コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


蒼穹の羽 2
-----------------------------------
「サカキから、身代金要求の連絡があった」
顔を合わせるなり、眉一つ動かさずにチェンが告げる。
「金額は」
「百万ドル。身代金としてはあり得る額だが、我々にはそれだけの金額を大人しく払うつもりはない。……きみたちには、サカキがアクションを起こしてくる前に、少女の身柄を確保してもらいたい」
殆ど表情を動かさずに、チェンはそう言って全員の顔を見渡した。その顔には、今も幽閉されているであろう少女に対する同情や懸念など微塵も見られない。そうあるべく訓練されているのかも知れなかったが、まるで蝋人形のような無表情さだった。
「サカキは、都内のウィークリーマンションの一室を根城にしている」
階数と部屋番号を挙げながら、チェンは地図の白黒コピーをテーブルに滑らせた。赤いマジックで、高見ライオンズマンションの文字を丸で囲ってある。
「私がサカキを誘い出す。きみたちはその隙に少女を救出してもらいたい」
こめかみを指で揉みながら足を組み、取り上げた地図を眺めている太巻を置いて、チェンは立ち上がり
「また連絡する」
言い捨てて部屋を出て行った。
「さて、まあコトのあらすじはそんなところだ」
チェンから渡されたライオンズマンション周辺の地図を手渡しながら、太巻は機嫌よくタバコをくわえた。
この話を持ってきた時には、まったく気乗りしなそうな顔をしていたくせに、今日は妙に機嫌がいい。
「ただな、こんだけの人数がマンションを襲撃するのはいただけねぇ。ここは二手に分かれて、一組は榊の後を尾けてくれ。尾行組は、特殊能力はご法度だ。くれぐれも、サエねェツラした捜査官どのに見つかるんじゃないぜ」


■回想
宇宙飛行士になるのが夢だった。
あの頃の僕らはまだ夢と希望を捨てておらず、突き抜けるような高い蒼穹の下で、いつまでも飽きずに将来を語り合った。
彼は、空を見上げては宇宙と銀河と大気の話ばかりをする。いつしか僕も、空ではなくて宇宙を見る大人になりたいと思うようになっていた。
「じゃあ、僕は宇宙船を開発する設計者になろう」
そう言うと、山裾から朝の日差しが一条差し込むように、彼は満面の笑顔になった。
その時から、僕と彼は同じ夢を見るようになり、僕の夢は彼なくしては立ち行かなくなった。

空すらも紅く染め上げ、森を殺したあのすさまじい劫火の中で、僕が君と代わることが出来たなら――
今頃、君は宇宙から青い惑星を見て、「地球は青い」なんて、得意げに叫ぶことが出来たのだろうか。


――序章――
電話の向こうにいるはずの相手の声は、ひどく遠い。
互いにこれが茶番だということを承知していながら、そのことを口にはしない。
まるで予定調和のように、この状況に相応しいありふれた台詞を述べ立てるだけだ。
「……何が目的だ」
「百万ドル」
「……いつまでも逃げ切れるものではないぞ。サカキ」
かすかな笑い声が闇を震わせた。
「身代金の相場がわからない。安すぎたかな」
そしてぷつりと声が途切れる。
そして、ツーツーと味気のない音が響いてきた。
チェンは顔を上げる。
逆探知をしていたIO2の仲間と目があった。感情などおくびにも出さずに、声が告げる。
「携帯電話です」
居場所は突き止められなかったということか。携帯電話は、今頃、コンビニのゴミ箱にでも捨てられていることだろう。
「……迷うこともあるまい」
新たな声に、チェンは内心、眉を寄せた。あの男の声が人の神経に障るのは、出会った時から変わらない。そこにあるのは自由で賑やかなアメリカの裏の一面で、チェンはそれを忌避していた。
表向きは無表情に、声の主を振り返る。金色の髪を短く刈り込んだ、一見優男然とした男が雨に濡れたレインコートを部下に持たせて、部屋の入り口に立っていた。口元に浮かんだ笑みは冷笑に近い。
「各国の顔色を窺って我々に追従することしかできない日本人に、一体どれだけの価値がある?」
発せられた言葉は英語だったが、台詞には明らかな侮蔑が混じっている。
男のエメラルドグリーンの瞳から、チェンは視線を逸らした。


