりと行動した。

 五人は、突撃班と狙撃班に別れた。
 みたま、ケーナズを除く三人は、消灯の合図と同時に、銀行内に突入する。先の二人は、弾丸が一発しか入っていない銃を持って、それぞれに都会の死角へと移動した。みたまは550メートル、ケーナズは600メートルもの遠距離から、ガラスとブラインド越しに、配電盤を狙撃する。
 これを成功させるのは、ほとんど神業に近いものがあるが、作戦は、その全てが二人の腕にかかっている。責任は、重大だった。
「この闇の中、遠視スコープなしで、600メートル先にあるものを、撃ち抜けと言うのか。無茶を言ってくれるものだな……」
「草間の友達だもの。無茶と無謀は専売特許よ」
 二人ともに、苦笑する。苦笑しながら、ライフル銃を構えた。ずしりと重い、その質感。照準を合わせる。鼓動すらも、邪魔に感じられた。微かな揺れも命取りなのだ。
 狙うな、と、彼らは、自らに言い聞かせた。おかしな話だが、射撃は、狙ったら駄目なのだ。当てようと思った瞬間、集中が乱れる。的は、照合するための基準に過ぎない。無心こそが、必勝に繋がる。
「……………」
 豪胆な戦士らの額に、うっすらと汗が浮いていた。
 指は、既にトリガーにかかっている。遊び(トリガーを引いても弾丸が発射されない余裕部分)は引ききっていた。これを0.1ミリ動かすだけで、弾丸が銃口から飛び出す。
 ケーナズは待った。みたまも待った。血の巡りすらも止まるような、時の凍るその一瞬を、ひたすらに、待ち続けた。

「来た」

 完全なる、静止の一瞬。
 自分の体が、生命体ではなく、血の通わぬ置物と化す。指だけが……人差し指の、先だけが、動く。

 サイレンサーを取り付けてあるため、あの轟くような爆音は、無かった。

 重い衝撃が、銃身を支える手首や肩を、襲う。
 煌々と輝いていた照明が、消えた。
 闇が、辺りを、覆った。

「次は、そっちの番よ」
「制限時間は、十五分だ。外すなよ……」





【十五分間の死闘】

 水城司と大神森之助は、突入班。二人とも、接近戦が極めて強い。不可思議な術も技もそれぞれに体得していたが、今この場において、そんなものは必要ない。
 肉体こそが、最大の武器だった。強盗とはいえ所詮は普通人相手に、神懸かりな力を行使する気にもなれなかった。
 一階の敵は、わずかに三人。目を瞑っていても、撃退できた。水城は正面のエスカレーターを使い二階へ進入。森之介は、フロア隅の非常階段を駆け上った。
 人質は、二階に一番集中している。一般の客たちだ。彼らこそ最大の被害者だった。金を引き落としたり、振り込みに来ただけなのに、この理不尽きわまりない状況に巻き込まれたのだ。
 唯一死んだ人間も、客だった。働き盛りの、サラリーマンだった。
「もういやあぁぁ!!」
 突如、悲鳴が上がる。中学生の少女の声だった。彼女は、冬休みを利用して、父親と買い物に来ていた。たまたま立ち寄った銀行で、この騒ぎに鉢合わせたわけである。恐慌を来した娘を諫める父親の姿は、ない。事件唯一の犠牲者として、部屋の隅に転がっていた。
 闇を裂いて響いた悲鳴に、強盗たちが、鋭敏に反応する。
 何も見えず、イライラしていたことも手伝って、何の躊躇いもなく引き金に指が置かれた。彼らは、人を殺すことに、幾ばくかの良心の痛みも感じないのだ。そういう感覚が麻痺したクズばかりが、ここに集められていた。
 だが、トリガーを引いても、ライフルの弾は発射されなかった。弾は、銃口に詰まった何かに発射を妨げられ、暴発した。
 爆発の光の中に、半身を吹き飛ばされた男が、声もなく崩れ落ちる。即死だった。
「自業自得だな」
 水城が、呟く。暴発は、むろん偶然などではなかった。最新鋭のライフル銃が、そもそも簡単に暴発などするはずもない。
 水城は、愚かな強盗に対する制裁を、極めて自然な形で取った。自らの手を極力汚さず、使用する能力を最小限に抑え、相応しい死を与えた。水城が咄嗟に行ったことは、一つだけだ。すなわち、ライフル銃の銃口内に、弾丸を魔力で精製したのである。
「構わんぞ。撃っても。暴発して、その男の二の舞になるだけの話だ」
 静かな脅しが、強盗たちから、引き金を引く勇気を奪い去る。
 もたつく彼らが、体勢を立て直す暇を、むろん、水城が与えてやる義理もなかった。
「後悔を、地獄ではなく、刑務所の中で行えることを、感謝するんだな」



