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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


狭間にて

 何がどうと言う事もない。それは、偶然という言葉で片付けられる出来事であった。
 夜の街‥‥ネオンに照らされた通りを一歩外れれば、まるで別世界のように暗い静けさに満ちた面を見せる。
 虚飾の光と、その傍らに潜む影。九重・蒼は、その狭間とも言えるような道を歩いていた。
 と‥‥背後に近づく足音。敵意を感じる事もないので無視して歩く。だが、足音は蒼との距離を確実に詰め、そして声がかけられた。
「よう」
 聞き覚えのある声‥‥蒼はすぐさま振り返った。その表情には、驚きと、そして僅かに嫌悪が混じり込む。
「‥‥真行寺」
 押し殺したような声でその名を呼んだ。
 蒼の険しい視線が向けられる先、男は口端に苦笑をのせて、まるで子供扱いするかのような口振りで言う。
「偶然だな、どうだ、一杯。酒の飲める歳にはなったんだろう?」
 それは真行寺・恭介‥‥蒼の過去にすれ違った男。そして、忘れることの出来ない記憶を刻んでいった男‥‥
 蒼の脳裏を過去の記憶が走り抜けた。
 それは、蒼が高校一年生の頃。蒼は、ある大企業の下でアルバイトをしていた。
 アルバイトと言っても高校生だ。それほど、高度な事をしていたわけじゃない。
 港にあった倉庫の管理が仕事で、内容は言われたとおりに荷物を右左と運ぶだけ‥‥きつい仕事ではあったが、給料は他の仕事よりも格段に良かったため、蒼に文句はなかった。養父母に金銭面で頼りたくないと考えている蒼にとって、給料の高さは魅力ではあったから。
 そして真行寺は、その仕事の現場に、ちょくちょく姿を見せていた。
「‥‥ああ、俺がやりますよ」
 倉庫の奥‥‥そこで棚の上に乗った箱を一つ取り出そうと脚立に乗っていた真行寺を見つけ、声をかけた。それが出会い。
「‥‥‥‥」
 真行寺は最初、蒼の顔をじっと見ていた。その時は何のことかはわからなかったのだが‥‥今になって思えば、その時から目を付けられていたのだろうと思う。
 だが、その時は真行寺の反応に疑問を憶えることはなかった。
 僅かな時間をおき、真行寺は脚立から下りて短く言う。
「では、頼むよ」
「はい。じゃあ、少し待ってください」
 真行寺の代わりに脚立に乗り、箱に手を伸ばす蒼。そんな彼に、真行寺は声をかけた。
「君の名前は何て言うんだ?」
「え‥‥九重・蒼です」
 箱を取りながら、その問いに答える蒼。そして、箱を手に下におりた蒼が箱を真行寺に差し出す前に、真行寺は先に立って歩き出す。
「こっちだ。持ってきてくれ」
 蒼は素直にその指示に従った。
 その後、真行寺と蒼は歩きながら色々と話をした。蒼が自分の事を喋っている時間の方が多かったのは、巧妙に聞き出されたからだろう。その時はそんな事にすら気付かなかったが‥‥
 ともかく蒼は、真行寺の名をそこで知り、彼が大学3年で、アルバイトとしてではあるが、求められてこの企業で働いている事を知った。
 蒼は、その時、真行寺の事を素直に尊敬した自分を憶えている。今となってはそれは、若さ故の愚かさだと切り捨てるより他無い。人の真実を見抜く力に欠けた自分の‥‥愚かさ。
 ともかく、その日から、蒼と真行寺は友好を深めていった。蒼は真行寺を尊敬し、真行寺は蒼を弟のように可愛がって‥‥
 少なくとも当時はそう思っていたのだ。考えれば考えるほど、当時の自分は愚かだった。その愚かさを思い知るのは、それから一年あまりが過ぎた頃になる‥‥
 あの日は、真行寺に残業を強く頼みこまれ、蒼は遅くまで倉庫に残っていた‥‥
 あの日の銃声。焼け付くような痛み。今でも思い出せる。
 倉庫の中に忍び込んでいた男達。真行寺に頼まれ、倉庫の一角に荷物を探しに行った蒼は、そこで彼らと鉢合わせした。
 直後、彼らは目撃者である蒼を撃つ‥‥余程見られたくはないことだったのだろう。それを知る術は今は失われたが、きっとろくでもない事に違いない。
 何にせよ、蒼は逃げた。後ろも振り返らずに。
 銃弾が腕を削った痕から、止まることなく赤い物が流れて出していく。
 その時は、真行寺の元に彼らを行かせてはならないと、ただそれだけを考えていた。蒼は、倉庫の奥へ奥へと‥‥逃げ場のない場所へと逃げていく。
 そして‥‥倉庫の奥。コンクリートの壁と荷物を内に詰め込んだ棚が、蒼の退路を断った。
 とれる手は、別の道を探しに引き返す事のみ‥‥だが、振り返った蒼が見たのは、既にそこに居並んで銃を構えている男達の姿。