「一万分の一でも……身代金欲しい……な……」
太巻が出ていった後……しみじみと呟いたのは五降臨時雨(ごこうりん・しぐれ)だった。
言っていることはえげつない。「多分冗談だろう」という希望的観測のもと、彼の言葉は黙殺された。
「さて、どうしたものかしら。太巻さんの話では、二手に分かれろってことらしいけど」
腕を組んで発言したのは、シュライン・エマだ。その視線は太巻の出て行った先を冷たく見つめている硝月倉菜(しょうつき・くらな)を通り過ぎ、内心を窺わせない美貌の総帥……セレスティ・カーニンガムにひっかかって、物思いに沈んでいるケーナズ・ルクセンブルクに留まる。
「っつうかさぁ」
喫茶店の椅子に浅く腰掛けて話を聞いていた倉塚将之(くらつか・まさゆき)が、ノンビリと発言した。
「気になってたんだけど。こないだ、おれたちで……っつーかそこのでっかい人が、鳥を使って榊の居場所を突き止めたわけだろう?」
と、行儀悪く人差し指をピンと立てて、将之は時雨を示す。彼は……最近この店で頻繁に顔を見せるようになった少年に命じられて、割烹着姿で掃除をしていた。タクヤと呼ばれている少年は、店主の前で文句を言えば掃除を押し付けられると分かっているので、悪賢くも人に押し付けるのである。
そんなわけで、時雨の手によって、さっきまで散々に太巻が散らかした落花生の殻は一つ所に集められていた。店はそれでようやく、少しはマシに見える。
「さっきの太巻さんの話だと、チェンは自分で榊の居場所を突き止めた……みたいに聞こえるわよね」
倉菜の口調は、お世辞にも機嫌が良いとは言い難い。将之と同じことに引っ掛かっているので、太巻を責める声にも棘が篭るのだ。大体、育ちのいい倉菜は太巻とは反りが合わないのだ。彼女にしてみれば泥を這ってでも生きていそうなあの男は、全く住む世界が違う。
「指示はいつも太巻さんを介してで、結局わたしたちはチェンと顔合わせだってしてないわけでしょう?何企んでるのかしら」
「さて……IO2に目をつけられている身としては、直接関わらなくていいのは有難いですが」
憤懣やるかたない様子の倉菜をいなして、セレスティは光の殆ど差さない瞳を、黙り込んでいるケーナズに向ける。
「心配事ですか?ケーナズ殿」
「ああ……いや」
呼ばれて我に返ったケーナズは、軽く頭を振って考え込む表情を振り落とした。
「IO2の尾行は、簡単に撒かれてしまったからな。下手に我々が居所を掴んだと言って、特殊能力を疑われても面倒だったのかも知れん」
筋は通っているが、ケーナズの関心はそこにはないようである。再び、彼の瞳には沈思の表情が浮かんだ。
「用心するべきは、IO2だけではないのかもしれないですね」
面白がっているような調子でケーナズを見てから視線を逸らし、セレスティは笑みを漏らした。
集まった一同は、それぞれに思い思いの表情で顔を見合わせる。
「おれは……まあ、太巻さんのことは信じてもいいと思う」
と、口を開いたのは、今まで黙って皆の言葉を聞いていた御影・涼(みかげ・りょう)である。
「人間関係が結構入り乱れてるみたいだけど……今回は俺、太巻さんの側として行動するよ」
「太巻さんもしょうがないわねえ……」
万感含まれた感想を漏らして、シュラインがため息を吐いた。比較的太巻に近しい彼女だが、太巻が疑われているこの状況下で、特に口を挟む気もないらしい。自分で望んで疑われたような太巻の態度なのだから、それも当然であるが。
「まあ、どうでもいいけどさぁ」
自ら指摘しておきながら、将之は大して気にも留めずにゆらりと立ち上がった。
「二手に分かれるんだろ?おれは、坂崎にカリがあるんだ。尾行組に行かせてもらうぜ」
布につつまれた刀で、トン、と肩を叩いてみせる。どこか飄々としたところは相変わらずだが、将之の視線は狼を思わせて鋭い。坂崎に向けた一撃を、難なくあしらわれたことが気に入らないのだ。IO2の注意人物リストに名を連ねている……という事実も、彼を引き止める役には立たない。
「わたしはセレスティさんと救出組にいくわ。坂崎の相手は、ちょっと務まるとも思えないし」
セレスティの脇で倉菜が手を挙げ、同じ理由でシュラインも救出組に加わった。
「じゃ……ボクは……坂崎を殺……」
「キミは」
何か不吉なことを言いかけた殺し屋を、ケーナズがすかさず遮った。
「私と一緒に来るといい。キミはどうやら方向音痴のようだからな。一人で行動しては尾行に差し支えるだろう?」
時雨を一人で行動させると、何をするか知れたものではない。こう見えても彼は殺し屋であり、彼の発想は最終的に「みんな……死ねば、問題も……文句も、なくなる……ね……♪」という一点に帰結する。全ては無に返るかもしれないが、その実あまり物事は解決されていない。
「ざ……んねん」
無垢にすら見える殺し屋はとても悲しそうな顔をしたが、とりあえずケーナズの言葉に頷いて同意した。
どうやら厄介な荷物を抱えてしまったらしい美貌の青年を、一同は同情と哀れみを込めた生暖かい目で見守った。
「あ……と」
「どうした」
「太巻……から伝言。……ボクのこと……よろしく、……って」
「……ほぉう?」
語尾上がりにもなる。根性の悪い紹介屋は、初めからケーナズに彼を押し付ける気だったようである
「そういうことをするから、尊敬を集めないのよね、あの人は」
呆れ果ててぼやいたシュラインの言葉に、そこに居合わせた全員が深く頷いたのだった。



■ファイア・スターター
僕もジェフも孤児だった。
ジェフリーの父親はドラッグのディーラーで、母親は当時恐ろしく治安の悪かったベトナムを一隻の小船で逃げ出してきたベトナム人。父親の職業以外はパーフェクトな家族だったと、彼は良く言っていた。
僕の両親はといえば、若者が運転する車に時速100マイルで突っ込まれ、ガードレールと車の間に挟まれて即死した。事故を起こした方は奇跡的に助かって、その事を喜ぶべきなのか怨むべきなのか、僕は未だに分からない。残された僕は遠い親戚の家に引き取られ、学校のカウンセラーから報告を受けた警察が僕を保護しにきてくれるまでは、ガレージに出現したネズミみたいな扱いを受けた。
アメリカではよくある話だ。両親が揃った家のほうが珍しい。
最終的にどんな結果を迎えたにしろ、誰かに引き取られた僕らは、ラッキーな子どもだった。

