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<東京怪談・PCゲームノベル>


インタレスティング・ドラッグ:1『蔓延』


>ねえ、『ギフト』って知ってる――?
>青と赤のツートン・カラーの、ちいさなカプセルなんだって

 藤井百合枝はどうして夜な夜なインターネットに接続するのか。
 職業柄……というのが、答になるかどうか――インターネットのプロバイダのサポートセンターで働いているから、ネットが好きになったのか、それとも好きだからそんな仕事を選んだのか、それはニワトリと卵だ。
 彼女は妹がそうであるように、ネットゲームにハマったりはしていない。かといって、別にオークションだとか、通販だとか、まして出会い系だとか……特に熱中しているものが他にあるわけでもない。
 それでも、仕事が終って、一人暮らしのマンションに帰ってからは……、夕食を済ませ、ゆっくりとしたバスタイムのそのまた後で、髪を乾かしながら、彼女はPCを立ち上げるのである。そして、化粧水をはたきこみ、乳液をのばしたりしながら、ネットの海をさまようのが、彼女の日課なのだ。マグカップに入れたココアを片手に(日によってそれは、ホットミルクだったり、はちみつ入りのレモネードだったりする)、日付が変わるころまでモニタの前に座っている。
 その夜も、ひとつ、大きなあくびをして、そろそろ寝るか、と思いながら、ふと思い立って「お気に入り」のひとつを開いた。

>『ギフト』を飲むと、“とくべつなちから”が貰えるらしいよ
>出来ないことなんて、なくなるんだって……

「なによ、ソレ」
 思わず、口をついてでた言葉。
 日本中のあやしげな噂が集う掲示板で、そんな書き込みを見つけた。そういえば……と、百合枝は思いをめぐらす。以前にも、どこか別のところで、似たような話を見かけた。
 書き込み主のメールアドレスを――正確にはそのホストを、なかば無意識に確認する。どこにでもある、フリーアドレスだ。なんら確実性のない、匿名の象徴。
(特別な力なんて)
 ひややかに、百合枝はサイトを閉じ、パソコンを終了させた。
 人の心を『炎』としてその目で見ることのできる百合枝の能力は、もちろん、ネット上の書き込みなどには通用しない。これが目の前で喋っている人間であれば、その真偽や心中を覗き込むこともできたろうに。
 あるいは――
 それができない、しなくてもいい世界だからこそ、百合枝はインターネットを好むのかもしれなかった。フリーアドレスとハンドルネームひとつで、互いの心の内を知りあうことのない、匿名の仮面をかぶれる世界として。

■ 仮面舞踏会 ■

 仕事帰りに、白王社のビルをときおり訪ねるのは、百合枝の習慣のひとつである。
 怪奇雑誌の編集部のフロアは、いつだってくたびれた記者たちでごったがえしていて(百合枝が仕事帰りに寄るのだから、それは多くの会社で終業の時間なのだったが、彼女はこの編集部でその時間に帰宅している人間がいるのを見たことがなかった)、三下忠雄はいつものように編集長に怒鳴られてばかりいる。
 時には、百合枝と同じように、社員でもなんでもないのに、編集部に顔を出す“常連”たちと、応接スペースを喫茶店のように利用することもあった。
「こんどは何を調べているのよ」
 百合枝は牛乳瓶底眼鏡のダメ編集者に声をかけた。
「ああ〜。百合枝さ〜ん」
 すがるような声だった。
「百合枝さん、ネットでいろいろ調べものするの、お得意でしたよね」
「……それはあんたの仕事でしょ」
「そんなこといわずに助けてくださいよ〜。他にもやらなきゃいけないことが山ほどあって……。ボクが過労死したら百合枝さんのせいにしちゃいます〜」
「あんたが化けて出たってちっとも怖くなんかないわ。……で。何を調べてるって?」
「……『ギフト』って知ってます?」
 どきり、とした。
 三下の牛瓶底眼鏡では、百合枝自身の特殊な視覚とは違い、彼女の内心の動揺など見えはしなかっただろうが。
「クスリらしいんですけどね。今、ネットですごい噂なんですよ」
「でも……麻薬なんでしょ? アトラスって怪奇事件や不思議な出来事を載せてる雑誌じゃなかったっけ」
「だからそこはまず調べてみないと」
 三下は、いちおう、自分でも出来るだけのことはやってみたらしい。おびただしい量の、ネット上の掲示板のログやら何やら、資料の束を示した。
「『ギフト』はタダで配布されているらしいんですよ」
「タダ……? ちょっと待って。麻薬って、暴力団が売り捌いて資金源にするものでしょう? どうしてタダなの。誰が配ってるっていうのよ」
「だからそこが謎なんですよ。『ギフト』が欲しいと思った人は、特定の暗号で配っている人間に呼び掛ければいいそうなんですが……」
「暗号」
「その売人――というか、配っている人間は『ボウシヤ』と呼ばれているそうなんです」
「帽子屋……?」
 そのとき、三下はまた編集長に名を呼ばれて、デスクを離れた。
 百合枝は資料の束をめくってみる。

