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<東京怪談・PCゲームノベル>


インタレスティング・ドラッグ:1『蔓延』


「実は……判断をつけかねていまして」
 草間興信所のソファーに坐っている黒服に黒眼鏡の男は、そう口火を切った。そして、テーブルの上に、写真を広げた。相対していた草間の眉がひそめられる。探偵は、短くなったマルボロをねじるように灰皿に押し付けた。
「酷いな。……今、評判のアレか」
「察しがいいですね。ええ、ここ数カ月、都内で連続する猟奇殺人ですが……もし、これが、ただの殺人事件――というのも何ですが、猟奇的であっても、通常の、人の為す犯罪であるなら、それは警察の管轄です。あるいは、草間さんの」
「本来は、な」
 黒眼鏡が苦笑する草間を映しだした。
「警視庁のプロファイラーも困惑しています。被害者の選定、殺害方法、周期、地域、いずれもバラバラです。そして数が尋常でない。まるで――」
「…………」
「東京中で、複数の猟奇殺人者がいっせいに活動をはじめたとでもいうように」
「案外、そうなんじゃないのか」
「だとしても、それは偶然ではありえませんよね。……もし、この背後に、人知を越えたなにかがかかわっているとすれば、私たちの仕事になります。だが、現状ではどちらとも判別する材料がない」
「それで俺か」
「“境界”に立つ、草間さんだからこそ、お願いできるのです」
 零がそっと置いていった緑茶を啜って、彼は続けた。
「ところで、草間さん。『ギフト』という名の薬をご存じで?」
「よく効く頭痛薬なら教えてくれ」
「麻薬の類と考えられています。一種の都市伝説のように情報が流布しているのですが」
 とん、と、彼の指が、テーブルの上の一枚の写真を示した。
 凄惨な殺人現場の、目を覆いたくなるような有様を写した写真――その片隅に、ぽつんと、それが写り込んでいる。
「噂では『ギフト』は赤と青のツートン・カラーのカプセルだと」
「これが、その?」
「わかりません。それは現場検証時に撮られた写真ですが、押収された物件の中には、そのようなカプセルなんて、どこにもなかったのですからね」
「消えた証拠品、か。……それがなにか、関係が?」
「わかりませんが、『ギフト』の噂の広がりと、殺人事件の急増の波は重なっています」
「ドラッグに、猟奇殺人。……世も末だ」
「何かが起ころうとしている――そんな気がするんです。この、『東京』で」

■ シリアルキラー ■

 確かに一瞬、あのカプセルを見た。
 ――そんな気がした。
 シュライン・エマが立ちすくむように歩みを止めたのは、JR渋谷駅前の交差点である。
 土曜の夜の、渋谷の街の混雑は尋常ではない。煙草の匂いのしみついた興信所のデスクに座って報告書をタイプしていたり、自宅にこもって原稿の締切に追われていると忘れそうになってしまうのだが、シュラインとて二十代の若い女性なのだ。本来ならば、今も着飾って、いかにも当世風のメイクをし、ボーイフレンドと連れ立って彼女を追い越していった女の子たちの側にいてもおかしくはないのだった。
 ときどき、この人混みのなかに身を置くと、そんなことを思ってしまって、シュラインはそっと内心で苦笑する。このサタデーナイトに、私は何をしてるの? 刑事でもないのに、新種の麻薬の出所を探し歩いているなんて!
 だから、そのカプセルの映像が目に飛び込んできたのも、とうとう幻覚が見え始めたのか、と、シュラインは疑いさえした。
 だがそうではないのだ。
 人々の頭の上で、めまぐるしくCMを流し続ける巨大スクリーンに、写し出された映像。
 たしかSHIZUKUとかいう、最近、人気の若い女性歌手の、プロモーションフィルムだったと思う。クラブのVJが流す映像のように、細切れのカットをつなぎ合わせた中に、ほんの一瞬だったが、見覚えのある赤と青のツートンカラーを見たのである。
 自他ともにみとめる鋭敏な聴覚に加え、彼女はまたいわゆる「目ざとい」ほうだと言うことができただろう。だてに草間興信所の手伝いを長年つとめていない。まして、今回は特に意識して、例のカプセルの形状についてはしっかりと記憶に刻み込んでいたのである。
 しかし、いったいどうして……?
 予想外のことに、シュラインは呆然と、その場に立ち止まったままだったが、信号が赤になりかけていると知って、あわてて交差点を渡り切る。
(まあいいわ)
 とりあえず、今は記憶にとどめておけばいい。どのみちすぐには調べようもないことなのだ。彼女は、目下の目的のほうへ意識を引き戻した。
 すなわち、件の薬の売人に関する情報である。
 雑踏をすりぬけ、慎重に、裏通りのほうへ、彼女は入り込んでゆくのだった。

