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<東京怪談・PCゲームノベル>


明けたる年の参詣物語

「嫌ですねぇ、もう。年の初めから破門の話なんか……そういえばまぁ、一昔前にそんな事は確かにありましたけれどもね。今は枢機卿会議の方も、大分大人しく……え、違う?」
 聖堂で携帯電話なんかっ! と、この教会のシスターがいたなれば、怒鳴られていたであろう事に間違いはない。この教会の事実上の主は――教皇庁の高位聖職者にして枢機卿でもあるユリウス・アレッサンドロは、突然かかってきた電話に長椅子の上へと腰を下ろし、随分と大袈裟な身振り手振りで電話の向うへと話を続けていた。
 まぁまぁ、そんな事はありませんって、と、はたはたと右の手を振りながら、
「ちゃーんと聞いてますから。ね? ええ、聞いてますとも――色羽(いろは)さんが、お倒れになったのでしょう?」
 少しだけ、声の音調を下げて呟いた。流石にここの部分だけは、陽気に笑い飛ばせるような内容ではなかったのだ。
 ――電話の向うにいるのは、ユリウスの大親友でもある大竹 誠司(おおたけ せいじ)であった。高校の化学教師にして、住所不定の学校の化学準備室暮らし。朝はビーカーで沸かした珈琲から始まるという、清貧が旨でもある教会よりも財政難にある人物であった。
 しかしその理由を、ユリウスは良く知っている。
「……は? だからお宮参りに付き合え、ですって? でも誠司、あなた、神道教徒でもなかったでしょうに……無神論者でしょう? 確かこの前、そう言っていらしたでは――、」
 誠司には、病気に苦しむ想い人がいた。両親を事故で亡くし、肉親を失ってしまっている彼女には、頼れる親戚も兄弟も居ないのだと言う――そうしてそんな彼女の世話を、全面的に病んでいるのが誠司であるのだから。
「色羽さんの回復のお祈りをしに行こうと思っていらっしゃるのでしょう。でしたら、どうです? 私の教会でお祈りして行きませんか? 私もお手伝い致します。ああ、ご心配はいりません、誠司でしたらタダで良いですよ。アイスクリームの五つほど奢っていただければ――勿論、二百五十円のアイスで。ただし、小豆味はお断りですが」
 声音には出てはいなかったが、電話の向うの親友の気持ちが大分沈んでしまっているのは良くわかる。どんなに明るく振舞っていても、色羽の事ともなると、誠司の感受性は相当なものであった。
 電話の向うで笑ってくれた親友に、ユリウスも小さく微笑みを浮かべる。聖誕祭も終わり、一先ず落ち着きを取り戻した聖堂の聖壇の十字架を、静々と高く見上げながら、
「……良いですよ。一日の朝、ですね? 私も少し、お宮参りと言うものには興味がありましたしね」
 切り出された話を、二つ返事で了承してやった。
 ――お宮参りに付き合えと言い出した、誠司の話を。


