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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


はじめましてのあけましておめでとう


 新年をめいっぱい騒がしく祝うバラエティ番組を横目に見つつ、藤井葛は、居候である緑の少年・藤井蘭とともに2人きりの正月を迎えていた。
 テーブルがわりのコタツには、彼女特製のお雑煮と、田舎から年末に送られてきた数の子や煮物、黒豆、栗きんとんに焼き魚、お煮しめといったおせち料理も重箱に詰められてがずらりと並べられている。
 田舎で家族と囲んだ食卓と変わらない豪華な正月料理の数々は、本当ならば一緒に食べる相手がもうひとりいた。
 だが、こちらでは唯一の肉親となる葛の姉は、クリスマスに引き続き、残念ながら別件でこの場所にはいない。
「おいしいですぅ、持ち主さん」
「そっか。良かった」
 ニコニコと幸せそうに雑煮を頬張る蘭を眺め、思わず口元がほろこぶ。
 葛にとっては、久々にゆったりとした時間である。
 長く自分を苦しめた卒業論文は、年末の段階で完成度9割。予想ではあともう3日もあれば仕上がると思われた。
 希望的観測、とも言うかもしれないが、とにかく出来たも同然という気がしている。
「………そういえば」
 ふと葛は去年の自分を思い出す。
 論文に追われ、課題に追われ、除夜の鐘が鳴る頃にはなぜかネットゲームに没頭していた。
 そのまま初日の出を窓ガラス越しに拝んだ後は、抗いがたい睡魔に襲われて一日寝倒してしまった。
 田舎から東京に出て来て数年。
 家族と一緒に過ごす正月は、いつの間にか自分ひとりで過ごす時間に変わっていたが、それでも毎年の慣わしは当たり前に繰り返してきたはずだった。一昨年までは。
「なあ、蘭。それ食べ終わったら出かけようか?」
「ふに?おでかけなの?」
 幼い少年のまるくて大きな銀の瞳が、不思議そうに自分を見上げる。
「そう、お出かけ。あったかくして神社に行こう」
 去年は随分と面倒ごとに巻き込まれたし、自らも厄介ごとに首を突っ込んでしまった。
 時々、こうして当たり前の日常を過ごしていることが不思議に思えてならないくらい、様々なことがあった。
 生命の危機を迎えたことも数え上げれば片手じゃ足りない。
 普通に大学に通うだけでは、そしてオンラインゲームの世界に関わるだけでは覗くことのなかったもうひとつの現実。
 自分はおそらく、今年も懲りずにあの現実の中の日現実に関わっていくのだろう。これは予想というよりも確信に近い。
 この際、いざというとき神頼みをするかもしれないのなら、元旦に挨拶くらいしておくべきだろう。
「ごちそうさまなの」
 葛が振り返っている間に、蘭は自分の雑煮をすっかり食べ終えてパンっと両手を合わせてお辞儀をする。
「よし。じゃあ、準備するか」
「はいなの」
 元気に手を上げる彼をクローゼットの前に立たせると、葛はコートを着せ、その細い首に淡いクリーム色のマフラーを巻いてあげる。
 ワクワクと期待に満ちた目が、まるで変わり玉のようにくるくると抑えきれない気持ちを表しているのが面白い。
 思わずくすりと笑みがこぼれてしまう。
「なあに?」
「ん?なんでもない」
 くすくすと意味ありげに笑って蘭の頭をくしゃくしゃと掻き撫でると、葛はロングコートを羽織って玄関に向かった。
「さ、出発だ」
「まってなの〜持ち主さん!」
 慌てて髪を手櫛で整えながら、蘭が後を追いかける。
 慣れない手つきでブーツを履く彼を待って、2人は少しだけ氷の張ったアパートの階段を一緒に降りた。
「ひゃっ、寒い〜」
「じゃあ、少し急ごうか?」
 植物のはずの蘭の手は、なぜかとても暖かい。
 どちらかといえば低体温の葛にとって、それは少しだけ不思議で心地良い温度だった。


