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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


午前零時の迷い子達



 Sicut erat in principio et nunc et semper
 始めに在ったように 今も そしていつまでも


SCENE-[1] Christmas Call


 午前零時。
 カチリ、
 時計の針が僅かに尖端を震わせ乍ら、日付の変わるその一瞬を告げた。
 香坂蓮は、一日の業を為し終えて自室に身を落ち着け、そうしていつも何となくそうするように、部屋の電気を落とし、僅かにカーテンを引き開けた窓の向こうを眺め遣った。
 冷気に澄みわたった冬の夜空には、オリオン座が我がもの顔に擡頭している。中でも最も赤く輝くベテルギウスは、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンと伴に、冬の大三角形を形成している。これらを含め、計八個もの一等星が瞬く冬空は、日頃さほど星に親しんでいない人間から見ても、随分と豪華な煌めきを孕んでいるように感じる。
「……今年の年末は、土星が大接近するとかいう話だったな」
 蓮は、昼間仕事先で小耳に挟んだ話をふと思い返し、からりと窓を開けた。
 途端に、蓮の耳朶を寒風が掠め、前髪が舞い上がり靡いた。
 張り詰めた夜気が、肌膚に痛い。
 それでも、今宵天空が雪を振り落とすには、いま少し何かが足りないらしかった。

 ――――十二月、二十五日。

 二十四日から、いや、十二月の声を聞いたその時から、街は来るべきクリスマスのために賑やかしく騒ぎ立て始めた。それが長い前夜祭だというのなら、今日は心浮き立つ祝祭、イエス・キリストの降誕を祝う降誕祭の当日である。そんなことは百も承知で、しかし蓮は誰とどこに立ち寄るでもなく、仕事先から真っ直ぐ帰宅した。
 今日が、クリスマスだからと言って。
 そして、自分の誕生日だからと言って。
 だからどうする、という気にはならない。
 大体、キリスト当人がそうであるように、蓮もまた、今日が真実の生誕の日なのだという確証はない。もしかしたらそうなのかもしれず、全く違うのかもしれず。知らないのだから、それ以上の想像は無駄である。
 毎年、微かな惑いの裡に迎え、諦めの裡に過ぎ去ってゆく今日という日。
 昨日は二十四日であり、今日は二十五日であり、明日やって来るのは二十六日。
 ただそれだけの、暦の並び。
 カレンダーには、どの日にも変わりなくそれぞれ仕事の予定が書き込まれ、それ以外に特別目印となるような赤丸も付いていなければ、変わった様子も見て取れない。そう――――たった一日を除いては。
 十二月二十二日。
 すでに過ぎ去ったその日付の下にだけ、青いペンで二重線が引かれていた。無論、蓮自身が引いた線である。その印に何の意味があるのだ、と問われれば、それは。
 不意に、背後で電話が鳴り出し、蓮は夜空を見上げていた視線を室内へ戻すと、窓を閉めて電話機の許へ向かった。
「……はい、香坂ですが」
 受話器を上げ、穏やかに応じる。
 真夜中の電話とは言え、不機嫌な声は出せない。便利屋業など手掛けていると、いつどんな依頼が舞い込んでくるか分からないからだ。もしかしたら、高額報酬を期待できる仕事の連絡かもしれない。そう思うと、自然、声音にも穏便さが滲み出る。
 だが、しかし。
 蓮のそんな淡い期待に反して、彼の鼓膜を搏ったのは、
『あ……、レン!』
「……ぁ……ああ。……愁、か」
『こんばんは、よかった、レンが電話に出てくれて』
 己と同じかたちの発声器官を通って創り出される、同じ声音。喋るテンポや言葉遣いこそ違え、本質的には同一の響きを有した声。
 双子の兄の発する、その声。
『レン? どうかした? 黙っちゃって』
「……いや。……そっちこそ、どうしたんだ。こんな時間に、何か用か」
『うん、実は、ちょっと……道に迷って』
「道に迷った? ……何だ、不慣れな場処にでも行ったのか」
『それがどうも、いつもと違う駅で降りちゃったみたいなんだよね。で、歩いてるうちに、自分がどこにいるんだか分からなくなって』
 蓮は、小さく溜息を吐いた。
 午前零時にいきなり電話をかけてきて、迷子になったと告げる愁の気が知れない。が、夏ならともかく、十二月の寒空の下、右も左も分からなくなっている愁を放置しておくわけにもいかないだろう。それに、そういえば今年八月に日本に帰国したばかりだという彼が、未だ不案内な東京の地で迷っても、不思議はないのかもしれない。
 向坂愁。
 カレンダーに引いた二重線の理由である、その存在。
 出逢ってまだ二日が過ぎたばかりの、身に憶えのない一卵性双生児。突如出現した己の片割れ。
 部屋の壁に掛けた鏡を覗けばそこに、彼と同じ容姿を持った自分の姿が映し出される。
 その姿で凍て付く道に迷い、その声で援けを求められたら――――。
『レン、悪いんだけど、道案内、お願いできる?』
「……今、自分がどのあたりにいるか、見当は付くか? 何か目印になるような建物とか、近くにないのか」
 蓮は、愁の申し出を断る術も理由も持たず、自分がこれから向かうべき彼の居場処を特定するために訊ねた。
 暴力的なまでに唐突に、出遭わされてしまった出生の秘事。出逢ってしまった兄。
 まだ、愁からは二人に纏わる詳細など何も聞いてはいない。
 こちらから訊ねるだけの、勇気も持てずにいる。
 聞いてしまったら、
 知ってしまったら、
 今まで自分が歩いてきた道程の、択んできた生き方の何もかもが大きく揺らぎ、
 総てが始まったのであろうその一瞬に、