 真っ暗で、何も見えない。父親を目の前で殺された少女は、ガタガタと震えながら、その場に蹲っていた。立ち上がる気力もない。このまま自分も死ぬんだと、絶望的な思いでそう考えたとき、不意に、頭の上に、大きな手が置かれた。
 一瞬、父親かと思った。
 驚いて、顔を上げる。
「大丈夫。必ず助けてあげるから」
 そう言って、笑ったのは、警察官の青年。少なくとも、少女の目には、警察官に見えた。それが、大神森之介という臨時雇いの警官であることなど、むろん、彼女は知らない。
 制帽を脱いで、森之介は、それを少女の頭の上に置いた。そうすることが、彼女を落ち着かせるには一番だと、理屈ではなく感覚で、判断したのだ。
「お守りだよ。君のお父さんは、助けることが出来なかったけど……これ以上、一人だって、絶対に犠牲者を出したりしないから」
 森之介が、少女を立たせる。立つことが、出来た。
「他の皆さんも。中央のエスカレーターから、一階に降りてください。裏口の鍵は外してあります。そこから、外に出られます」
 人質になっていた人々から、歓声が上がった。啜り泣く声も聞こえる。互いに互いを支え合うようにして、人々が、歩き始めた。お巡りさんは?と、少女が、不安そうに、森之介に尋ねた。
「お巡りさんは、外に出ないの?」
「上の階に、まだ、閉じ込められている人が、いるからね」
「でも……でも、危ないよ」
「そうだね。でも、それが、仕事だからね」
 ぱちん、と、大神が指を鳴らす。黒子が、しかも懐中電灯付きで召喚され、人質たちの前に立った。誘導役なのだろう。……一体どこから現れたのか、などという現実的なことは、考えてはいけない。
 とりあえず、黒子と懐中電灯がいれば、暗闇の中を迷わずに歩ける。重要なのは、それだ。この際、他は気にするべきではない。
「大神!」
 森之介を呼ぶ水城の声がする。そう。十五分しか、時間がないのだ。悠長に話している暇などない。
「行くんだ。……早く!」
 森之介が、身を翻す。お守り代わりに託した帽子だけが、彼女の手元に、残った。





【内部崩壊】

 村上涼は、四階にいた。
 四階では、唯一の人質だった。他の人々は、二階、三階に集中している。
 自分だけがここに連れてこられたことを、涼は、あれこれと一生懸命考えていた。両手両足を縛られ、猿轡を噛まされ、さらに床の上に転がされている状態だ。考えるくらいしか、することが残っていなかった。
 さぁ、どうするかな?
 とりあえず、この窮屈なロープを解くことが先決だろう。
 涼は、ゆっくりと、握り締めていた拳を解いた。掌の中にあるのは、ガラスの破片。
 人質になる前、涼は、こっそりと、それを袖に忍ばせておいたのだ。いざとなれば、自力での脱出が可能なように。彼女には、特別な力は何もない。時々、理不尽な所から金属バットを持ち出すのがせいぜいだった。
 彼女の最大の武器といえば、その頭の中身だった。冷静でありさえすれば、自分がどう動けばよいか、的確に判断できるのだ。
 ロープを、ガラスの破片で、切る。猿轡を解き、足に絡みつく縄も外した。
 次の行動は?
 また考えを巡らせたとき、不意に、異形の存在と、眼があった。
 
