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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


懐かしい郷より

 まだ朝靄の漂う早朝、布団を抜け出して、啓斗は、微睡む村の中を、ゆっくりと歩いていた。
 目的のない散歩ではない。
 探し物があったのだ。
 啓斗は店を探していた。どんな小さな露店でも構わない。高価な売り物など無くていい。
 手に入れたかったのは、確かに自分がここに来たという、証。幻の里で過ごした短い数日間を、その思い出を、何か形の残るものとして、手元に置いておきたかったのだ。
「やっぱり無いか……」
 鬼龍の里は、古の郷。
 自給自足が原則の、まだ物欲が身に付いていない村。
 ここには店は存在しない。金も存在しない。外界ではそれを巡って人殺しすら起こるのに、硬貨も紙幣も、ここでは、ただの塵なのだ。
「まさか、ここに生えている植物を、むしり取って行くわけにもいかないし」
 幻は、幻として、静かに眠らせるのが一番なのか。
 仕方ないなと溜息を吐きだし、東の空を眺めやった啓斗の背に、彼を呼び止める声がかかったのは、次の瞬間のことだった。

「何か、お探しですか。啓斗様」

 啓斗が驚いて振り返る。
 里長の少女が立っていた。
「どうやって……」
 忍びの自分が、背後にいる者の気配を、まるで感じなかった。
 こんな事があり得るのか?
 訝しむ啓斗に、里長が、やんわりと微笑みかける。
 啓斗の望みを聞く前から、全てを知っているとでも言いたげに、歩き始めた。足音が…………無い。
「俺は……」
「鬼龍には」
 少女が、啓斗の言葉を遮る。みなまで言うなと、穏やかな眼差しが、訴えていた。
「外の世界の方々にも尊ばれるものが、鬼龍にも、一つだけ、あります」
 緑の草を掻き分けて、春花と秋花の咲き乱れる和の山を、するすると進んで行く。彼女が案内してくれたのは、白く水飛沫を上げて雄大に永久に流れ続ける、滝川だった。



 珍しく早起きした兄の背後を、守崎北斗が、こそこそとつけ回す。
 本人は上手く隠れたつもりだったのだが、三分もしないうちに、あっさりと兄に気配を見抜かれた。
 もともと、北斗は、お世辞にも忍び向きの性格とは言えない。万事において大雑把だし、適当だ。加えて、百八十五センチメートルの長身で、どかどかと大股に歩こうものなら、足音を立てない方が不思議である。
 さらにトドメは、何してるんだ〜?と、自ら声を掛けたことだろう。つまり、この少年、初めから、潜むつもりなど毛頭なかったわけである。
「何やってんだ? 兄貴? 逢い引きか?」
 兄の手裏剣が本気で飛んだのは、言うまでもない。
 冗談なのに、といじける弟を眼光だけで黙らせて、啓斗が答えた。
「里長に、村の名所を案内してもらっているだけだ」
 土産物をもらいに来た、とは、言わない。
 遠慮という美徳を知らない弟のこと、土産、などと聞いたら、兄が胃を痛めるほどの貴重品を、これ幸いにと持ち出しかねない。
 それでなくとも、その恐ろしい食欲で、村の決して多くはない食物を食い荒らしてくれた北斗である。これ以上の迷惑を里にかけて溜まるかと、啓斗は珍しく必死になっていた。
「観光案内か〜。俺もついてこっと」
「お前は草間の所へ行って、帰り支度を手伝ってこい」
「嫌だもんね〜」
「この……」
 思わず握り拳を固める啓斗。
 里長が、ふと、滝川の一点を指した。
「ここは、玉泉の滝と呼ばれております。啓斗様、北斗様、衣装が濡れるのが嫌でなければ、川の底を、確かめてみてくださいませ」
 言うが早いか、ざぶん、と、啓斗が川に飛び込む。水は驚くほど澄んでいて、視界は良好だった。敵対する者もいないらしく、警戒心の薄い魚たちの合間を縫い、啓斗は水底を目指す。
 光る丸い石を見つけたのは、次の瞬間のことだった。
「これは……」
 落葉色の石は、瑪瑙だろうか? 鮮やかな青色は、青金石か。緑の玉もある。これは翡翠だろう。それに、天河石。碧玉。紅玉随。
 啓斗は貴石の名前など知らないし、興味もないが、それでも、美しいと思った。人の手の加わらない、素の姿。元は歪な形をしていたはずの原石を、真円に磨き上げたのも、滝川だ。
 少しずつ、少しずつ、水に抱かれ、水に削られ、今の形に織り成した。
 何十年、何百年かかったのだろう?
 この心地よい川の流れが、一つの宝玉を生み出すまでに。
「すげーっ!!」
 隣で北斗が歓声を上げている。赤やピンクの可愛らしい色ばかり物色しているのは、たぶん、恋人の顔が脳裏に浮かんでいるからだろう。
 啓斗は、何も知らない北斗の代わりに、彼女のための石を選ぶ。
 北斗が拾い上げ、名残惜しそうに手放した薔薇石を、手に入れた。確かに、これは、彼女には似合うだろう。北斗のセンスもまんざら捨てたものではない。
「あの三人にも……」
 今度は、兄弟同然に親しくしている、三つ子のために。
 鮮やかな、琥珀色の石。快活さと、陽気さが滲み出ているような、その色彩。これは次男に相応しい。
「なんて名前の石なのか、わからないけど……」
 今は、知らなくてもいい。里長が、きっと、教えてくれるだろう。
「こっちは……」
 純白。水の青にも染まらない。穏やかで、優しい雰囲気。これは、あの、三男に。
「あ」
 視界の端に、蛍石が、見えた。
 青から紫へ、そして、濃紺へ。水の闇の中で、まるで光るような。
 啓斗はそっと手に取った。蛍石は脆い石であるはずなのに、しっかりとした質感がある。何だか、彼女に似ていると、ふと思った。これは、幼馴染みへの土産にしよう。
 さすがに息が苦しくなってきた。
 啓斗はいったん水面へと顔を出した。
「皆様へのお土産、見つかりましたか?」
 里長が聞いてくる。啓斗は首を振った。
「あと一つ」
 三つ子の長男の石が、まだ見つからない。
「北斗様は、滝の裏の水晶窟へと入りました。ご友人には、水晶こそが、相応しいのではありませんか? この世界で、もっとも強力な浄化の力を宿す石。それが、水晶です」
 ありがとうと、一つ頷いて、啓斗が北斗を追いかける。滝の裏に水晶窟があるとは気付かなかった。さすが、弟だ。鼻がきく。
「この洞穴には、光石があります。運が良ければ、見つかるかも知れません……」
 白水晶の中でも、全く研磨の必要が無いほどに特に美しいものを、この里では光石と呼ぶのだと、里長が教えてくれた。
「光石か……」
 善にも悪にも惑わされずに、いつも、毅然と、真白く、そこにいられたら。
 守り石にその力があるのなら、せめて姿を見せてくれと、祈るような気持ちで歩き続ける啓斗の前に、先に入った北斗が、大騒ぎで飛び出してきた。
「兄貴! 兄貴! ものすごいでかい水晶があるっ!!」
 高い天井の、わずかな隙間から漏れ出る真昼の光に照らされた、そびえ立つような、巨大な水晶。
 どこまでも透明で、あらゆる色を徹底的に排除した、純然たる、その白。
「光石……」
 これは、持って帰れないなと、啓斗が苦笑する。細かく砕こうなどという不遜な考えさえも浮かばなかった。
「出来ることなら、二人のために、欲しかったんだけど」
 双子の弟と、三つ子の兄のために。
 でも…………駄目だ。奪えない。
 さすがに、これを、欲しいとは言えない。
「すげーなぁ……」
 恐れる様子もなく、北斗が進み出て、水晶にぺたりと体を貼り付けた。あまりに自然な動作で、止める暇もない。
「御利益ありそう。なぁなぁ、兄貴もどう?」
 水晶は、大地の神の贈り物。その地脈の力を得られるのなら、自分はいらない。弟だけでいい。
 啓斗は、目を細め、同い年なのに子供のように振る舞う弟を、静かに見守る。
「なぁ、兄貴〜」
 この光景を見られただけでも、皆とは違う土産が出来たと、満足げな啓斗の姿が、そこにはあった。