当時僕らが隔離されていたのは、要するに「超能力者はどれだけ能力を制御できるのか」という試みのためだった。
今にして思えば当時から、IO2は2派に分立していたのだ。特殊な能力を持つ者たちに正しい使い方を指導しようという動きと、間違いが起こる前に、災いの芽は摘んだほうが良いという動きと。
当時は今ほどに過激ではなかった両者の歩み寄りの結果が、あの小さな町の自然ばかりに囲まれた小さな小屋だったのだ。
時の流れはあまりに緩やかで、僕らは永遠に子どものままでいられるんじゃないかと思った。

その生活に黒い影が射したのは、あの男が現れてからだった。
その情景は、いつ思い出しても鮮烈な赤と黒のコントラストで、僕に迫ってくる。
乾燥した小屋は、信じられないくらいよく燃えた。ごうごうと狂ったように燃え盛る火は深い深いタンジェリンオレンジで、僕らがまだみたことのない太陽の炎は、こんな色をしているのかと思った。
迫る火に照らされて黒く家の梁が、柱が浮き上がり、それもやがて火に呑まれていく。
「10年なんてあっという間だ」
清々しく、彼は笑った。顔もからだも煤を被って真っ黒で、彼の体についた痣痕は覆い隠されている。真紅に流れるはずの鮮血までが黒く、一秒ごとにじわじわとその染みを広げていた。
「見ろ!!」
凍り付いている僕を無視して、ジェフはぐいと空を仰いだ。
蒼い空なんてどこからも見えない。ただもうもうと立ち込める黒い煙と、火につつまれた梁が、僕には見えただけだった。
「僕たちは空だって飛べるぞ!」


夢を信じて努力をすれば、僕らは何だって出来る。


――彼は、僕には見えなかった空を見ていた。
大地を震わせる轟音と共に家は崩れ、彼の小さな体を飲み込んだ。



■時空の狭間
外では……まだ雨が降っている。それぞれが止まない雨にうんざりした顔をしながら、報告に耳を傾けていた。
ジェフリー・ラドクリフと榊リョウは、幼少時IO2に身元を引き取られ、能力の成長を見守る形で、保護を受けて暮らしていた。
「特に、危なげなことは行われていなかったようだ。だが……事件は起こった。ジェフリー・ラドクリフの力が暴走し、山火事を引き起こすような巨大な火を巻き起こしたのだ」
淡々と、ケーナズは調べてきたことを全員に報告した。
「これにより、能力者の対応について、意見が2分していたIO2では、能力者は危険と唱える強硬派の立場が俄然強くなったようだ」
「それで……火災のきっかけになったのは?」
学校帰りなのか、教科書の束を小脇に抱えたまま、涼が視線を向けた。ケーナズは軽く首を振り、ため息を吐き出す。
「詳しいことは分からなかった。事件が起こった当時、子どもたちを預かっていたのが、ダイ・チェン。とはいえ、当時のヤツは、ただの世話役のようなものだった。ただ、ダイ・チェンの同期で、同じIO2の職員が一人、時折彼らのもとを訪ねてきていた……ということだが」
ケーナズの視線は、セレスティの元へと向かった。麗人は、膝にかけられたショールの上で指を組んで、頷いてみせる。
「ジョセフ・ウォルフという白人です。超能力者の存在そのものを否定する過激派の一人で、相当な切れ者だったようですね。火災が起こったときにも、彼はその場に居合わせた……可能性がある」
「可能性って?」
木の器に盛られた落花生を割りながら、将之が顔を上げる。
「居たかどうかは、わからないのか?」
「わからないんですよ」
穏やかに、セレスティは頷いた。
「事件の直前、ウォルフ氏がワシントンからカリフォルニアまで、飛んだことは分かっている。しかし、火災の現場に居合わせたかどうかまでは、わかりませんでした。火災が起こった当時、その場に居合わせた人に関しては、記録が一切残されていないのです」
「ますます怪しいわね」
形のいい眉を顰めて、倉菜が苦い顔をした。シュラインも、顎のあたりに指を当てて考え込む仕草をしている。
「その事件の後、チェンはワシントンに呼び戻されて、その年の終わりには昇進した。……これは、実力というよりも寧ろ、FS事件によってチェンの所属する過激派の勢いが強まったせいだろう。ウォルブについては……事件当時、すでにチェンよりも階級は上だったようだが、その後どうなったのかは、分かっていない」
ケーナズが黙ると、外の雨音が強くなった。大地を雨が濡らす音が、穏やかに部屋に立ち込めていく。
「……まー結局」
落花生を口に放り込みながら、将之が言った。
「本当のことなんて、本人に聞いてみなくちゃわかんねえよ。いいじゃねえか、どうだって」
「まあ、確かにね」
「知っていても……ボクには関係……ないし」
涼が苦笑し、時雨も──丁寧に落花生の殻を剥く手を止めて頷いた。
「それじゃあ──」
シュラインが、一同を見回した。
「正美さんの救出作戦と、榊リョウの尾行作戦にうつりますか」



