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東京怪談・草間興信所「赤い靴」
■オープニング
完全に密室なんだ。
馴染みの刑事は途方に暮れたような声でそう言った。
部屋は極普通のワンルームマンション。現在は開き室で住人はいない。発見者は不動産屋。客を連れてきた所で、その事態に遭遇したらしい。
部屋は5階、窓はベランダへと通じるものが一つ、ユニットバスに通風孔らしきものはあるが通行口としては論外。赤ん坊でも通れない。勿論ドアにも窓にも鍵はかかっていた。
「不動産屋が怪しいって話なら却下だぞ」
草間は苦虫でも噛み潰したように言う。集められた一同もそれは分かっていた。
何故なら――
「これで三件目だからな。開き室なのは同じでも、持ち主も管理していた不動産屋も全く別だ」
事件は連続している。同一犯だという証拠はない。しかし確証はある。
「また、足だ」
きちんとした管理者が存在するマンションやアパート。そのしっかりと施錠された部屋の中央にそれは転がっている。
赤い靴を履いた、足。身体から切り離された、ただそれだけがもののように二つ、部屋には転がっているのだ。鑑定により、それは死語切り落とされたものである事、そして三件とも別人のものであること、被害者は若い女であることがわかっている。
さて、と、草間は一同に切り出した。
「俺の知己で刑事やってる奴が泣きついてきたんだがな。それとは別に俺のところにこんなものが届いた」
草間がデスクに投げ出したのは古ぼけた絵本だった。
タイトルは――赤い靴。
「どうも喧嘩を売られてる気がするんでな」
低く、草間は笑い、絵本の表紙を捲る。そこにカナクギ流のカタカナでメッセージが認められている。
ソレハホントウニツグナイデスカ?
■本編
足は止まらない。止まってはくれない。
赤い靴を履いた足は。
――赤い靴を、履かせられた、足は。
「この童話、はたして結果的に足を切り落とす程の罪だったのか幼い頃思ったものだけど、この伝言の真意と何を指しての事かは現状ではさっぱりよね……」
草間に示された古い絵本を手にとって、シュライン・エマ(しゅらいん・えま)は柳眉を寄せた。
古ぼけたそれは背表紙の下部分が手垢に黒ずんでいる。厚紙に描かれた絵は色がくすみ、その絵自体も当世風から考えれば古ぼけた印象を受ける。最近の作ではないだろう。
シュラインの言葉を受けて頷いたのはウィン・ルクセンブルク(うぃん・るくせんぶるく)。
「……子供心に酷い話だわと思ったわ」
嫌悪と憂いを湛えた瞳に頷きを返したシュラインは草間に向直った。
「で、現状は?」
「さっぱりだ」
草間が肩を竦める。
「話した通り、証拠はないに等しい。遺体の一部が見つかってるって言うのにな。不動産の持ち主も、それを預かってる不動産屋もそれぞれ違う。発見された場所は比較的近いがな」
デスクに広げられた地図に打たれた赤い点。確かに比較的密集しているとはいえるだろう。紙の上では。
「最短ルートで移動して軽く一時間はかかるような距離を密集しているといえるならの話だがな」
「車でも持ってりゃ話は別なんじゃないの?」
冴木・紫(さえき・ゆかり)がけろっと言う。能天気といってもいい声に、ウィンが顔を顰めた。その唇が何か言うより早く、紫はひらひらと手を振る。
「気色悪いのは確かだけど、被害者に同情するなら先に動いたほうがいーでしょ」
これ以上死体増やされちゃたまんないわよ。
言葉と態度はお世辞にも立派とはいえないが、その発言が真理であることは確かだ。ウィンはとりあえず苦笑して引き下がった。それがこの女のパーソナリティなのだと思ったからだ。
――実はタダの酷いやつなのかもしれないが。
そのやりとりを草間の隣で眺めていたシュラインは、同じく傍観していた草間に視線を移す。草間は心得ているとばかりに頷いた。
「被害者はいずれも生きてない。現場の足からは生活反応が出なかったらしいからな。つまり――」
一旦言葉を切った草間は苦々しげに嘆息した。
「わざわざ殺してからこっちに殺人を犯しましたと教えてくれているようなもんだ」
「そしてこの絵本、なのね?」
シュラインに草間は頷く。
「――メッセージ、としか思えないな」
女達は顔を見合わせ、そして同時に頷いた。
足は止まらない。止まってはくれない。
赤い靴を履いた足は。
――赤い靴を、履かせられた、足は。
踊り続けるのは靴。その靴を履かせたのは手。そして彼女自身。
「ま、俺は記事にさえできりゃいーんだが」
あっけらかんと言い切った男と、眉を顰める清楚な少女の取り合わせは実に奇異なものに映ったろう。
そう思いつつ、シュラインは既知のその男に話し掛けた。
「それで? それなりに勝算はあるの」
「なきゃ来るかい」
「多分……はっきりとはいえませんけど」
佐久間・啓(さくま・けい)は自信満々に胸を張り、大矢野・さやか(おおやの・さやか)は困ったように小首を傾げる。
無頼漢と姫君の取り合わせに、ウィンと紫もまた顔を見合わせた。
残された足の履いていた靴は大量生産のメーカー品。となれば紫提案の『私以外の誰か』が囮になる作戦は却下。本の出所も手がかりになるようなものはなく、八方塞になりかけた。
そこへ興信所にかかってきた一本の電話と、ウィンのサイコメトリーが、ほんの一条の光を事態に差したのだ。
ウィンが察知したのはその絵本のそのものではなくメッセージから。どろどろとした感情が流れ込んでくるその一文から、ウィンはそれが女のものであると判断を下した。
はきとは読み取れない、言い訳がましい感情の波の中に。
そして電話を寄越した無頼漢は電話口で怒鳴ったのだ。いいからとっとと人手を寄越せと。
示された場所は――大学の女子寮。
「まあそう難しい事でもないんですよ」
セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)は、謎めいた笑顔でウィンに笑いかける。
「生活反応のない足。つまりは血の流れない足。小さなものではありませんがスカートなどの中に隠す事は十分に可能です」
糸か何かで釣っておけばそれでいい。
そう言うセレスティにウィンは頷く。
男では隠せない。だが女であれば。
「しっかし、警察もまー案外間抜けよね」
紫はほとほと呆れたとばかりに溜息を吐いた。
不動産の持ち主は別。不動産会社もまた別。どのケースでも足は客を案内してきたときに発見されている。
共通項はない、だが、事件は連続している。そう、判断していたし、紫達もまたそこに入り込みかけた。
草間のところへ泣きついてきたという辺りが、事態を怪異と考えるまでの袋小路に入り込んだことを示している。
だが、
「セレスティさんたちと警察でお話を聞いていて、思ったんです」
佐久間さんとは言わない辺りが、この少女をしてどちらに信を置かせているかを如実に示している。それを敏感に察知した女三人は苦笑して啓を見やった。啓はまるで答える風もなくぼりぼりと頭を掻いていたが。
「この嬢ちゃんがぼそっと言ってくれたわけだ。――客は? ってな」
「客?」
シュラインが眉を顰める。
「ええ、つまり不動産業者が案内してみたお客のことです」
――共通項はそこにこそ、あった。
足は止まらない。止まってはくれない。
赤い靴を履いた足は。
――赤い靴を、履かせられた、足は。
踊り続けるのは靴。その靴を履かせたのは手。そして彼女自身。
ただ都合の悪い気管を、切り捨てただけそれは。
切り捨てられた足に、何の罪科があったというのか。
切り捨てられた足は私達。
少女は木作りの新しい足を手に入れて、そして許されもした。
踊りながら去った足は。切り捨てられてしまった足は。
だったらどうなったの?
ソレハホントウニツグナイデスカ?
土足で上がりこんできた集団に幾らかの少女達が悲鳴をあげる。
大学などの女子寮は学校が運営している事もあるが、マンションなどを近隣の女学生専用として女子寮とするものも多い。
数多の女子大生達の居住区。それはそう言う建物だった。
「確かに実家の住所でも名のっときゃ、部屋を探してるってのも不自然にはならねえよ」
啓の声に、セレスティが頷く。
「実際は別の場所にいたとしても、ですね」
「……なるほどね」
と、シュラインが同意した。
「三人のお客さんはみんな別の女性でしたし、住所もまちまちです。提示された身分証明書は学生証だったんです。学校は勿論みんな違いましたけど、でも――」
「共通の女子寮が、ここだというのね?」
ウィンに言われ、さやかは深く頷きを返す。
会話の合間にも、一同の足は止まらない。先導するのはウィンだ。
肌を刺す、この感覚。それはあの絵本のメッセージに触れたときと同じ、言い訳がましい、恨みがましい、寒気のするような冷たくおぞましい情念。
「――女、ねぇ」
紫が呟くと同時に、ウィンが足を止める。一つの部屋の前で。
「……開けるわよ?」
シュラインがドアノブに手をかける。
――それが開かれた時、さやかは絹地を引き裂くような悲鳴をあげた。
ダッテユルセナイ。
「……頭の痛くなるような話だな」
草間は本当に額を押えて言う。それにコーヒーを出してやりながら頷いた。
犯人は三人の女子大生。
被害者は、やはり三人のみだったが、放置していればどうなったかはわからない。
『私達は切り捨てられたんだから。だったらその原因になった靴を罰する権利があるでしょう?』
『こいつらのせいで私たち捨てられたんだもの』
『ねえ、だからねえ?』
「悪くないって、言って、か」
恋敵を殺害した彼女達はそう言って笑いかけた。
最近買われたものらしい冷蔵庫の中で冷たくなっている女達を示しながら。青白く偏食した変わり果てた姿の女達の遺体には何れも足がなかった。滲むだけの血がどろりと冷蔵庫の真新しい壁を汚していた。
「……怖かったんでしょうね」
シュラインは肩を竦める。どうだかなと草間は言って、コーヒーを啜る。
「正気じゃないにしちゃ計画は周到だ。やつらは多分――」
誰かに悪くないと認めさせたかった。
こんな理由があるんだから、だから殺しても当然なのだと思い込むだけに留まらず、それを認めさせようとした。
「……全く、女って奴は」
「武彦さん?」
シュラインはデスクに浅く腰掛け、コーヒーを啜る草間を盗み見た。
「私も女なんだけど?」
「………………」
沈黙した草間は、コーヒーを飲み干してから、『これは失敬』と謝した。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1021 / 冴木・紫 / 女 / 21 / フリーライター】
【1643 / 佐久間・啓 / 男 / 32 / スポーツ新聞記者】
【0846 / 大矢野・さやか / 女 / 17 / 高校生】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1588 / ウィン・ルクセンブルク / 女 / 25 / 万年大学生】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、里子です。再度の参加ありがとうございます。
やな話です。でもまあ居直れない犯罪者というのはいるんじゃないかなと。
人間らしいとは言えるのではないかと思いますが。でもまあいやな話ですすいません。
今回はありがとうございました、また機会がありましたら宜しくお願いいたします。
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