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<東京怪談・PCゲームノベル>


インタレスティング・ドラッグ:1『蔓延』


 下腹にひびいてくる重低音。
 スモークが煙る空間を、フラッシュライトの閃光が切り裂くと、フロアにはゆらゆらと揺れる若者たちの群れが見えた。
 クラブのナイトシーンの一幕である、と片付けることもできたが、注意深く観察してみれば――すこし奇妙なことに気がついたかもしれない。空気を震わせる大音量の音楽に、溺れるようにひたっている客たちが、皆、男であるということだった。
 スモークの、どこか甘いような匂いにまじって、汗と、アルコールと、メンズの香水の匂いが空気に漂う。
 そんなありさまを、ケーナズ・ルクセンブルクは、壁にもたれて、じっと眺めている。
 もしも――普段のケーナズを知るものがいたら、驚いたかもしれない。仕立てのよいスーツに、いつでも真っ白な白衣を着て、伶俐なおもてを崩すことないケーナズが、この夜は、黒いレザーのジャケットにパンツでかため、シルバーのアクセサリーをじゃらじゃらいわせていたのだから。
 いつもの、いかにも生真面目そうな、繊細な眼鏡も、すこし色の入ったレイバンに変わっている。
「……Hi」
 声にふりむけば、すぐ傍のテーブルに、ひとりの少年――といってもいいくらいの年齢に見えた――が、頬杖をついている。かすかに、ドリンクの入ったグラスをあげてみせた。
「日本語でいい」
「ホント? よかった」
 少年はにこりと屈託のない笑みを見せる。
「こんばんは。……ぼく、僚一……みんなリョウって呼んでる」
「――ケーナズ」
「ここ、初めてですか? あまり見かけないけれど」
「キミはよく来るの」
「そう……かな」
 フロアの照明が、曲に合わせて切り替わった。
 少年の白いシャツが、ブラックライトの光をあびて、あやしい燐光を放つ。
 少年と見えたが、実際はもうすこし歳上なのかもしれなかった。すくなくとも、その横顔は、この欲望のたぎる夜の海の泳ぎ方を知っている。
 さきほどまで、踊っていた名残りか、短く刈った髪のあいまから、汗の筋が頬を伝っていた。
 少年の手に、そっと、ケーナズが手をかさねた。
 はっとした瞳が見返してくる。
 指は繊細なのに、ケーナズの手はまぎれもない、大人の男の大きさを持っていた。
「教えてもらいたいことがあるんだ」
「なに……」
 澄んだブルーアイズに見つめられ、少年は思わず目を伏せた。
 その耳に、耳朶をくすぐるような、ケーナズの深い声がからみつく。
「『ギフト』――って、知ってるか?」

■ その名は『ギフト』 ■

「なんだって?」
 我知らず、声と表情が険しくなっていたらしい。
 相手がちょっと面喰らったような顔になったので、ケーナズは、わずかでも感情をあらわにしたことを恥じるように、目を伏せて、プラスチックのコーヒーカップを口に運んだ。
「噂……なんだろう?」
 再び口を開いたときには、いつもの、穏やかな紳士然としたケーナズだった。
「そりゃそうさ。だって……“特別な力”が手に入る薬、だぜ」
 同僚の研究者は、言った。要するに、ちょっとした笑い話の種として、出た話題だったらしい。ケーナズの勤める某製薬会社の、午後の休憩室での一幕だった。
「その名前が『ギフト』っていうのが、ちょっと洒落が効いてるつうか、悪趣味っつうか」
「都市伝説だな」
「だろうなあ。でももし本当にあるんなら、ちょっと調べてみたいよな――」
「そんな都合の良い薬なんてあるか」
 力をこめて、ケーナズは言った。
 万能薬――。それは永久機関と同じく、人類の理想のひとつであったかもしれない。だが、そんなものがありえない、夢想することさえ愚かしいことだというのは、薬の開発をなりわいとするケーナズたちにはよくわかっていることだ。だからこそ、彼もどこかで仕入れたそんな噂話を、“冗談”として語ったに違いない。
 だが同時に、かれらは、ありうるはずのない万能の薬を、人が追い求めてしまう気持ちも、痛いほど理解している。
(『ギフト』――贈り物、か……)
 そのとき、ケーナズの目が、研いだ刃物のような光をおびたのに、気がついたものはいなかった。

