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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


危険な罠に要注意!?

「太ったんじゃないのか?」
 その一言に、興信所内の空気は、一気に氷点下にまでも冷え込んだ。
 いつものシュラインなら、何言ってるのと、一笑に付したことだろう。草間とは付き合いが長いし、互いに気心も知れている。軽口を叩き合うのも、時々馬も食わない喧嘩をするのも、ありふれた日常風景の一つなのだ。
 所長の台詞に、いちいち過敏に反応するような事務員でもない。
 が、今日ばかりは、勝手が違った。
 草間にしてみれば、また他愛ない会話を楽しむだけのつもりだったのだ。
 年末年始のスペシャル番組にも既に飽食状態で、これと言ってする事もない。さすがの正月時期ともなれば、事務所に足繁く通う人数も激減する。いつも側にいるシュラインに、早い話が、構って欲しくて声を掛けたのに、美人事務員の声は、えらく険を孕んでいた。
「余計なお世話よ。武彦さん」
 とっても楽しいお正月は、だが、贅肉無駄肉を増やす恐るべき危険期間でもある。食べ物の誘惑には抗いがたい。お汁粉に、お雑煮。きなこ餅に、納豆餅。うどんやそばに具として餅を入れても旨い。そして、休み続きで、体は動かさない。
 この一週間ばかりで、シュラインは、二キロも太ってしまっていた。もちろん時期が来ればいつもの体重に戻るわけだが、それにしても、妙齢の女性にとって、二キロの体重臨時増加は、現実逃避したくなるほど辛いものがある。
「な、何怒ってんだ?」
 怒らせて然るべきのことを言ったのに、この探偵、まるでその事実に気付いていない。
 草間は基本的に鈍い男なのだ。
 それは重々承知してはいるのだが……今は、その鈍さが憎らしい。
「武彦さんこそ、気をつけないと、お腹出てきてしまうわよ。もう十の位が二じゃないんだから」
「だ、誰が腹が出てるって!?」
「気をつけないと出るって言ったのよ。それでなくとも、平均より大食なんだから」
「お前なぁ……。自分が太ったからって、人に当たるなよ」
 ぷつん。
 笑顔のまま、シュラインが切れた。
「ちょうど良いわ。運動不足を解消するためにも、スポーツでもしない? 武彦さん」
「別にいいけど。シュラインとやってもなぁ……。俺が勝つに決まっているし」
 なんて失礼な男だ。
 シュラインはそう思った。
 確かに、運動神経が素晴らしく良いのは認めるが……。見てなさい。その高すぎる鼻をへし折ってやるんだから!
 憤然と握り拳を固めて、シュラインが挑戦状をたたきつける。種目は、卓球。彼女が唯一勝ち目のある競技である。零と一緒に特訓したのだ。今では、鋭い回転のかかった変化球までも打てるようになっていた。
「勝負よ! 武彦さん! 私が勝ったら、今までの失礼な雑言の数々、泣いて謝ってもらうわよ!」
「無理だと思うがな」
 ふん、と、草間がそっぽを向きつつ、煙草を吹かす。ちらりとシュラインを一瞥して、呟いた。
「お前が勝ったら俺が謝るとして、俺が勝ったら、何か報償はあるのか?」
「報償って……いつも事務の仕事手伝っているでしょ!?」
「それとこれとは話が別」
「な、なんてケチくさいの……」
「俺にも何か報償が出るってんなら、勝負も受けて立つけどな」
「わかったわよ! 何が欲しいの!? お年玉なんて言ったら、本気で叩くわよ!?」
「うわ。先に言われた。うー……とすると……とりあえず、そうだな……シュラインが、何でも一つ、俺の言うこときくってのはどうだ?」
「事務の仕事、さらに上乗せするつもりね……」
 この野郎、と思わないでもないシュラインだったが、早い話、負けなければ良いのだ。
 一つ思考を良い方に改善し、シュラインは、いいわよと、力強く頷いた。



