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<東京怪談・PCゲームノベル>


インタレスティング・ドラッグ:1『蔓延』


 女の身体はぐったりしていて、男がそれを抱き起こすと、首も腕も、骨をなくしでもしたようにぐにゃぐにゃと、まるで正体がない。
 半開きになった目からのぞくうつろな瞳。血の気のまったく失せた肌を見るまでもなく――女は死んでいる。
 殺人。
 がたがたと、足がふるえるのを、蒲公英は感じた。
 どうしよう。どうしよう。
 彼女の目の前で行われているのは、殺人だ。人が、殺されたのだ。気が遠くなる。ここにいてはだめだ。逃げなくては、と、思う自分の思考すら、遠くにあるような気がする。
 男は、女の足に、縄をかけ結んでいた。そして、その一方を、器用に放り投げて、近くの建物の、配管のでっぱりにひっかけたようである。――死体を、吊るし上げようというのだ。いったいいかなる狂気が、そんなことをさせるのか。
 こわい。たすけて……とーさま!
 だが、心の中でその名を呼び、顔を思い浮かべたとき、わずかにでも、足を動かす勇気が、蒲公英の中に生まれたのだった。
 おうちへ帰らなくちゃ。……とーさまのところに帰らなくっちゃ。
 ゆっくりと、永劫とも思える時間をかけて、蒲公英はあとずさっていく。
 だが。
 非情な運命は、そこに空き缶の形をして転がっていたのである。
 響き渡った甲高い音に、男の目がはっと、蒲公英の姿を捕らえた。
 殺人者の眼光は、炯々と輝いている。

■ 小さな目撃者 ■

 その日、弓槻蒲公英は、放課後にひとり残って、花壇の水やりをしていた。
 と、いうのも、彼女はクラスでそれを任される係だからであって、しかしそれは、ほとんど押し付けられるようにして、やらされることになったという経緯がある。
 しかしそれでも、蒲公英にとっては植物の世話はたのしいものだった。
 だから、こうしてひとりで、何の気兼ねなく花に水をやり、飼育小屋のうさぎにえさをやり、そしてそれをしながら花たちやうさぎに声をかけたりするのは、心安らぐひとときだったのである。
「おい、たんぽぽ」
 だが、それも、どやどやと近付いてきた男子たちの足音に蹴散らされる。
「いつまでも居残ってなにやってんだよ。もう帰る時間だろ」
 係の仕事なのだから、それは言いがかりというものだ。だが、言い返せるような蒲公英であれば、係の仕事を押し付けられたりはしないのである。
「なんとか言えよ」
 詰め寄ってきたのは同じクラスの、健太郎という男子だ。うしろの二人は、その子分のようなものである。
「…………」
 健太郎はクラスでもいちばん背が高いし、前に立たれただけで威圧されてしまう。うつむいた蒲公英の頬に、彼女の長い――ほとんど彼女の背丈ほどもある髪のひとふさが、はらりとこぼれた。
「黙ってたら済むと思ってんのかよ、コラ」
 ごく軽く、肩に手をかけただけだったのだが、蒲公英は花壇の土の上にしりもちをついてしまった。
「あー、コイツ、花壇を踏みやがった〜」
「ひっでー、言い付けてやろーっと」
 子ども特有の残酷さで、男の子たちが囃し立てる。
 あわてて立ち上がったが、彼女が手をついた下で、植えられた花の一輪が、つぶれて、倒れてしまっているのだった。
「…………」
「おまえがいけないんだぞ。おまえが簡単に転んだりするからだ」
 健太郎の一言がとどめになって、蒲公英の目にじわりと涙が盛り上がる。
 彼女は、小動物のように駆け出した。
「あっ、逃げたぞこいつ!」
 男子たちがわっと追い掛ける。
 蒲公英は走った。
 難癖をつけられたことよりも、乱暴されたことよりも、花を折ってしまったことが、彼女は哀しかったのだ。零れそうになる涙が、それ以上、あふれるのを必死にこらえ、唇をかみしめて必死に走った。
 だが、クラスでもひときわ小さな蒲公英の足で、男子たちを振り切れるはずもない。それをわかって、男子たちはつかず離れずの距離でついてきては、からかいの言葉をつぶてのように投げかけてくるのである。
 たまらず、彼女は、ビルとビルの隙間の、路地裏に駆け込んだ。――その先に、何が待っているのかも知らずに。

