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PSY
いつも、こんな顔をする。眉を寄せて、悲しそうに俺をじっと見ているのだ。誰に対して悲しんでいるのか、何を悲しんでいるのか教えてはくれない。
風が後ろから吹き付けると、停めてある車の排気臭が微かに流れて消えた。
男はじっと俺を見つめる。
「‥‥何だ」
俺が聞くと、男はゆっくりと首を振った。何か言いたいならば、言えばいい。これが、彼から俺が話しを聞ける最後になるかもしれないから‥‥。
「夢を見たいんだ」
ぽつりと男が口を開いた。
俯いたまま、男が自嘲ぎみにわらう。
「‥‥“能力者”が安心して暮らせる‥‥夢を」
「違うのか?」
俺は男に聞いた。それは、“こちらが”という意味であった。
これは、聞き返すまでもない言葉だった。そうではないという事は、自分もよくわかっている。‥‥多分。
「そうなる為のプロジェクトでは無いのか」
「‥‥俺と君と‥‥いやチームとで、その認識に大きな差があった‥‥という事かな」
男はそう言うと、車に乗り込んだ。運転席の横に立っていたスーツ姿の青年が、俺に声をかける。
俺は男が乗り込んだ反対側に廻り、ドアを開けた。
携帯電話から鳴り響くコール音は、その相手が誰かを伝えていた。電話に出るまでもない、相手が誰なのかはコール音で分かっている。彼女の電話のコール音はこの音に設定してあるから。
案の定、電話の向こうから聞こえて来たのは彼女の声だった。
「何だ」
『お願いがあります』
「あなたのお願いは、聞き飽きた。次は違う頼み方をして欲しいものだな」
真行寺恭介が言うと、電話の向こうの女はすみません、と丁寧な口調で答えた。
『こちらに保管していたものが、奪われてしまいました。それを、取り返してきて欲しいのです』
「奪われた? 何をどうやって奪われたんだ」
『保管してあったのは、AAA保管区に保存してあったグレイプニールです。他のチームの内通者が奪って行きました』
なぜ内通者の事が分からなかったのか、奪われるまでチームの者が何をしていたのか、聞きたい事はたくさんある。
真行寺の意志を察したのか、彼女は再び口を開いた。
『内通者は、そのチームが引き続き追っています。彼は明日深夜零時に工業区の倉庫で、ある組織のメンバーと会ってグレイプニールを引き渡す事になっています。接触前に、彼からグレイプニールを取り戻して彼を連れ戻してください。相手の組織は、彼のチームが追いますから』
電話を切った真行寺は、車を発進させた。
他のチームとの連携は、真行寺は殆ど無い。真行寺の仕事が、他のチームの仕事から切り離された内容である事が多いというのも、理由の一つだ。
嫌な仕事は誰かがしなければならないし、みんな楽しく話し合いながら出来るプロジェクトでは無い事もちゃんと理解している。
‥‥理解なら。
対象となる男は、真行寺の所属するプロジェクトで特殊なアイテムなどを取り扱っているチームだ。信頼も厚い彼が、そのうちの一つを横流しだと?