I, Primo movimento

「一人でお留守番、できますよね?」
 大晦日も明け、一月の一日。朝から一年で初日のミサを終え、時刻はもう昼近くなっていた。
 そんな中。
 とりあえずお宮参りを共にする人も決まり、約束の時間に向けて、徐々に人も集まり始めているのだが。
 ――とにかく、暇であった。
「と申しますか、別に何もありませんから、ご心配なく。多分、ですが。ああ、ちょっと五時頃になりましたらね、田村さんのお家が差し入れを持って来て下さったりするかも知れません。あと、鈴木さんが息子さんを預けにいらっしゃるかも知れませんので、その時はお世話の方を宜しくお願いします。麗花さんもいませんが、一人で頑張って下さいね」
 麗花が着替えの為に、奥の部屋にこもってから早数十分。女性の着替えは長い――と聞いていたが、
 まさかこんなに長いだなんて……。
 思いながらも、
「オムツの取り換え方は――私も知りませんので、説明しようにもできません。解説書と睨めっこでもして下さい」
 二階から呼んで来た弟子に、暇つぶしも兼ねて留守番の説明を付け加えてゆく。口を開く度に内容が肥大化しているような気もするが、そこはあえて気にしないようにしておく事にした。
「まぁ、鈴木さん、今日は来ないと思いますけれどもね。もしそんな事になりましたら、信徒会の斉藤さんっていましたでしょう? あの方を呼んで、お世話のお手伝いをしてもらうのが一番ですね。それから、差し入れの和菓子は全て丁重に断っておいて下さい」
「相変わらずだな、お前は」
 不意にその横から、一つ呟きが聞えて来た。
 真面目にメモを走らせているユリウスの弟子を、可哀相だと言わんばかりに視界の隅に、一人の青年があからさまに足を組み替え、大きく溜息を吐いて見せる。
 ――ダージエル。
 ユリウスの親友にして、その実は異界の神。金髪に青い瞳の、見た目だけなればユリウスと同じく、好青年ではあるのだが。
「そんなに和菓子が嫌いか」
「……ああ、そういえば先ほどのアイスクリームですがね、一つ小豆味が混じっていたように思うのですが、あれは気の所為なんでしょうかね?」
 ダージエルの問いには答えずに、しかしふ、と、思い出したかのようにしてユリウスは呟いた。
 コイツは人の手土産にまで一々文句をつけるのか――と、今更ダージエルがそう考えるはずもない。実際手土産としてわざわざあの有名な高級アイスを五つも買って来たのだが、
 五つの内の一つだ。本当は、全部抹茶味にでもしてやろうかとも思ったんだがな。
 食べ物の恨みは怖いから、と、とりあえずそれはやめる事にした。
「麗花にでも食ってもらえ。麗花なら喜ぶんじゃないのか?」
「まぁ、彼女は和菓子も平気で食べますけれどもね……ふむ」
 ユリウスの話が途切れるや否や、ダージエルと共に先に教会に到着していたもう一人の人物と、なにやら水準の高い話を繰り広げている弟子を尻目に、ユリウスはほっと一つ溜息を吐いた。
 それにしても――遅い。
 他の事をして待っていれば良いのだろうが、なぜか今はそういう気分にもなれなかった。
「……ユリウスさん、随分と待ち疲れしていらっしゃるようですね」
 その姿にか、ふと弟子と会話を交わしていた車椅子の青年が、微笑みかけてくる。
 ――セレスティ・カーニンガム。
 長く伸びた真っ直ぐな銀髪に、視力を失っているという事にもかかわらず、海を思わせるほど深い青を揺蕩わせた瞳。セレスは新年早々、ユリウスに、と言うよりも、その弟子の方から話を聞き、今日はこの場所に来ていた。
「女性のお出かけの準備というものは、私達が思っているのよりも長くなりがち、みたいですよ」
 つい最近知った事実を、ちょこん、と付け加えてみる。
「けれどその分、美しく着飾って出てきますよ、麗花さんも、きっと」
 何せあの人も、そうですから。
 ふと思い当たる人物を思い出し、セレスは知らず、小さく頬を綻ばせていた。彼女がパーティドレスに着替え終えるまでの時間は待ち遠しくて仕方がないが、その分綺麗に飾られたその姿に、その待ち遠しさも一瞬にして忘れられてしまう。
「まぁ、そうなのかも知れませんけどね……ん、終った、んですかね?」
 セレスの言葉に、ユリウスがでも――と付け加えようとしたその途端の話であった。
 部屋の一角にあったドアが、音をたてて開いたのは。
「……お待たせしました」
 声音と共に顔を覗かせたのは、今まで麗花の着替えを手伝っていた田中 裕介(たなか ゆうすけ)であった。いつもと同じく白いリボンによって纏められた黒髪が、するりと肩から零れ落ちる。
 裕介は後ろを振り返ると、いかにも動き辛そうにあちこちを弄っている麗花の方を振り返った。赤を基調とした晴れ着に、緑の帯を落ち着きと共に添えて。ほんのりと化粧も施し、長い髪も結い上げ。
「ほら、麗花さん、先生が待っていますよ。それから……あまり襟の辺りは、弄らないようにして下さいね?」