「…………」
 そこは、猫の道だった。小さく弱いものだけが、知っている、都会の中の被難路であり、隠れ家だったのだ。
 だが、蒲公英は、そうした場所には、もっと別のものもやってくるのだと、知っているべきだったろう。すなわち、忌避される闇もまた、街の裏側にひそむものなのである。
 最初に聞こえたのは、げらげらという笑い声だった。誰かいる、こんなところに……?
 いじめっこたちから逃げ延びてほっとしたのもつかの間、こんなうす暗いところで、誰か知らない人に会うのは、それもまた蒲公英には恐怖以外の何でもない。このまま突き切れば、たしか、家の近くに出られたような気がする。しかし、人の声と気配は、そちらからする。来た道を戻ろうか。でももし、まだ男の子たちがそこにいたら……?
 とりあえず、道なりに進み……そして、建物の角から、彼女はちょこんと顔を出した。
 視界に飛び込んできたのはふたりの人間である。
「!」
 見てはいけないものを見た。
 そのことは、すぐにわかった。頭が、その光景の意味を理解するよりもはやく、アドレナリンが、彼女の身体を支配する。
 どさり、と、地面に転がった若い女の身体。
 それを見下ろしているのは、まだ若い男だ。
 ほとんど金髪に近い茶髪に、着くずした派手な色のソフトスーツ。くくく、と、忍び笑いを漏らした。あまり品の良い笑い方ではない。細面の顔立ちそのものは整っているのに、雰囲気がそれを台無しにしている。――しかし、蒲公英には、そんな悠長なことを考えていられる余裕はなかった。
 じりじりと後ずさる。
 だが、その足が、転がった空き缶を蹴ってしまったのである。

■ 実験台 ■

「誰だ」
 誰何の声――。その瞬間に失神しなかっただけでも、誰かが蒲公英を褒めてやるべきだっただろう。
 男が近付いてくる。
「おやおやァ?」
 ぺたんとしりもちをついた少女を見下ろす、冷徹な目。
「お嬢ちゃん、こんなところで何をしてるのォ?」
 口調はやさしい。だが、この男は危険だ。たとえ、殺人の現場を見ていなかったとしても、蒲公英はそう思ったはずだった。
「どうしてそんなに震えているのかな?」
 にっこりと笑いながら、手を差し延べる。
「……キミ……見ちゃったんだね」
 悲鳴の塊が喉につかえる。
 男の手が、がっしりと、彼女の肩を掴んだ。
 そのときだ。
 小気味良いほどの男を立てて、男の額に、空き缶が命中した。
「……!」
 健太郎だった。
「早く来いよ!」
 その叫びは、蒲公英にかけた声だったらしい。
 彼女は這うように男のもとを逃れ、走った。
「こっちだ!」
 ぐい、と、健太郎が蒲公英の手を掴む。
 男の子に、触れられたことなんてなかった。第一、さっきまで、あれほど蒲公英をからかい、責め立てていたのに。恐怖と混乱と、そして、男の子に手を引かれている恥ずかしさとで、蒲公英は何も考えることができなかった。
「あ、あれ……行き止まり?」
 突然、ふたりの目の前に壁が立った。
 いや――そうではなかった。ほとんど路地の幅いっぱいの体格の、雲をつくような男が、そこに立っていたのである。
「なんだ……?」
 男は、じろりと、ふたりを見下ろした。
 ふたりが子どもだから、大きく見えたわけではない。後ろから歩いてきた、あの金髪の男と比べても、男が巨漢であることはわかる。胴回りが相撲取りのようなのだ。その上、頭が剃り上げたスキンヘッドなのが、いっそう威圧感をもたらしている。
「ジン、そいつらを逃がすなよ」
 金髪の殺人者が言った。
「なに? ジョージ、おまえ、ロリに鞍替えか? そいつぁ、オレの専売特許だ」
「バカやろう。そのお子様どもは、オレ様のおシゴト現場を目撃した上に、この大事な顔に空き缶投げ付けてくれちゃったわけよ」
 もはや、逃げ場は、ない。
「……おしおきしなきゃ、だろ――?」