 その時、男達は何かを言ったと思う。
 しかし、その時の蒼には、その言葉を聞き取るだけの余裕など無かった。
 ただ、男達が笑っていたのだけは憶えている。酷く不快な笑顔‥‥楽しんで人を殺せる者の笑顔。その笑顔の後の記憶は薄れている上に途切れ途切れだ。
 断片的に憶えていることは‥‥男達の持つ銃が銃声を響かせた事。
 体を貫いた痛み。倒れた先、コンクリートの床の固さ。全身を包む熱い血の感触‥‥それが冷えていく感覚。
 そして、それら全てを希薄にさせる程の死への恐怖と‥‥生きたいと願う意志。
 その意志は、本能的なものだけではなかった筈だ。だが、今も、その生きる意志が何処から沸いたのかはわからない。ただ、ただ絶体絶命の危機の中で、蒼は生きる事を望んだ。その意志が‥‥力を呼び覚ましたのかも知れない。
 次の瞬間、蒼の体は勝手に動いていた。
 傷など無いかのように一挙動で跳ね起き、そのまま男達めがけて走り出す。
 男達が再び銃を撃った‥‥と思う。その時は、体に痛みを感じなかったので確かではない。
 あの時の記憶は、かなり希薄なのだ。
 だが、男達の中に飛び込んだ蒼のその手が‥‥その足が、次々に男達を砕いていったのだけは、はっきりと憶えている。
 これが、蒼にとって初めての能力発動だった。これが、人を超えた瞬間だと言える。
 そして‥‥蒼は、能力の暴走と負った傷に体が限界を迎え、意識を失うその瞬間まで、男達を殴り続けていた‥‥
 意識はそこで途切れ‥‥‥‥また。
「見せてもらった‥‥」
 蒼の意識が僅かに戻った。
「研究の役に立ったよ」
 声が聞こえてくる。
 ‥‥霞む視界に、遠く天井で光る照明と、倒れた蒼を覗き込む真行寺の顔が見えた。
 その時、真行寺の浮かべていた表情‥‥それも、忘れていない事の一つ。
「君は力を持っている事に気づくべきだ」
 真行寺は笑顔だった。その笑顔は、先の男達の浮かべていた笑顔と同じ‥‥楽しんで人を殺せる者の笑顔だった。
 そして、その笑顔を霞む視界の中で見ながら、再び蒼の意識は闇に沈む‥‥
 ‥‥次に目を覚ましたのは、病院のベッドの上。蒼は、倉庫で崩れた荷物に巻き込まれた事になっていた。
 銃創は綺麗に治療されていたし、あの事件の証拠となるような物も倉庫には残されてなく‥‥蒼の言葉を信じる者は居なかった。
 しかし、その時から使えるようになっていた力が、全て真実なのだと蒼に教えていた。
 おそらく、全てを揉み潰したのは真行寺だろう。そして、恐らく真行寺は蒼をわざと事件に巻き込んだのだ。
 何故そんな事を‥‥その理由はわからない。
 多分、朦朧とした意識の中で聞いた言葉にその理由が隠されているのだろう。だが、その理由を真行寺本人に問いただす事は出来なかった。
 その時には既に、蒼と真行寺の間に溝が出来ていたのだ。
 蒼の方は、やはり裏切られたショックもあったのだろうし、真行寺を信じる事が出来ないと思ってしまったのも大きかったろう。
 真行寺の方は‥‥わからない。だが、真行寺もまた、以前とは違ってしまっていた。
 その後、二人は主に病室で何度か会う機会があったのだが‥‥よそよそしい空気が二人の間を流れ、以前のように語り合う事は出来なくなっていた。
 互いが互いを避けるようになり‥‥蒼は退院と同時にアルバイトを辞め、この会社とは縁を切った。同時に、真行寺とも縁は切れた。切れたと思っていた‥‥
「‥‥気安く声をかけるな」
 夜の通り‥‥蒼は、何年かぶりの再会である真行寺に、押し殺したような声でそう言った。
「俺は、お前の事など、知らない」
 渦巻く情念が噴き出したかのような、拒絶の言葉‥‥そして蒼は、真行寺に背を向けた。
「待てよ。おい‥‥」
 真行寺の言葉が、蒼を後から追ってくる。だが、蒼は振り返らなかった。
 もう、二度と会いたいとは思わない‥‥決別の意志は既に固めたのだから。
 だが、蒼はふと、こうも思う。
 自分が振り返らない理由‥‥それは、恐いからではないのか? 振り返ったそこに、真行寺の笑顔があったら‥‥あの時に見た、不快な笑いがあったら‥‥と。
 結局、自分は真行寺を信じたかったのではないか? だから、あの時も‥‥そして今日も、真行寺と話し合うことが出来なかったのではと‥‥
「‥‥馬鹿な事を考えているな。ただ、あいつと話す事なんて何もない‥‥それだけなのに」
 蒼はその想像を笑った。
 そして、迷いもなく蒼は歩み行き、光満ちる表通りの雑踏の中へと消えていく。
 歩み去る蒼を、真行寺は僅かな間だけ見送っていた。そして、振り返ると闇に満ちた裏路地へと足を向ける。
 彼の顔にどの様な表情が浮かんでいたのか‥‥それを見ていたのは、道を暗く閉ざした闇のみであった。