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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


悪魔のレシピ
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唐突な話だが、イヴ・ソマリアは魔界の人間だ。
それは彼女の春の空のような水色の髪にも、普段はニコヤカに「まだ未成年だから、お酒飲めないんですぅ」と偽っている彼女の実年齢にも現れている。
普段は人気歌手として――もちろん人間として――芸能活動に従事する彼女は、とても人間世界に馴染んでいる。人よりちょっと長い犬歯も、チャームポイントで売っている。一見しただけなら、どこから見たって人間だ。
だが、そんな彼女にも人間らしからぬ欠点がある。
それが、料理だった。
生活習慣の違いというのは、国ごと、あるいは地方ごとに存在するものである。生の魚など食べない国があるかと思えば、刺身を愛する国もあるではないか。
要は、魔界料理と人間料理も、それと同じだとイヴは思っている。ただ、その差があまりにかけ離れているので、人間の口に――いや、身体には合わないだけだ。
誰とは言わないが、彼女の料理を食べて卒倒した人間もいる。魔界の料理は、刺激が強すぎたらしい。
そんな不幸な事故を起こしてから、イヴは常に悩んできた。つまり、人間の料理を習うべきではないのか――と。
「やっぱり、このままじゃまずいわ」
カレンダーと睨めっこをして、イヴは結論を下した。若者向けに可愛らしくデザインされたカレンダーには、二月末日にぽつんとハートマークが灯っている。バレンタインが近いのだ。
人間世界の文化を知るために魔界からやってきたイヴは、恋人たちのための日とも称される「バレンタインデー」を、どうしても満喫したいのである。市販のチョコじゃ有り難味にも欠けるではないか。気持ちが篭っていればいいのだよと恋人は言うが(命が惜しいのかもしれない)、やはり手作りであることに醍醐味があり、「心が篭っている」と胸を張れると思うわけである。
こうなっては、何がなんでもバレンタインデーまでに料理の腕を上げる……いや、人の口にあわせた料理を作れるようにならなくては。
決心して、イヴは携帯電話を取り上げた。
数回のコールで、もしもし?と電話向こうの声が答える。
引越しをしてから、彼女の声はより張りが出たと思うのは単なる気のせいだろうかと思いながら、イヴは早速用件を切り出した。
「あ、もしもしウィンお姉様?その、ちょっとお願いがあるのだけど……お料理、教えていただけないかしら」


二つ返事で、電話の主はイヴの頼みを承知してくれた。今からでも構わないと言うので、目立たない格好に着替えてそそくさと出かけることにした。
恋人との同居を決めて引っ越したばかりの彼女の家は、○○区の閑静な住宅街にある。
出迎えた女主人に案内された玄関には、見慣れない一そろいの靴がきれいに並べられていた。歩きやすそうな女物のローファーで、シンプルなデザインはやや家主の好みからは外れている。とすると客でも来ているのだろうか。
「ごめんなさい、お客様だったかしら」
出迎えたウィン・ルクセンブルクに声をかけると、彼女は整った容貌に気さくな笑顔を見せた。
「カレの知り合いなのよ。引っ越し祝いを持ってきてくださったの。あなたのことは話してあるから、遠慮しなくていいのよ」
ウィンに案内されて、二階にある居住区へと螺旋状の階段を上る。階段はリビングルームに直接続いているので、先客はすぐに気がついて振り返った。黒い髪に眼鏡姿の、知的な印象の女性である。
「綾和泉・汐耶です。イヴさん……でいいのかしら。お料理を習いに来たんだって聞いたけど」
「そうなんです。お話の邪魔にならないといいんですけど」
そんなことはないわよ、とすぐに答えて、彼女は髪を揺らして首を傾げた。