真行寺は少し驚いたが、そう考えた自分を小さな声で嗤う。
そんな事、珍しくもないというのに‥‥。
真行寺は、離れた所の倉庫の角に位置を決めるとそっと見守った。別の位置には、彼の所属するチームメンバーが待機している。元々追跡を得意とするチームでは無いから、別チームがフォローに回っていた。
冷たい風の向こうには、漆黒の夜のカーテンが揺らめいている。闇の中照らしつける月が真行寺の足下に影を落としていた。
影が対象から見えないように、気を配った配置についている。物音をたてたり、何らかの力で察知されないかぎりは、見つからないはずだ。
ちらりと真行寺が、視線を道の向こうに走らせる。一台の車がすうっと倉庫の敷地に入ると、真行寺の立っている倉庫のやや左向こうに停車した。
中からゆっくりと降り立ったのは、三十代くらいの男だった。
間違いない。彼は手に、黒いトランクを持っている。
あれだ。
あの中に、入っているはずだ。
車のタイヤが、破裂音とともに空気を排出しはじめる。これは、別チームのメンバーの“置きみやげ”だ。移動手段を奪ったのを確認すると、チームメンバーは追跡のフォローの為に姿を消した。
後は真行寺の仕事だ。
はっ、と男が振り返ると、もう目前に真行寺が迫っていた。
「くっ‥‥」
男は鞄を素早く開けると、中から細い鎖を取り出した。それを左手に持ったまま、右手で何かの印を組む。
「‥‥最後の抵抗か?」
真行寺は、ちらりと自分の左手を見ると、男にそう言った。
彼の使うモノが、真行寺の左手をしっかりと掴んでいる。姿は見えないが、真行寺の左手にくっきりと小さな手の痕がついていた。
「真行寺‥‥お前に会いたく無かったよ」
「そうか。俺もそう思っていた。‥‥さあ、そいつを返してもらおうか」
真行寺は、低い声で言った。男はうっすら微笑を浮かべる。苦しそうな笑顔だった。
「そうはいかない。‥‥これは貰っていく」
どこに、とは聞かない。
かわりに真行寺は、深くため息をついた。
「そいつは‥‥グレイプニールはお前達が使えるものじゃない。神話よろしく、凶暴な“フェンリル”を口八丁で縛れるとでも?」
「そうは思って居ない。‥‥でも、お前達が持っているよりはいいさ。俺たちは‥‥お前達とは違う」
男は、鎖を真行寺に向ける。それが普通の鎖であれば、こんな細い鎖は大人の男の力で簡単に引きちぎれるはずだ。
普通の鎖だったら、だが。
その時真行寺に投げようとした鎖を持つ、男の手がぴたりと止まった。
真行寺の額から、つうと汗が流れる。
真行寺を束縛していたモノも、気配を消していた。ふうと小さく息をはき、真行寺は硬直している彼の手から鎖を奪う。
いつの間にか、真行寺の背後に黒い車が停まっていた。運転席に乗っていた男が彼の手を掴む。
彼は、真行寺を悲しそうに見た。
「俺達は‥‥滅びを良しとしない」
幸せになりたいんだ。ただ、普通に生きていたいだけだ。
彼はそう言った。
ようやく真行寺は“力”を抜くと、携帯電話を取り出した。
「‥‥終わった」
真行寺の一言に、電話の相手はご苦労様、と答えた。
疑いは‥‥必要ない。
この力は‥‥今は必要とされている。
そう信じなければ、今は仕事を続けられない。自分はプロジェクトを進める為に、あるのだから‥‥。
すうっと空を見上げると、月が薄明かりを反射させる雲に静かに隠れていった。
手の中のグラスに映り込んだ氷が、解けてからりと音をたてた。
まだ時間が早いせいか、店の中はほとんど客が居ない。
人が少ない時間に来るのは、真行寺は好きだった。誰かが騒音をたてる事もないし、誰かに鬱陶しく声をかけられる事もない。
ドアに付けられたベルがりんと鳴り、一人の青年が店に入ってきた。青年はすうっと真行寺の横に座り、ジンベースのカクテルを頼む。
真行寺がふと笑うと、青年はグラスを受け取って口を付けた。
「もう酒が飲める年になったか」
「真行寺が仕事に明け暮れている間にね」
成人式が済んだばかりのくせに、と真行寺は言うと、彼のグラスに自分のグラスを触れさせて乾杯をした。
何も聞いて欲しくない。
ただ、体と心の疲れを癒す為、たわいもない話しをする。
どうだ、最近。と聞いた真行寺に、青年は薄く笑ってこたえた。
正月に実家に帰ろうと思ったら、妹にやろうと思って買った花が台無しになってね。
彼がちらりと真行寺を見る。
そりゃあ運が悪かったな、と言おうとした真行寺の携帯電話が鳴った。聞き慣れた、電話の呼び出し音。
真行寺はため息をつくと、携帯電話に出た。
■コメント■
こんにちわ、立川司郎です。
会社の設定とか、真行寺さんの設定とか細かい部分がよく分からなかったので曇らせて書きました。なんだか伏線だらけの長編モノの第一回といった感じで、アヤシイですが‥‥。
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