 そして、その夜から、ケーナズの探索が始まった。
 独り暮らしのマンションに帰宅後、食事もそこそこに、コンピューターに向かう。
 画面の中に、ネットワークを通じてもたらされた情報がまたたく間に並んだ。
(妙だな――)
 彼のもうひとつのなりわいから育まれた直感が、複雑な情報の糸をよりわけていく。
(噂がこれほど、広範囲に広まっているのに……実際に『ギフト』を手に入れたという人間がいない……。やはり存在しないのか……いや――)
 もしも。
 本当に、その薬でなんらかの「特別な力」が与えられるのだとしたら。
 ――それを授かった人間が、それを喧伝するはずはないのだ。
(まさか)
 キーを叩く。
 夜もいよいよ更ける頃、ネットワークの向こう側から、返ってきた反応がある。

  ケーナズへ
  また妙なものに興味を持ったな。

 しばしば、裏の稼業に利用している男からのメールだった。

  あれは物好きなヤツのイタズラだ。
  おおかた頭痛薬か何かじゃないのか?
  いくらでもタダでバラまいてるんだからな。

(タダ……?)
 ケーナズの、端正な顔が曇った。ますます奇妙だ。
(金じゃないのなら……誰が何を目的にバラまく?)
 そのことが、彼の危険な好奇心にいっそう火をつけてしまったようだった。

■ ソドム ■

「どうしようかな……」
 リョウと名乗った少年は、試すように間をとって、視線を泳がせた。
 だが、ケーナズは、見逃さなかった。『ギフト』、という名を聞いた瞬間、ほんの一瞬だが、彼の瞳をよぎった畏れとも怯えともつかぬ感情の揺らぎを。
「教えてあげてもいいけど……」
 横を向いたまま、つぶやく少年の耳元に、ケーナズは口を寄せた。
「どこか、二人きりになれるところで話そうか」

 ケーナズが、そのクラブに足を運んだのは、その次の週末のことだった。
 新宿の片隅の、雑居ビルの地下フロアを使って、その店はひっそりと営業している。週末ごとに集まってくるのは、この街の夜にだけ、ふだんは押し殺し、隠した素顔をさらすことのできる男たちである。
 世間のひとびとは、こういった場所があることさえ知らないものも多いだろうし、知ったとしても、ただ眉をひそめるだけだったろう。
 だが――
 バーカウンターで、注文したカクテルを受取ると、ケーナズは、壁際の、スタンドテーブルについた。そこからならフロアを一望できる。
 すぐ傍の、ソファーでは、ふたりの青年が、顔を近付けて、いかにも睦まじい様子で、何事かをささやき合っている。すっと目の前を、別の男同士の、一方が相手の肩を抱いた二人連れが通り過ぎていった。
 空気を震動させる音楽。
 こういう場所も、必要なのだ、と、ケーナズは思う。
 と、いうよりも、すでにこうした場や、ひとびとを内包して、この都市は、二十一世紀の世界は成り立っている。
 なんとなく、甘ったるいもののほうが似つかわしいような気がして選んだシンガポールスリングで、唇を湿らせる。
 そんなケーナズを、遠くからじっと見つめる視線があることに、彼はとっくに気がついていた。

 もう真夜中を過ぎているというのに、新宿の裏通りは活気づいている。
 もっとも、その通りをそぞろ歩いているのは、独りにせよ、二人連れにせよ、男ばかりであったのだが。
 少年は、実にさりげなく、ケーナズに腕をからめてきた。
 白昼の通りであれば、奇異に映ったかもしれないが、今、この時この場所でなら、むしろそれが自然だった。
「ねえ、どうして『ギフト』に興味を持ったの?」
「そうだな……。特別な力――そんなものが、本当にあるのかと思ってね」
「あるよ」
 さらりと、少年は言った。
「『ギフト』を飲めば手に入る。……欲しいの?」
「……欲しがる人間は大勢いる。その気持ちはわかる」
「そう……だよね」
 ふたりは、路地から路地へ、夜の底へと潜行するダイバーのように、進んでいった。しだいに、人影もまばらになってくる。
「手に入れる方法――教えてあげようか」
「知ってるのか」
「うん。……それが知りたくて、来たんでしょう」
 ケーナズは、ほんの一瞬、虚を突かれたような顔で、傍の少年を見た。その横顔が、ひどく寂しげに見えたからだった。
「それだけじゃないさ」
 彼は言った。
「きみに会えてよかったと思う」
 目に見えて、少年の顔が輝いた。それは、目的を達するための、諜報員としての技術であったのかもしれないし、あるいは、ひとかけらのやさしさであったのかもしれない。それはケーナズ自身にも、わからないことだった。ただ、はっきり言えたのは、それが、この夜、ケーナズが犯したたったひとつの間違いだった。
「本当?」
「本当さ」
「……嬉しい。じゃあ、後でまた会おう。『ギフト』が欲しいなら、もうそろそろ時間だ。その後で、もういちど。約束だからね」
「ああ、約束する」