 普段着慣れた修道服と着物とでは、その勝手が全く違う。袖が長い事に関しては、一応何度も忠告してはおいたのだが――
 ……それにしても、
「おおっ、麗花さん、馬子にも衣――もとい、とってもお綺麗ですよ」
「今馬子にも衣装って言いかけましたね? 猊下?」
 少しは機嫌も直ってくれたみたいで、良かったですね。
 最初裕介がここに着いた時には、麗花は不機嫌の真っ盛りにあった。元々は、ユリウスがまた麗花を怒らせるような事をやっているだけなのだが、
『――宜しければ、こちら、着てみませんか?』
 そんな麗花を軽く宥めながら、裕介はどこからともなく、今麗花の来ている晴れ着の一式を取り出した。過去に一度だけ麗花の浴衣姿を見ているのだが、それならばきっと、着物の方も――とそう考えての事であった。
 案の定。
 少々の抵抗はあったものの、麗花は着物を着る事を承諾してくれた。
「ユリウス、慎むのが日本の文化というものだ」
「ダージエルさん、そっちの方がよほど酷いと思いますよ……?」
「聞えてますけれど、全部」
 まずは足袋の履き方からはじめ、次に、ざっと下着と長襦袢まで着替えてもらう。ちなみに、下着を着る段階で裕介の視点から判断し、ウェストやバストに補正の道具も身につけてもらっていた。基本的に着物というものは、俗に言うナイスバディであればあるほど、着る時に不都合を生じやすくなるのだから。
 長襦袢は、着てもらったその後に着崩れを直し、その上からいよいよ晴れ着を羽織ってもらった。後は裕介が手際良く帯まで結び、髪と化粧までもを整えた。文句なしの出来栄えと、そのあまりの手際の良さに、麗花自身も少々驚いていたようではあったが。
 ――と、丁度その時、
 裕介の後ろから、二人の青年と一人の少女とが姿を現した。
「……あら、本日ご一緒なさる方、ですか」
 裕介の姿に、たった今ここに着いたばかりの、桜色の晴れ着をふわりと身に纏った少女が――御影 瑠璃花(みかげ るりか)が、静々と足を止めた。
 彼女は、いつものように愛らしいくまのぬいぐるみを抱きしめたそのままで、今日は和の儀礼に則り、丁寧に頭を下げる。
「始めまして、わたくし、御影 瑠璃花と申します」
 大きく先の縦巻きになっている金髪も、今日はしっかりと結い上げられていた。青い瞳に、裕介も思わず丁寧に頭を下げてしまう。
「俺は田中です。田中 裕介。――御影さんは、先生のお知り合いで?」
「……先生、ですの?」
「ユリウス先生のことですよ」
 あ、でしたら、と瑠璃花はぽん、と手を打った。とりあえず、と、部屋の中に入りながら、
「今回は、麗花様に誘われて参りましたの。最初はお宮参りと聞いたものですから、てっきり誠司様にお子様がお生まれになったのかと思ったのですけれども――初詣だと伺いまして、それで」
 微笑する。
 ――しかし、途端。
「瑠璃花ちゃんっ!」
 室内に、感動に満ちた叫び声が響き渡った。刹那和服に対する遠慮もなく、麗花が全力で瑠璃花の方へと駆け寄ってくる。
「いえあの、できれば派手な動きは控えてもらえますと……」
 嬉しいのですが。
 裕介の忠告も虚しく、麗花はその目の前で、瑠璃花をぎゅっと抱きしめていた。
「あぁもうお久しぶりですっ! お元気でした? もう、こんなに可愛くなっちゃって……! しかもお着物、とっても可愛いわぁ……」
「いいえ、麗花様こそ、お元気でいらっしゃりましたの? また苦労が多いと聞きまして……わたくし本当は、少しばかり心配でしたの」
 そのまま麗花は、ここ最近の近況から初めて様々な事を、瑠璃花に何度も何度も問うてゆく。
 その光景を遠くから見つめながら、ユリウスはこっそりと溜息を吐いていた。
「……私にも、あんな風に優しくしてくれたら良いですのにね」
「無理だろ。お前性格悪いし」
 ようやくやって来た誠司に一蹴され、ユリウスはもう一度大きく溜息を吐く。
 と、ふとその時、誠司の隣に腰掛ける青年の姿に気がついた。
 黒髪に、黒い瞳。どちらかといえば中性的な顔立ちだが、これほど背の高い女性など滅多にいるものでもない。
 しかし――、
 ……誰かに、似てますよね?
 ユリウスの視線に気がついたのか、
「そういえば、はじめまして。僕は綾和泉です。綾和泉 匡乃(あやいずみ きょうの)。――いつも汐耶(せきや)が、お世話になっています」
 青年の台詞に、ユリウスは驚いたように顔を上げた。これの意味するところ、つまりは、
「あなたが汐耶さんのお兄さん、ですか。いやぁ、話には伺っておりましたが、直接お会いするのは初めて、ですよね?」
「ええ、確かにそうですね」
 僕の方も、あなたの話は色々とお伺いしておりますが。
「先ほどそこで先生とお会いしたものですから、つい来てしまいました。暇でしたしね。そういうのも、悪くはないかな、と」
 心の中で付け加え、匡乃は小さく微笑みを浮かべて見せた。


