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<東京怪談ノベル(シングル)>


白い夢

 実は、私には、あまり昼寝という習慣がない。
 私は寝付きの良い方ではない。睡眠時間は少なくても体には堪えないが、それでも、夜、ベッドに入ってから、ダラダラと眠れぬ時間を過ごすのは、好きではなかった。
 ひどく疲れたときなどには、うたた寝をすることはある。
 けれど、眠りはやはり浅い。
 うとうとと、ただ微睡んでいるような状態だ。
 人の声や、何かの物音で、簡単に目を覚ます。案の定、廊下で花瓶をひっくり返す音に、私の五感は完全に目覚めた。
「やりましたね……」
 そそっかしい使用人が、何かやってくれたのだろう。
 彼女は、私が支払っている賃金のゆうに二倍は、既に物を壊してくれている。
 執事が、彼女を叱りつける声が、聞こえた。少々可哀相だが……私は知らぬふりを決め込んで、再び目を閉じる。
 使用人の教育は、執事とメイド頭に一任してある。私がうるさく口を挟んでは、かえって彼らもやりにくいだろう。扱いが不当なときには、むろん、私が表に出てやらなければならないこともあるが、基本的に、私は、信頼した部下には全てを任せるようにしていた。
「あのそそっかしいところさえ無ければ、よく働くし、気も回るし、申し分ないのですが……」
 駄目だ。
 二度目を閉じても、眠れない。
 私は車椅子を少し動かして、ベランダに寄った。外に出ようかと思ったのだ。だが、まだ日が高い午後の陽光は、思いのほか強い。私は、光を避けるように、カーテンを閉めた。
「散歩は、日が落ちてから……ですね」
 カーテンの隙間から、ふと、小さな人影が、見えた。



「誰です?」
 窓を開け、私は人影に呼びかける。
 幼い男の子だ。こちらに背を向けていて、顔は見えない。
 背格好からすると、十歳位だろうか。どこかの外国の寄宿学校からでも抜け出してきたような服装だった。紺色の半ズボンに、紺色のブレザー。黒い革靴。髪は、銀。襟足に少しかかる程度で、わずかな風にも、軽く靡く。
「どうやって、ここに入りました?」
「入る方法なんて、たくさんあるよ。金網を潜ってもいいし、あの塀を乗り越えてもいい」
 笑いながら、男の子が、振り向く。
 どこかで見た顔だと、思った。だが、それがどこなのか、思い出せない。
「どこから来ました?」
 私が、同じ質問を繰り返す。少年は肩をすくめた。活発そうな、利発そうな、その表情。子供だけれど、一筋縄ではいかない。私は、本能的に、警戒した。
「変なこと言うね。僕はここにいたよ。初めから。ここは僕の家なんだ。何をしようと、僕の勝手さ」
 力を使って、強引に追い出してやろうかと、思った。
 だが、それをする前に、男の子は、ぱちんと指を鳴らして、たくさんの子供たちを、呼び込んでしまっていた。

「いいの? ここで遊んでも。怒られない?」
「このお屋敷の、こんなに奥の方、僕、初めて来たよ」
「探検しようよ! 何か珍しい物があるかも!」
「おーっし! 遊ぶぞ!」

 口々にはしゃぐ、子供たち。私の屋敷に仕える使用人の子供たちだ。今がちょうどイタズラ盛りの、何をしても遊びたい年頃。静かな内庭が、一気にジャングルジムと化す。樹木の枝が、花壇の柵が、彼らの前では、ただの公園の遊戯道具と同質のものとなる。

「ありがとう! セレスくん!」

 女の子の口から飛び出した、その言葉に、私は、息が止まるほどの衝撃を、受けた。

 セレス? セレス?
 それが、あの男の子の名?
 それに……顔。銀の髪に三方を包まれた、子供ながらにゾッとするほど整った、その顔!
 あれは、私だ。
 子供の頃の、私。

「いったい、何が……」
「拒まないで。僕は、君だよ。セレスティ・カーニンガム」

 不意に、視界が、歪んだ。
 景色が遠ざかる。音が消えて行く。五感の全てが、機能を放棄し、瞬く間に闇に包まれる。闇は、いつも、私のとっての心地よいものであるはずなのに……今は、ただ恐ろしく、疎ましい。
 あれほど毛嫌った太陽の光が、恋しい。