 それから、蒲公英は気を失ってしまったものらしい。
 気がついたときには、どことも知れない部屋の中で、健太郎と並んで、後ろ手に縄で縛られたまま、転がされていたのである。
「おい……たんぽぽ、大丈夫か」
 健太郎が小声で尋ねてきたので、彼女はびっくりして見返したが、とりあえず、怪我などはしていないようだったので、頷いてみた。
「そうか」
 あからさまにほっとした顔をするので、また驚かされる。
「ふたりは仲良しなんだねェ」
 スキンヘッドの巨漢が、にやにやと笑いながら、かれらを見張っている。
「…………」
 気丈にも、健太郎は男をにらみ返していた。
 ややあって、部屋のドアを開き、金髪の男が姿をあらわす。
「先生、どうだって?」
「子どものサンプルがちょうど欲しかったんだってよ」
 男たちの視線が、ふたりへと落ちた。
「おい、それじゃ……飲ませるのか――『ギフト』を」
「ガキには勿体ないと思うがねえ。おまえはそっちだ」
 男たちは蒲公英と健太郎の上にのしかかると、口をこじあけ、それを押し込んでくる。押し込まれる前にちらりと見えたそれは、赤と青のツートンカラーもあざやかな、小さなカプセルだった。ちょうど、熱が出たときに、父が飲ませてくれる風邪薬のような。
「ほら、大人しくしろ。飲み込みやがれ!」
 もがく子どもふたりを抑えつけるのを、男たちは何とも思っていないようだった。
「よし……」
「『ギフト』は子どもにも効くのかね」
「さあ。それを確かめるんだ。あとで『ボウシヤ』が迎えにくる。おまえが見張っとけ。オレは出かけてくるからな」
 金髪の男は、そう言って部屋を後にした。
「――そいつらはもう大事なモルモットになったんだ。イタズラするんじゃないぞ」
 と、言い残して。

「なーんちゃって」
 スキンヘッドの男のにやにや笑いは、いっそう下卑たものになる。
「ジョージのやつ威張りくさりやがって、ちょっとくらい役得があってもいいじゃねえかよ、な?」
 大きな手を、蒲公英にかけた。
「コラ! やめろよ、たんぽぽに触るな!」
「うるさい、すっこんでろ、ガキが!」
 暴れ出した健太郎を、男の太い腕がなぎはらった。簡単に、小学生の身体はふきとばされ、ぐったりとなる。
「ませやがって、ナイト気どりはあと十年は待つんだな」
 ずい、と、男の大きな身体が近付いてくる。
 せめて悲鳴をあげることができたら……と、蒲公英は思う。状況は変わらないかもしれないが、そのほうがまだ、男の手が身体の上を這い回る感触に耐えられるような気がするのだ。
「お嬢ちゃん、何年生だい。1年生か? ずいぶん小さいなァ」
 男は、猫なで声で言った。
「長い髪……きれいな髪だ」
 男の指が蒲公英の髪を梳く。不快感に、彼女は身をふるわせた。だが、構わずに、男は髪の香りを嗅いで、恍惚とした表情を浮かべた。
「へ……へへ……せっかくなんだ……もうちょっと役得があっても……バチは当たらない……よなぁ」
 そして、蒲公英は見た。
 男の指が、手が、腕が、彼女の上で、どろりと溶け出していくのを。