II, Secondo movimento

 東京郊外。
 深く進んだ森の中にある、神の宿りし清らかなる聖域。入り口の小さな割には開けた光景が大きかった事に、暢気な事に和服に身を包んだユリウスは、率直に驚きの声をあげていた。
「――へぇ、こんな所があったんですね」
「悠也(ゆうや)おにーさまの、実家ですの。本当は、明け方に来られれば一番良かったのですけれど……その方が、綺麗ですもの」
 全員で、鳥居をくぐる。
 いとこの――斎(いつき) 悠也事を思い返しながら、瑠璃花はほんのりと微笑を浮かべると、
「おにーさまの巫女舞は、本当に心が洗われるほど綺麗ですの。わたくしも、毎年来ておりますのよ」
「巫女舞なのに、悠也さんがお踊りになるので?」
「……巫女舞だからといって、女ばかりが踊るわけではない」
「へぇ、」
 神道とも縁深いダージエルが、一言付け加えてやる。
 ユリウスは着物の袖から取り出したチョコレートを一口、そういうものなんですか、と感慨深気に呟いた。
「猊下! 食べ歩きはお止めになって下さい……みっともない!」
「まあまあ、麗花さん落ち着いて……相手は先生ですから、怒るだけ無駄ですし」
 後半の言葉だけは耳打ちするかのようにして、裕介が隣から軽く、麗花を言い宥める。
 ――そうやってまた、麗花さんを怒らせるような事を……。
『ユリウスさんが、お宮参りは一緒にどうですか?――ですって。麗花さんも、ご一緒みたいですけれど』
 義母からこの話を聞いた時も、まず最初に裕介の思った事がそれであった。敬虔なシスターに間接的にではあれ、異教の神の所に行きましょう、などと。
 裕介としても、本来なれば、国際十字の関係で中東に行ってしまった義母の代わりに、鎌倉の正教教会を開けてはおけなかった、のだが。
 ……相手は、先生ですし。
 そこは何とか人に押し付けて、どうにかして来てしまった。
 それに、麗花さんも来ると聞いていましたし、ね――。
「だってもう歩きつかれたんですもの。ねぇ、セレスさん? このチョコレート、美味しいですよ」
 麗花の言葉に、しかしユリウスが振り返ったのは、彼女の方にではなく車椅子の上で微笑むセレスの方に、であった。
 ――先日アイルランドに帰郷してきたらしいセレスからの、お土産に、と買って来たらしいチョコレート。
 ユリウスはそれをご丁寧に、一つ一つ包みなおすと、いつものようにポケットの中――もとい、今日は和服の袖の中に持ち歩いているらしい。
「それは、良かったです。それにしても、日本の方は大変ですね。お土産を買うのが、風習だそうで。まぁ、お土産選びも、面白かったですけれどもね」
 あの人も色々、隣で助言を下さりましたし。
 心の中で付け加え、そっと息を吐く。
 隣に、大切な人のいるあの幸せを――、
 誠司さんも、もっと楽しめるようになれば良い、ですね。
 大体の事情には、ユリウスの話の方から憶測がついていた。要するに、今回の参詣の本当の目的は、ユリウス達にとってはどうなのかはわからなかったが、誠司にとっては大切な人の回復を願う事にあるらしい。
 ま、俺はむしろ無神論者だけど、と。
 軽く笑った誠司が、それでもここにいるその理由。それは多分、
 ……祈りというものの、本質的な部分でしょうから。
 そこにはきっと、宗教を越えた想いがある。
「お土産、か。……そういえばもうすぐ、ねぇ、大竹先生? センター、ですね」
「ん、あ、確かにもうすぐセンターですね。皆きちんと勉強してるのかな」
「そうですね――とりあえず、予備校の方にでも合格祈願の御札を一枚、頂いていきましょうかね」
 成り行きでセレスの車椅子の補助を勤めていた誠司に、ふ、と隣から匡乃が問いかける。
 ――思えばそろそろ、今年度の受験も、一番のところへと差し掛かってきていた。
 そういえば、とふと思い返し、誠司はこっそりと溜息を吐いてしまう。色羽の事もあるにしろ、
 そういえばもう、そんな時期、か……。
「俺もクラスの方に、お守りでも貰っていくかな」
 後は清水(しみず)の方に――色羽の方に、お守りと。
 思い返せば移動中、瑠璃花の方も、そう言って微笑んでいた。
 是非、お守りを頂いて参りましょう? 誠司様。
「……神の御加護、か」
 何となしにこっそりと境内の方を見やり、誠司はぽつり、と呟いていた。