 夜の公園、だった。
 誰も居ない公園はしんと静まり返っている。
 実際には、一歩、通りへ出れば、そこはもとの不夜城の街。そこはさながら、都会の中の闇のたまり場だった。
 水銀灯の下で、じっとたたずんで待っていると、やがて、ケーナズの視界の中に、そのすがたが入ってきた。
 山高帽をかぶった、男のシルエット。
「『ボウシヤ』か」
 ケーナズが呼ばわる。男は応えなかったが、彼にゆっくりと近付いてきた。
 フロックコートを着た、中年の男のようだった。
「与えられることを望むのか」
 奇妙に抑揚のない、男の声が告げる。
「ああ、望む」
 山高帽が頷き、コートのポケットから、それを取り出した。
 水銀灯が照らし出したのは、赤と青の、ツートンカラーの小さなカプセル――。
 ケーナズは手を出した。男が、その手の中に、ひと粒の薬を、ぽとり、と落した。
(覗かせてもらう――)
 その瞬間。
 ケーナズは意識のエネルギーを解放し、まっすぐに、山高帽の男めがけて放出した。顕微鏡の焦点が、まずぼやけ、そして急速に絞られるような感覚。
 目の前の男の、心の中を、ケーナズは覗き込んだのである。だが――
(なに……!?)
 たとえて言えば、勢いこんで扉を開け、飛び込んだ部屋に、床がなかったような……
(その男は『ボウシヤ』って呼ばれてる)
(帽子屋?)
(うん。帽子をかぶっているんだ。彼が、『ギフト』をくれる)
(……売人か)
(売っているわけじゃないんだけどね)
(かれらはどこから来るんだ。なにか、組織のようなものがあるんだろうか)
(さあ。……『ボウシヤ』に聞いても無駄だよ。何も教えてくれないもの)
 言うなれば、意識がつまづいたような、そんな状態になって、ケーナズは思わず目をしばたいた。
(そんな馬鹿な……)
 山高帽の男の心の中身。
(心が――ない、だと……!?)
 それは、虚無、だった。
 まったくの、からっぽ……空洞だったのである。