  『ギフト』は暗号のメッセージで呼び掛けたら、誰でもタダでもらえるんだって。
  そうしたら『ボウシヤ』が来てくれる。彼が『ギフト』をくれるよ。

 ネットワークのどこかで、名もなき何者かが発した謎めいたメッセージ。それはウイルスのように加速度的に増殖し、そしてそのたびにすこしづつ形を変え、いつのまにかネットのすみずみにまで、至っているようだった。

 そして百合枝の調査が始まったのだ。
 インターネットは海である。すぐに目につき、さらされるところは海面であり、浅い部分でしかない。本当に価値あるものは、光の差さぬ深海に息づいている。
 百合枝はそうした深いところで、いくつかの、目的のものをみつくろうと、それに向かってメールを放った。

  掲示板、見ました。
  『ギフト』のこと、もうすこし詳しく教えてくれませんか。
  できれば手に入れたいと思っています。

 発信元は、フリーのアドレスだ。
 百合枝もまた、匿名の仮面を持っている。

■ 取引 ■

 昼間であれば、昼休憩のOLやサラリーマンが見られる公園も、この時刻ともなれば人の姿はない。水の止まった噴水のへりに腰掛けて、百合枝は携帯電話をプッシュした。
(麻薬の取引なんて、もっといかがわしい場所でやるもんだと思ったけどねえ)
 見上げれば、高層ビル。そこはオフィス街のど真ん中なのだ。
『関東地区の明日の天気予報をおしらせします――』
 流れてくる応答メッセージを確かめ、電話を切る。

  23時に、××公園から「天気予報」に電話をかけること。
  それが、『ボウシヤ』を呼び出す暗号だから。

 そのメールの返信を見たとき、百合枝は目を疑ったものだった。
(ちょっと待って。どうしてそれが相手に伝わるっていうの――?)
 よほど、それを質問するために、再度、メールを送ろうかと思ったが、踏みとどまった。からかわれたのかもしれないが、それならそのときだ。だがもし、これが真実なら……なかなか不可解で、ある意味、興味深い話ではないか。
 そして、どのくらい、待っただろうか。
 なにせ公園に着いたのが23時。帰るなら、そろそろ終電だ。いいかげん腰が浮きかけたとき、その人影が近付いてくるのが目に入った。
 コツコツ――
 革靴の足音が近付いてくる。彼女は闇の向こうを注視した。
 山高帽をかぶった、男のシルエット。フロックコートを着た、中年の男のようだった。
(『ボウシヤ』……)