III, Terzo movimento-b

 それほど大きいとも、有名だとも言えない場所ではあったが、長い歴史には確固とした由緒がある。
 決して少ない、とは言えない人ごみの中を歩きながら、とりあえず、と、全員は御神籤を引きに行く事になっていた。
 清めの水で手を洗い口をすすぎ、階段を――いつの間にかスロープが増設されていた辺り、時代の流れも感じられるのだが――上れば、神殿が視界に大きくなり始める。
 そうして。
「……おにーさま……?」
 不意に門をくぐったその辺りで。
 瑠璃花は人ごみの中に、見知った影を見つけていた。
「――瑠璃花さん?」
 瑠璃花の声音に振り返ったのは、巫女服を身に纏った一人の青年であった。黒髪に、金色の瞳の印象的な。
「どうして、ここにいらっしゃるんですの?」
 足を止め、いとこが全員に挨拶し終えるのを待ってから、瑠璃花はいかにも不思議そうに問いかける。巫女舞を前にして、
 おにーさまが、こんな所にいらっしゃるだなんて……。
「……すぐ、戻りますよ。色々と足りない物がありまして、そっちまで取りに行っていたんです。その、人手もあまり多くありませんから。一番暇だった俺が、と思いまして」
「暇だっただなんて……」
 そんなわけ、ありませんのに。
 しかし言葉の後半は心の中で付け加えるに留め、それから瑠璃花は、思ったよりも早く悠也に会えた事に対して、素直に微笑んでしまっていた。
 軽く腰を折り、視線の高さを合わせてくれているいとこへと、
「わたくしたち、これから御神籤を引きましょう、ということになっておりますの。まだ本殿に参るのには、早すぎると思いまして」
「なるほど、確かにそうですね。御神籤でしたら、向こうが一番空いていると思いますよ。ほら、お守りを売っているのがあちらなものですから、こちらにはあまり人が来ないんです」
 簡単に説明を付け加えると、悠也は一同を引き連れて、向って右の方へと歩き出す。
 ――そうして、

 人々の行き交う石畳の一角にある小さな建物越しに、御神籤が巫女によって売られて――正確に言えば売られているわけでもないのだが――いた。
 言われるがままに、一同は次々と百円を納め、遊び心も半分に御神籤を引いてゆく。
 ユリウス達の方は、何やらやたらと盛り上がりを見せていたのだが、しかし、そのざわめきからは、ひっそりと分け隔てられているかのようにして、
「――末吉、ですわ」
 悠也と瑠璃花、セレス、そうしてどこからともなく呼ばれ出で来ていた瑠璃花の執事でもある榊は、のんびりと御神籤を引き眺めていた。
 少しだけがっかりですわ、と言わんばかりの瑠璃花へと、
「末広がり、ですね。末吉には、そういう意味もあると言われていますから」
 悠也が暖かく、笑顔を向ける。
 瑠璃花はその言葉に、なるほど、と一つ手を打つと、気を取り直して詳しい内容に目を通し始めた。
 一通り、神勅を目で確認し終えると、
「ところで、榊はどうでしたの?」
 ふ、と、ごく自然に隣に並んでいたサングラスの青年を見上げ、率直にそう問うた。
 ――本当は。
 用事もないのに呼び出すなどと、あまり関心のできる事では、ないのかも知れないが。
「私は……小吉、でした。しかし待ち人は、来ず、だそうで」
 何となく、こうして一緒の時を過ごすのも悪くはないだろうと、ただ単純にそう思ったのだ。一緒になって、同じ事をする。それだけで、彼との距離が少しでも縮まるのではないかと、
 ――そう、思ってしまいますの。
 瑠璃花は決して、ぎくしゃくとした、形式ばった関係を望んでいるわけではないのだから。
 冗談めいて付け加えた執事に、瑠璃花はあら……と少しだけ心配そうに表情を曇らせる。
「今年も、待ち人は来ず、ですのね……」
「ええ、もう毎年のことですから」
 それでもまぁ――悪い事では、ないでしょう。
 心の中で付け加え、榊は昔からの癖で、瑠璃花の頭を撫でようとして――ふと、その手を止めてしまう。
 そういえばもう、お嬢様もそのような歳ではありませんからね、と。
 なぜだか最近、事ある事に感じられる事実であった。
「そのような御神籤は、結んでしまいましょう? わたくしも今年は、結んでいきますわ」
「おや、御神籤の内容、あまり宜しくなかったんですか?」
 不意にセレスが、瑠璃花に向って問いかける。
 問いかけられ、瑠璃花はセレスの方を振り返ると、
「悪くはありませんでしたわ。むしろ、良い、と言っても良いものだと思いますもの」
「でしたら、とっておいてはいかがです? 何かの御加護も、あるかも知れませんよ?」
 セレスとしては、何の宗教を信仰していると言う事もないのだが、その祈りの心が時に何かしら、人に対して良い影響を及ぼす事もあるのだと、そのような事はしっかりと理解していた。
 楽しい、嬉しい、心地良い。そのような感情にも繋がる信仰は、聖職者が聞けばどう言ってくるかはわからなかったが、ある意味不信であっても構わないように感じられる。或いはそれは、日本でいうところの、クリスマスであるかのように。
 まぁ少し、大袈裟な例ではあるかも知れませんが――。
 しかし瑠璃花はセレスの方へとやわらかな笑顔で応えると、その視線を悠也の方へと向け変えていた。
 自然とセレスの意識も、悠也の方を仰ぎ見てしまう。
 悠也はその注目に気がつき、ああ、なるほど、と一つ小さく頷いてから、
「御神籤は、神札とは違いますから。取っておいても、何の効果があるわけでもありませんよ。あくまでも神勅なんです――良い結果が出たら持って帰るのは、正しいといえば正しい事なのですけれども」
「けれども個人の戒めにはなりましても、お守りにはならないんですの。ね、おにーさま?」
「ええ、その通りです」
 良く覚えていましたね、と言わんばかりに優しく微笑み、悠也は瑠璃花の背をとん、と叩く。
 その言葉に、ふとセレスも、自分の手元にあった御神籤へと視線を落とした。
「なるほど、そうなのですか」
「神道では稲作儀礼が基本なんです。お米をおにぎりにしますと『おむすび』と言いますけれど、それが『結び』に繋がったと、そう言われています。ですから、願い事がしっかりと叶いますように、という意味も含めて木に結ぶのが、普通ではあるんです。結ぶという行為は、特別なものだと信じられてきた、という事ですから」
 流れのままに、説明を加える。
「しかし、今瑠璃花さんが言った通り、御神籤の中身を教訓や戒めとする為に、持ち歩いたりしても構わないんです。ただその場合でも、神勅はあくまでも――ほら、聖書も持ち歩くだけでは、お守りにならないのと同じです」
「……そう言えば、確かに」
 多分、一応あれでもキリスト教の聖職者である以上、ユリウスの荷物の中にはきちんと聖書が収められているに違いない。しかしその聖書は、確かに言われてみるに、お守りとして持ち歩いているわけではなく、
「では私は、そちらに――結びに、肖ってみると致しましょう」
 日々の行動の元とする為の手立てを、そこに求める為に持ち歩いているに違いないのだから。
 適確な解説に、セレスは満足気に頷くと、
「結果、あまり良くなかったのですか?」
「いいえ」
 悠也の言葉に、首を横に振る。
 セレスは指先で細く御神籤を折りながら、ふとその内容を、思い返していた。
 待ち人、傍に居る。見いだすべし 。
 見出すべし、ですか――。
 ……その必要は、もうないような気もしますけれども、ね。
「折角の、結び≠ナもあるようですから」
 心の奥で、何の前触れも無くあの人ににっこりと笑いかけられ、セレスは瞬き一つ、小さく息を吐いていた。
 セレ様! と。
 胸の前で手を組む彼女の気配が、想いの中に色鮮やかに感じられる。
「むしろそうなれば良いなと、そう思ったのですよ」
 差し出される手が、あまりにも暖かすぎる。自分には勿体無さ過ぎる程の、少女の圧倒的な存在感。
 もしこれからもずっと、
 ヴィヴィ。
 キミが傍に、いてくれるとしたのなら――。
 神託の書かれた紙は、さながら白い糸であるかのように細く折られ。それを手に、セレスは静かに微笑んでいた。
 その様子にか、瑠璃花も知らず、ほんのりと頬を綻ばせ、
「……本当に、お幸せそうですのね」
 セレスの事情は知らなかったが、それだけはしっかりと、伝わって来る。
 セレスに頷かれ、それからすぐに、瑠璃花は彼の車椅子のグリップに手をかけていた。少しだけ背伸びをし、セレスに向って笑いかける。
「お結びに、なるんですわよね? わたくしも手伝いますわ」
「ええ、ありがとうございます」
 心遣いに、素直にお礼を述べる。
「でも、キミにとっては車椅子、少々重たいかも知れませんよ?」
「大丈夫ですよ――ね、瑠璃花さん?」
「ええ、おにーさま、セレスティ様、わたくしは大丈夫ですわ♪――それに、榊も、ご心配なく」
 丁寧に椅子を押し進めながら、瑠璃花が三人へと答えを返す。
 正直セレスとしては、瑠璃花に多少なりとも力仕事をさせてしまう事になる事に、少々気の引けを感じていたのだが、
「それに、すぐそこですもの。ねえおにーさま、御神籤は、高い所に結んだ方が良いんですの?」
「いいえ、あまりそこは、気にしなくても良いと思いますよ。けれど、あまり無茶はなさらないで下さいね? 瑠璃花さん」
「ええ、わかっておりますわ」
 確かに高い所にある方が、目立ちはするんですけれどね。
 一応一つだけ念を押すと、悠也はふと背後を振り返り、自分を押さえて瑠璃花に手を出さずに居た執事へと、軽く静かに頭を下げた。
 瑠璃花さんのこと、くれぐれも宜しくお願いします――。
 それから舞いも、見に来て下さいね?
 さり気なく、付け加え、
「さてと、長居してしまいました。そろそろ俺は、行きます。向うで、お待ちしておりますから。瑠璃花さん、皆さんにもそう、伝えておいて下さいね」
 悠也は静かに、巫女服を翻して言い微笑んだ。