 思わず上げそうになった悲鳴を、涼は、すんでの所で堪えた。
 幸い、四階には武装した強盗はいない。だが、悲鳴など上げようものなら、間違いなく誰かが駆けつけることになる。咄嗟に両手で口に蓋をした。一呼吸、二呼吸、と、心を落ち着かせる。
 改めて、目の前にいる者たちを、見つめた。
「な、何なのよ。キミたち……」
 二つの人影が、G・ザニー、D・ギルバという狭間世界の住人であることを、涼は知らない。
 だが、この場合、知識など無くても、彼らが異常な者たちであるという事実は、嫌と言うほど理解できた。
 姿も、気配も、何もかもが、人間とは違う。銀行強盗事件、という、ある意味現実的な世界観に、彼らが登場していること自体、不気味でならなかった。
「おいおい。ザニーよ。このお嬢ちゃんが、お前の言う『強い気配』なのかい? 俺にはとてもそうは思えないんだがなぁ」
 揶揄するように、ギルバが口を開く。一瞬見ただけでは、何処が口かわからないほど常人離れした姿をしているのに、声は人間そのものだった。着ぐるみかしら、と、涼が思ったほどだ。
「この女ではない。気配は……消えた」
「マジかよ!? わざわざ出てきてこれかよ! 面白くねぇなぁ……。行き掛けの駄賃に、下にいる糞虫どもの命でも刈り取っていくか」
「興味ないな。行くなら一人で行け」
 ザニーにしろ、ギルバにしろ、彼らは強者を好む。ザニーは強い魂を食らうことを至上の愉悦としているし、ギルバは戦いこそがその存在意義だ。対象となりうる者がいなければ、たちまち興味は薄れてしまう。
「待ちなさいよ」
 さっさと帰ろうとした二人を、涼が引き留める。
 ギルバが聞いた。
「何か用か? 女」
「せっかくここまで来て、さっさと帰るって手もないでしょ。協力してよ。人質を逃がすの」
「くだらない。なぜ、そんなことを、この俺が手伝わなければならないんだ?」
「出来ないなら、いいわよ。無理には頼まないから」
「何だと?」
「ただ殺すなんて、簡単だものねぇ。生きたまま一網打尽の方が、遙かに難しいわけだし。いいわよいいわよ。帰れば? 止めないわよ。私一人でやるから結構よ」
 涼が、さっと身を翻す。
 挑発されているのはザニーもギルバもわかったが、逆に、面白い、とも思った。何の力もない、平凡きわまりない女が、何かを企んでいる。それを見るだけでも、話のネタにはなりそうだ。銃がなければ無力な強盗をいたぶるよりも、見応えがあるかもしれない。
「俺は行くぜ。ザニー。暇つぶしだ」
 ギルバが、涼に付き従う。仕方ない、と呟いて、ザニーがその後を追いかけた。



 三階は、強盗たちの溜まり場になっているようだった。広大なフロアの至る所で、銃を片手に、男たちが歓談している。人質は、さらに向こうの部屋にいるようだ。機動隊に囲まれているのに、この余裕は何だろうと、涼は首を捻らざるを得なかった。あるいは逃げ切れると確信しているのだろうか。
 部屋に取り付けられた防犯カメラは、全てが正常に作動していた。
 涼は、背後の二人を振り返る。
 自分はいい。警察官の格好をしているし、普通の人間だ。だが、異形の者たちの姿を、カメラに残すわけにはいかない。大騒ぎになる。他の皆も、それぞれ、おかしな噂を立てないように、極力、力を押さえて事に及んでいるのだ。ここで三人が派手に騒いだら、全てがぶち壊しになってしまう。
「どうする気だ?」
「スプリンクラーよ」
 涼の言葉が、咄嗟に、ギルバもザニーも理解できないようだった。
「スプリンクラー?」
「火事の時とかに、水を蒔く、あれよ、あれ。動かしたいのよ。何とかならない?」
「火事でも起こすのか?」
「まさか! 強盗の連中はどうでもいいけど、人質の命の方がヤバイわよ。とにかく水を撒きたいのよ。それだけ」
「誤作動させれば、いいわけだな……」
 ザニーが、すっと両目を細める。涼にはまったく感じられないが、彼の持つ霊力干渉で、場の空気を乱したのだ。もともと機械と霊力は切っても切れない仲にある。その能力の無い人間よりも、警報機器の方が、時にはよほど敏感だ。
 ヴン、低い唸り声がしたかと思うと、部屋中に、細かい雨が降り注いだ。
「やっぱ連れてきて良かったわ。うん」
 涼が頷く。強盗たちが、水浸しになった。だが、それだけだ。スプリンクラーの水では、当然だが、誰にも何にもダメージを与えることなど出来ない。ライフル銃を無力化するだけの水力も水圧も期待できなかった。
「何をする気だ?」
「次の手順。そこの配電盤、開けて」
 ギルバが、取っ手のあたりを掴むと、簡単に蓋が壊れた。中で無数にうねっている電線を、涼は、無造作に引きちぎった。
 さすがに気付いた強盗が、はっとして銃口を構える。何発かが火を噴いたが、涼の前には、二人の異形の者がいる。銃弾など、効くはずがないのだ。ザニーとギルバが受け止めた弾丸が、ばらばらと床に落ちた。
 二人を盾にした状態のまま、涼が、火花を上げる電線の先を、濡れた床の上に、投げ捨てた。