 還ってしまうようで。


SCENE-[2] 迷い子と


「レン!」
 冥く冷たい路上に何とか無事愁をみつけ、僅かな安堵を曳いて歩み寄った瞬間、ふわっと両肩に回され来た腕に、蓮は思わず足を止めた。
「……な……」
「来てくれたんだね」
 嬉しそうに言い、愁は蓮の頸に抱きついた。
 愁が身に纏っている黒いコートは、冬独特の有るか無きかの澄んだ匂いに浸され――――蓮は、突然の抱擁に面食らい乍らも、その向こうに確かに息衝く一つの存在の重みを感じた。
 その重みこそが、永い間そういう生命が此の世に存することすら知り得なかった、双子の、愁の、生の証。ずっとレンを捜していたのだと、そう言って笑顔を見せる、兄の証。
 それを頭では分かっていたが、蓮は無遠慮に押し付けられた体をただ持て余すしかなく、「おい」と愁を力任せに引き剥がしかけた。
 愁は、
「待ってる間、寒かったんだよ。レンの体温、僕に頒けて」
 蓮の耳許で笑い、改めて腕に力を入れた。
 耳に触れる愁の白い吐息に、蓮はくすぐったそうに顔を背け、仕方なく暫くそのまましたいようにさせておいた。周囲の人眼を気にしなければならないような繁華な通りではなく、振り仰げば夜空、見渡せば街路樹の静かに寝静まる一路。一体、愁は駅からどこへ向かおうとして、こんな道に迷い込んだのだろう。
「……すぐそこの十字路を右へ折れて、突き当たりを左へ向かえば、駅前から続く街路に出る。クリスマスのイルミネーションが煩いくらいの、大通りだ。こんな時間でも、まだ人であふれてる。……体の芯まで冷える前に、急いだ方がいい。……風邪、ひくぞ」
 蓮は訥訥と語り、愁は「そうだね」と肯くと、ようやく体を離した。
 二人は並んで駅方面へと歩き出し、十字路を曲がったところで、愁がふと、
「今日はクリスマスか……。レン、僕の電話受けるまで、誰かと一緒だった?」
「誰か……? いや、仕事から戻って、家でくつろいでいただけだ」
「あ、そうなの? なんだ、可愛い彼女とデートでもしてたかと思ったのに」
 何気なく発したに違いない愁の言葉に、蓮は数秒押し黙り、それから低く呟くように応えた。
「……彼女も何も、俺は……、恋愛感情そのものを知らないんだ」
「え?」
 愁は眼を見開き、隣を歩く蓮の横顔をみつめた。
「恋愛感情を知らないって――――」
「……別に、気にしなくていい」
 そう言うや、蓮は少し歩調を早め、愁をその場に残して、先に突き当たりの道を左へ曲がり去ってしまった。
「あ……」
 瞬間、視界の裡から蓮を喪い、愁は唇をきゅっと一文字に結んだ。
 (恋愛感情を知らない、か。……それって、やっぱり、母さんの愛情に触れてないからとか、そういうことと……関係、あるのかな)
 さっきまで蓮がいた眼前の闇をみつめ、暫しの後、何かを振り切るようにタッと勢いよく駆け出した愁は、
「レン、待って!」
 道を折れ、今にも大通りに出ようとする蓮に向かって声をかけると、その背に追いついた。


