コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


インタレスティング・ドラッグ:1『蔓延』


「ねえ……惇さん」
 声は熱を持って、すこし掠れている。
 橋掛惇は、女の背中におおいかぶさるようにして、その素肌の上に、指を這わせていた。
「『ギフト』――って、知ってる……?」
 一定のリズムで、女の皮膚を刺す針。
 じわりとにじむ血にまじる染料が、女の首のうしろに、ひとつの絵をかたちづくろうとしていた。
「何だって?」
「『ギフト』。赤と青のツートンカラーの……小さなカプセルなんだって」
「クスリか」
「うん。……飲むとね、“特別な力”が手に入るんだって」
 惇は苦笑を浮かべた。
「そんな都合のいいクスリがあるもんかね」
「本当だったら、素敵だと思わない?」
「……おまえ、クスリやるのか」
「……そうじゃ……ないけどぉ……」
 やわらかい布に血を吸い取らせると、女の肌の上には翅を広げた蝶が描かれようとしているのがわかった。
「ま、おれもあっちにいた頃は何だったしな」
「えー、やったことあるの?」
「ノーコメントだ」
 苦笑まじりに、惇ははぐらかした。
「知ってるか、煙草のほうが身体には悪ぃんだぞ」
「そうなの?」
「……今日はここまでだ。次で完成だな」
「ん。ありがと」
「おう」
 ゆっくりと、女は身を起こす。まだ若い女だ。耳もとで、いくつものピアスが音を立てた。
「……あたしね、変わりたいの」
 ぽつりと、呟いた。
「タトゥー入れようと思ったのもそのためよ。人にはない“特別な力”があったら、あたしも変われると思う」
 用具を片付けながら、彫師は、奇妙な微笑を浮かべた。
「さて。どうかね」

■ 兆し ■

 赤い回転灯は、どうして、あれほど人の心を騒がせるのだろうか。
 それは、その光がひらめくところには、必ず、人の悪意の痕跡があるからに違いない。
 もっとも、惇の店のあるこの界隈は、繁華街にもほど近く、夜ともなれば警官たちが駆けていく姿を見ない日はない。そうはいっても、たいがいは、酔客の喧嘩であるとか、その程度の小事に過ぎないわけだったが。
 しかしそのとき、立ち入り禁止をあらわすロープが、その路地の入口に張られているのを見たものは、直感的に、ただごとではない空気を感じ取ったはずだ。
 険しい顔つきで、刑事らしき男たちが小声で囁き合い、TVでよく見かける鑑識の格好をした男たちが走り回っている。
「殺しか?」
「うわっ、マコっさん」
 なりゆきを見物していたそのピアス屋の店員は、突然、猫のように首根っこをつまみ上げられた。背後には、大柄なスキンヘッドの彫師――橋掛惇が立っていた。
「あいたた、離してよ。……殺人事件だって。これで3件目だよ」
「日本も物騒になったな」
「これ、ぜったい、シリアルキラーだよ。快楽殺人ってやつだ」
「おまえ、変なビデオの観過ぎだろ」
「だってさ、ネットの噂なんだけど――」
 鼻に3つ、唇に2つ、両の耳には数え切れないくらいの金属を埋め込んだ青年は、そっと声をひそめて言った。
「身体に模様を彫り込まれて殺されてたんだって」
「何――だと」
 惇の目の光に、力がこもった。
「木版画みたいにさ……なにかの模様の形に、皮膚と肉がえぐられて……それで、出血多量で死んだんだって」
「模様……」
 人の肌に模様を描くのは、彫師のなりわい。だが――
「そいつぁ、おれに対する挑戦か」
「知らないよ。オレ、店に戻んなきゃ」
 青年を解放してもなお、惇はひとり、野次馬の輪の中から、事件現場へと厳しい目を送っていた。
(…………?)
 ふと、同じように、現場を見守る群集の中に、惇はひとりの男のすがたをみとめた。
 黒服に黒いネクタイ、そして黒眼鏡。
 葬式の帰りかと思うような黒づくめの、若い男だった。メン・イン・ブラック――反射的に、そんな言葉が浮かぶ。惇は、唇をゆるめた。なるほど、猟奇的な殺人事件の真相が、宇宙人の人体実験だとしたら、それはそれで納得のいく結末だ。
 男は、つい、と、群集を離れて、暮れかかる街を歩きはじめた。まるで引き寄せられるように惇の足が男の背中を追った。
 何故、と問われれば、勘だ、としか答えようがなかった。
 繁華街の人の出足が多くなる時間である。しだいに混みはじめる裏道をぬって、男は歩く。そこは惇にとっては庭のようなもの。途中までは造作もなく尾行することができたが、表通りに出られてからは、さすがに雑踏にまぎれて見失ってしまった。
 かるく舌打ち。
 だが、実際のところあの男がどうしたというわけでもないのだ。もし、その必要があればおのずとまた逢える。そんな奇妙な確信を、惇は抱いている。
 交差点は、足早に行き交う人々の笑いで充ちていた。ここからほんのすこし、路地を入ったさきで、陰惨な殺人が行われたなど、想像だにできなかった。
 交差点のビルの壁面の巨大スクリーンでは、最近売り出し中のアイドルがなにかのCMか、にこやかに笑顔をふりまいていたが(たしか、SHIZUKUとかいうのだ)、惇は黙って背を向けると、もと来た道をたどりはじめる。
 彼が属する、あの猥雑で、しかし、懐の深い街へと。