  そうしたら『ボウシヤ』が来てくれる。彼が『ギフト』をくれるよ。

「与えられることを望むのか」
 男の、奇妙に抑揚のない声が告げた。
「望んだら……『ギフト』がもらえるわけね?」
 百合枝は応える。
 山高帽が頷き、コートのポケットから、それを取り出した。
 水銀灯の灯りが照らし出したのは、赤と青の、ツートンカラーの小さなカプセル――。
 百合枝は手を出す。男がその手の中に、ひと粒の薬を、ぽとり、と落した。
 ぐっ、と、渡された薬を握り込み、彼女は、目の前の男を見据えた。
 それなりに整った造作の、しかし、これといって特徴のない顔だと思った。そして、そのおもては完全に無表情なのである。まるで、仮面か、人形ででもあるかのようだった。
(見させてもらうわ。あなたの心を――)
 その瞬間。
 百合枝は意識を集中し、山高帽の男の背後にゆらめく『炎』をとらえようとした。だが――
(えっ……!?)
 たとえれば、勢いこんで扉を開け、飛び込んだ部屋に、床がなかったような……言わば意識がつまづいたような、そんな状態になって、百合枝は思わず目をしばたいた。
(嘘……)
 山高帽の男の心の中身。
(何も――ない……?)
 それは、虚無、だった。
 どんなに心を平静にしていてさえ、それは百合枝の目にはなんらかのかぎろいの揺らめきとして映るものだ。それがまったく感じられない。男の中に思念の『炎』は燃えていない。その心はからっぽ……空洞だったのである。
「それが『ギフト』だ。おまえは与えられるだろう」
 機械のように、男は言った。
 そして、きびすを返し、来たときと同じように、去っていこうとする。
 相手の心を覗きこめば、なんらかの手がかりが得られるものと勢い込んでいた百合枝は、あてがはずれて立ち尽くした。こうなれば。
 『ボウシヤ』は振り向かない。まるで、もう百合枝のことなど意識の中にないような足取りだ。百合枝はその背中をそっと追った。
(まいった。尾行なんて専門外よ。ヒールのない、歩きやすい靴にしてくりゃよかった)
 内心、悪態をつく。
 百合枝の尾行が、尾行として上手かったかどうかはわからない。だが、山高帽の男はただ黙々と、一定のペースを保って、夜のビル街を歩いてゆくのだった。
(…………)
 やがて、その奇妙な夜の道行きも、終りに近付いたと見える。
 小型のトラックのようなものが、停まっているのが目に入った。荷台の戸が開いているが、こんな時間に荷の積み降ろしもないだろう。はたして、山高帽の男はその車に歩み寄っていき――。
「感心せんな」
 百合枝の目の前に、ぬっと黒い、大きな影があらわれて、彼女の行手を遮った。
「必要なものを貰ったのなら、家に帰ってそいつを飲んで……さっさと寝ちまうことだな。そうすりゃ明日の朝には、スーパーウーマンだ」
 全身が、筋肉のかたまりのような男だった。短く刈った兵士じみた髪は、まるで針金のように硬そうで、金属的な銀色に輝いている。
 ごつい顔が残忍な微笑にゆがむ。
「わかったか」
「……あなた、誰」
「知る必要はない。……おれは女を殺るのはあまり好きではないのでな。言うことを聞いてくれるといいのだが」
「…………」
 百合枝は、巨漢の背後に燃え立つ見えざる炎を見つめた。――敵意。この男は見るからに危険だった。だが、少なくとも心のある人間だ。
「ダメよ、ファング」
 甲高い女の声が、夜のビル街に響いた。
 百合枝は声の主を探す。――と、車から降りてきた女がいる。燃え立つような金髪と、毒々しい赤い口紅が印象に残る。
「その女、『ボウシヤ』をつけてきたのでしょう? 何者なのか確かめるべきよ」
「……だ、そうだ」
 やれやれ、と言った調子で男は言った。
「ただの好奇心、というわけでもないでしょう、何のつもりなの?」
 女が歩くと、そのハイヒールの足音が、コツコツと響いた。
 美しい女だ。だが、その唇が、にっと歪むのを、百合枝は見た。同時に、燃え上がったおそろしく残忍な、悪意に充ちた『炎』も、また。
 脱兎のごとく駆け出す。
「逃げられないわよ!」
 なにが可笑しいのか、女がけらけらと笑いながら叫んだ。かまってはいられない。あの女は危険だと百合枝の感覚が告げていた。もしかすると、あの軍人めいた男よりもさらに。追手を懸念して、百合枝は、ビルの角を曲った。
 だが。