SCENE-[3] 逢いたくて


 駅前通りは、人工的な灯りで夜の闇を無理矢理に掻き分けて、クリスマスを演出しようと必死の装いを見せていた。
 どこからか流れ来る、耳に憶えのあるクリスマス・ソング。
 降らない雪の代わりに、店の窓ガラスにこれ見よがしに描かれた雪の結晶。
 ショー・ウィンドウには、
 機械的に腰を振って踊るサンタクロースの人形。
 メタリックやクリスタル調の眩いオーナメントを重そうにぶら下げたクリスマス・ツリー。
 アンバランスに積み上げられた子供用のカラフルなおもちゃ。
 高級感に彩りを加えて恋人達の視線を誘うブランド品。
 そして、洋菓子屋の店先では、バナナならぬクリスマス・ケーキの叩き売り。
「……何だか、日本のクリスマスって、随分騒がしいね」
 愁が呆れたように言った。
「まあ、イタリアでも、街中の飾り付けは華やかだけど……、さすがにこんなに雑然とはしてないなぁ。クリスマスは家でゆっくり食事をするものだし」
「……イタリアか……」
 蓮の呟きに、愁が肯いた。
「イタリアの生活って言うと、妙に陽気で、カンターレ、マンジャーレ、アモーレ。くらいの印象しかないかもしれないけどね、一応キリスト教の本山を抱えてるし、クリスマスは大事にするよ。家族と一緒にね」
 ――――家族と、一緒に。
 そのフレーズに、蓮の表情が戸惑いがちに強張った。
 愁はふっと口許を緩め、
「けど、僕にとっては、それほど意味のある日でもなかったかな。レンが、いなかったし」
 そう言い足して、おもむろに蓮の手を握った。
 そして、鬱陶しそうに振り払われる前に、
「ここ、人が多くてはぐれそうだから。手、繋いでて」
 機先を制し、蓮に反論の余地を与えなかった。
 蓮は、好きにしろ、とでも言いたげな、諦念を宿した眸を向け、愁に囚われた手をそのままに歩を進めた。
 深夜とも思えぬ街のざわめきの中、愁は空を見上げ、眼を細めた。
「地上がこんなに明るくちゃ、星も殆ど見えないなぁ」
「……そうだな」
「派手派手しい電飾より、星の光の方がよっぽどきれいなのにね、勿体ない」
 溜息交じりに言い、愁が視線を下ろした時、あと数メートルの距離にまで近付いた駅前に設けられたベンチに、なめらかに動くものが見えた。
「あ……っ、さっきの猫!」
「え……、ねこ? ……『さっきの』?」
「ほら、あそこ! ベンチの上」
 蓮が愁の指さす先に眼を遣ると、ちょうど、白い猫が木陰に蹲ったベンチの上から跳び下りるところだった。猫は見る間に植え込みの中へ消え、愁は猫の後を追うように小走りにベンチに駆け寄った。ようやく片手を解放された蓮は、ふう、と深く息を吐き、愁に続いてベンチへ向かった。
「……愁」
「ん? 何?」
 愁が、猫の姿を捜すのを諦めてベンチに腰かけ、蓮の顔を見上げた。
「さっきのねこ、ってどういう意味だ? ここに来る途中で、ねこなんか見かけたか?」
「ああ、そのこと」
 愁は一度蓮から視線を外し、またすぐ戻すと、微笑を滲ませた双眸で弟をみつめた。
「実はさ、あの白い猫のせいで、道に迷ったんだ。この駅で降りて、猫をみかけて。白くて可愛かったから、何となく後を随いて行ったら、途中で見失っちゃって。気が付いた時には、自分がどこにいるんだかさっぱり」
 頸を傾げて肩を竦めた愁に、
「……ねこのせいか」
 蓮はそれだけ言うと、迷子の理由に素直に納得したのか、小さく肯いた。
 すると、愁の方が意外そうな表情を作った。
「なんだ、レン、納得しちゃったの」
「え?」
「そんなことで真夜中に迷子になるな、とか、言わないんだね?」
「……ああ……、今更そんなことを言っても仕方ないしな」
「でも、言っておかないと、また今度、同じ理由でレンを呼び出すかもしれないよ、僕」
 愁の言い方に意味深な含みを感じ、蓮が眉を顰めた。
「……何なんだ。何が言いたい?」
「迷子になるために猫を捜して、それからレンに電話をかける」
「迷子になるために……?」
「僕が街で迷って困ってたら、来てくれるんだろ? レン」
 いつの間にか、愁の眼から淡い笑みが消えていた。
「……愁……?」
「こうやってレンに逢えるなら、僕はいくらでも迷うよ。迷子の理由がみつからなかったら、猫を捜す」
「な……、何を言ってる? わざわざ迷子になってどうするんだ、莫迦莫迦し――――」
「逢いたかったんだ」
 蓮が吐き捨てるように言ったその語尾を遮って、愁が告げた。
「今夜、レンに、逢いたかった。まあ、猫のせいで迷子になったのは本当だけど、迷子になってみてもいいかなって、きっと心のどこかで思ってたんだろうね。こういうの、口実っていうのかな。レンに逢うための、口実」
「口実……」
 蓮は絶句し、話の接ぎ穂をみつけられずに俯いた。
 愁も暫く口を噤み、二人の間を幾たびも夜風が擦り抜けていった。