「草間だ」
 探偵から携帯に着信があったのは、ちょうどその翌日のことだった。
「ああ。どうした?」
「ちょっと調べてもらいたいことがあってな。あるドラッグのことなんだが」
「そりゃ偏見だ。彫師ならクスリに詳しいと思わんでくれ」
「そうなのか」
「まあ、でも、わかることもあるかもしれん」
「『ギフト』……というらしいんだが」
 ぴくり、と惇のまぶたが動いた。
 ひとしきり、草間と会話をした後、惇は今、切ったばかりの携帯で、別の番号をプッシュしはじめる。
(『ギフト』――って、知ってる……?)
 ひとりの女の顔が脳裏に浮かんだ。
『この電話は、現在、電波の届かない地域におられるか――』
 アナウンスに舌打ちすると、あまり慣れているとはいえない手さばきでメールを打つ。

  橋掛だ。ヨーコ、連絡をくれ。
  『ギフト』について、聞きたいことがある。

■ ヨーコ ■

 そのビルは、今はすべてのテナントが出払ってしまって、廃墟になっているはずだった。
 都会の真ん中には、ふいに、そんなエアポケットのような場所ができる。
 むろん、立ち入りは禁止されているのだが、管理がずさんで、鍵の壊れた裏口からたやすく入り込むことができた。
 中は暗く、人の気配はない。惇は、埃の積もった階段を登った。

  惇さんが興味をもってくれて嬉しいわ。
  いろいろ教えてあげる。
  金曜の22時に、『Z』の裏のビルで。

 実のところ、惇は客のひとりであるその女のことをよくは知らない。
 ある日、ふらりとやってきて、タトゥーを入れてほしいと言った女を、その日は追い返したのが、出会いだったと思う。刺青は飾りであって飾りではない。一生消えないものなのだ。軽い気持ちで、ただカッコイイからと入れるのは勧められない。だいいち、女が握り締めていた、ボディピアスの雑誌に載せた広告にだって、惇の店は完全予約制だと書いてあったはずだ。
 だが、女はそれから何度もやってきては、思い詰めた目で、どうしてもタトゥーを入れたいと言うのだった。
 歳は二十代の後半くらいだろうと思う。少々きつめだが、綺麗な顔をしている。しかし、決してしあわせそうではなかった。そういう、わけありの客は、しかし、少なくない。
 ヨーコという名前と、携帯の電話番号、メールアドレスくらいしかわからない女から返ってきたのが、あの意味深なメールだったのだ。
「――……」
 どこかで音がしたようだ。歩調を早め、なにかが聞こえたほうへ急ぐ。
 非常ドアに手をかけると、軋みながら、それは開いた。
「いるのか。ヨーコ」
 声だけが反響する。中は真っ暗だ。
 惇は、ポケットから取り出したジッポライターの火を灯す。
「!!」
 さすがの彫師も、度胆を抜かれたと言うほかないだろう。
 目の前十数センチのところに、血まみれの男が立っていたのだから。
「ア――ウ……」
 苦しげな呻き。
 幽霊か――いや、そうではない、実体をもった、生身の人間だ。ゆらり、と、男は惇に向かって倒れ込んできた。
「お、おい!」
 肩にかかる重み。そして、生暖かく、ぬるりとした血の感触が、彼を受け止めた惇の腕を撫でた。
「しっかりしろ」
 床に寝かせて、もういちど、ジッポの明りで男の傷をあらためる。
(木版画みたいにさ……なにかの模様の形に、皮膚と肉がえぐられて……それで、出血多量で死んだんだって)
「バカな」
 いったいどのような方法を、凶器を用いれば、このようなことができるのか、見当もつかなかった。男はなかば白目を剥いて、がくがくとふるえ、息は絶え絶えだった。ショック状態なのである。それも道理だ。生きながらにして、皮膚を削がれているのである。それも、幾何学的で、どこかしら呪術的でもある、規則的な形で、だ。
 なんとなく、その模様はミステリーサークルを思わせた。
「マジで宇宙人の仕業じゃねえだろうな、オイ」
 闇の奥で、再び、誰かの足音と、なにかを引きずるような音を聞いて、惇は顔をあげた。そのおもては、厳しい渋面に変じている。