 草間は、冗談抜きにして、強い。
 シュラインも上達したが、やはり腕力体力では遠く及ばない。特に浮き球をスマッシュしてきたときなど、全くと言っていいほど、球の軌道が見えないのだ。
 シュラインは技で、草間は力で勝負していた。
 柔よく剛を制すとはよく聞く言葉だが、世の中そんなに甘くはない。
 全ての競技において、パワーは基本中の基本である。小手先の技術など簡単にねじ伏せてしまうほどに、剛は、全てを圧倒するのだ。
「やっぱり、早期決戦しかないわね……」
 後になればなるほど、疲れがたまって、体力のない自分が不利だ。シュラインは、冷静に分析する。
 打ち方も、気をつけた。変化球中心で、浮き球は絶対に作らない。狙いは、台の四隅! そして、フェイントを多用する。
「シュライン! お前! せこいぞ! 女ならがっつり打ってこい!」
 草間も無茶を言う。
 それにしても、この男、やはりスポーツに関しては妙に大人げない。
「何言ってるの。これも立派な作戦よ。相手が返しにくい所に打ち込むのは、基本中の基本でしょ!」
「俺は、昨日寝不足しているんだ! 少しは容赦しろ!」
「友達と飲みに行って、勝手に自爆した人の言うことなんか、聞かないわよ。二日酔いが悪化する前に、いっそのこと降参したら!?」
「何だと!」
 大人げない。草間もそうだが、シュラインも然りである。つまり、二人とも熱くなっているのだ。これは、賭けているからに他ならない。
 勝ったらもらえる、負けたら取られる、と思うと、二重の損得勘定である。必死になるのも無理はない。
 それに、シュラインの場合、この正月にさらに事務の仕事の増量など、絶対に御免被りたかった。彼女には彼女の都合があるのだ。行きたい所も、やりたい事も、山のようにある。

「絶対に負けないわよ!」
「それは俺の台詞だ!」

 遠くで、二人の様子を見守っていた零が、やれやれと溜息を吐いた。
「似たもの同士……なのでしょうか」



 一セット目は、シュラインが取った。二セット目は、草間が勝った。
 三セットマッチの最終試合で、全てが決まる。
 初めのうちは、シュラインが押していた。だが、既に時間がかなり経過して、実は、草間は、二日酔いから立ち直りつつあった。
 対するシュラインは、そろそろ疲労が溜まり始めている。つまらないミスで二点も落としたのが、致命傷になった。十五点先取試合で、結果は、シュラインが十三点。草間が十五点。
 まさに微妙なぎりぎりラインで、草間が勝ったのだ。
 よほど嬉しかったのだろう。草間武彦、三十歳、独身。よっしゃあ!と勝った瞬間、思わずガッツポーズを見せたほどだった。
「俺の勝ちだよな?」
 どこか人の悪い笑顔を作りつつ、シュラインに歩み寄る。
 わかったわよと、シュラインは、ラケットを持った手を降参の形に振り上げた。
「報告書でも、捜査書類でも、何でも作るわよ。何をすればいいの?」
 シュラインが、諦めモード満載で、草間に尋ねる。
 探偵は、不審そうに眉宇を寄せた。
「書類って……何だ。それは。俺はそんなこと一言も言ってないぞ?」
 今度は、シュラインが驚く番だった。
「書類作成じゃないの? じゃあ……わかった。夕御飯ね? でも、さすがに、毎日作るのは、本当に無理よ。私の方にも、仕事があるし……」
「違う違う。お前、なんか激しく勘違いしていないか?」
 草間が溜息を吐く。
「いくら何でも、卓球勝負で勝ったからって、お前にタダ働きを強制するほど、俺は落ちぶれちゃいないさ」
「じゃあ……何?」
 悪いが、書類作成と晩飯用意の他に、シュラインには、草間の望むものが皆目検討が付かない。
 草間も鈍いが、このあたり、シュラインも鈍感だ。
 零がこっそり主張したとおり、どことなく、似たもの同士なのである。この二人。
「何よ? いったい。私は何をすればいいの?」
 シュラインが草間を見上げる。
 探偵は、腰をかがめて、事務員の耳に囁いた。
 彼女にしか聞こえない、小さな小さな声で、ひっそりと。



「俺が勝ったら、シュラインは、俺にキスすること」



 ぽとりと、シュラインの手からラケットが滑り落ちる。
「な、な、な………」
 どもりまくる彼女の様子を楽しそうに眺めやり、探偵は、それじゃ楽しみにしているから、と早速帰り支度を始めた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。武彦さん。何よそれ。冗談よね? 他のことにしない?」
「その案については、即行却下。腹決めろよ。負けたんだから」
「う」
「どうせなら、余計なギャラリーのいない場所で、二人きりで、ってのが希望かな」
「当たり前よ! 見物人がいる場所で、するわけ無いでしょ! 馬鹿!」
 馬鹿呼ばわりされても、草間の機嫌が悪くなることはない。
 後には、あんな約束しなければ良かったと、心の底から悔いるシュラインの寂しい姿だけが、残された。

「ああ、もう……。勘弁してよ。そういうのは苦手なのよ。なんで私がこんな目に……」

 結局、その約束が果たされたかどうかは…………定かではない。