 今夜、
 逢いたかったんだ。
 レン。

 蓮は愁の言葉を胸の裡に反芻し、急に何かが腑に落ちたようにぱっと顔を上げた。
「ああ……、今日が、誕生日だからか?」
「え? 誕生日?」
 愁は反射的に訊き返してしまった後で、ゆっくり頸を横に振り、
「……そうだったね、レンは、知らないんだっけ」
 そう言って、蓮の両手を取った。
「レン。僕の誕生日は、十二月二十一日。ということはつまり、レンの誕生日も二十一日。僕達、双子なんだから。同じ日に、同じ場処で、同じように生まれたんだから」
「……二十一日……」
 蓮は、初めて知る真実の生誕の日を、どこか朧な意識の裡に聞いた。
 そうか。
 その日に、生まれたのか。
 愁と、一緒に。
「……ねぇ、レン?」
 愁は蓮の手を放し、膝の上で軽く手指を組み合わせた。
「どうして、僕に何も訊かないの。……訊きたいこと、いろいろある筈だろう?」
 その問いに、蓮は少し返辞を躊躇ってから、
「……まだ、訊くのが怖いんだと思う」
 伏し眼がちにそう応えるなり、これ以上自分の内側に踏み込まれたくないとでも言うように、愁に背を向けた。直後、愁はベンチから立ち上がり、その背を抱きしめた。
「レン」
 蓮は、抱き寄せられた体を、背中に触れる体温を――――引き離したいとも、感じていたいとも思えぬままに、視線を虚空に彷徨わせた。
「ずっと逢いたかったんだ、レン。今夜だけじゃない、今までずっと……逢いたかった。だから、キミを捜してた。今、ようやく出逢えて、本当に嬉しい」
「……愁……、俺は」
「きっと、母さんのくれたお守りが、レンと僕を引き合わせてくれたんだと思う」
「……お守り? お守りって……」
「うん、これのこと」
 頸だけを回して振り向きかけた蓮に、愁は胸許から細い銀の鎖を引き出し、その先に提げられているお守りを差し出して見せた。
「……それ……は」
 蓮の声が、喉許で引っ掛かり、掠れた。
「レンも、同じお守り、持ってるよね?」
「あ……、ああ」
「このお守りが、僕達を出逢わせてくれたんだよ。……キミが生きていてくれて、本当によかった。本当に――――」
 愁のあたたかな吐息が、蓮の頸筋を撫でた。
 生きていてくれて、本当によかった。
 そんな風に、
 そんな風に誰かに想われているなんて、
 他でもない、双子の兄に想われていたなんて。
 夢想することすら、出来なかった。
 当たり前だ、何も知らなかったのだから。
 けれど、今、
 それを知ってしまった今、
 どうすればいい?
 どうすれば……、
「レン」
 蓮の混乱気味の思考を断ち切るように、愁が名を呼んだ。
 ――――レン。
 愁だけが知っている総ての過去と想いを込めた、その響き。
 (……俺は……)
 蓮は、愁の腕の中、一度深く息を吸うと、静かに瞼を下ろした。

「…………兄さん」

 オリオンの見下ろす空の下、蓮の唇が、微かに震えた。


[午前零時の迷い子達/了]