「よかったら、私も手伝いましょうか。和食が中心になってしまうと思うけれど」
「あら、それはいいわね。和食は彼に頼もうと思ってたんだけど、忙しいのよ、あの人」
あの人、とはこの場に居ないウィンの恋人のことである。彼女の恋人は、料理が得意なのだ。
「えっ、そうなの?もう試験は終わったんだと思ってたけど」
試験は終わったわ、とウィンは諦め顔で頭を振った。
「試験を終えたらゲームをやっていいなんて言っちゃったのが間違ってたわ」
どうやら、寝る間も惜しんで、ゲームに打ち込んでいるらしい。
「またカーレース?」
「違うみたい。牧場主になって遊ぶっていうゲームで……」
「……あ、そうなんだ」
思わずイヴは視線を逸らした。
それは彼女がウィンの恋人に上げたクリスマスプレゼントのような気がする。のどかな牧場経営者という設定が、とてもウィンの彼氏に似合っていたので、ついついあげてしまったのだ。
試験が終わるまでゲームを取り上げられていた彼は、へばりつくようにしてゲームに熱中しているらしい。新居を決めてウィンと二人暮らしを始めた直後だけに、ちょっと悪いことをした気がした。
「まあ、それはともかく、はじめましょうか。今から作ったら、夕ご飯には丁度いいと思うから」
セーターの裾をまくりながら、汐耶が二人を促した。

「料理は下ごしらえが肝心なのよ」
イヴと一緒にタマネギを細かく刻みながら、汐耶が説明している。相談の結果、今日の献立は和洋取り混ぜることになった。グラッシュと呼ばれる煮込み料理に、きんぴらごぼうと豚の生姜焼き。これでもかというくらい折衷である。
「たまねぎは細かくみじん切りにして」
「声なしタマネギはみじん切り、ね。分かったわ」
うんうん頷きながら、真剣な顔でイヴは包丁を振るっている。
「牛蒡は、笹切りよりも斜め切りに」
「叫ばない牛蒡は斜め切り……袈裟掛けに切ればいいの?」
「人を切るんじゃないからそれは大げさね。でも大方あってるわ。斜めに薄く切るの」
二人の教師が見ている前で、イヴは比較的慣れた手つきで包丁を動かしている。どうやら、「実家(魔界)では、料理は出来る方だったのよ」という言葉は嘘ではないらしい。
「牛肉は乱切りね」
「豚の方は、筋を絶つために薄く切りつけておくと、火が通っても丸まりにくいのよ」
「死んだ牛肉と動かない豚肉は……」
「……」
「…………」
チラ、とイヴの左右で汐耶とウィンが横目で視線を取り交わした。「聞き間違えてはいないわよね?」「確かに聞いたわ」という無言のやり取りが、視線だけで交わされる。
どうしても疑問を解消しておきたくて、ウィンはそっとイヴに呼びかけた。
「……ねえ、イヴ」
「なぁに?ウィンお姉様」
包丁捌きを止めて、イヴはいたいけな瞳でウィンを振り返った。
「さっきから、どうして野菜やお肉の名称におかしな修飾語がついているのかしら?」
可愛く首をかしげて、あら、とイヴは口に手を当てた。
「ごめんなさい。わたしの実家では、材料はこんなに大人しくないものだから」
「……」
細かい説明は聞きたくない。聞きたくないのに、聞かずにはおれなかった。
「煩くない、って……?」
かすかに震える語尾で汐耶が問うた。
「新鮮っていうかぁ」
人差し指を唇に宛てて、イヴはそう言った。
もうその言葉だけでかなり十分だったが、怖いもの見たさで二人ともイヴに口を挟まない。
「わたしの国(魔界)では、食材は切られたり煮込まれたりするたびに、この世のものとは思えない悲鳴を発するのよ。その音を聞いて気絶する人もいるくらいだわ」
日本の食材は新鮮じゃないのかしら、と悲しげな横顔を見せてイヴは言った。
「お肉がまな板で暴れないなんて……これじゃあ、料理したら絶対に動かないわね」
「動くの?動くものなの!?」
「ウィンさん、落ち着いて……!」
おたまを振り上げてツッコミを入れようとしたウィンを、汐耶が抱きかかえて止めた。
「これは文化の……文化の差よ!」
色々と憑いた本などと付き合っている汐耶は、この事態において、ウィンよりもやや平静を保っていた。