太巻からの連絡では、ダイ・チェンは身代金の引渡しを条件に、榊リョウを呼び出すことにしたらしい。時間は榊が指定してきた。夕方6時。詳細は榊の方から追って知らせる。不測の事態が起こった場合には、各自携帯電話で連絡すればいい。
時間までには、まだ大分間がある。
「あの……一体、どこに?」
ケーナズは、辛気臭い雨に不機嫌そうな顔をしながら、黙々と歩き続けている。彼はどこかへ出かけるつもりらしく、作戦会議のつもりで集まった仲間たちに、思いついたように「きみたちも来るか」と誘ったのだった。
「まぁすることねぇし」
と将之が言い、ケーナズが何を掴んでいるのか気になった涼も、それにはすぐに頷いた。時雨はといえば、余程太巻に言い聞かされているのか、ケーナズの言葉には素直である。主に付き従う犬のようだ。……殺し屋に対して犬という表現も、なんだか微妙な気がするが。
タクシーを降り、少し歩いたところでケーナズは立ち止まった。自然が多いせいだろう。都会なのに、雨に濡れて土と木の匂いが濃い。
涼たちはあたりを見回す。
連日の雨で、細い流れを作って下水路に流れ込む水の流れ。人の背丈ほどもある石垣。それから、石で出来た鳥居に、雨に濡れそぼった階段が延々と生い茂る木の下を上っている。
「神社……ですか」
「そうだ」
「……必勝祈願とか言わないでくれよな。おれ、そういうのあんまり好きじゃねえし」
「……おみくじ、ひこうかな」
彼らが言っているうちにも、ケーナズは黒とグレーの傘をさしたまま、階段を上り始めている。
「この神社には、鬼の伝説が伝わっているんだ」
「……どんな」
一歩遅れて、ケーナズの後に続く。階段は急勾配で、途切れた先には何も見えない。ただ、雨の中をひたすらに上った。こんな天気だから、参拝客がいるはずもない。
「ここには以前、刀が奉られていてな。それが、去年の夏ごろ、盗まれている」
「刀……まさか」
涼が唖然とした顔をした。
「そう、刀の名前は、落陽丸と言われていたそうだ」
「あぁ、それで」
言ったきり、考え込むように涼は黙ってしまった。
「何……それ…?」
「その盗まれた刀が、なんだっつうの?今回の事件には関係ないんだろ?」
「どうだろうな。榊にしたがっている、坂崎という男。あれが持っている刀が、その落陽丸だとしたら?」
「やつらが盗んだのか?」
「さて。それを……確かめにいくんだ」
階段が終わった。
濡れた石畳。水溜りの出来たむき出しの土。
雨に霞んで、神社が佇んでいた……。


「刀が納められたのは、ほんの20数年前でございます」
幸いにも神主は、落陽丸の伝説を知るために訪ねてきたケーナズたち一行を、暖かく迎え入れてくれた。外は寒いだろうと座敷に案内してくれたので、今彼らは畳に正座して、彼が入れてくれたお茶を飲みながら話を聞いている。
「鬼を切ったとも伝えられる刀だったのですよ。このあたりの沼から引き上げられた時、その刀身は手入れもされていないのになお白く光り輝き、まるで衰えた様子もなかったそうでございます」
「沼……?刀は、沼に沈んでいたのか」
左様でございます……と、神主は年老いた顔を頷かせる。
「その……伝わっている落陽丸の伝説について、お聞きしたいのですが」
ケーナズが膝を乗り出すと、彼はゆったりと頷いて、若者の逸る心を抑える仕草をした。
「かつて、このあたりには沢山沼が存在したのですよ。今では、殆ど埋め立てられてしまいましたが」
落陽丸が見つかったのも、やはり同じような沼でした……と神主は続ける。
「そこは昼でもなお森が深く、暗い土地でした。地元の者も、恐れてその沼には近づかなかったそうでございます。鬼火が出るという噂もあり、そこは呪われた場所だと……村人たちは思っていたのでございます。なんでもそこには鬼の首が沈んでおり、その恨みから、近づく者に呪詛をかけると」
「首……」
「それこそ、落陽丸が切り落とした首でございましょう」
神主は、壁の向こうを透かし見るようにした。壁しか見えない。
「その沼も、埋め立てられて今は残ってはおりません。ただ、沼を埋めた時に、一振りの刀が出てきました。それが、落陽丸だったのです」
奇怪な出来事が次々と起こり、恐れた村人たちは神主の下へと駆け込んだ。
刀が呪われていると気づいた神主は、すぐにお払いをした。そして、村人たちに言ったという。
「この刀は人を魅了し、災いを引き起こすものである。だが、それと同時に鬼を鎮めることもできる。沼の近くに首塚を作り、神社には刀を奉りなさい。そうすれば、この奇妙な事件も止まるだろう」
と。
「それは、もう200年近くも前のことです。その後、刀は戦火に紛れて姿を消し、ほんの二十数年前に、この神社に戻ってきました」
「二十数年前……」
ケーナズが軽く唇を噛んだ。彼は、渋谷透の父親こそが、剣豪坂崎ではないかと予測しているのだ。ちょうど渋谷が生まれた頃と重なる。彼の父親が失踪したのは、確か渋谷が生まれる少し前だったか。
「その首塚は……」
畳に手をついて、涼が聞いた。
「まだ、あるんですか?」
「ありますよ。ただ……去年の夏頃、誰かの手によって叩き壊されてしまいましたが」
「それで、その刀も……?」
「盗まれてしまいました。ほれ、先ほど貴方がたが立っていらっしゃた場所が本殿です。刀は、あの奥に奉納されていたのですが」
「盗んだ人については、何もわからないんですか」
緩く、神主は首を振った。
「刀の仕舞われていた棚にはカギが掛かっていました。毎日棚を開けて、きちんと埃を払うのですが、その日、朝カギを開けて扉を開いた時にはもう……」
刀は、忽然と消えていたのです。と、神主はふぅと肩を落とした。