 正月の三箇日は、押し潰されそうなほど人でごった返している場所と、閑散としてゴーストタウン化している場所の2種類しかないように思える。
 自分自身も人の合間に埋もれそうになりながら、葛は蘭の小さい手をしっかりと握り、地下鉄から電車に乗り換え、おそらくは百万人が押しかけているだろう浅草寺を目指す。
「持ち主さん……この電車、いつもよりすごい人なの。どうして?」
「ん?ああ、多分俺たちとおんなじか、もしくは初売りバーゲン目当てだからじゃないか?」
「はつもう…むぎゅうっ」
「うっ!」
 それは一体どんなものなのだろう。
 そう問いかけたかった蘭の言葉は、駅に到着すると同時に慣性の法則に従って圧し掛かってきた人間たちに押し潰されてしまった。
 降りる駅をアナウンスが告げるまでの十数分間、2人はほとんど会話を交わせなかった。


「わあ!すごいひとなの!いっぱいなの!!」
「やっぱり浅草寺は違うな」
 大きな目をさらに大きくして口を開ける居候の隣で、葛も同じように猫を思わせる翠の目を丸くしていた。
 自分が住んでいた田舎では、初詣客で賑わうといってもたかが知れている。
 ほとんどが知り合いというほど狭いわけではないが、それでも会えば挨拶を交わすほどには近しい関係の中で行われるあの場所では、他人に押し潰されたり、会話もままならないほどの混雑を経験することはない。
 今まさに目の前で展開されるこの迫力は、他ではちょっと味わえないだろう。
「気合、入れるか」
「え?なあに?あ、うわぁ!?」
 よいしょっ。
 見た目よりもはるかに軽い蘭の身体を両手で一気に抱え上げる。
 そして、信じられない運動能力を新年早々思う存分発揮して、蠢く人々の間をその小さな身体と軽いフットワークで突き進んでいった。
「持ち主さん、すごい」
「ありがと」
 論文作成とオンラインゲームで身体が鈍っているのではという懸念は、あっという間に吹き飛んでしまった。
 ともすれば押し戻され、全く別の流れへと押しやられる人の波。
 コートやジャケットなどで膨れ上がり、思い思いの方向に好き勝手に動く予測不能な人混みを、まるで障害などないかのように、かつ誰も押しのけることなく、器用にすり抜けて行く。
「あ、そうだ!ねえ、持ち主さん?僕たち、こんなにいっぱいの人の中に何しにきたの?じんじゃってなあに?初詣ってなあに?」
 昨年の終わりごろに関わった、数少ない蘭の冒険譚。それらとは全く趣の違う出来事。
「神社って言うのは神様を祭っている場所。初詣って言うのはさ、ん…なんて言えばいいかな。一年の始まりに、神様に挨拶して、自分の今年一年の決意表明を行ったり願い事をしたりすること、かな?」
「神さまに?」
「そ。蘭も考えときな。神様に今年はどんなことを頑張るかとか、どうしてもらいたいかとか、さ」
「う〜んと、う〜んと……おねがいごと……」
 葛にしがみ付きながら、必死に考え続ける蘭。
「えっとね、持ち主さんは決めてるの?」
「まあね。でもナイショ。神様と俺の約束みたいなものだから、他の人にばらすようなものじゃないだろ?」
「そうなの?うう……」
「たとえば、『健康で過ごせますように』とか、『こういうことが出来るようになりますように』とか、そんなんでいいんだよ」
 思わず助言を付け加えるが、なおも蘭は真剣に思い悩む。
 親指の爪を軽く噛み、眉間にしわを寄せて考え込むその表情に、なぜか懐かしさのようなものが自分の中をよぎっていった。
 一瞬の既視感めいたもの。
「あ、そうか」
 蘭を抱きかかえながら渋滞した人々の間で、葛はどうして自分が去年初詣をしなかったのか、その『本当の理由』に唐突に思い至ってしまった。

