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<東京怪談ノベル(シングル)>


南の島の王さまは



 五二八回。
 これは、彼が即位してから今日まで逃亡した回数である。
 そしてその数は連れ戻された回数と一致する。
 南の島の大王は、なかなかに愉快な人物だ。
 名を、バニラ・デ・ショコラという。
 彼は幼少の頃、日本という国に留学していた経験があり、リベラルな気風の中で育っている。したがって、退屈で格式張った王宮生活にうんざりするのは当然だ。
 とは、バニラ自身の理由付けである。
 もちろん、そんなタワゴトを信じる廷臣など一人もしなかった。
 こうして彼は、ひたすら連敗記録を伸ばしている。
 そんな日々の中であった、これは物語だ。


 潮騒がざわめく。
 海へと沈んでゆく夕日。
 連なる波濤。
 みゃあみゃあと鳴きながら家路を急ぐ海鳥たち。
 典型的な日本海の夕暮れだ。
 この海の向こうにはユーラシア大陸が広がっているはずだが、むろん肉眼で見ることはできない。
 砂浜から見た場合の水平線の位置は、およそ四キロメートル弱。
 バニラの青い瞳から放たれる視線は中国まで見透かすことはできなかった。
「けど、夕日ってヤツはどこの国でも同じだべ〜」
 奇態な日本語。
 はじめてこの島国にきた頃から直っていない。まあ、習った教師が悪いのだろう。何弁だか知らないが、ずいぶんと訛りのある地方の出身だったのかもしれない。
 小麦色の肌が夕日に染まる。
 言葉以上に怪しい服装だ。
 まるで、
「南国の民族衣装みたいねぇ」
 くすくすと笑いを含んだ声が聞こえる。
 振り向いた先に立っていたのは、セーラー服に身を包んだ女の子だった。
 同年代くらいだろうか。
「まんま、南の国の衣装だべ」
「‥‥北海道弁?」
 ぐらっと。
 なんだか少女がよろめく。
 べつに病気などではなく、南の国の服装と道産子のような言葉遣いのギャップで脳の血が足りなくなっただけだ。
 割と普通の反応である。日本人としては。
「大丈夫だべか?」
 何事もなかったかのように訊ねるバニラ。
 いい神経だ。
「ええ‥‥」
 気を取り直したように、少女が隣に腰掛けた。
 風が、さらさらと砂浜に風紋を刻んでゆく。
「こんなところで、なにしてるの?」
 光が三〇〇万キロメートルほどの旅をする時間をおいてから、問いかける。
「家出してきたんだべ」
 しれっと答える。
 まあ、嘘ではない。広い意味では。
 ただし、この場合バニラは少女がなんらかのアクションを起こすと思っていた。
 驚くとか、呆れるとか、怒るとか。
 しかし、
「ふーん」
 何の興味も示さずに海を見つめる少女。
 飛沫が落日の余光を浴び、きらきらと輝く。
「悪い人に追われてるんだべっ」
 なんとか気を引こうと、くだらないことも言ってみる。
「そう。大変ね」
「ぐっは‥‥」
 相手にもされなかった。
 どうやらこの少女は他人の身の上を心配するほどの余裕はないらしい。
 ではどうしてわざわざ声をかけてきたのだ、と、問いたくなるところだが、
「むしろオラに話を聞いて欲しかったってことだべか」
 内心で呟き、微かに頷く。
 いかに変な言葉遣いでも怪しい恰好でも、バニラの対人感覚は鈍いものではない。
 幼い子供だった頃とは違うのだ。
「溜息をつくと幸せが逃げるっていうべよ」
「これ以上不幸になんかならないわ」
 たいそうな言い分だ。
 日本の子供たちは、発展途上国の子供と比較してはるかに幸福だ。少なくとも物質次元においては。
 もちろん、そんな余計なことをバニラは口にしなかった。
「オラに話してみるとよかべ。見知らぬ他人の方が言いやすいってこともあるべよ」
 にっこりと笑う。
 健康的な白い歯が光った。
 みょーにイヤミくさい。
「あたし‥‥宝塚落ちちゃったんだよね‥‥って、知ってる? 宝塚ってのは」
「歌劇団だべ。大阪にある」
「うん。あたしちっちゃい頃からダンスやっててね。あそこに入るのが夢だったんだ」
 だが、夢は夢で終わってしまった。
 努力して努力して、必ず叶うと信じていたのに。
 結局は掴めなかった。
 その歌劇団の養成学校は、入学の年齢制限がある。
 最後のチャンスだったのだ。
「それは‥‥残念だったべ‥‥」
 たいして気の利いた慰めも言えない。
「面接の時ね。あたしの隣に座っていた子、見るからに特別な感じだった。あの子は絶対に合格したわ」
「‥‥‥‥」
「あたしには無理。特別になんてなれない」
 三角座りで、膝に顔を埋める少女。
 やや冷たさを増した風が、ふたりの黒髪をなぶってゆく。
「ドロシーみたいに、なりたかったな‥‥」
 それは、とあるファンタジー作品の登場人物。
 お供をつれて旅を続ける少女の名。
「ドロシーは、そんな風にウジウジ悩まなかったとおもうべよ」
「‥‥なによ。なんにも知らないクセに‥‥」
「知らねぇけんども、判ることもあるべ」
「‥‥‥‥」
「自分はダメだなんて言ってるヤツの暗い歌や踊りなんか、誰も喜ばねぇべ?」
 厳しい言葉だった。
 屹っとバニラの顔を睨む少女。
 だが怒りは、少年の微笑に吹き散らされてしまう。
「とはいっても、どーしてもつらいときはあるもんだべ」
 すっと立ちあがる。
 しゃん。
 と、鈴が鳴った。
「オラの国の踊りだべ。見れば元気になるべよ☆」
 砂浜の上。
 バニラの身体が舞う。
 激しく、優雅に、柔らかく、美しく。
 少女の目が釘付けになる。
 最後の余光を背景に。
 髪飾りが旋風を起こし、砂を踏む足が音もなく跳ね上がり。
 夢幻の刻を紡いでゆく。
 舞踊の神が、降臨したかのようだった。


  エピローグ

 歓声が聞こえる。
 極東の島国から、売り出し中の女優が来訪しているのだ。
「頑張ってるみたいだべ」
 王宮の窓からパレードを覗く青い瞳。
 優しげに微笑んでいた。








                         終わり