・・・・・・・・・・・・

「叩き壊されたというよりは、自然に割れたというか」
「そういう感じだよなぁ。こっから、ヒビ入って、んで、ピキピキ……っと」
神主に教わって足を運んだ鬼の首塚は、なるほどちょっとした爆薬で破壊されたかのように、石屑が転がっていた。
三者三様に、ポツポツと傘に雨垂れが落ちる音を聞きながら、彼らは壊れた石塔を見つめた。
「時期的には、刀が消えたのの方が、この塚が破壊されたのよりも早かったんですよね?」
「……そのようだな」
「漫画みたいにさ、アレじゃねえの。封印が解かれちまって、悪いヤツがこの塚壊して、出ていったわけよ」
ケーナズは難しい顔をして黙り込んでいる。将之の言葉に、涼も微妙な顔をして首をかしげた。
「そう……なんだろうね。きっと」
そして、渋谷透という青年は鬼の姿をした「もの」に命を狙われるようになり、坂崎と名乗る剣豪が、落陽丸を手に今回の誘拐事件に関わっている。


■尾行組1―涼・将之
大地に刀を打ち込んだようながっちりとした手ごたえは、今も腕の中に残っている。
(気にいらねえな)
他の日本人より頭半分ははみ出ている後姿を目で追いながら、将之は手が刀の柄を探して疼くのを感じた。
坂崎の刀は、渾身の力を込めて振り下ろしたはずの将之の刃を、難なく受け止めたのだ。火花すら散らなかったのは、衝突の瞬間、坂崎が刀を流して力を逃したからである。
まるで力を吸い取られるように太刀を受け、倍の力で跳ね返されたのは初めての経験だ。小さい頃から、剣術なら大人にも引けを取らなかった。それが、
――力任せの太刀筋では、すぐに軌道を読まれるぞ
(くそっ)
落ち着き払った坂崎の顔が浮かんで、将之は顔をしかめた。思わず洩れた舌打ちに、涼が何か言いたげな視線を向けてくる。
「焦りは禁物だよ」
「……わかってるっての」
遠目に榊と坂崎を眺めながら、ふーっと将之はため息をついた。
降り続く雨は、パーカーのフードから覗く顔に吹き付けて肌の感覚を奪う。丁度、会社が終わってサラリーマンたちが街に吐き出される時間帯だ。舗道に溢れる会社員たちは、傘に場所を取られて余計に狭苦しい。
傘を差していては尾行に差し支えるので、将之の涼も傘は差していない。かわりに涼はブランドものの黒皮のベースボールキャップを被り、将之はパーカーのフードを被って雨をしのいでいる。
「……寒いし」
雨を含んでしっとりしてきたパーカーに身体を震わせて、将之は恨めしげに隣を見遣った。
「なんでそう準備がいいんだよ」
「いやあ……雨、止みそうになかったし」
榊たちの行方を確認しながら返事をする涼は、ナイロン製のラインパンツに、ウィンドブレーカーといういで立ちである。どちらも雨を弾くので、身体が冷えてきた将之と対照的に、彼は涼しい顔だ。
「ちぇっ。……心頭滅却、心頭滅却」
ぶるっと身体を震わせて、将之は傘に顔を隠して足早に歩く人の流れをやり過ごした。
「どこへ行くんだ、あいつら」
マンションを出てから、榊と坂崎はぶらぶらと通りを歩いていく。途中、2回ほど地下鉄に通じる階段を素通りした。二人は傘を差しているが、時々、榊が横顔を見せて坂崎に話しかけている。
「身代金の受け渡しにいく人間には、見えないな」
涼が苦笑した。緊張感もなにもない。あれなら、ただ散歩に出たのだと言われたほうがまだ納得がいく。
「太巻から、連絡はないのか?」
「まだだね。……何か分かったら知らせると言っていたけど」
ポケットに手を突っ込んで、涼は消音にしてある携帯電話を確認した。着信があれば振動するように設定してあるが、携帯はうんともスンとも言わない。
「こんな面倒くせーことしてないで、戦っちまえばいいのにな」
「うーん」
「で、坂崎を倒して、榊を捕まえて、あの女の子を助け出したら、万事ハッピーだろ?」
「そう……だけどね。うん」
歯切れ悪く帽子を被りなおして、開きすぎた距離を取るために、涼は足を速めた。小脇に抱えた傘は、広がらないようにきちんと留められている。いざという時、武器の代わりになるだろうと持参したのだが、雨の中傘を差さないのは、かえって目立った。
「できたら、坂崎さんにはこれ以上危ないことをして欲しくないんだ」
雨で出来た水溜りにばかり気を取られている人は、涼の持つ傘には気づかないのが救いだ。
「なんで」
「剣士として尊敬するから……かな」
おれも、詳しいことを知っているわけじゃないけど、と涼は雨に濡れて苦笑する。
「すごい剣士だったんだ。刀に魅入られた女性を救うために、鬼を退治したんだよ。その血を浴びれば、生涯呪われると知っていながら」
「……ふぅん?」
「その場に居て、おれがそこまで出来たか、わからない。だから、やっぱりすごいと思うんだ」
なんとも言えない顔をして視線をさまよわせた将之は、「あっ」と小さく声を上げて足を速めた。
大勢の人間が吸い込まれていく駅に、坂崎と榊が入っていくところだった。