 感電、の二文字が、強盗たちの脳裏に浮かんだ。やめろと叫んだが、むろん、涼がそれを止めるはずもない。

「これ、予備電源だから、そんなに強い電圧はないみたい。しばらく動けなくなるとは思うけど。死ぬほどじゃないから、安心して眠りなさいよ。次に目が覚めたら、間違いなく、留置所の中だろうから…………今日が、ゆっくり眠れる、最後の機会になるかもよ?」





【追いつめる者】

 イヴ・ソマリアが向かった先は、銀行ではなかった。その隣にある、六階建ての真新しいビルの屋上を、彼女は目指したのだ。
 水城と大神の二人がいれば、攻撃力は十分だった。二人ともに、つまらないミスで命を落とすような、馬鹿でもない。
 十五分間の死闘よりも、イヴ・ソマリアには、気になることがあった。主犯格の男の存在だ。あれの正体を見ない限り、事件は真に終わりを迎えないと、彼女は本能で悟っていたのかもしれない。
 隣のビルの屋上に、男はいた。
 銃は持っていない。手ぶらだった。
「何となく、ここに一番初めに来るのは、君のような気がしていたよ」
 男が、笑う。
 強盗は失敗したのに、それを悔しがる様子もない。
「目的は何かしら? 強盗さん」
「さぁ……何かな? 遊び、かな」
「遊び……」
「退屈しのぎには、なっただろう? なるべく犠牲者は出したくなかったんだけど、一人、馬鹿な部下が客を射殺してしまったのが、誤算だったな。……そいつは殺してやったけどね」
「あら、そう。美学のつもりかしら? でも、そういう中途半端な美学は、かえって見苦しいだけよ? 強盗さん……。呼びにくいわね。名前教えてくれないかしら?」
「天下のイヴ・ソマリアに、名乗る名前なんて、ないな。強盗さんでいい」
「それも美学? それとも、臆病なだけ?」
「どちらでも。お好きなように」
 不意に、屋上のフェンスが、音を立てて弾けた。

「聞こえるか、イヴ」
 ケーナズの声が、頭の中に響いてくる。イヴは振り返った。遠くで、ケーナズが、この光景を見ていたのだ。フェンスが弾けたのは、彼が、そこに銃弾を撃ち込んだからに他ならない。目立たないように監視カメラが仕込まれていたことに、遅まきながら、イヴは気付いた。
「ケーナズ」
「能力は使うな。イヴ。他にもカメラが仕掛けられている可能性は高い。気付いた物から壊していくが……そいつは食わせ物だ。目的が知れない。関わりすぎるな」
「良い恋人だね」
 くすり、と、男が笑う。
 イヴ・ソマリアの、美しいというよりは可愛らしい容姿に、氷で出来た針のような、鋭い敵意が浮かんだ。
「盗み聞きとは、良い趣味ね」
「聞いて欲しくない会話は、こそこそとするものさ」
「素晴らしく自分勝手な主張だわ。そういう人間は、嫌いじゃないわよ? 命を奪っても、良心が痛まずにすむもの」
 すっ、と、イヴが一歩を進める。牽制するように、男の足下に、ケーナズが放ったライフル弾が散った。
「後がないわよ? どうする気かしら?」
 フェンスが壊れて一部が無くなってしまったため、男は、落ちれば即死は免れないぎりぎりの縁に立っていた。一歩でも後退すれば、間違いなく足を踏み外す位置だ。
「俺はもう行くよ。イヴ・ソマリア。これ以上ここにいて、もう一人、強い女を相手にするのは、正直、身に堪えるからね」
 海原みたまが、こちらに向かっているのだろう。確かに彼女も強い。
 ぐらり、と、男の体が、傾いた。闇の中に沈むように、奇妙にゆっくりと、落ちてゆく。古い映画のビデオを、スローモーションで見ているような光景だった。あまりに現実感がない。縁に駆け寄り、見下ろすと、男の姿は何処にもなかった。消えていた。
「結局、目的は……」
 遙か眼下から、良かった良かったと、はしゃぐ声が聞こえてくる。険しかったイヴの顔が、ふと緩んだ。五時間にも及ぶ死の恐怖と緊張から、人質たちが解放されたのだ。