 

 帰り支度を整え、ローカル列車に乗り込む。
 結局、自分たちと三つ子の兄の土産だけが、手に入らなかった。
 村人手製のまんじゅうをもらったから、これで誤魔化すか?
 そう啓斗は思ったのに、何も考えていない北斗が、汽車の中で完食したのには、呆れて声も出なかった。
「お土産……どうするかな」
 何となく、ポケットに手を突っ込んで、窓の外を眺めやる。ひやりとした冷たい何かが、ふと、指先に触れた。
「え?」
 取り出してみて、驚愕する。
 三個の丸い光石が、掌の中で、燦然と輝いていた。

「いつの間に」
 里長の少女が、くれたのか?
 だが、忍びの者である自分の懐に、ただの人間が、そうと気付かれずに石を入れるのは、ほとんど不可能だ。
 相手が人外の者であるというのならともかく……。
 そこまで考えて、はっとする。
 気配の無かった、里長。足音も立てずに、歩いた。啓斗が口を開く前から、彼の望みを知っていたのだ。それは、もはや、人間の技ではない。
「鬼と龍の神……」
 里長の少女は、神の声を聞く巫女。あの時、彼女の中に、いずれかの神がいた。
 鬼か? 龍か?
 そこまで考えを巡らせて、啓斗は、ふと、思考を遮った。
 詮索する必要など無いのだ。受け取った物に、素直に感謝を示せば良い。

「お土産、全員の分、揃ったな」



 弟の彼女には、癒しの硬玉、薔薇石を。
 幼馴染みには、清浄の貴石、蛍石を。
 三つ子の次男には、太陽を象徴する、黄水晶を。
 三つ子の三男には、安らぎを司る、白瑪瑙を。
 三つ子の長男と、自分らには、上天の輝きを秘めた、光石を。

 鬼龍の里の、あの景色を、雰囲気を、石一つで伝えることなど到底出来るはずもないと、知ってはいるけど。
 それでも、これを手にした人たちに、二つ神の幸運が、少しでも訪れてくれればいいと、願わずにはいられない。
 
「また、あの懐かしい、鬼龍の里にも……」

 草間が、毎年欠かさず足を運んでいたその理由が、今なら、わかる。
 また、行きたいと、誰もが思う。

 鬼龍の里は、全ての人々にとっての、故郷。
 いつか何処かで思い描いた風景が、そのまま、形になったもの。
 
「いつか、また……」

 思う限り、里への道は、決して、閉ざされることはない。
 幻ではなく、確かな現実として、里は、いつも、そこにある。