「結論から言うわ」
 その数日前。シュラインは、草間に資料の束を渡しながらそう告げていた。
「“同時多発説”が正解」
「ほう――自信があるな、シュライン先生」
 シュラインはちょっと肩をすくめてみせる。
「それぞれの犯人が違う証拠がある、というよりは……そうね、いくつかの事件ごとに、同じ犯人だという顕著な特徴が見られる、といったほうが正確かしら。見て、分類整理してみたの」
 彼女は興信所のホワイトボードに、手製の地図――既製の白地図の上に書き込みをしたもの――をマグネットで貼り出した。都内の市街地図の上に、点々と、色とりどりの点が打たれ、aとかbとか、文字が付されている。
「同じ文字は、殺害の方法が似通っている事件。たとえばaのケースは注射器のようなもので血を抜かれて失血死させられている、bは絞殺の後、必ず死体をどこかに吊るしているわね」
「ふむ」
「で、色は事件が起こった時期。赤が10月、オレンジが11月……」
「全域ではじまって、まんべんなく起こっているな」
「ええ。でも、文字別で見てみて。同じ文字のポイントは比較的近くか、限られた範囲にまとまっているでしょう?」
 草間武彦は、ゆっくりと、煙草の煙を吐き出した。
「全部はとても追い切れないな。いくつかピックアップして、調べてみるしかないか……。例のクスリとの関係はどう思う」
「今の時点では何とも」
 シュラインの指が、例の写真をつまみ上げた。
「赤と青のカプセル……『ギフト』――贈り物、ね。……贈り物といわれても、なんだかね、あまり貰って嬉しそうなものじゃないわね」
 窓の外は陰鬱な冬の曇天。暗い空気が、興信所にはよどんでいる。
「とにかく、もうすこし調べてみるわ」
 シュラインは呟くように言った。
 写真の中のカプセルは、謎そのものの結晶であるかのように、なにも物語ろうとはしていないようだった。

■ 求めよ、さらば与えられん ■

「え?」
 ネットワークの片隅で、その情報に行き当たったとき、シュラインは思わず、小さく声を出してしまったのだった。

  『ギフト』は暗号のメッセージで呼び掛けたら、誰でもタダでもらえるんだって。

「タダ……?」
 困惑の色が、彼女の瞳を曇らせた。
「それじゃあいったい……誰が、何の利益を得ているっていうのかしら。タダで配っている……誰でも手に入れられる……」
 口の中で得られた手がかりを反芻する。
 やがて、その口元に、挑むような不敵な笑みが浮かぶ。
「いいわ。じゃあ、私もひとついただこうかしら」
 そして、ヴェテラン調査員の指は、さらなる情報をもとめてキーを叩いた。
 それが、昨夜のことである。
 シュラインは今、人気のない、夜の街の裏通りにいる。そろそろ時刻は真夜中。渋谷とはいえ、本通りを離れると意外に静かなのだ。
 目印は電話ボックスだった。

  ××町の電話ボックスの前でね、自分の携帯電話で、午前0時の時報を聴くの。

 うさんくさい話だ、とシュラインは思った。暗号というより、まるでおまじないだった。だが、その真偽はやってみればわかること。
『×月×日、午前0時、ちょうどを、おしらせします』
 アナウンスがそう告げるのを確認して、彼女は携帯を切った。
(もしこれで、本当に接触があるとしたら)
 油断なく、周辺を見廻す。
(やっぱりこれは怪奇事件だわ。……でなけりゃ、電話会社が黒幕ね)
 コツコツ――
 はっと、彼女は闇の向こうを注視した。
 革靴の足音が近付いてくる。
 山高帽をかぶった、男のシルエット。フロックコートを着た、中年の男のようだった。
(『ボウシヤ』……)