 ビルの屋上は、四方をネオンの海に囲まれている。
 ちかちかと明滅する色とりどりの電飾の明りに照らされ、まるで真昼のような明るさだった。
「いらっしゃい」
 実になにげなく、ヨーコは惇を迎えた。
 彼女の足元で、腰を抜かしている少年のことなど、まるで眼中にないようだった。
「この子たちね、勝手にビルに入り込んで遊んでたのよ。いけないわよね」
 ヨーコは、肩をすくめて言った。
「ヨーコ、おまえ……」
「怖い顔」
 くすくすと、女は笑った。
 つかつかと、ハイヒールで歩み寄る。そして、惇の手を取り、それを握らせた。
「惇さんにあげるわ」
「…………」
 ヨーコの、湿った手から渡されたものは、てのひらを開いて見れば赤と青のツートンカラーの、小さなカプセルである。
「これが『ギフト』か」
「惇さんも特別な力が手に入るわ」
「へえ」
 皮肉っぽく、口元をゆるめた。
「そいつぁ凄い」
「バカにしないで」
 ヨーコの声に、凍えるような厳しさが加わった。
「わたしは変わったの。見てよ、ほら!」
 毒々しいピンクのマニキュアを塗った五本の指が、なにかを捕らえるように、宙に突き出された。
 それに呼応して響き渡った悲鳴に、惇ははっとして、ヨーコの腕を掴んだ。
「おい! やめろ!」
 だが、手遅れだった。
 ネオンが天上の星を圧倒する夜空に、女の高笑いが響く。
 見る見るうちに、少年の皮膚に赤い切れ目が走り、スプレーのように鮮血の霧が吹き出す。惇の目の前で、彼の肌が版画版と化していった。
「ヨーコ、おまえ」
「見て、見てよ、綺麗でしょう? これがわたしの力。わたしに与えられた『ギフト』。そう……『スエードヘッド』と名付けたの。人間だけじゃないのよ、ほら!」
 びし――っ、と、音を立ててコンクリートの床に亀裂が走り、目に見えぬ彫刻刀が、床面を削るようにして、そこに紋様が描かれていった。
「やめろ! おまえ、自分が何をしてるかわかってるのか」
「……説教くさいこと言わないでよ。惇さんならわかってくれると思ったのに……あなたまでそんな目でわたしを見るなら…………殺すわよ」