IV, Quarto movimento

 木々の香りが、より強く感じられていた。表向き、本殿のようでもある神殿よりも、よりその奥に。
 ――真の、聖域本殿がある。
 瑠璃花によって案内され、一同は小さくも広い舞台のある部屋へと通されていた。
「去年のように、日々平穏無事であればそれで良いですし。ついでにまぁ、生徒達が合格できますにとでも、祈っておきましたけれど」
 あくまでもついでに――ですね。
 心の中で付け加え、匡乃は用意されていた座布団の上へと腰掛ける。それにしても、と、それから周囲をざっと見回し、
「……随分と、本格的ですね」
 平安の時を思わせるような雰囲気に、誠司の肩を叩く。
 それから、暫く。
 そろりそろりと静かに姿を現したのは、古の時代の正装をしっくりと身に似合わせた、和楽器を手にした楽士達であった。
 殆どが悠也の知り合いのみの空間の中、楽士達の登場に、雑談の声音がゆっくりと静まり返ってゆく。
 その一角で、セレスが静かに体制を整えた。
「――大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
 流石に本殿には車椅子で入って来られなかった為、杖を手元に、セレスは座布団の上に足を伸ばして座っていた。ひざ掛けを広げ、問いかけてきた裕介へと静かに頷きを向ける。
 ――それにしても、
「楽しみです」
 そのついでに、呟きかける。西洋の純音楽とは日々触れ合ってはいるものの、このような機会にはそうそうめぐり合えるものでもない。
 雅楽は、聴いた事はありますけれども。
 さほど多く、見た事があるわけでもありませんからね。
「あ、ほら、麗花さん、あまり無理して正座しなくても大丈夫ですから」
 ふとセレスの方を見ていた裕介の視線が、隣から聞えて来た布ずれの音に麗花の方を振り返る。
 いかにも窮屈そうにしていた麗花に軽く微笑むと、
「さり気なく足を崩しても……この場所でしたら、誰も何も言いませんよ」
 それこそさり気なく、付け加えていた。
 普段着慣れないものを着て、ただでさえ疲れているであろうに。
 少しでも楽にしていていただかないと、この後に支えてしまっても、困りますからね。
「そうですわ、麗花様。着物の方も、あまり着られないでしょうし、楽になさって下さいね?」
 裕介の言葉を受けてか、瑠璃花の方も麗花の隣から言葉を続けた。
 尤も。
 ……でも麗花様も、
 おにーさまの舞を見ている内に、きっとそのような事は、気にならなくなってしまうと思いますけれど――、
 ――と。
 不意に。
 大太鼓、締め太鼓、鼓、笛――と、巫女囃子が奏で始められる。
 全員の視線が舞台の方へと向けられた頃。
 そうして悠也が、舞台の上に姿を現した。
「……ほお」
 その姿に、思わずユリウスも関心の声を上げてしまう。
 髪はウィッグで、腰よりも長く。先ほどの巫女服の上には、淡い色のひらりと宙に舞う衣を羽織り。
 その舞と踊りを共にするかのようにして、かがり火が、するりと静かに揺れていた。
 笛の音に、悠也の手にする鈴の音が、そよ風の如くに彩を加えてゆく。
「綺麗、だな」
 ユリウスの言葉を代弁するかのように、ごくごく小声でダージエルがそっと呟く。
「ええ……とても。音楽も、良いですし。こういう所も、日本の文化の面白い所と申しますか……」
 いえまぁ、世界中、それぞれ面白いんですけれどもね。
 しかしアジアの方の文化は、西洋のそれとは色濃く違いを見せている。だからこそどちらがどうだと言う事はできないのだが、
「雅楽って、間合いが長いんですよね。こう、一音一音を重んじると言いますか。西洋の音楽とは、全く違いますでしょう?」
 きっと各々素晴らしいんですよ。
 それで良いのだと、ふとそんな事を思う。
「……ユリウスに音楽がわかるのか」
「失礼な。音楽は、好きですよ?」
「可哀相な弟子が嘆いてたぞ。師匠に楽譜を捨てられました、って」
「捨てた事はありませんよ。全部、未遂です」
「――未遂なのか。要するにやってるんだな」
 話の果てに、流石のダージエルも呆れてしまう。
「……だって楽譜って、わかんないんですもの」
「わかんなかったら捨てるのか、お前は」
「その……ラクガキの終ったノートみたいに見えません? だからもういらないものなのかなぁ、と、そう思ってしまいまして」
「それで音楽が好きだなんて……さすが最強のオンチめ」
 全く、どうしようもない枢機卿だ。
 確かに好き、という事と、得意、という事が一緒になるとは到底思われないが、
 ……それにしても、
 それにも、限度があるような気がしてならない。
「でも、良いではありませんか。ほら、神道の信者でなくても、こういう事に対して素直に綺麗だ、なんて思えるのは、きっと間違った事ではないでしょうし」
「まあな」
 再び舞台の方へと視線を戻したユリウスの言葉に、ダージエルがあからさまに溜息をつく。
 ――変わったヤツだと、
 改めて、認識させられてしまって。
 ……ま、そうでなければ、こうやって付き合ってもいられないんだろうがな。
 内心そっと付け加え、ダージエルは再び舞台の方へと意識を戻す。
 その先では、
 りん――凛と響き渡る鈴の音色に、天から舞い降りる羽根の如くにたおやかな天女の舞が、この世界を束の間の幻想の中へと導いていた。


V, Quinto movimento

 気がつけば誠司は、導かれるままに建物の奥の方まで来てしまっていた。
 ――悠也の舞が終った、あの後。
 どこからともなく現れた子どもと遊んでいたその内に、こっちこっち〜♪ と呼ばれるままに走り来て。
 そうしてその先で、
 誠司は一人、天の女性と見紛うほどの人影を、こちらへと背を向けている悠也の姿を、再び見つけていた。
 りん、と。
 その姿に、鈴の音が、全ての邪気を振り払う――そんな気配が、周囲に漂う。
 実際そこには、鈴の音一つ無いはずであると言うのに。
「……あの……、」
 悠也がそこにいるだけで、世界はほの明るく照らし出されているかのようであった。まるで彼自身が、夜の空に君臨する、淡い月の女王であるかのように――。
 思わず話しかけた誠司の方に、やおらするりと、布ずれの音が小さく届けられる。
 無言のままに、悠也は振り返り。
 手にしていた扇を、ふわりと軽く、手元に舞わせた。
 誠司の足元で、子ども達二人が思い思いに小さく歓声をあげる。
 先ほどの華やかな巫女舞とは異なり、静寂の中、ほのやかに甘く囁きかけるかのような舞に、控えめに映る影も共になって揺れ踊る。
 そうして、しばらく。
 呆然とそれに見入っていた誠司の前で、ぴたり、と扇の舞が――止まった。
 その先には、小さなお守りが、一つ。
「誠ちゃんに、ぷれぜんと〜♪」
「あげる〜♪」
 響き渡る、巫女服姿の悠(ゆう)と也(なり)との場違いに明るいその声音。空間に漂う優美さをかき消すかのように、しかし、それでもどこか自然と入り混じるかのように、きょとん、とした二人は誠司の上着の裾を引っ張った。
 しかし、それでも。
「……いらない?」
「ない〜……?」
 じっと見つめられたまま、誠司は一先ず動けずにいた。その内ようやく、視線を下へと落とし、
「――斎さん、」
 どうすれば良いのかもわからずに、名前を、呼んだ。
 しかし悠也は、何も語らない。
 ただただ微笑を、誠司へと向け見つめる。
 ――沈黙が周囲に、暖かな帳を下ろした。
 その帳の中で、やおら。
 誠司はそっと手を上げる。
 扇の先へと指を伸ばし、お守りの小袋を手に取った――健康御守の刺繍のなされた、小袋を。
 その瞬間、ふと思う。
 或いは、悠也は、
 斎さんは、全てを、知っていて……?
「「わぁいっ♪」」
 考える誠司の足元では、二人の童が手を取り合って喜び合っていた。
 純粋無垢な感情に、誠司がもう一度、悠也の方へと視線を投げかける。
「……その……ありがとう、ございます」
 静かに扇を下ろした悠也は、誠司に向って変わらぬ微笑を返すのみであった。
 ――確かに、
 悠也の方も色々あって、誠司の事情はちらりとではあったが聞いていたのだ。
 簡単にでしかないが、想い人についての話もざっと知っている。そこに様々な事情が存在している事も、少しではあるがわかっている。
 ……いるからこそ、
 その相手には、少しでも元気になってもらえればな、と、
 そう、思ってしまいましたから。
 ふと悠也の脳裏に、自分の同居人の――あの人≠フ表情が、するりと過ぎり過ぎてゆく。
 自由気ままな猫を連想させるような、整った顔立ちと。燃えるような、赤毛のウェーブが良く映えて。
 悠也にとっては、誠司にとっての色羽という存在の正確な定義は、良くわからない。しかしいずれにしても、近しい人に元気で居て欲しいという気持ちは、悠也にとっても変わらないものであった。
 悠也は扇を静かに閉ざすと、微笑みの緒を引き、くるりと背後を振り返る。
 その刹那、
「それじゃあ、もどろ?」
「もどろー!」
 その後姿に動けずにいた誠司の手を、今度は容赦無く、悠と也とがぐいと掴んでくる。そのまま力一杯に、引っ張られ、
「……ってあ、ちょっと……、」
「まだまだ案内してあげるー!」
「あげるねー!」
 数歩たたらを踏みながらも、誠司はしかし、すぐに子ども達の導きに大人しくその手を任せていた。
 ――視線だけには最後まで、
 静けさと、淡い光の聖域へと溶け込んで行ってしまった、悠也の方を見つめさせながら。
 

