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<東京怪談ノベル(シングル)>


南海遊戯

 姉お気に入りの仕立屋さんは、実は、魔法使いなのかもしれない。
 加工に出した着物は、裁断の痕もなく、完全に無傷のまま戻ってきた。それとは別に、新しく仕立てた着物の水着も、もちろん手元にある。
 一体、どういう手法を用いたのだろう?
 みなもは気になって尋ねてみる。良い素材だったから、オリジナルを増やしたんだよと、仕立屋が答えた。
 みなもは少し考えて、そこで質問を取り下げた。下手に説明されれば、ますますもって混乱しそうだ。
 着物は無事で、水着が増えた。じっくりと考えなくても、得したことに間違いはない。
 ありがとうとお礼を言って、みなもは、いよいよ家族と一緒に南国へと旅立った。
「沖縄の、あのエメラルドよりも、もっと、綺麗かも知れませんね……」
 どんな希少な宝石もかなわない、自然の織り成す海の彩。
 みなもの中の、古い古い先祖の血が、早くあの青に溶けたいと、体の奥で訴える。
 旅行に行く、という感覚すらない。
 みなもは帰るのだ。
 本物の、故郷に。
 南の海の、あの、懐かしい紺碧の郷に……。
 
 
 
 新しい水着を着て、ざぶんと南の海に飛び込む。
 透明度の高い水は、信じられないほど深くまで、日の光を通した。
 体にまとわりつく水の感触を楽しみつつ、さらに奥へと潜って行く。おいで、おいで、と、不思議な呼び声に気付いたのは、その瞬間のこと。みなもは驚き辺りを見回した。
 病気の女のように、滑った白い触手が、視界の端にちらりと見えた。体を捻って、延びてきた腕を、ひらりとかわす。巨大な岩陰から現れたのは……。
「イ、 イカ……」
 真っ白なその体が、みなもの「イカ」という言葉に、敏感に反応した。鮮やかな赤色が、体の中心部から脚の先まで、朱墨をぶちまけたように広がって行く。
「ごめんなさい。蛸だったのですね」
 みなもは素直に謝ったのに、蛸の方は、許す気はないらしい。人間で言うところの、「顔色を赤くして」みなもにずずいと詰め寄った。
「あ、謝っているのに〜」
 実は、蛸は、イカと呼ばれるのが、天敵マッコウクジラよりも、嫌いだった。しょっちゅう間違えられるからだ。あんな顔色の悪い連中と一緒にされてたまるかと、常々、憤懣やるかたなかったわけである。
 もちろん、それを、みなもが知るはずもない。イカもどきと鉢合わせてしまった彼女こそ、不運きわまりなかった。
「きゃー!!」
 ぶうん、と、蛸足がしなる。何せサイズがサイズである。大王イカよりも大きい。あれで引っ叩かれたら、痛いではすみそうにない。
 みなもは、さっさと逃げることにした。たとえイカもどきでも、同じ海の眷属。戦いたくはない。それに、イカ呼ばわりに傷ついて怒っているだけで、基本的に害意は無いらしいのだ。そっとしておくのが一番である。
 彼女は、事は穏便に…………を希望したのに、その時、迷惑な闖入者が、全てをぶち壊しにした。
「その子に触るなぁぁ!!」
 彼(?)は颯爽と助けに来てくれたのだろう。
 槍を片手に、みなもを庇って前に飛び出す。魚の顔に、それぞれが斜視のように明後日の方向を向いた目が、乗っていた。全身は鱗に覆われ、腕やら足やらに、お情け程度にヒレがある。腰に巻いているのは、鮫皮だろうか?
 半漁人、と呼ばれる種族であることは、すぐにわかった。
 申し訳ないが、海の眷属の中でも、一、二を争う滑稽さで知られた一門である。
「あ、あの、危ないですから、下がっていた方が……」
 みなもの忠告も虚しく。
 べしっという音とともに、半漁人は、蛸の一撃であっさりと吹き飛ばされた。下が柔らかい泥になっているのが、災いした。頭から突っ込んで、藻掻いている。
 その足に、蛸の触手が巻き付く。放っておいたら、食べられそうだ。あんなもの食べたら、食中毒を起こすに違いない。蛸と半漁人、両者のために、みなもは戦う決意をした。
「喧嘩は駄目ですよ?」
 にっこりと笑って、海の底に、大渦を起こす。蛸は彼方にまでも吹き飛ばされた。半漁人の方は、その素晴らしい怪力で、すぽりと砂から引っ張り出してやった。
「君は命の恩人です……」
 と、半漁人が、熱い眼差しでみなもを見つめる。これが格好いい人間の男なら、多少は嬉しさも感じるに違いないが、相手が半漁人では虚しさが募るばかりだ。
 みなもは特に面食いというわけではなかったが、やはり、彼氏には、とりあえず普通の顔と姿をしていてもらいたかった。これは贅沢な希望ではないだろう。
「惚れました! 結婚してください!」
 半漁人が詰め寄る。
「あのー。えーと。すみません。さすがに好みの問題が……」
「僕では駄目ですかっ!?」
 当然だろう。聞くだけ野暮というものだ。
「ごめんなさい……。私、実は……」
 みなもはダッシュして逃げた。
「恋をすると、泡になって消えてしまうんです〜」
 都合の良い人魚姫の話を持ち出して、逃げる、逃げる。遠くから、半漁人の声が響いた。
「この近くに、沈没した海賊船があるんです! そこへ行って、恋をしても泡にならない薬を見つけてきます!」
 本気で言っているのか。この半漁人。
 あの辺りには、お宝目当ての人間が、わんさかいるというのに……。捕まって、見せ物小屋にでも売られるのが関の山だ。
「仕方ないですね……。トレジャーハントしたら、帰りますよ?」
「はいっ!」
 何だか、お姉さんと情けない弟子のような構図になっていることに、幸いにして、本人たちは、まだ気付いていなかった。