「セレス君! 大丈夫?」
 心配そうに、真上からのぞき込む、顔。
 私はがばりと跳ね起きた。
 目に付いたのは、半ズボンに包まれた、足。恐る恐る、首の辺りに触れてみる。長い髪の感触はない。
 立ち上がる。立ち上がることが、出来た。これが、本当に、頼りなかった自分の足だろうか?
 それに、目も!
 感覚ではなく、映像として、私の瞳が、周囲の景色をとらえる。咲き始めの花弁の奥の花粉の色まで、はっきりと識別できた。
 初めて見る……現実世界。目に染みるような、色鮮やかな、その光景。
「鬼ごっこね! 早く逃げないと捕まるよ!」
 子供たちが、走る。私も走った。すぐに、他の子供を追い抜いた。速い。後ろから追ってくる気配があるが、あっさりとかわせる。目の前に高い柵が見えたが、邪魔とも感じない。柵に手を掛けて、ひょいと飛び越えた。
「セレスくん、ずるいーっ!」
 女の子が、柵の向こうで、悔しそうにじたばたと地団駄を踏む。
 私は笑った。空を振り仰ぐ。煌々と照る太陽を、真っ直ぐ、見つめることが出来た。
 眩しくない。光が、こんなにも、身近にあるなんて……。
「私だって、出来るんだから!」
 女の子が、無謀にも、柵に飛びついた。
 よじ登ったは良いが、案の定、今度は降りられなくなっている。
「危ないよ」
「セ、セレスくん、助けてぇ〜」
「動かないで。今行くから」
 だが、女の子の腕力は、どうやら既に限界を超えていたらしい。ふらりと、体が傾いた。
「危ない!」
 躊躇いもなく、駆け出す。精一杯に両手を伸ばし、受け止めた。腕も、足も、今の私には、落ちてきた人間を容易く受け止めるだけの力が、十分に備わっていた。
「うぅ……」
 めそめそと、女の子が、泣き出す。
 叱る気も失せて、私は、ただ、彼女の頭を撫でてやっていた。他の子供たちが、心配そうに駆け寄ってくる。
「大丈夫? 大丈夫?」
「大丈夫」
「そうだよね。セレスくんなら、大丈夫だよね」
「運動神経、抜群だもんね」
 子供たちが、笑う。
 つられて、私も笑った。
「次は何をして遊ぶ?」
 それを聞く前に、もう一つの声が、頭の中に割り込んできた。
「もう、終わりの時間なんだ。セレスティ……」

 一瞬の間の後、視界が、一変した。
 私は、大人の、いつもの私に戻っていた。
 車椅子に座り、窓ガラス越しに、外を眺めている。
 目の前に、銀の髪の、もう一人の私が立っていた。
「キミは……何です?」
「僕は……願望」
 少年が、答える。
「決してかなえられない願望が、形になって、現れたもの。それが、僕」
 その答えを、私は、既に、ある程度、予測していたのかもしれない。
「願望……私の」
 動かない足。見えない目。
 光と熱を嫌う、この体。
 人間ではない、この存在。
 もしも、と、考えたことがある。
 もし、私が……。
「君は、いつも、上手に折り合いをつけてしまうから。無い物ねだりには、ならないから。だから……だから、余計に、胸の中に溜め込んでしまうってこと、あるんだよ。運命を変える力……それが自分自身に作用して、僕が、生まれたんだ」
 私が人間だったら、こうありたいと思う、幻。
 恐らくはこうあったに違いないという、幻。

「ありがとう。夢の一つが、叶いました」

 子供たちと、子供になって、戯れる。
 私には、人間時代の幼少時が、無い。
 私が陸へ上がったとき、私は、既に今の姿を持っていた。人としての私は、生まれたときから、大人だったのだ。
 
「僕は、そろそろ行くよ。セレスティ」
「もう、会えないのですか?」
「わからない。会えるかも知れないし、会えないかも知れない」
「キミは、消えてしまうのですか?」
「僕は消えない。僕はキミだ。キミの一部だ。キミがいる限り、僕は、何度でも生まれる」

 白昼の光の中に、その姿が、溶け込んで、消えた。
 私の中に、人としての子供時代の思い出を、一つだけ、残して。



 ばさり、と、音がした。
 膝の上に置いた膝掛けが、床の上に落ちた音だった。
「夢……」
 いつの間にか、私は、うたた寝してしまっていたのだ。
 全ては夢だった。
 その証拠に、廊下の花瓶には、割れた痕跡がない。
「もう一人の、私。かなえられない、夢の象徴……」
 私は、夢の余韻を楽しもうと、窓の外に目をやる。むろん、そこに、あの少年の姿はない。
「セレスティ様」
 誰かが、扉を叩いた。
 使用人たちが、大勢、部屋の前に集まっていた。
「どうしたのですか?」
 私は、当然、首をかしげる。使用人頭が、深々と礼をした。
「今日は、本当に、ありがとうございました。セレスティ様。子供たちと、遊んでいただいて」
「え…………」
 使用人頭のスカートの陰から、ひょいと女の子が顔を出す。
 柵から落ちて泣いていた、あの少女だった。
 執事が、さらに、言葉を続ける。
「割れた花瓶は、新しいものと取り替えておきました。幸い、同じ物が見つかりましたので。使用人には、きつく言って聞かせましたので、もうこのような事はございません!」
 自信満々な彼の姿を見ながら、私は、今までに覚えのない不思議な感情が、体の奥底から溢れ出すのを、どうにも止めることが出来なかった。

「また、会えそうな気がします。もう一人の、私に」

 銀の髪の、活発な少年。
 彼の存在こそが、私にとって、夢そのものだったのだ。

「また、会えますね。必ず……」

 白くて、純粋な、真昼の残像。
 夢は…………きっと、何度でも、何度でも、現れてくれるのだろう。