VI, Settimo movimento

 夕方にかけて、俄かに境内は込み出していた。いくら小さな神社とは雖も、やはり伝統とその歴史はものを言う。
 溢れかえる人ごみの中、はぐれてはいけないからと、さり気なく裕介が麗花の手を取った事は、ユリウスに対しては決して言わない話。
 ――とはいえ、裕介が麗花に対して懸念していた事がユリウスと誠司とにおこり、一同は散々な目に遭ったのだが。
 そうして。
 ユリウスと誠司とか発見されてから暫く、怒りに怒る麗花をどうにか裕介が宥めすかしたその後、一同は成り行き任せに病院までやって来ていた。
 病室に入り、全員が色羽と挨拶を交わし。そうして暫く話をするその内に、話は、色羽と誠司との出会いの所まで引っ張り込まれていた。
「大竹先生はね、よーするに、生徒に手を出したんですよ」
「ユ――!」
 語り手でもあるユリウスは、どこからともなく引っ張り出してきた椅子に腰掛けながら、
「だって事実じゃないですか、ねぇ、誠司?」
 思わず声をあげそうになった誠司を、微笑と共にそっと制してやる。ユリウスはそのまま、まるで自分の大切な思い出でも語るかのような口調で、
「今からもう五年近く前になりますか。まだあなたが、教育実習生だった頃ですね」
「う、うるさいっ! だから俺は無実だって!」
「色羽さんは当事は美術部の部長さんだったようで。始まりは何ですか、誠司が丁度教育実習に入った時にね、学校祭がありまして、」
「それ以上言うなっ! 言ったらどうなるか――っ?!」
 しかし、一人騒ぎ立てていた誠司の声音が、突然ふっつりと途切れてしまう。
 ――面白半分なのかどういうつもりなのか、誠司の口をしっかりと塞いだそのままで、
「どうぞユリウスさん、話を続けて下さい」
 付け加えたのは、匡乃であった。
 ユリウスは誠司のその姿に、満足気に一つ頷くと、
「そこで美術部の展覧会があったんですよ。ふ、とね。そこで誠司は見てしまったわけですよ。色羽さんの、絵画をね」
 ね、後はもうどうなるかは、ご想像がつきますでしょう?
 言わんばかりに、ユリウスは視線をキャンバスの方へと向けた。
 描きかけの、淡い光の夜の世界。鉛筆でさらりと描かれた画線の上に、炎の灯火。
「綺麗な、絵ですのね」
 不意に言葉を紡いだ瑠璃花の一言に、色羽がぴくりと、顔を上げる。
「悪魔と、踊って――ワルプルギスの、夜ではありませんか? ほら、ここにいるのは、魔女さんではありませんでして?」
「ワルプルギスだなんて、そんな大層なものじゃ……」
 焚き火を囲み、踊りを踊り――陽気な、とは言え時代によってはおどろおどろしくもあるのだが、そんな魔女達の集会でもあるワルプルギスの夜は、今までに多くの芸術家達から主題とされて来ている。
「でも、とっても素適ですわ。完成したら、見せていただけませんこと?」
「別にそれは、構いませんが……」
「よしどれ清水、次に退院するまでにそれが描き終わってたら、一緒に御影さんの所にでも行くとするか」
「随分と、お優しいのですね。先生は」
 横から匡乃にちゃちゃを入れられ、誠司が一瞬押し黙る。
 その一瞬の隙をつき、
「まぁ、そういうわけで、見入ってしまったんだそうですよ。誠司はね、色羽さんの絵に思わずぼーぜんとつっ立ってしまったようなんですね。その姿を偶々、色羽さんご本人が見かけてしまった、と」
 学校祭。美術部の、展覧会。廊下の雑踏とは隔離された、小さな静かな空間で、
 ――教育実習生の、先生、でしたっけ?
 ぽつり、と、一人きり立ち尽くす誠司へと静々と問うてきた、制服姿の小柄な少女。
「煩いな。お前と違って、俺は芸術的感性が強いんだよ」
 その絵、そんなに……見ていて面白い、ですか?
 作者の正体は明かさずに、あの時色羽はそう問うてきた。
「清水、あの時の絵の主題は……そうだな、確か……野薔薇、だったか?」
 『私は刺します。いつも私を、忘れぬようにと。 滅多に折られぬ、私です。』
「野薔薇、ですの?」
「ああ、ゲーテの詩を元にした、んだったかな……。
 『童は見つけた、小薔薇の咲くを。
  野に咲く小薔薇。
  若く目覚める美しさ、――』
 ――って詩。結局薔薇は子どもに折られちゃうんだけど、な。原文では」
『『泣き声、溜息、甲斐も無く、
 折られてしまった――是非も無く』
 でも先生、それじゃああまりにも、寂しすぎるから、』
 それから間もなく、軽い足取りと共に、色羽が誠司の隣へと並んだ。小さな童が野の小薔薇へと手を差し伸べている夕暮れ色の世界を、真っ直ぐな視線で見上げながら、
『その泣き声に、溜息に、子どもは折るのを、やめてしまうの』
 悪戯っぽく、微笑んで――。
 思い出の合間に、誠司は瑠璃花へと短く解説を付け加えた。まぁ、美しい詩ですのね――とばかりの微笑みへ、
「実際詩も美しいけどなぁ。でも、清水の絵は、本当に綺麗だった」
 きっと御影さんも、気に入ってくれただろうに。
「ま、ユリウスには、わかんないだろうけどな」
 打って変わって呆れるように言い放ってから、誠司はユリウスの隙をつき、力任せに椅子から突き落としてやると、
「ああ清水、そう言えばお土産を持ってきたんだ」
 何とか転ばずに体制を整えたユリウスの代わりに、勢い良く椅子の上に腰掛ける。
 コートのポケットの中を弄り、白い袋を取り出した――あの時悠也から貰った、お守りを。
 きょとん、とこちらを見やる色羽へと、昔の癖で投げてよこしそうになり、慌てて立ち上がる。
 いくらなんでも、お守りを投げちゃあまずいよなぁ。
 まして、人から貰ったものであればなおの事。
「巫女、って言うのか? えーと……とにかく、男の人なんだけど、神社の人がくれたんだ。巫女舞を、見てきたんだがな――え……と、」
 一瞬だけ、言葉を詰まらせる。
 しかし、
「清水も一緒に、今度見に行こうな?」
「――はい……」
 言葉と共に、色羽へと差し出した。
 ――不思議となぜか、そこには何らかの御加護≠ェあっても、おかしくはないような気がしてならなかった。
 何かに促されるかのようにして、言葉を続ける。
「だからどの道、早く元気になるんだ。そうしたら色々、連れてってやるから――と言っても……遊園地は金がかかるから無理かもしれない、けど」
 思い出されるのは、甘い風に舞い踊る、美しき、巫女舞の舞手。周囲には、淡い光を従えて。
 だから。
 だからきっと、大丈夫だ。
「そのお守りには、何せ天女様の御加護があるんだからな」
 その微笑を思い返しながら、誠司は優しく、色羽の頭の上に手を置いていた。


