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<東京怪談・PCゲームノベル>


インタレスティング・ドラッグ:1『蔓延』


 遠ざかっていく背中。
 これは夢だ。
 何度となく見た、悪い夢だ。
 それでも、彼女は手を延ばさずにはいられない。沼地の泥にとらわれたかのような、重い足を必死に繰り出し、追いすがらずにはいられない。
 遠ざかっていく背中。
 普通、人は声を掛けるだろう。そして呼び止めるはずだ。だが、彼女にはそれができない。叫ぼうとは、する。しかし、喉がふるえても、声は音にならない。
 遠ざかっていく背中には、届かないのだ。
 いつもなら、そこで目が醒める。だが、そのときは――
 ぐらり、と、追い掛ける背中が傾いで、ゆっくりと倒れていくのを、彼女は見た。ぱっと、咲いた、真っ赤な花……いや、違う、それは血だ。鮮血が、なにもかもを染め上げている。
 息を呑んだ。血の海のなかに、あの背中が沈んでいく。
 あのひとが……あのひとが……!
 悲鳴をあげた。あげたつもりだ。
 だがそれさえも、声にはならない。

 飛び起きた。
 橘は、自分がじっとりと、脂汗をかいているのを知った。……厭な夢だった。昼間に、厭な話を聞いたせいだ、と思った。
 時計を確かめると、午前三時――。まるで約束したように、丑三つ刻に悪夢にうなされて目が醒めるとは縁起でもない。
 カーテンの隙間から、月光だけが忍び入ってきている。壁にもたれて、彼女の相棒――からくり人形の榊も、眠ったように目を閉じていた。
 橘は再び、静かに布団の中に身を横たえた。
 哀しい夢には、もう慣らされてしまった。だがせめて、それが血腥い、不吉なものでなかればいい――橘は、それだけを願うのだった。

■ 予兆 ■

 その日の昼間のことである。
 白宮橘は、その店で昼食を摂っていた。
 下町にひっそりと開業している小さな蕎麦屋だ。そこは、ここ最近、橘が何度か足を運んでいる店だった。
『昨日、午前九時頃、板橋区の空き地で、男性が血を流して死んでいるのが見つかりました。男性は近くに住む会社員の――』
 ニュースキャスターの言葉に、橘はふと目をあげて、店の隅に置かれた、古い型のテレビを見遣った。
「なんや、物騒やなあ。最近、多いことないか……?」
 腕の中の榊が、きょろりと目を動かして、喋った。
「ホントだねえ」
 あいづちを打ったのは、割烹着姿の、店のおかみとおぼしき中年女性だった。
「最近は、おかしな連中が多いから。橘ちゃんも気をつけなきゃダメよ」
 下町の常として、おかみはもう、何度か店に来ただけの橘のことも、よく承知しているのである。だからこそ、人形を通して彼女と話すことにも、なんら気後れしていないのだった。
「おばちゃんかて、気ぃつけやぁ」
「アラ。榊ちゃんったら」
 おかみは笑った。
「……でも、本当よね。ねえ、このあたりでも事件があったの、知ってる?」
 橘の黒い瞳が、おかみを見返した。
「××町のほうなんだけど、一人暮らしのOLさんが、帰りに夜道で襲われたらしいのよ」
 声をひそめて、彼女は言った。
「首を絞められて殺されたんだけど、よっぽど、強い力で……なにか道具を使ったんじゃないかって言われてるんだけど――ほとんど、首がちぎれかかってたっていうのよね」
「…………」
「うう、くわばらくわばら」
 自分で言い出しておきながら、しかし、本当に嫌そうに、彼女はかぶりをふった。
「そらまた……ちょっと普通やないな……」
「なんていうの、ほら、アレよ。猟奇殺人――ってやつ?」
「…………」
「あら、いやだ、私ったら。食べてる途中にごめんなさいね」
 申し訳なさそうにいうおかみに、橘は微笑を返した。
 と、そのとき、がらがらと店の戸が開く。のれんをくぐってきたのは、背の高い、大柄な青年だった。橘は、彼がこの店のアルバイト店員だと知っている。たしか、おかみはいつも、ケイタと呼んでいたはずだ。
「おつかれ、敬ちゃん。帰ってきたとこで悪いけど、今度、××町の坂田サンとこまで行ってもらえる」
「うっす」
 低い声で、小さく返事する。
 ちらりと、青年が一瞬だけ、橘のほうを見た。
「はい、お願い」
 おかみはラップをかけた鉢を、青年に渡す。そして橘のほうをあごで示しながら、
「……それと、『いらっしゃいませ』くらい言うんだよ」
「…………っす」
 口の中でもごもごとなにか言って、青年は出ていった。
「ごめんねえ、不愛想な子で」
 おかみはまたもや謝っていたが、橘はじっとテレビのニュースに釘付けだった。番組は、さらに別の事件を、立続けに報道している。
 渋谷では人が皮を剥がされたり、絞殺されたあとどこかに吊るされたりしていた。原宿の近辺では全身を針のようなもので刺され、失血死した人の遺体が見つかったらしい。事件は池袋でも、新宿でも、上野でも、銀座でも、品川でも、東京の至るところで起こっていた。