溢れんばかりにプラットフォームにひしめく人の中で、榊の尾行をしていた将之と涼、ケーナズと時雨は、ある程度の距離を置いて榊を観察している。
これから夜の仕事にでも繰り出すのだろう、背の高い派手な格好の女性や、くたびれた顔をしたサラリーマン。携帯電話を耳に宛てて、周囲の存在など忘れて会話に花を咲かせる若者たち。
「IO2の連中は距離を詰めてきているな」
文明の利器はかく利用すべきである。携帯を使って大声で話す若者たちに混じって、ケーナズは電話の向こうに話しかけた。
『奴ら……榊を襲う気か?』
涼の携帯を通して聞こえてくるのは将之の声だ。ケーナズは時雨と、涼は将之と、二手に分かれて行動しているのである。榊たちが不審な動きを見せるようならいつでも止めに入るつもりでいたが、二人とも、まるで散歩でもするような気軽さだ。むしろ尾行しているこちらの方が拍子抜けするほどである。
「焦れた……のかな……?」
電話をしているケーナズのかわりに、榊たちを見つめていた時雨が呟く。IO2が坂崎たちに接触しそうになったせいか、やけにそわそわしている。
背中の大刀に掛かった時雨の肘を押しとどめて、ケーナズは首を振った。止めろ、と言うのである。時雨のスピードも人間業ではない剣の腕も承知はしているが、人が多いところではかえって不便だ。一般客がホームから振り落とされてはたまらないので、先ほどから何度も、ケーナズは隙を窺って榊の下へ向かおうとする時雨を引き止めていた。
「いや、違うだろう。……向こうに交渉する気があるのなら、ここで襲ったところで何も手には入らない」
『あるのなら……って。意味深ですね。ケーナズさん』
元気な声に代わって、苦笑が聞こえた。涼だ。その口調には、やはり含むところがある。
「キミも、同じことを考えているんじゃないのか?」
『そりゃあ、考えますよ。正美さんの身の安全よりも、任務を優先するような組織ですからね』
なんの話だよ、それ。と将之が怪訝な声を出す。
電話口から少し離れたところで、涼が将之に説明した。

「つまり、IO2はもとから身代金の要求に応じるつもりはなかったんじゃないかってことさ。ただ、誘い出して、隙を見て榊を捕らえるのが目的だった」
「……なんだそれ。ケチくさい話だな」
将之が鼻に皺を寄せる。ケチくさいって……と涼は苦笑したが、ふと視線を上げて、真顔に戻った。
「榊たちが電車に乗ります」
「先、行くぞ」
人ごみを押しのけるようにして、将之が発車のアナウンスをしはじめた電車に乗り込んだ。
数歩遅れて、涼もその後を追う。
「おれも乗り込みます」
相手の返事を聞く前に通話を切り、涼は将之が向かったのと同じドアから、列車に飛び乗った。

■車内
降り続いた雨のせいで湿気が多く、車内は人の熱でむせかえるようだ。無駄に効いた暖房がその効果を更に高める。狭い車内で、一刻も早く家路に着こうと乗り込んだ人々は窮屈そうに身体を縮めていた。
一つ向こうのドアの傍に、坂崎と榊は立っている。榊は銀の手すりに軽く身体を凭せ掛け、小声で坂崎と会話をしていた。榊たちを挟んで向こう側には、同じように尾行してきた仲間が乗り込んでいる。
IO2らしき人影は、榊たちのすぐ傍に居て、無機質な目で彼らを見つめていた。顔立ちは東洋人だが、どこか日本人離れしている。丁度彼と榊の間に割り込むように位置した背の高い女性を、煩わしそうに睨んでいた。
榊は時折、視線を雨で灰色に沈んだ景色に向ける。懐かしいものを見るような目で景色を眺め、薄く口元に微笑すら登らせた。
車掌が気だるい口調で駅名を告げ、列車が止まる。榊たちがいるのとは反対側のドアが、一斉に開いた。
数人が吐き出され、また数人が車内に詰め込まれた。雨に似合わない明るさの音楽が止み、また扉が閉まる。
次の駅は、榊たちのいる側が出入り口だ。榊は、まだ目を細めて、綺麗なところのない、灰色のビルと、薄闇に明るいネオンサインを見つめている。
列車が、プラットフォームに入って速度を緩めた。やがて、軋んだ音を立てて完全に停止する。
榊が、寄りかかっていた手すりから身体を起こした。降りるのだろう。
ドアが開く。
坂崎と榊が降りようとしているのを目の端で確認して、風と雨で寒いホームへ降り立った。榊の後ろに、続いて下りようとしたあのIO2職員の姿もちらりと見える。
その時。
「ちょっと、なにすんのよ痴漢!!!」
間延びした構内アナウンスなど吹き飛ばす勢いの大声が、耳に飛び込んできた。何事かと、すでに階段に向かいかけていた乗客が振り返る。
いつもなら無関心にそらされていくはずの視線が、長く当事者に居座ったのは、「痴漢」と叫んだ声の主のせいだっただろう。
それは、榊とあの職員の間に居た女性だった。……いや、性格には男性か。声は女性のものとは思えないほどに低い。
よく見れば、プロポーションが良いと思われたのは骨格がいいからであり、背が高いのは男だからである。
「ちょっと、駅員さん!何ボケっと突っ立ってんのよ。この人、チカンよ。電車の中でずぅーっとアタシの事触ってたんだから」
昂然と胸を張って辺りを睥睨する(何しろオカマは傍に居た誰よりも背が高かった)彼(女)に、そそくさと人々は通り過ぎていく。
彼らのすぐ前に居た榊も、立ち止まってきょとんとした顔をしている。
「早くしなさいよっ!オカマがチカンされたからって差別するっていうの?イヤんなっちゃうわねーもうー」
低い声で、しかし最近の女子高生よりもよっぽど女性らしいオカマ言葉が続くに至って、榊は思わずと言った調子で吹き出した。
おたおたと近づいてきた駅員と、体格のいいオカマにちらりと視線を投げて、彼はようやく歩き出す。
「ちょっと、待て……ッ!」
駅員の前に引き立てられ、オカマにがっちりと羽交い絞めにされた男は、舌打ちしそうな勢いで榊に声をかけたが、彼は振り返らなかった。
笑いながら、坂崎に声を掛けている。……きっと、今の出来事を話しているのだろう。