  そうしたら『ボウシヤ』が来てくれる。彼が『ギフト』をくれるよ。

「与えられることを望むのか」
 男の声が告げた。
 シュラインは、その声が、奇妙に抑揚のない、不自然な声だと気づいた。声量も音程も、声質も、体格や年齢に相応の声には違いない。いや、むしろ相応過ぎる。まるで慎重にプログラミングされた、人工の音声のようなのだ。
「望んだら……あれをくれるの?」
 シュラインは応える。
 山高帽が頷き、コートのポケットから、それを取り出した。
 電話ボックスの灯りが照らし出したのは、赤と青の、ツートンカラーの小さなカプセル――。
 シュラインは手を出す。男がその手の中に、ひと粒の薬を、ぽとり、と落した。
 ぐっ、と、渡された薬を握り込み、彼女は、目の前の男を見据えた。
 それなりに整った造作の、しかし、これといって特徴のない顔だと思った。そして、そのおもては完全に無表情なのである。まるで、仮面か、人形ででもあるかのようだった。
「それが『ギフト』だ。おまえは与えられるだろう」
 機械のように、男は言った。
 そして、きびすを返し、来たときと同じように、去っていこうとする。
 追うか、それとも。
 躊躇するシュラインの耳は、しかしそのとき、別な方角にひそむ、人間の気配を感じ取った。
「誰――?」
 ゆらり、と、電柱の陰から、その男があらわれた。
「こんばんわ」
 まだ若い男だ。
 ほとんど金髪に近い茶髪に、着くずした派手な色のソフトスーツ。ホストを連想させる風体といえば、いちばんよく当てはまる。
「見ぃーちゃった」
 くくく、と、忍び笑いを漏らした。あまり品の良い笑い方ではない。細面の顔立ちそのものは整っているのに、雰囲気がそれを台無ししている、と、シュラインは思った。
「いけないクスリ。お姉さん、それ飲むつもり?」
 小首を傾げて問うた。
「…………」
 この男はなにかがおかしい。……あの『ボウシヤ』のような、決定的な異質さというよりも、あくまでも人間の範疇ではあるが、どこか調子のくるった……そう、静かな狂気のようなものを内に秘めている。
「返事くらいしてくれても、いいのになァ」
 へらへらしながら、近寄ってくる。シュラインは思わずあとずさった。
「あなたこそ……誰なの」
「ボク? ボクはねー、ジョージっていいまァーす」
 そして、なにが可笑しいのか、ひとりでげらげらと笑った。
「ねえ、ねえ、お姉さん。一緒に遊びにいかない?」
 ちらりと目だけを動かせば、『ボウシヤ』は、とっくに闇の向こうに姿を消していた。
「悪いけど、また今度にしておくわ」
「ちっ、ちっ、今度っていつさ、今度ってェ」
 立ち去ろうとするシュラインの行く手に、男は回り込んで言った。
「ちょっとくらい話聞いてくれたっていいじゃーん。お姉さんも、もう仲間なんだからさァ」
「誰が……」
「『ギフト』」
 男の目が、ふいに、真剣な光をおびた。
「慣れないうちは、いろいろ大変なんだぜ、それ」
「…………」
「いいから来なよ、オレたちの仲間にしてやるからさ」