 そんな話を聞いたせいで、厭な夢を見たのだろう。
 だが、よもや、それが正夢になどならねばいいが。
 橘は、人を探すために東京にやってきた。この東京のどこかにいるかもしれない、いや、きっといるはずだと思う人を、地所を転々としながら尋ね歩いている。
 万が一……
 この事件に、あの人がまきこまれるようなことがあったら。
 橘は、おそろしい考えに身をふるわせた。
 なにかが起ころうとしている。それは橘にも感じられることだった。それはゆっくりと、闇の向こうから立ち上がり、輪郭を見せはじめたなにかだ。
 それが、あの人につながってほしくない。
 ならば、断ち切ればよい。
 傍目に見れば可憐そのものの少女の内に、そんな強い決意の火がともったことを、知るものは、しかし、いなかった。

■ ケイタ ■

 橘は大道芸をなりわいとしている。
 いつもは繁華街へ出て、稼ぎのために人前で芸を披露するのだったが、その日はたまたま、新しい出し物の稽古のために、近くの公園で技を磨いていた。公園といっても、下町の、ほんの小さな公園だ。近所の子どもやら犬の散歩に来た主婦やらが、すこし足を止めて、稽古風景を見ていくことはあったが、やがて時間が過ぎて行き、日が傾く頃には、誰もない公園にぽつんと橘がいるばかりだ。
 ふと、人の気配に顔をあげる。
「……ケイタはん」
 出前持ちの青年は、うっそりと、会釈をして見せた。
「今日は休みなんか?」
 榊が尋ねるのへ、なかば戸惑うような表情を見せながらも、頷く。
「……すこし、話しても?」
「ええよ。もう片付けよ思うとったとこやし」
 敬太は、橘(と榊)をベンチへと促した。
「……ひとを、探してるって?」
「おばちゃんに聞いたん? お喋りやなあ」
「見つからない――んだろ」
「見つけてみせる」
 榊は、きっぱりと言った。
 この少年の人形と終始、話しているような錯覚に陥るが、榊の言葉はそれを操る橘の言葉だ。敬太は、少女の瞳に宿る光を見た。
「……なあ」
 気恥ずかしそうにうつむく。
「『ギフト』――って知ってるか?」
「何やて?」
「『ギフト』。そういう薬なんだ。……それを飲めば、特別な力が手に入る」
「とくべつなちから――ねえ」
 榊が、苦笑するような表情を見せた。
「あったら便利かもしれへんけど……そんなもん手に入れてしもうたら、『普通』っちゅうもんがのうなってしまうやろ? ケイタはんは、それが欲しいん?」
「そりゃあ……そうだろ」
 意外なことを言われたとでもいうように、青年はむっつりと答えた。
「俺は……高校中退して学もないし、ちょっと図体が大きいだけで、なんの取り柄もない……蕎麦屋の出前持ちくらいしか出来ないんだ。もし……もしも、俺にもっと違う、なにか凄い……特別な力があったら」
 その黒い瞳の中に、暗い炎のようなものがちろちろと燃えているのを、橘は見た。
「そしたら、俺はこんな町からも出ていけるし。もっと……今の、こんな俺じゃない、もっとこう――」
「敬太はん」
 榊が、小首を傾げて、彼の顔をのぞきこんだ。
 なぜ、人形がこれほど表情ゆたかに見えるのか、不思議としか言いようがなかった。
「なんで、そんなこと思うん? おばちゃんかて敬太はんのこと、いっつも頑張ってる言うてくれてるやん。そんな……『力』なんて、いらんのと違うか」
「いいや」
 きっぱりと、青年は言い切った。
「俺には『力』が必要なんだ」
「この東京には、『力』を持ったもんも仰山おる。けど、みんな……それとひきかけに、なにかの『ふつう』を諦めてるんと違うかなあ。『普通』いうことが、いちばんしあわせやっちゅうことも、あるんと違うかぁ?」
「…………」
 ふたりのあいだに沈黙と、木枯らしとが流れていった。
「なあ、ちょっと寒うない?」
 もうだいぶ日も傾いてきている。風は冷たくなっていた。
「今日はもう終うわ。敬太はんも――」
「それでも!」
 叫ぶように、彼は言った。
「俺は特別な力が欲しかった。特別な俺でいたかったんだ!」
 橘の前に、仁王立ちになったシルエット。
「『普通』がしあわせ……? 笑わせんな。俺が……何の取り柄もない、ただ平凡で、普通だった俺が……今までどんな思いで……どんなに惨めに生きてきたか、何も知らないくせに……!」
「け、敬――」
 その大きな手が、ゆっくりと彼女の身体にかかった。