結局――指定の場所に、榊は現れなかった。
元々、そこへ向かうつもりなどなかったのだろう。チカン騒ぎで坂崎と榊を見失ったIO2のほかの職員が、万が一の場合に備えて手持ち無沙汰に様子を伺っていただけである。
榊の行方を追うのに成功したのは、彼の気配を辿ることが出来た涼と、彼の仲間たちだけだった。
その四人も、気配を追いかけて目的の場所に着いた頃には榊の姿はすでになく、雨に掻き消されたかのように、彼らの気配もそれ以上、追いかけることは出来なかった。

■墓
枝ばかりを見せる紫陽花が、雨にしっとりと濡れていた。生い茂る常緑樹は、どこにもまんべんなく雨の雫が降りかかり、重くこうべを垂れている。
石畳は黒く濡れて光り、木のトンネルを通って奥へと続いていた。
人がすれ違う程度の広さしかないその道を抜けると、右手に上る苔むした石階段があり、それを上りきると視界が開ける。雨に濡れる板塔婆と墓石が、雨の中で静かに佇む墓地に出るのだ。
連日降り続いた雨のせいで、訪れる者も少ないのだろう。枯れかけた仏花は濡れそぼり、雨の中でくったりとしている。
その中で一つだけ、白い煙を立ち上らせている墓があった。
花は供えていないが、墓石もそのまわりも、枯葉が取り除かれて丁寧に掃除されている。白い煙をのぼらせているのは、半ばまで白くなった線香だった。
雨に濡れるのも構わずにそこで長い間手を合わせていた青年がいたことを、人は誰もしらない。
丁寧に掃除をして線香を供え、初めて訪れたその墓に、青年が何を報告したのか、それは今となっては誰にも分からないことである。
榊家之墓、と刻まれたその墓には、交通事故で死んでしまった、彼の両親の名前も刻まれていた。


■警察
向かい合った警察官はウンザリした顔をしている。ウンザリしたいのはこっちの方だ。
一秒ごとに不機嫌になっていくチェンの神経をさらにささくれ立たせて、警察官はため息をついた。
事情聴取というヤツである。
煩いオカマが「謝ったって許さないワヨ」と言ったので……そしてチェンには「何かあったら謝る」という日本人の感覚にはまったく疎かったので、こんなところまで連れてこられてしまった。
チェンはオカマなどには到底興味がなく、そもそも彼と榊とを隔てる邪魔な物体が、女に扮した男だったことすら気づかなかった。
日本の警察は被害者に優しいのか……ただ単に応対に出た誰もが、オカマの勢いに迫力負けしただけだと思うが……、チェンは榊を見失い、不機嫌の極みで警察と睨み合っている。
「勘弁してくれよなぁもう」
まだ若い警官は疲れたように髪を掻き上げ、はぁ〜っとため息を吐いた。勘弁願いたいのはこちらの方だ。
ガチャリ、と扉が開いた。
警官は身を捩って振り返り、「あっ、ご苦労様です」と背筋を伸ばした。入ってきたのは貫禄もない頭頂部まで禿げ上がった小男である。眼光だけが鋭いのは、刑事の性だろう。
かったるそうに若者に頷いて、すぐに刑事はチェンに目を向けた。
「出て」
「あっ、あのしかし」
「許可は貰ってるから。被害者の方も気が済んだみたいでね。帰したからもう」
困ったように口を挟んだ若者は、その言葉に安心したように「はいっ」と言った。彼にしてみれば、ホモのチカン(非常に不本意だ)の相手をしなくて良いのだから、願ったり叶ったりなのだろう。
チェンが立ち上がったのを見届けて、刑事はさっさと歩き出した。狭いコンパスで歩くので、すぐにチェンは追いついた。
「被害者は一応気が済んだっていってるから」
「……」
「もうこういうことのないようにね」
気のない風に刑事は言って、警察署の玄関口で立ち止まった。
チェンも立ち止まり、自動ドアのすぐ傍に備え付けられた灰皿の前で、悠然とタバコを吹かしている男を見つけて、表情を険しくした。
「迎えきてるから。じゃ、気をつけて帰んなさい」
小柄な刑事は偉そうにタバコを吹かすマフィア然とした男に一度だけ視線を投げて、すぐに奥へ歩いていってしまった。
太巻は、そ知らぬ顔でタバコを吹き上げている。
相手に動く気配が見られないので、ようやくチェンは彼に近づいた。
「よう」
黒いビニール皮のベンチに座ったまま、紹介屋は口元だけでニヤリと笑った。この顔は、何があったかまで聞き知っている顔だ。
「散々だったな」
「……貴様が」
「オタクの組織にほっぽっとかれてるお前に同情して、わざわざこうして手を回してやったんじゃねェか。感謝されても、怨まれる筋合いはないと思うが?」
しゃあしゃあと言ってのける男に、チェンは舌打ちした。
ではやはり、あの男は知っていて自分を放置したのだという事実と……
チェンがその言葉を鵜呑みにしないことを承知していながら、人をからかう態度の悪い紹介屋の両方に。
「貴様が仕組んだんじゃないのか」
受付にいる婦警から見えないように身体の位置を移動させて、太巻の胸倉を掴む。そんな事態には慣れきっているであろう男は、案の定薄笑いを浮かべてチェンの怒りに油を注いだだけだった。
「おれが。何を?」
襟首を掴んだ拳に、思わず力が篭った。相手がやり返さないのは、それが得策だと知っているからだ。チェンは、警察でこれ以上騒ぎを起こすわけにはいかない。
「何を企んでいる。……太巻」
怒りと一緒に声まで噛み殺して、低くチェンは問いかけた。恍けて、太巻は片頬を歪めて煙を吐き出す。
「お前ェはよ」
「……」
「人質まで取っておれを脅しておきながら、まだ不安かよ」
ゆっくりと上がった男の手がチェンのそれを掴み、ゆっくりとチェンの手は太巻の服から引き剥がされた。
怒りに立ち尽くしているチェンの前で、太巻はゆらりと立ち上がる。
「青二才め」
口の端に短くなったタバコを咥えて、太巻はチェンに背を向けた。
「待て」
振り返らないで歩いていく。センサー仕掛けの自動ドアが開いて、風に任せて雨がパラパラと吹き込んだ。
返事がないまま、またドアが閉まり、雨の中に男の広い背中が紛れていく。