■ 炎の騎士 ■

「……ッ!」
 身体が硬直する。
 それは意志のある泥のように、ぬめぬめと彼女の皮膚の上でのたうち、波立っているのだった。
「へへへ……驚いたかい。これが俺の『ギフト能力』――『ブロブ』だ。液体は……どんな隙間からでも……入り込めるからなぁ……」
 どろり、と、粘液状になった男の腕――だったもの――が、容赦なく蒲公英を包み込もうとしている。
(とーさま)
 硬く閉じた目から、ぽろぽろと、涙があふれた。驚くほど、澄んだ涙だった。
 ここで死ぬのだろうか。
 あの女の人のように。
 殺されて、吊るされるんだろうか。
 せめて、もういちどだけ、とーさまと……
「あ……?」
 焦げ臭い匂いに、はっと目を開けた。
 男が目を丸くしている。その肩口で、パチパチと――火が燃えていた。
「な、なんだとォォォ!!」
 怒号。
 コップが倒れて水がこぼれる映像を、逆回転させたように、液体化していた腕が、通常の人間のそれに戻った。あわてて火を振払おうとする。
「たんぽぽから離れろ」
 健太郎が、小さな身体――いくら蒲公英のクラスでは一番だと言ったって、しょせんは小学生だ。男にくらべると、ゾウとネコほども違って見える――に、いっぱいに怒りをみなぎらせて立っていた。
 彼を縛っていたはずの縄が足元に解け落ちている。蒲公英は、その切れ目が焼け焦げているのを、見た。
「こ、こいつッ……『ギフト能力』かッ!!」
 ごろごろと、火を消すために男は転がる。
「こんなに早く……適応するはずがないが……子どもだからか、ちくしょうッ!」
「蒲公英!」
 健太郎が叫んだ。瞬間、ぼっ、と音を立てて、蒲公英を戒めていた縄も解かれる。
「逃げよう!」
「そうはいくか、小僧ッ!」
 でろり。
 悪夢のように、男の身体が溶け崩れていく。
 液状化した男が、さながらスライムの津波のように、ふたりをつつみこもうとする。
「『ブロブ』で窒息させてやる!」
 ごぼごぼと、憎悪の叫びが泡立つようにかつて口だった場所から聞こえた。
 だが。
 続いて上がったのは男の悲鳴だ――。
 炎。
 巨大なスライムは、めらめらと燃えている。
「何してるんだ、たんぽぽッ!」
 びくり、とその声に我に返った。
 燃え、のたうちまわる怪物を後に、ふたりは部屋を飛び出した。
 しっかりと、手に手を取って――。

 もうすっかり日も暮れている。
 空には、夜の都会の灯りにかすみながらも、それでもかすかに星がまたたく。
「ここまで来れば……大丈夫だ」
 はあはあと、呼吸を整える。
 蒲公英は、体育の授業でさえ、ちょくちょく見学するというのに、こんなに走ったのは久しぶりで、ほとんど倒れてしまいそうだった。
「平気か?」
 しかしそう聞かれれば、頷いてしまう。
「……おまえ……あれ、飲まされちゃったろ?」
 おずおずと、健太郎は訊ねた。
 蒲公英は、しかし、そっとそれを差し出した。
 てのひらの上の、小さなカプセル――。
「飲み込まなかったのか! やるじゃん!」
 健太郎は手を叩いた。
 なぜだか、そんな彼を見て、ふうわりとした微笑が、蒲公英の顔に浮かぶ。
「よかったぁ」
 健太郎は道端に座り込んだ。心配そうにのぞきこむ蒲公英。
「気にすんな。……おまえ、早く、家に帰れよ」
 そうだ。もうこんな時間。きっととーさまが心配する。そう思うと、蒲公英は、居ても立ってもいられなくなった。
「ぁ…………」
 歩き出しかけたが、踏み止まる。
 そして、ほとんど聞き取れるかどうかの小声で、
「ありがとう」
 と、言った。
 満足そうな微笑みが返ってくる。
「じゃあ、また明日、学校でな」
 それだけいうと、少年は、反対の方向へと駆け出していく。
 その背中を、蒲公英はじっと見送っているのだった。


(第1話・了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1992/弓槻・蒲公英/女/7歳/小学生】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2号です。
お待たせいたしました、「インタレスティング・ドラッグ:1『蔓延』」をお届けします。
お先に受注いただいた前半組の方と、納品のタイミングが非常に間があいてしまい、申し訳ありませんでした。

このたびは、初のシリーズものシナリオにご参加いただいて光栄です。
第1話にあたる本作は完全個別執筆ということで、いつもの調査依頼等にくらべると、
分量的には控え目になっていますが、そのぶん、各PCさまそれぞれのストーリーを
クローズアップする形になっています。

>弓槻・蒲公英さま
はじめまして!
はじめましてなのに……ああ、なんて過酷な目に……書き終わってからちょっと反省。なにげに、今回のご参加者さまの中でいちばん酷い目に遭わせてしまったかと思い、胸が痛みます……。あの……スイマセン、ほんと……なんていうか、つい(オイ)。

よろしければ、第2話以降もおつきあいいただけるとさいわいです。
ご参加ありがとうございました。