 お宝現場には、人影はなかった。
 既に取れるものは取り尽くした後だったのだろう。
 船の中は、ものの見事に、空っぽだった。宝はおろか、備え付けの調度品の果てまでも、綺麗に奪い去られている。
 沈没海域が、深海ではなく、比較的穏やかな大陸棚であることが、探索を容易にしたようだ。貪欲な人間たちが縦横無尽に駆け回った後には、端切れの一枚も残されていない状態だった。
「ありませんねぇ……お宝」
「うう……」
「そんな落ち込まないでください。せっかく来たのですから、もう少し、探してみましょう」
 甲板から、船室へ。
 廊下を渡り、階段を下り、奥へと歩く。
 一番底へ着いたと思ったその瞬間に、床の上に、泥に隠れて、ひっそりと入り口を見つけた。
 人間のトレジャーハンターたちも、気付かなかったのだろう。扉は壊れて、みなもの怪力でも開けるのに苦労するほどに、歪んでいた。
「ここは?」
 何の変哲もない、部屋の中。
 床が完全に抜けていて、砂の地面が間近に迫っていた。片隅に、何か大きなものが、ごろごろと転がっている。蒼い闇の中に目を凝らすと、それが貝であることがわかった。
「シャコ貝……」
 みなもが堅い外殻に手を触れると、シャコ貝の蓋が、ひとりでに開いた。貝が中から吐き出したのは、長い年月をかけて少しずつ作り上げていった、本物の真珠だった。
 月明かりを巻き上げたような真円の貴石は、鶏卵ほども大きさがあった。金額にして価値など計り知れない、まさに海の至高の宝珠だ。
「見つけましたね」
 みなもが、にっこりと微笑む。半漁人に渡そうとすると、彼は慌てて首を左右に振った。
「も、もらえません! そんな、人魚の涙じゃないですか!」
 古くから、真珠は、「人魚の涙」と呼ばれていた。海の民の中には、そのお伽噺のような伝承が、未だ消えずに息づいているのだろう。
「それは、人魚の方が持ってこそ、意味があるんです。僕はいりません」
「でも……いいのですか?」
「いいんです。友達に、面白いお土産話もたくさん出来たし」
 それに、と、半漁人が、真面目な顔で頷く。表情は真面目なのだろうが……やはり魚顔なので、どうにもシリアスにはなりきれない。
「僕に真珠って、ものすごく、似合わないと思いませんか?」
 それはごもっともな意見である。



 目一杯遊んだその後には、家族そろっての晩餐が待っている。
 早速、お互い、何をして遊んだかが、話題になった。
「お姉ちゃんは、何をしていたの?」
 妹が聞いてくる。
「何も」
 と、みなもは笑って答えた。
「特に変わったことは、なかったです。ずっと海の中を泳いでいました。景色を見たり、海の民とお話をしたり」
 イカもどきの蛸に襲われても、半漁人に求婚されても、沈没船でお宝をゲットしても、みなもは全く動じない。
 その程度のこと、珍しくも何ともないのだ。
 海は、無数に謎を孕んで、毎日のように、その色彩を変える。
 ちょっとした楽しい騒動は、日常茶飯事。海が与えてくれる、退屈しのぎの、いわば遊戯にすぎなかった。
「明日は、何が待っているのでしょうね?」
 遠くに見える、夜の海が、明日もおいでと、みなもにだけ聞こえる声で、囁いた。