■―――
『あんなに笑ったのは、久しぶりだよ』
言葉どおり、青年の口調は以前よりも柔らかかった。
そりゃあ良かったと返事を返して、肺の奥まで溜め込んだ紫煙をゆらりと車内に吐き出す。車の中が白く煙った。
「気は済まねェのか」
言いながら、それこそ気のない台詞だと思う。電話の向こうで相手も笑ったようだった。
『ずっと前から、もう気持ちの問題じゃなくなってるんだ。多分』
そうだろうなと、車を煙で満たしながら、彼も思う。ダッシュボードに足を掛けると、跳ねた泥がつま先についているのが目立った。
『僕らが住んでいる社会は、僕らに前向きな気持ちを抱かせない。この社会が僕らに教える幸せも、幸福の定義も、本当は間違っているんだってことに、みんな中々気づかない。その価値観をはねつけられるほどに強くなくちゃダメなんだ。幸福は、自分の手で見つけるものだよ。……多くの人間はそれが出来ないんだ。そういう人は、僕よりもずっと不幸だと思う』
「キレイゴトばっかり並べやがって」
『後悔してないってことを言いたかったんだ』
してないのなんて、声を聞けば分かる。
「おれはお前が、他の道を歩んでいたらと、ちょっとは本気で思うぜ」
『……同情してんの?』
雨の向こうで男が苦笑した。
「しねェよ」
雨の音が煩い。面倒くさくなって、再びタバコの先端を紅く染めた。
車には、紫煙ばかりが増えていく。


■―――
シュラインと倉菜の手によって気絶させられ、榊のマンションから運び出された正美は、一旦セレスティの屋敷へと連れていかれた。太巻に連絡を取ろうにも彼の携帯は繋がらず、IO2に至っては連絡先すら知らない。
セレスティの屋敷の客室で手厚いもてなしを受けた正美は、素直に出された食事を摂り、シャワーも浴びた。普段着のまま連れ出してしまったので、倉菜が気を使って、洋服を買ってきた。
相変わらず無理に連れ出した事を怒っているのか、誰とも口を利かなかったが、正美は比較的落ち着いているようである。

……と思っていたその夜に、正美はセレスティの屋敷を脱走した。
部屋は庭を見渡せる一階にあったとはいうものの、それはもう見事としか言いようがないほど忽然と姿を消した。
始めから、正美は自分を無理やり「誘拐」した変な女子高生やお金持ちそうな美形の男など、信用してはいなかったのだ。服を素直に受け取ったのも、食事を摂ったのも、つまりはこの脱走を見越してのことだったのである。
やっと連絡が付いた太巻は、正美の救出と脱走の話を、「あっそう」の一言で片付けた。
これが雇用主だったら、確実に社員の顰蹙を買うところである。
「女の子が真夜中に街中を歩いているのよ」
とシュラインが電話口で叱りつけると、渋々というように言葉を付け足した。
「あのガキが行くところは分かってんだし……あとは奴らが勝手に見つけるだろ」
と。



□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

・1555:倉塚・将之
・1481:ケーナズ・ルクセンブルク
・0086:シュライン・エマ
・1883:セレスティ・カーニンガム
・2194:硝月・倉菜
・1831:御影・涼
・1564:五降臨・時雨
・1588:ウィン・ルクセンブルク

=============
NPC
・太巻大介:相変わらずろくでなし。
・榊・リョウ:悪霊使いで幻術使い。
・坂崎惣介:数百年前に非業の死を遂げた剣豪。渋谷透の父親。
・ダイ・チェン:チャイニーズアメリカン。今回ちょっと不幸。
・ジョセフ・ウォルフ:過去にチェンとともに榊と関わりがあったらしい。

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
こんにちは〜〜。いつもお世話になっております。
そしてお待たせしてすいません〜!!!
いつまで待たせるんじゃい!と痛いツッコミを自ら入れながら、お届けさせていただきます。
ようやく三部目です。何故ここまで手間取ったのか…(すいません)
そして余計にすいませんな感じで、身の回りが忙しくなるため、微妙に……この話の続きがいつ書けるのか、わからな……(撲殺)
本当ならもう少し早いペースで執筆をして、忙しくなるまでに話を終える予定だったのですが(土下座)。
時間を見て、スケジュールを騙し騙し、シリーズはきちんと終わらせる所存です。
長い目で……見てやっていただけると幸いです……(這い蹲る)
短編などは、ちらりと空いた時間を見て、こそこそ窓を空けるつもりではいるのですが。

今回も参加ありがとうございます。倉塚君のプレイングにこっそりおお!と思ってしまいました。戦闘シーンが掛けなくてちょっぴり残念です。くぅ。次回こそは!(いつになるんだ)

いつもお世話になっております。今回もありがとうございました!
そんなわけで、これからも…宜しかったらお付き合いいただけますようお願い申し上げます(へこ〜)

在原飛鳥