■ 心に茨を持つ少年 ■

(無心……いや、違うな。人間ではない、のか)
 ぐっ、と、渡された薬を握り込み、ケーナズは、目の前の男を見据えた。
 それなりに整った造作の、しかし、これといって特徴のない顔だと思った。そして、そのおもては完全に無表情なのである。まるで、仮面か、人形ででもあるかのようだった。
「それが『ギフト』だ。おまえは与えられるだろう」
 機械のように、男は言った。
 そして、きびすを返し、来たときと同じように、去っていこうとする。
 追うか、それとも。
 ケーナズが躊躇したのは、一瞬のことだった。読心によって手がかりが得られない以上、『ギフト』の出所へとつながるものはもはやあの男以外にないのである。
 そう意を決して、一歩を踏み出した、まさにその刹那。
「――っ!」
 何が起こったのか、すぐには理解できなかった。
 だが、その場に倒れ込まなかっただけでも、さすがだったと言うべきかもしれない。
 すさまじい激痛だった。
「……う」
 思わず呻きが漏れた。
「何――だ……これ……は」
 ケーナズの胸といわず、肩といわず、腕といわず……その胴体にからみついているもの。
 レザージャケットを貫いて、それのもつ棘が、彼の身体に突き刺さっているのだ。
「ウソつき」
 傲岸さに充ちた声が、からかうようにかかった。
「やっぱり、ぼくのことなんか、どうでもいいと思ってた」
 公園のベンチに悠然と腰掛け、足を組んでいる少年がいる。
「これは……」
「そうだよ。ぼくとの約束を破った人は、みんなそうやって死ぬことになるんだ」
 リョウは、うっすらと微笑んだ。どこか無邪気で、そのくせ残虐な表情だった。
「これがぼくの力。ぼくが与えられた『ギフト』――『インサイド・ソーン』」
 ケーナズは、しかし、自身が出血していないことに気がついた。よく見れば、服にも穴が開いているわけではない。そしてその棘のある植物の蔓にしか見えないものは、ぼうっと透き通っていたのである。実体ではない、なんらかのエネルギーの茨なのだ。
 ちらりと目だけを動かせば、『ボウシヤ』は、とっくに闇の向こうに姿を消していた。
「聞いてくれ。約束を破ろうとしたのは悪かった」
 ケーナズは淡々と言った。
「だが『ギフト』のことを調べているんだ。きみが『ギフト』によってこの能力を得たというのなら、私に協力してくれないか」
「大人はウソつきだ」
 だが、少年の答はにべもなかった。
 それに呼応するように、さらに幾重もの茨がどこからか出現し、するするとケーナズの身体にまきつくではないか。
「そうやってぼくを利用して、どうせまたすぐにポイッ」
 蔓からは次々と棘が生えだし、ケーナズの身体に突き刺さる。そのたびに、神経そのものを焼き切られているような痛みが彼を襲った。
「……痛いでしょう? ぼくの茨の棘が刺さる痛みは心の痛み。誰もわかってくれなかった、心の痛みなんだ」
「そんな……ことは……」
 呼吸が止りそうな痛みの中から、ケーナズは声を絞り出した。
「そんなことは……ない……ぞ。人は……人間は……他人の心の痛みを理解するものだ……特別な力がなくても……な」
 かすかに、唇の端に浮かべた皮肉めいた笑みは自嘲だったか。あるいはそれは、人の心の中を探る能力を持つケーナズ自身が、自分に言い聞かせた言葉であったのかもしれない。
 少年は、無言で、ケーナズを見つめた。
 そして非実体の棘に全身を刺されながら、ケーナズは、うっすらと微笑んだのだ。はっ、と、それを見た少年が、うたれたように目を見開いた。
 その心の隙を――ケーナズは待っていた。
「……わあっ!」
 急激にぶつけられた精神衝撃波――いわば攻撃の意志そのものであるテレパシーのショックに、少年の意識がスパークし、同時に、まぼろしの茨はすべて消し飛んだ。
「ず、ずるい……!」
「ああ、そうとも。大人というのはウソつきなものだ」
 間髪入れず、ケーナズはリョウの腕をねじりあげていた。少年が、今度は肉体の痛みに悲鳴をあげる。
「だが、教えておいてやろう。大人にもいい大人と悪い大人がいる。悪い大人は悪いことのためにウソをつくが、いい大人はいいことのためにウソをつく」
「なんだよ、それ……」
「別に私はキミをすき好んで傷つけたいわけじゃない。捜査に協力してくれないか」
「誰が……!」
「協力してくれればひどい目には遭わさないさ――『約束する』」
「えっ……」
「いいだろう。これで」
 不承不承といった様子で、リョウは頷いた。それをみとめて、ケーナズは、少年を解放する。
 そして、かわりに少年の肩にそっと腕を回した。
「聞きたいことがいろいろある。……二人きりになれるところで話そう。今度こそ」
 ため息まじりに、少年は答える。
「この次、ウソをついたら、今度こそ殺すからね」
「そうすればいいさ」
 あっさりと、ケーナズは言うのだった。

(第1話・了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1481/ケーナズ・ルクセンブルク/男/25歳/製薬会社研究員(諜報員)】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2号です。
お待たせいたしました、「インタレスティング・ドラッグ:1『蔓延』」をお届けします。

このたびは、初のシリーズものシナリオにご参加いただいて光栄です。
第1話にあたる本作は完全個別執筆ということで、いつもの調査依頼等にくらべると、
分量的には控え目になっていますが、そのぶん、各PCさまそれぞれのストーリーを
クローズアップする形になっています。

>ケーナズ・ルクセンブルクさま
妹さんにはいつもお世話になっておりました。いつかお兄様にも……と思っておりましたので、
大変、嬉しいです。調査の結果、『ギフト』一錠と男の子一人を(笑)手に入れました。
いかようにもお使い下さいね。

よろしければ、第2話以降もおつきあいいただけるとさいわいです。
ご参加ありがとうございました。