■ 蝶の墓 ■

 ごう、と、夜風が、女の茶色く脱色した髪と、ピアスを揺らした。
 ジジジ……と音を立てて、ネオンの看板が点滅するたび、惇の顔に暗い影が落ちた。
 足元に転がり、びくびくと、まだ動いている少年を、面白くもなさそうに、ヨーコの爪先が蹴った。
「このクスリで……そんな力を手に入れたっていうのか」
「そうよ。神さまからのプレゼントなの」
「悪魔の間違いじゃないのか」
「それでも結構よ」
 面白そうに、女の唇が笑みを形づくる。
「なあ、ヨーコ、聞いてくれ。……おまえは、変わりたいんだって言ってたな」
 言い含めるように、彫師は口を開いた。
「格好つけてるようだが、おれは金さえ貰えば誰にでも彫るってわけじゃない。刺青を入れるのは、それなりの覚悟ってもんが必要だ。それがある、と思ったやつにしか施術はしねえのさ」
「…………」
「変わりたい、新しい自分に踏み出したい、そのきっかけにしたい――おまえのその言葉を聞いて、おれは彫る気になったんだぞ。……おまえが変わりたかったのは、そんなおまえか。人を芋版みたいにして、殺して喜ぶおまえなのか」
 すっ――と、女の目に浮かんでいた、からかうような光が消え、かわって、冷え冷えとした、硬質な輝きがあらわれた。
「しかも、それをおまえ――こんなクスリごときで、手に入れた力だっていうのか。おれは一概にドラッグが悪いとは言わないぜ。だが……クスリがヤバイのは、それが自分の意志でやってるってことを、いつか忘れちまうことだ。思い出せよ、ヨーコ、これは本当におまえの意志か。おまえの覚悟はこんなもんだったのか」
「うるさいわね」
 もはやその声に、何の感情もこもってはいなかった。
「わたしが今まで、どんな思いで生きてきたか、なにも知らないくせにつべこべ言うんじゃないわよ。あーあ、もうガッカリ。一緒に楽しんでくれると思ってたのに、マジ最悪。信じらんない」
「ヨーコ」
「死んでもらうしかないわね」
「ま、待て!」
 女の表情がいっそうの凶悪さをおびるにつけ、惇は、すこし違った種類の狼狽を見せ、彼女を制した。
「おれにその力を使うな」
「なによ。エラそうなこと言って、本当は怖いくせに」
「違う。それをやると――おまえが死ぬ」
 はじけたような笑い声。
「なにそれ。もっともマシなウソついたらどうなの」
「違うんだ。いいか、ヨーコ、おれはおまえと同じ――」
「『スエードヘッド』」
 またしても、手遅れだった。
 女が放った不可視のエネルギーは、コンクリートの床を削りながら、瞬時に、惇の身体を包み込んだ。
「――っ!」
 反射的に、顔をかばった腕一面に彫り込まれたタトゥーが、不吉な黒い光を放つ。
(やめ――ろ――)
 それは自動的に反応し、機能する。
 惇自身の、内心の叫びは、届くことなく、自身の能力をとどめることは出来なかった。 所要時間は一秒足らず。
 おそらく、起こった出来事を理解することなく、ヨーコという名の女の首が、コンクリートの床に転がる。
「あ…………」
 見開かれた女の目と、視線が合った。
 やや遅れて、どさり、と身体がくずれる。どくどくと、大量の血が流れ出す。赤黒い液体は、女自身が描いた模様の溝に、流れ込み、けばけばしいネオンの灯りの下に、その邪悪な図案を浮かび上がらせた。
「バカヤロウ」
 ぼそり、と、惇はつぶやく。
 絞り出すようなため息。残ったものは、手の中の小さなカプセルだけだった。
「…………」
 ふと気づくと、屋上の入口のところに、いつのまにか、ひとりの男が立って、惇を見ていた。
 いや、正確には、見ていたかどうかまではわからない。真っ黒な眼鏡のせいで、男の目はうかがいしれなかったからだ。
 ゆっくりと身構える惇に、黒いスーツの男はおどけたように肩をすくめ、てのひらを見せた。
「今のを見て、あなたを攻撃する気になんてなりませんよ。それに……あなたの正当防衛をみとめます」
「警察――じゃなさそうだが」
「まあ、公務員というところは近いですが。わたくし、こういう者でして」
 胸ポケットから取り出したものを、しゅっ、と、放った。惇の手の中におさまったそれは一枚の名刺だ。
「宮内庁――」
「調伏二係、八島真と申します。……この現場はわたしどもで処理しますのでご心配なく。ちょっとばかり騒がしくなりますから、お帰りになったほうがいいでしょう」
「宇宙人がいるって証拠は、隠滅するのかい」
「……はい?」
「いいや」
 惇は笑おうとしたようだったが、うまく笑えなかった。
 そのまま無言で、八島と名乗った男の傍を通り過ぎる。
 そして、一度も振り返ることはなかった。
(次で完成するはずだったんだがな……)
 重い足をひきずりながら、ただ、ぼんやりと未完になってしまった刺青のことを思うばかりだ。
 飛び立つことのなかった、一羽の蝶のことを。

(第1話・了)

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【1503/橋掛・惇/男/37歳/彫師】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

リッキー2号です。
お待たせいたしました、「インタレスティング・ドラッグ:1『蔓延』」をお届けします。

このたびは、初のシリーズものシナリオにご参加いただいて光栄です。
第1話にあたる本作は完全個別執筆ということで、いつもの調査依頼等にくらべると、
分量的には控え目になっていますが、そのぶん、各PCさまそれぞれのストーリーを
クローズアップする形になっています。

>橋掛・惇さま
人間の皮を剥く話はデフォルトですが、何か?(笑) 猟奇度を二割り増し(当社比)でお届けしました。
なにげに、いつもちょっと酷い目に遭っていただいているような気がしないでもありません(キノコとか)。
勝手な印象ですがいささかハードな状況のほうがお似合いのような気がして……(笑)。

よろしければ、第2話以降もおつきあいいただけるとさいわいです。
ご参加ありがとうございました。