■ 異形の妄執 ■

 目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。
 身を起こす。畳敷きの、狭い部屋である。はっと、部屋の真ん中に、あぐらをかいている大柄の青年の姿をみとめて、橘は息を呑んだ。
「……悲鳴ひとつあげねえのな」
 ぼそり、と、敬太は言った。
 橘は榊の姿を探す。――部屋の隅に、横たえられていた。だが、すぐに手を延ばせる距離ではない。
「俺が怖いか」
 続けて、問われる。
「怖いだろう。……なら泣け。叫べ」
「…………」
 ゆっくりと、橘は首を横に振った。
 青年の顔が、哀しみとも憤りともつかぬ表情にくしゃくしゃと歪んだ。
「聴かせてくれよぉ!」
 吠える。
「声を――聴かせてくれ。ずっと……ずっと、はじめて会ったときから、聴きたかったんだ。あんたの声が。あんた自身の声が。なあ……俺に聴かせてくれよ。なんでダメなんだよ」
 青年は橘につめより、その肩をつかんでゆさぶった。
「俺が怖くないのか。俺は……俺は何だってやるぞ。どんな……残忍なことだって」
 再び、橘はかぶりを振った。
「嘘じゃないんだッ!」
 メキメキ――、と、なにかが軋み、割れるような音を、橘は聞いた。はっと目を見開く。
 青年の腕が、手が、指が……見る見るうちに音を立てて、変化していくのである。皮膚は鈍く輝く金属に、指先は鋭い爪になった。
「見ろよ。これが、俺が与えられた『ギフト』だ。――『ハンド・イン・グルーヴ』。鋼鉄よりも硬い、万力よりも強い腕だ。……おまえの細い首を折るのなんて、簡単なんだぜ。……そうさ。例の事件も、俺がやったんだ。あの女――いつも俺のことを馬鹿にしてやがったからな」
 鼻息荒く、異形の腕を備えた青年はまくしたてた。
 だが橘は、どこまでも穏やかに、そっとその鉄の腕を手に取ると、てのひらの上に、指を這わせた。
 桜貝のような小さな爪が、黒金色の掌中に文字を書く。

  こ・わ・く・な・い・か・ら

「バ――」
 それをどう取ってか。青年の顔が発作的な怒りの噴出に赤黒くなった。
「バカにしやがってッ!」
 腕のひとふりで、橘の身体は嵐にさらわれた木の葉のごとく、部屋の隅まで吹き飛ばされた。
「泣けよッ! 叫べよッ! ……力づくでも――悲鳴をあげさせてやる!」
 くわっ、と青年の大柄な身体が、倒れた橘の上にのしかかってくる。うつぶせの彼女の肩に、鉄の爪がかかろうとした、そのときだ。
「それに溺れるようでは、本当の自分の力とは言えへんで」
 榊の澄んだ瞳が、青年を見上げた。
 橘の身体が飛ばされたところは、その人形が寝かされていた場所だったのだ。
「あわれな妄執――。断ち切るが吉!」
 すらりと、抜き放たれた飾太刀!
 白い光が一閃する。
「…………ぁ」
 小さく呻いて、敬太は倒れた。両の腕は、人間のそれに戻っている。
 かちん、と、榊は刀をしまった。
「敬太はん……」
 つぶやきは、寂しげだった。
「……そんなに、力は欲しいもんか?」
 意識のない青年からは、当然、いらえは、ない。
 橘は、畳の上にぽつんと落ちているものを見つけた。赤と青のツートンカラーの、小さなカプセル。――『ギフト』。
 そっとつまみあげる。
「こんなもんのために……」
 榊の手が、おもわず、太刀にかかる。だが――橘はそれを抑えた。そしてただじっと、手の中のカプセルを見つめているのだった。

 冬の夜風が身にしみる中、榊と橘はふたりっきりで歩いている。
「ううう、寒っ。……あやしいクスリに、殺人事件に。ほんま、東京は物騒でかなわんで」
 そんなつぶやきも、冷たい風にさらわれていくのだった。

(第1話・了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2081/白宮・橘/女/14歳/大道芸人 】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2号です。
お待たせいたしました、「インタレスティング・ドラッグ:1『蔓延』」をお届けします。
お先に受注いただいた前半組の方と、納品のタイミングが非常に間があいてしまい、申し訳ありませんでした。

このたびは、初のシリーズものシナリオにご参加いただいて光栄です。
第1話にあたる本作は完全個別執筆ということで、いつもの調査依頼等にくらべると、
分量的には控え目になっていますが、そのぶん、各PCさまそれぞれのストーリーを
クローズアップする形になっています。

>白宮・橘さま
ゲームノベルでもお会いできて嬉しいです。
会話も、能力の行使も榊クンを通じておこなうという点で、橘さんはとてもユニークなキャラクターでいらっしゃいますよね。
シチュノベでは心情を中心に書かせていただいていたぶん、今回は、いろいろと動いていただけて、書き手としても新鮮でした。

よろしければ、第2話以降もおつきあいいただけるとさいわいです。
ご参加ありがとうございました。