Finis



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            I caratteri. 〜登場人物
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<PC>

★ 田中 裕介 〈Yusuke Tanaka〉
整理番号:1098 性別:男 年齢:18歳 職業:高校生兼何でも屋

★ セレスティ・カーニンガム
整理番号:1883 性別:男 年齢:725歳
職業:財閥総帥・占い師・水霊使い

★ 綾和泉 匡乃 〈Kyohno Ayaizumi〉
整理番号:1537 性別:男 年齢:27歳 職業:予備校講師

★ ダージエル
整理番号:1416 性別:男 年齢:999歳
職業:正当神格保持者/天空剣宗家/大魔技

★ 斎 悠也 〈Yuuya Itsuki〉
整理番号:0164 性別:男 年齢:21歳
職業:大学生・バイトでホスト

★ 御影 瑠璃花 〈Rurika Mikage〉
整理番号:1316 性別:女 年齢:11歳 職業:お嬢様・モデル


<NPC>

☆ ユリウス・アレッサンドロ
性別:男 年齢:27歳 職業:枢機卿兼教皇庁公認エクソシスト

☆ 星月 麗花 〈Reika Hoshizuku〉
性別:女 年齢:19歳 
職業:見習いシスター兼死霊使い(ネクロマンサー)

☆ 大竹 誠司 〈Seiji Ohtake〉
性別:男 年齢:26歳 職業:高校化学教師



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          Dalla scrivente. 〜ライター通信
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 今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。
 この度は依頼へのご参加、本当にありがとうございました。まずはこの場を借りまして、深くお礼を申し上げます。また同時に、一日ばかり遅刻をさせていただく結果となってしまいまして、大変申しわけございませんでした。
 まず初めに、今回のお話の流れはこのようになっております。
Primo→Secondo→Terzo(a,b)→Quarto→Quinto→Sesto→Settimo→Ottavo
 プレリュード(序章)を合わせると、合計9の小話から成立している事となります。宜しければ、他の部分にも目を通してやって下さいまし。
 実は海月は、それこそ小さい頃からずっと神社に初詣に行っていたのですが、今年は行きませんでした。と言いますのも、寝過ごして、置いていかれてしまったのでございます……。林檎飴、食べたかったのですけれども――などと思いつつ。
 ともあれ。
 色羽は当初出てくる予定が無かったのですが、プレイングの方から、ちらりとではありますが出させていただく事となりました。皆様そちらの方にまでお気遣い下さりまして、実はあたくし、背後でこっそりと喜んでいたりします。今後色羽もちらちらと出てくる事となると思いますが、少しでも遊んでやって下さりますと幸いでございます。
 なお、今回は申し訳ございませんが、都合により個別のコメントの方を割愛させていただきます。ご了承くださいませ。

 何かありましたら、ご遠慮なくテラコン等よりご連絡をお願い申し上げます。
 最近微妙に連続遅刻犯となりつつありますが、次回からこそはそうならないように勤めて参りたいと思います。ご迷惑をおかけ致しましたこと、本当に深くお詫び申し上げます。
 では、乱文となってしまいましたがこの辺で失礼致します。又どこかでお会いできます事を祈りつつ……。
 Grazie per la vostra lettura !


28 gennaio 2004
Lina Umizuki