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<東京怪談ノベル(シングル)>


できるかな?

「おや」
 突然机に落ちてきた水滴は、慎一郎の手を止めさせた。
 それは、見る見るうちに広がり、ノートににじんだ模様を描いた。
 ふと天井を見上げるが、そこには闇が居座っているだけであった。
 ぽたり。
 またひとつ、水滴が落ちてくる。
 机に置かれたガスランプの明かりだけでは、それがどこから漏れ出ているのか、判別することは難しい。
 慎一郎は、大きくため息をつくと、机に置かれたランプを手に取り掲げた。こうこうとしたランプは、黄色い
光を投げかけ、慎一郎の横顔を照らし出す。
 色白で、細面の品のよい顔立ち。銀縁の眼鏡をかけ、いかにもインテリだといった風体である。
 慎一郎は、肩まで伸びた長い黒髪を無造作に掻きあげると、改めて天井を眺めた。
 と。
 ぽたり。
 また、水滴がひとつ。今度は、慎一郎の顔につう、と一筋流れた。
 慎一郎は、怪訝そうに指で水滴を払い、眉をひそめた。
 ――ちょうど、あの部分ですか。
 ランプは、真鍮の受け皿に、油と燈芯を入れた簡単なものだった。その炎が、ゆらり、と歪む。
 天井の真ん中あたり。そこは、堂々とした黒い染みがいつのまにか浮き上がっていた。
 確認を終え、ふと窓を見やる。
 雨は、激しく窓を叩きつけ、細い流れをいく筋もつけている。
 時折、びゅごうという風の音も聞こえてくる。
 ――当分、止みそうもない。
 しかし、今やらなければ……。
 慎一郎は、改めて大きくため息をついた。


 雨はさらに激しくなっていた。レインコートを着ているものの、風を伴っているため、その寒さは半端ではな
かった。雨は、慎一郎の体に容赦なく吹き付ける。コートの隙間から入り込む水が、時折つうと慎一郎の背中を
つたう。それは、まるでこの世のものではない何かに、指先でなぜられたような感覚だった。慎一郎は思わずぶ
るっと身震いした。
 脚立を使って屋根に上り、破損箇所を確認する。すでに、指先は冷たくなっており、感覚は麻痺していた。し
かし、両手をすり合わせ、息を吹きかけて温める。すると、冷たかった指先にどくり、と血が通いだすのが、感
じられた。どうにかリュックから懐中電灯を取り出しスイッチを入れると、たちまち輝く光の輪が現れた。
 黒い闇の中で、ぼうと浮かび上がったのは、巨大な穴だった。穴の周りには、腐ってぼろぼろした木屑が散乱
していた。
 ――古いですからね。
 慎一郎は、そのあまりの状況に思わず苦笑する。
 ――さて、どうしたものでしょうか。
 慎一郎は、目をつぶり考え込む。眉をひそめ、ときおり、とんとんと眉間のしわに人差し指を当てる。その姿
は、まるでどこかの探偵が推理を行っているときのようであった。しかし、慎一郎はそのことに気づいてはいな
かった。
 と。
 ぴかーん。
 突然、慎一郎の頭上に、裸電球の明かりが灯る。その表情は、何か良い考えを思いついたというように、生き
生きとしていた。
 ――そうです、あいつにやらせましょう。
 慎一郎は、にっこりと微笑むと人差し指をぴっと立てた。
 ――夜のゴーンタに、ね。