■ 真夜中の迷宮 ■

「!?」
 先回りされたのか。それが、最初に百合枝が思ったことだった。通りの角を曲った向こうに、巨漢と、金髪の女の姿が目に飛び込んできたからだ。走りにくいパンプスで急ブレーキをかける。……そしてそこで違和感に気づいた。
 先回りなどではない。ここは元の道なのだ。確かに角を曲ったはずなのに、元の道に戻っている……?
 そのことを、しかし、深く追求するよりも先に、巨漢がのしのしと動き始めるのが目に入り、百合枝はまた逆方向に走り出すハメになる。そして、再び、角を曲り……
 女の、哄笑。
「逃げられないと言ったでしょ? これがあたしの『ギフト』、『デッドエンド・ワールド』。あなたはもう回し車の中のネズミなのよ」
(そん――な)
 冷たい手に、心臓を掴まれたようだった。
 男が、逃げられないのをわかってか、いやにゆっくりとした足取りで迫ってくる。
 また逃げることはできる。だが、またその角の向こうが、元の道だったとしたら――。
「……ッ!」
 突然の、白い閃光が人々の目を灼いた。
「こっちよ! 走って!」
 ぐい、と、誰かが百合枝の手を引く。
「待ちなさいッ!」
 怒気をはらんだヒステリックな叫び声が、背後で響いた。
「さ、ここに隠れて!」
 その手が、彼女にしゃがみこむように促した。ようやく、強い光にくらんだ目が回復してきて、そこが、ビルのあいだの暗い路地裏だとわかる。
「あ……、でも、どうして?」
「『ギフト能力』は人の心が形になったもの。集中を乱されれば、効果は持続しないわ」
 ――黒っぽいウィンドブレーカーの、小柄な人物だった。
 声からして、女……それも、まだ少女と言っていい年齢なのだと知れたが、フードを目深にかぶっているため、その顔はわからない。
「あなたは?」
「通りすがりの正義の味方」
 くすくすと、小鳥のように笑った。
 続けたなにか言いかけた百合枝を、しっ、と、制する。
 車の発進音を、彼女たちは耳にした。
「諦めたみたい」
「あいつらは、いったい……」
「ね、ひとつ、聞かせて」
 少女は問うた。
「『ギフト』……飲むつもり?」
 百合枝の瞳が、澄んだ光を真直ぐに投げかけた。
「いいえ。そのつもりはないわ」
「そう」
 満足そうに、彼女は頷く。
「私もそれが正解だと思う」
 立ち上がる。
「じゃあね。気をつけて」
「待ってよ――」
 制止する百合枝の声を振り切って、謎めいた少女は、小動物のような俊敏な動きで、路地の奥の闇へと消えていく。
「また会うかもね。もし、『ギフト』の謎を追うのなら」
 くすくす、と、妖精じみた笑い声だけが、あとに残った。
(『ギフト』……)
 百合枝は、そっとポケットの中に手を差し入れ、その存在を確かめる。
 指先にふれる、小さなカプセル。
 それだけが、この悪夢のような一夜が、たしかに現実であったことを、語っているかのようだった。

(第1話・了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1873/藤井・百合枝/女/25/派遣社員】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2号です。
お待たせいたしました、「インタレスティング・ドラッグ:1『蔓延』」をお届けします。
お先に受注いただいた前半組の方と、納品のタイミングが非常に間があいてしまい、申し訳ありませんでした。

このたびは、初のシリーズものシナリオにご参加いただいて光栄です。
第1話にあたる本作は完全個別執筆ということで、いつもの調査依頼等にくらべると、
分量的には控え目になっていますが、そのぶん、各PCさまそれぞれのストーリーを
クローズアップする形になっています。

>藤井・百合枝さま
いつもありがとうございます。
勝手知ったるネットの扱いと、能力を活かして、『ギフト』の謎に迫る百合枝さまの冒険、いかがだったでしょうか。通常、調査依頼やゲームノベルは団体行動ですので、ピンでアクションも含めてご活躍いただくのは、書き手としても新鮮でした。

よろしければ、第2話以降もおつきあいいただけるとさいわいです。
ご参加ありがとうございました。