 それにしても。
 イヴは肩をすくめる。
 囚われのアイドル、演じられなかったのが、残念。
「頼むから、あまり無茶はやらないでくれ」
 見透かしたように、ケーナズの言葉が頭に響く。
 仕方ないわね?
 イヴは笑った。危険な演技は、ケーナズのいない所で、楽しむとしよう。

「明日の新聞の見出しが、ちょっと楽しみだしぃ?」

 いつもの調子が戻ってきた。
 イヴの予想通り、強盗たちと勇敢に交渉する人気アイドルの姿が、過ぎる年の全新聞の一面を飾った。





【真実】

 昨今希に見る強盗事件が、随分と長いこと新聞紙上を騒がしたのは、言うまでもない。
 同日、同時刻、近くの骨董屋で、小さな盗難事件があったことなど、誰が注意を払うだろう?
 存在すら忘れ去られていたその事件を、敏感に嗅ぎ付けたのは、海原みたまただ一人だった。死地を渡り歩く傭兵としての長年の勘が、どこか作り物めいた今回の銀行強盗騒ぎに、鋭く警報を鳴らしたのである。
「盗まれたのは、刀」
 他五名を前に、みたまが口を開く。ある者は意味を計りかねて、ある者は素早く予測を立てて、傭兵の次の台詞を待った。
「連中は、銀行強盗が目的ではなかった。下っ端はともかく、少なくとも、主犯の男は、違った。強盗は、手段だった。目的は、初めから、この盗まれた太刀だったのよ」
 強盗事件が起きなければ、盗難事件は、一面とは言わなくとも、恐らく新聞に取り上げられていただろう。
 なにせ、盗まれたのは、刀である。殺傷力のある立派な武器だ。それに加えて、美術品としての価値も決して無視できない。
 ただの空き巣とは訳が違うのだ。本来なら、それなりの規模で、世間様を騒がしていたはずだった。
 だが、「小」は「大」に完全に呑まれた。
 ローカルな地方新聞さえも、それを無視した。今年最後の強盗検挙に沸き返って、警察すらも、顧みなかったのだ。

「刀の名は、夜光牙」

 みたまの後を引き継ぎ、草間が、沈鬱な表情で呟く。
 彼だけは、その刀の価値を知っていた。

「神を宿し、神を封じた、太刀だ。またの名を……天叢雲。日本の神刀、草薙の剣だ」





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0381 / 村上・涼 / 女性 / 22 / 学生】
【0922 / 水城・司 / 男性 / 23 / トラブル・コンサルタント】
【1481 / ケーナズ・ルクセンブルク / 男性 / 25 / 製薬会社研究員(諜報員)】
【1548 / イヴ・ソマリア / 女性 / 502 / アイドル歌手兼異世界調査員】
【1685 / 海原・みたま / 女性 / 22 / 奥さん兼主婦兼傭兵】
【1974 / G・ザニー / 男性 / 18 / 墓場をうろつくモノ・暴食神の化身】
【2235 / 大神・森之介 / 男性 / 19 / 大学生 能役者】
【2355 / D・ギルバ / 男性 / 4 / 墓場をうろつくモノ・破壊神の模造人形】

お名前の並びは、整理番号順です。
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■         ライター通信          ■
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ソラノです。
初めまして。ケーナズ・ルクセンブルク様、イヴ・ソマリア様、海原みたま様、D・ギルバ様。
いつもお世話になっております。村上涼さま、水城司さま、G・ザニー様、大神森之介さま。
一日警察官物語をお送りします。プレイングと違っていたり、予想外の行動をしていたりと、悲喜こもごもの内容となりましたが……少しでも楽しんで頂けると幸いです。
SATや戦闘用ヘリ等の内容については、3分の2が真実、3分の1が物語構成上の虚構です。あくまでも異界のお話、ということで、ご了承下さい。

なお、最後に出てくる「夜光牙」については、かなり以前の草間興信所依頼に登場しますが、基本的にそれぞれの依頼文は独立していますので、無視してくださって大丈夫です。

G・ザニー様、D・ギルバ様。
今回の話は、オープニングや注意書きにも明記してあったように、「警察官として現場へ行き、人質を助け、犯人を引っ捕らえる」というものです。
人間の姿形をしていないPCさんは、活躍しにくいお話です。(警察官の格好を出来ない上に、人目に付きすぎますので)
また、プレイングが皆無では、PCさんが何を希望されているのかわからず、ライターとしてはどうすることも出来ません。
お申し込みの際には、依頼文や注意書きを熟読した上、プレイングを細かく設定されることをお願いいたします。