■ 人喰い鮫、注意 ■

 シュラインは自分の直感を信じることにしている。
 いかに、『ギフト』の真相につながりそうな手がかりだったとはいえ、男の言いなりにならず、脱兎のごとく駆け出してきたのは、正解だったはずだ。
 あの男は危険だ。彼女の勘がそれを告げていた。
 まさしくそれを証明するように、背後から男の怒号が追い掛けてくる。
「待てよこのアマ! バラされてえのか!」
 このまま追いかけっこを続けるのは得策ではない、と、シュラインは思った。なんとか表通りまで出て、車を拾うか人混みにまぎれてしまえば――
「逃がさねェぞ、コラ!!」
 口汚い罵りの声とともに、シュラインの耳は、なにかが空を切る音をとらえた。
(え……?)
 振り返ったときには、遅かった。
「――っ!」
「命中〜」
 げらげらと下卑た笑い声がはじける。
 シュラインの指が、喉をかきむしったが、それは外れることはなかった。いや、というよりも、それに触れることさえできないのである。にもかかわらず、はっきりと、強い力で彼女の喉は圧迫されていく。
(息が――でき……な……)
 もがいても、事態は好転しない。
 傍目に見れば、彼女の首に、光る首輪のようなものが嵌っているように見えたはずだ。
「オレさまを甘く見てると、こういう目に遭うんだよねェ」
 ジョージと名乗った男が、冷酷な目で、苦しむシュラインを眺めている。
「どこに吊るしてやっかな〜」
 シュラインの視界が赤く染まった。同時に、スパークする記憶。
(bは絞殺の後、必ず死体をどこかに吊るしているわね――)
「もがいてもムダだよ、だんだんキツく締ってくからね、ソレ。『ハング・ザ・DJ』っつうの。オレがもらった『ギフト』ってわけ」
 そんな男の声も、しだいに遠くなり――
 シュラインは冷たいアスファルトに膝をついた。
 目の前が暗くなる。
 だが。

「化け物が」

 悲鳴――
 シュラインは、身を折って、はげしく咳き込む。肺が、新鮮な空気をもとめて喘いだ。
(な……)
 路上にうつぶせに倒れている男の背中には、ざっくりと、無残な袈裟がけの傷が口を開けている。びくびくと、その身体はけいれいんしていたが、とうに意識はないようだった。
 ようやく焦点の合ったシュラインの目に映ったのは、血に濡れた長刀を構えた男のすがただった。
 濃いねずみ色のコートに、一目で堅気のものでないと知れる黒いレイバン。
 彼自身が刃物であるかのような、いいしれぬ危険な空気をまとった男だった。
「好奇心は猫を殺す」
 ぼそり、と男が言った。
「知らなかったようだな」
 よろめきながらも、シュラインは立ち上がる。
「……猫は9つの命を持っている、とも言うわね」
「ふん」
 男は刀を思い切り振るい、こびりついた血を払った。路上に飛び散る血痕。そして、鞘に戻す。
「あなた一体」
「〈鬼鮫〉――そう呼ぶやつらもいるな」
 シュラインの頭脳のデータベースの中で、その名と、男の容貌とがカチリと音を立てて一致した。
「IO2……!」
 レイバンの奥で、男はすっと目を細めた。
「IO2もこの事件を追っているのね」
「知る必要はない。かかわらんほうがいいだろう」
「『ギフト』って何なの」
 単刀直入なシュラインの問いに、鬼鮫は、唇の端を吊り上げて答えた(それが、一種の笑みであったと気づくのに、シュラインは時間を要した)。
「化け物をつくる薬だ」
「つまり……」
「もし、アレを手に入れたとしても」
 ドスの効いた声で続ける。
「飲まんほうがいいな」
「……特別な力が――手に入るんでしょう」
「だからだ」
 喉にからんだ低い声。
「殺す必要が出てくる」
 大儀そうに、鬼鮫は男を肩にかつぎあげた。彼が生きているのか死んでいるのかは、今ひとつ判然としない。
 そして、もうシュラインには目もくれず、闇の中へと歩み去っていく。
 その後ろ姿を見送りながら、シュラインはそっとポケットの中に手を差し入れ、その存在を確かめた。
 小さなカプセル――『ギフト』。
 それだけが、この悪夢のような一夜が、たしかに現実であったことを、語っているかのようだった。

(第1話・了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2号です。
お待たせいたしました、「シュライン・エマの事件簿」……じゃなかった(笑)、
「インタレスティング・ドラッグ:1『蔓延』」をお届けします。

このたびは、初のシリーズものシナリオにご参加いただいて光栄です。
第1話にあたる本作は完全個別執筆ということで、いつもの調査依頼等にくらべると、
分量的には控え目になっていますが、そのぶん、各PCさまそれぞれのストーリーを
クローズアップする形になっています。

>シュライン・エマさま
興信所事務員といいながらシュラインさんの的確な行動はもはや名探偵の域であるといっても
過言ではないでしょう。おかげさまで本作ではなかなか核心に迫る勢いの伏線なども
チラリと登場しているようないないような……。

よろしければ、第2話以降もおつきあいいただけるとさいわいです。
ご参加ありがとうございました。