「イルカにヒゲがないのと同じことだわ」
……表向きは。
数分間の自己の常識の崩壊と新たな認識の再構成の後、ウィンは震える手で額を拭った。
「さ、下ごしらえも済んだことだし、お料理にとりかかりましょうか」
何事もなかったかのような態度がいっそ白々しい。
「タマネギは丁寧に炒めると甘みが出るから。油をひいて、黄金色になるまで炒めるのよ」
みじんにしたタマネギ(もちろん叫んだりはしない)を木ベラで丁寧に炒めていくうちに、甘い匂いが漂ってきた。
「タマネギが黄金色になったら、パプリカ粉を加えて、お酢とお水をちょっと入れてね」
全てを混ぜたら、さらに水を注ぎ足し、(動かない)牛肉とトマトペーストを一匙、それににんにく、塩、レモンの皮、クミンなどを加える。スパイスが効いているので、寒い日などにはもってこいの料理である。
「あとはオーブンに入れて煮込むだけよ。ね、簡単でしょう?」
真剣に聞き入っていたイヴを、引き攣った笑いを浮かべてウィンが覗き込む。イヴが、先ほどから考え顔で首をかしげているので、用心しているのだ。
どうやら、魔界と人間界では、調理法が……いや、食材が著しく異なっているらしい。せっかくの料理にドラゴンの肉だの、栄光の手などを入れられたらたまらないと、ウィンは目を光らせている。彼女は、ウィンの魔女料理の威力を知る、数少ない人物なのである。
「……見た感じ、もう少し味付けしたほうがいいんじゃないかしら?」
「いいのよ」
味加減をどうして見た目で判断できるのか、というツッコミよりも早くウィンはイヴの言葉を却下した。
顔には相変わらず笑顔が張り付いている。
「でも……私の実家では、隠し味にトリカブトを入れるんだけど」
「「入れなくていいわ」」
というか入っていたら命に関わる。汐耶とウィンは、そっとイヴの手から小瓶(ご丁寧にドクロマークがついている)を取り上げた。
「どうやら、食材と食材にならないものの説明をしなくてはならないようね」
「そうみたい」
汐耶の声にこたえて、気軽にイヴは言った。トリカブトを食べても砒素を塩代わりにしても死なないであろう魔王の娘は、事態の深刻さが今ひとつわかっていない。
「まず、あなたが普段味付けに使う調味料を教えてもらえないかしら」
「えーっと、マンドラゴラの根に龍の髭、オークの骨に栄光の手でしょ。トリカブトにトカゲの尻尾、塩にカエルの目玉に黒胡椒……」
「人間の薬味は塩と胡椒だけでいいわ」
山のように取り出された小瓶の中から、汐耶が塩(らしきもの)と胡椒(と思われるもの)を取り出した。
とりあえず、イヴ持参の毒(イヴ風に言うなら調味料)を、さりげなくさりげなく、手の届かないところへとしまう。
「……食材だけど、これはスーパーの食品売り場で売っているものを使えば、とりあえず間違いはないから」
この場合の「間違い」とは、人死にである。ご飯が美味しく出来るという保障はない。だが、毒で倒れるより余程マシであろう。
危険な調味料を一通りイヴから取り上げて、ウィンと汐耶は料理の続きに取り掛かった。グラッシュは白い琺瑯の深皿に入れられて、オーブンで暖められている。
「ごぼうは、多めの油でね。火が通ったら、砂糖と醤油で味をつけて、ごまを振るの。油が足りないとスカスカするから、気をつけて。……健康にはいいけど」
その隣では、焦げ目をつけた豚肉がジュウジュウといい音を立てている。ごぼうと同じように斜め切りにした生姜が油に揚げられていい匂いをたて始めた。
「あとは、火を通すだけだから。イヴ、お料理上手よ」
ウィンが笑顔全快で褒めてくれた。横で、汐耶も笑みを浮かべて頷いている。二人とも、どこかほっとした表情を浮かべているのは気のせいではあるまい。
ここまで、恙無く事が運んだのだ。毒も入ってない。変な食材も混入していない。二人は、安心していた。
「じゃあ、わたしたちはテーブルの仕度をするから、イヴ、ちょっと火を見ていてね」
「はぁい」
そして、汐耶とウィンは何か言葉を交わしながら台所から出ていってしまった。