 夜のゴーンタ。それはドリームランドに生息する奉仕種族。全身毛むくじゃらで大きな赤い鼻を持ち【ウホウ
ホ】と鳴く、素敵な種族。
 例えば、浜辺でふたりでおいかけっこ。
 あはははは。まてまて〜♪ ウホウホ〜〜!! ほらほら、つ〜かま〜えちゃ〜うぞ〜〜?? ウホウホ〜!
 ぎゅっと抱きしめあう二人。どっぱーーん。はじける波飛沫。そして飛び散るバラ、花吹雪。
 ――そんな思い出も、あったっけな……。
 そんな思い出、たぶんない。だが慎一郎は、夢心地の瞳で、どこか遠くを見つめていた。
 ――はっ、僕は一体何を考えているんでしょう。
 妄想を振り切るかのように、慎一郎はぶんぶんと頭を振る。
 ――とりあえず、ゴーンタを召喚しましょうか。ふふ、ひさしぶりですから、何かどきどきしますね……。
 まるで、恋する10代の少女のように、頬を赤らめる慎一郎。だがそれも一瞬のことだった。
 慎一郎はすぐに普段の冷静さを取り戻すと、目をつむり何かをつぶやきだす。
 ――лбийЭF……。
 聞き取れない声。この世のものではない言語。
 慎一郎は、さらに空中に複雑な印を描き出す。それは指の動きにあわせて青白い光を発した。
 そして。
 呪文は完成した。
「でっきるっかな、でっきるっかな!! さてさてうほうほーーーー♪♪ はぁっ!!」
 屋根の上にもかかわらず、慎一郎は一回転した。
「ゴーンタ、召喚!」
 両手を突き出した次の瞬間、印がまばゆい光を放った。
「うっ……!」
 そのあまりのまぶしさに、慎一郎は思わず手で目を覆った。
 しゅうう……。
 白い煙の中から、何かが現れた。
 うほうほ……。
「ご、ゴーンタ!」
 それは、まさしく夜のゴーンタだった。全身毛むくじゃらで大きな赤い鼻を持ち【ウホウホ】と鳴く、素敵な
種族。熊のように大きくたくましい、素敵な種族。そんな体に似合わずチューリップハットをかぶった素敵な種
族。
 ――なんてラブリー。
 慎一郎は、思わずゴーンタに抱きついた。
「ゴーンター!」
「うほっ?!」
 ゴーンタは、一瞬驚いたようだった。しかし、きゅっと慎一郎を優しく抱きしめると、次の瞬間強烈なパンチ
を繰り出した。
「をををををっ!!?」
 慎一郎は、きれいな弧を描いて屋根の端までぶっ飛んだ。
 ずべちゃっ!
「な、なんで……ゴーンタ……」
 頬を押さえながら、座り込む慎一郎に向かってゴーンタは、一言言い放った。
「貴様、このわしを誰だと思ってるんじゃボケェっ!! ああ゛!?」
「ご、ゴーンタ……」
「取り立ての途中で呼びつけられて、大体わしはな、暇じゃないんじゃ! くだらない用だったらホンマたたき
のめすで!」
「す、すみません……」
 慎一郎はあせっていた。ゴーンタ。僕のゴーンタが!
 よりにもよって、こんなヤクザ屋さんなゴーンタなんて!!
 慎一郎は頭を抱えた。
 しかし、呼び出してしまったものはしかたがない。慎一郎は、おそるおそるやくざ屋さんなゴーンタに話しか
けた。
「あ、あの、ですね……。実は、その、修理をお願いしたくですね……」
「ああ゛!? なんじゃと!?」
 びびく。
 どうしよう。会話が続かない。
 それでも慎一郎は、勇気を振り絞りこういった。
「その穴をふさいでくれ」
 しかし実際には、
「そっ、そそそその穴をふさいで、ふさいでっ!!」
 ひどく動揺していたため、かみまくっていた。
 それをゴーンタが聞き逃すはずもない。
「……お前、だれに向かってそんな口の聞きかたしてんねん。しばくぞコラ!」
 ゴーンタは、ぎろりと慎一郎を睨んだ。
「ひ、ひぃ……」
 慎一郎は絶体絶命だった。
 しかし、どうにかなだめ、説得して、なんとかヤクザ屋さんなゴーンタにトンカチを握らすことに成功した。
 だが。
 とんてんかんてん。とんてんかんて、ぼごっ!!
「おや、穴があいたな」
「ああああ!?」
 今までのものより、さらに大きな穴がひとつ、ぽっかり開いていた。
 さらに。
「板なんか、こんなんでええやろ」
 板、というよりは棒に近い、枝。それを無造作に穴の部分に打ち付けていく。
「おおおお!?」
 そして。
「……ったくこんなことやってられるかいな!! 大体わしにこんなことやらすなボケェ!」
 散々悪態をついたゴーンタは、トンカチを投げ捨て、さらにチューリップハットを投げ捨てると、ふっとその
場から消えてしまった。
 本来の場所へ、帰ったのだ。
 そう、ドリームランドへ……。
 そして後には、呆然と立ち尽くす慎一郎と、やっつけ仕事で終わった屋根の穴だけが残った。
 ふと空を見上げると、低く垂れ込めた雲の隙間から、月の光が差し込んでいた。
 雨は、止んでいた。
 慎一郎は、残されたチューリップハットを拾い上げると、自らの頭の上に乗せた。そして、トンカチを握りし
めると、何も言わずに屋根の修理に取り掛かり始めるのだった。
 しくしくしくしく……。

                                       了