 ――――――『彼女』がいなくなったからだ。

 幼馴染の彼女が、自分との約束を果たす前にこの世界から消えてしまったから。
 電話と、そして白黒の幕に覆われたあの式場の光景が目に焼きついてしまったから。
 だから去年の自分は―――――
「持ち主さん、どうしたの?」
 沈み込む思考を止めたのは、幼い少年の声。
 まるで哀しい記憶に同調してしまったかのように、蘭が腕の中から自分を泣きそうな表情で見上げている。
「あ、ごめん。なんでもないんだ」
 慌てて意識をこちら側へ引き戻し、葛は夏の記憶を胸の奥へとしまいこむ。
「さ、あと少し」
 葛の素晴らしい身体能力は、賽銭箱までの到達時間を1時間半から25分に短縮していた。
 目的地はもう目の前である。
「願い事は決まった、蘭?」
「えと……うん、なの」
 何かを決心したのか、真剣な顔で頷く。
「じゃあ、後は」
 すとんと、蘭の身体を地面に降ろすと、葛はごそごそと自分のコートのポケットを探る。
「両手出して。落とすんじゃないよ?」
 言われるままに両手をそろえて差し出した小さな手のひらに、5円玉を握らせる。
「これをあそこの木の箱が見えるだろ?そこに放り込むんだ。上手く出来たら、次はこうやって両手を合わせてお願い事」
 段を上って辿り付いた場所。
 ぎゅっと固く目を閉じ、ありったけの想いを込めて神様にお願いごとをする蘭を見てから、葛も同じように賽銭を投げて両手を合わせた。
 少しの間の沈黙。
 自分の隣で見様見真似で拍手をする蘭の手を引くと、
「さあ、次は御神籤だ」
 後ろから来た参拝客に押し出されるようにしてその場から抜け出した。
「おみくじ?」
「そう、御神籤。まあ、簡単に言えば運試しって感じかな?1年の運をここで占うんだ」
 賽銭箱へ向かい人の群れに比べ、こちらは幾分空いている。
「じゃあ、これ引いて」
 それでも混雑しているのに変わりはないのだ。葛は蘭が押し潰されないように気を使いながら、手際よく小銭を払って、ずらりと並んだ木の箱を指差す。
「さてと、今度は気合入れて帰るよ」
「はいなの!」
 ここから先もまた、しばらくは人間渋滞である。


 軒を連ねる店を眺めながら、少しだけ表通りから外れた人の少ない道を2人は手を繋いでゆっくり歩く。
 ようやく一息つけたという感じだ。
 帰りの電車もきっと文字通りの寿司詰め状態だと思う。でも今だけは、田舎にいた頃と同じ空気を感じられる。
 蘭は物珍しそうに自分が引いた御神籤を眺めていたが、やはりうまく読めなかったらしく、葛に自分の持っているものを差し出した。
「持ち主さん、これなんて読むの?」
「おや、大吉じゃないか。この御神籤の中で一番いいものなんだ。願い事叶う、か。良かったじゃないか」
「だいきち……いいもの……え、えへへ〜」
 たちまち嬉しそうに笑みのカタチに表情を崩す。
「持ち主さんは?」
「俺は吉。まあ、努力を怠るなってことだね」
 そういうものなんだと、興味深そうに葛を銀の瞳で捉えたまま話を聞く蘭。
「枝とかにこれを結ぶ人もいるんだけどさ、まあ、あの人混みだし。いい御神籤ならお守り代わりに持っているのもありだから、大事にしなよ」
「うん!大切なお守りにするなの」
 きゅっと両手の中に握りこんで、満面の笑みを浮かべる蘭。
 つられて葛もほころばせる。
 この居候が来てから、どちらかといえば無口で通っていたはずの自分は随分喋るようになった。
 様々な出会いがあり、様々な事件があり、平凡だったはずの自分の世界は一年前とは比べ物にならないカタチに広がっている。
「あのね」
「ん?」
「あのね、僕、頑張るの。だから今年もよろしくお願いします、なの」
 何をどう頑張るのか分からないが、真剣な緑の少年に葛は静かに微笑んで見せた。
「ん。こちらこそよろしくお願いします」

 持ち主さんを守れますように。持ち主さんをちゃんと守れるくらい強くなれますように―――――

 そう神様に願った蘭の声は葛には届かない。だが、一年が終わる頃には、この強い決意は必ず伝わっているはずだ。


 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。
 そして。
 お互いに、去年よりももっとステキな一年でありますように。




END