その後姿を見送って、イヴはちらりと振り返る。
悲鳴を上げない野菜たち。火あぶりにされて苦しげに揺れない牛肉や豚肉。
「……やっぱり、物足りないわ」
イヴの目には、それは物足りないを通り越して異常に映った。むしろ異常なのは、大人しく焼かれていい匂いを立てている食材を見つめる、イヴの視線の色だったのだが、それを指摘する人間は生憎誰もいなかった。
「もうちょっと活きがよくないと。いくらスーパーの食材は新鮮じゃないといっても」
ボソリと呟いた瞬間、イヴは人間としての常識を忘れていた。心の隅では警鐘が鳴り響いていたのだ。「人間世界の常識」という名前の警鐘が。
だが、彼女の脳みそは必要以上に回転して、それに対する答えを見つけ出した。
「だって、ホラ。人間界でも、活きがいいのはいいって言うものね」
そっと、イヴは懐から小さな小瓶を取り出した。赤いフタに、寸胴のボトル。一見、七味唐辛子のビンにも見える。
ラベルは赤く縁取りされていて、そこには「どんなに疲れた食材も瞬くうちに元気に!スーパー七味・SHABU」と書いてある。
日本人にとって醤油が隠し味なら、韓国人にとって唐辛子が味の決め手なら、イヴにとって「SHABU」は人工調味料だ。味の素だ。
「こんなに死んでるお肉にも効くのかしら、シャブ」
台詞だけでも十分不吉なことを言いながら、試しにパラパラと、イヴはSHABUを振りかけてみた。
ギャーーーーッ……!
と、丁寧に磨き上げられた窓を震わせる大音声で、悲鳴が響き渡った。
数瞬の完全な沈黙……いや、フライパンの上で、未だに肉も野菜も蠢いている。
「あら、よく効くわねぇ」
のんびりとフライパンを見下ろすイヴに、二組の足音がものすごい勢いで近づいてきた。
「イヴッ!!!!」
汐耶の手がイヴの手からシャブを……もとい、魔界風味の素を取り上げる。暴れ狂うフライパンの上の料理を、ウィンがフタをして必死に抑えている。ガタガタと蓋を押し上げて料理が踊る。
まるでポルターガイストだ。
「何したの、イヴ!?」
「えっと……」
どう答えたものかと考えあぐねているイヴの手にある赤い蓋の小瓶を、汐耶が取り上げた。
手のひらに収まるサイズのそれに視線を落として、汐耶が静止する。次いで、恐る恐る小瓶の正体を確かめたウィンの動きも止まった。
ガタガタ、ガタガタと、ひっきりなしにフライパンから踊り出ようとする料理だけが、沈黙を支配していた。
「……『どんなに疲れた食材も瞬くうちに元気に』。SHABU」
「SHABUって……シャブかしら。私の知っているアレでいいのかしら」
「さぁ……でも、見たことあるわ。こういう煽り文句の商品を」
「……聞きたくないけど、どこで見たの?汐耶さん」
「アングラ蜜輸入品販売サイト」
ガタガタ、ガタガタと肉と野菜はフライパンごと踊っている。
「……イヴ〜〜〜〜」
「あっ、あっ。でも大丈夫よ!試しに一部に掛けてみただけだから!その部分を選り分けて食べたら……」
「……」
「…………」
「……ね?」
不穏な沈黙を返す二人に、イヴは可愛らしくにっこりした。
どうやら、魔界から持ち込んだ食材は、人間には許容不可能らしいと……その時ようやく悟ったのである。

幾多の困難を乗り越えて出来上がった食事は、(SHABUの犠牲になった部分を除けば)上出来だった。
「……うん、美味しい」
「本当?」
他に魔界の食材が使われていないことを、再三イヴに確かめてから箸をつけた汐耶は、心配顔で見守るイヴに頷いた。
「イヴ、あなた人間としての味覚は鋭いほうなんだから、魔界風の味付けさえしなければすぐにうまくなるわよ!」
ウィンと汐耶に励まされながら食べた料理は、ほっこりと優しい味がした。


SHABUのふりかかった肉と野菜は、善意を装って某紹介屋が居座る店に届けられた。
彼は細かいことは何も確かめずに食事を丸呑みにしたので、調理されてなお暴れる肉と野菜の悲鳴に気づいていたかどうかは、かなりあやしいところである。



―――悪魔のレシピ