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過去から繋がる道しるべ
仕事から帰り、買ってきた雑誌とコーヒーを用意してからゆっくりとした時間を過ごす。
こういう時間は綾和泉匡乃にとっては貴重だった。
なにせ今は追い込みの時期の最中で、忙がしかったが質問されそうなポイントはあらかじめプリントにまとめていだけあって、それほど苦労せずには済んだのだが。
解りやすいと評判の授業は匡乃の持つ性格や天性の物だろうが、こういう努力や教えるのが好きだと言う事が会っての物だろう。
もうしばらく休憩したら、別の課題に目を向けようと思っていた。
けれどそんな時にかかってきた電話は、なにか良い変化があるようだと匡乃の感が告げる。
電話の着信は実家の物。
「はい、匡乃です」
『兄さん、私、汐耶だけど』
相手は妹からだった。
『どうかしたんですか?』
電話越しの匡乃の声からでは、その問いかけが『何があったのか』と『どうして汐耶が実家にいるのか』のどちらを尋ねているのか解りかねた。
両方でもあるのだろう。
どちらも珍しい部類の行動に入るものであるのだから。
「用があって帰ってたの」
『込み入った話みたいですね』
「そうよ」
でなければ実家に帰り、電話をしないだろう。
だがそれでも何か普段とは違う事に感づいている当たり、匡乃の勘は鋭い。
「女の子を一人引き取る事にしたの」
ある事件が切っ掛けで知り合い、一時は組織が身元を預かる事になったのだが、もう少しで催眠が済み感情を操られる所だったのである。
組織のの良いように扱われそうになっていた。その事を知り、放って置く事なんてできない。
他人事だとは思えなかったのである。
自分の意思で選択させて、これまで出来なかった事をさせてあげたい。
だから汐耶は彼女を引き取る事を決め、許可を貰い、会わせるために実家に帰ってきたのだ。
『今はどんな様子?』
「いまは母さんが……少し待ってて」
電話を持ったまま振り返ると、背後の部屋から聞こえるのは母親の楽しげな声。
電話をかける少し前から、やたらと彼女を気に入ったようで色々な服をとっかえひっかえ持ってきては着替えさせていたのだ。
目を離したのは一瞬だが、なんとなく気になって受話器をを押さえ部屋の様子を見に行く。
「こっちのワンピースも似合うと思うの」
「は、はい」
「でもこっちの服にゆったりしたセーターを合わせて、白いリボンで髪をまとめるのも可愛いと思うわよね。綺麗な黒髪だからきっと良く栄えるわ」
実に楽しそうに、色々な服を合わせてはああでも無いこうでもない、やっぱりこっちと服を合わせている。
その光景は、少し前よりもさらに楽しそうだった。
そして名案を思いついたように、ポンと手を合わせる。
「きっと凄く着物が似合うと思うのよ、白い肌に黒い髪。きっと凄く似合うと思うの」
着せ替えごっこは大丈夫なのだろうかと思ったが、髪をとかされている時のむずがゆそうな表情に大丈夫だろうと思い直す。
「……母さん、程々にね」
「もちろん解ってるわ、でも楽しくって」
可愛らしい服がよく似合い、思わず抱き締めたくなるような小柄な体なのだから……こう可愛がりたくなる気持ちは解らないでもない。
きっとここはのんびりしたところだから、暇なのだ。
「後でみんなで買い物に行きましょうね」
どうするという風に尋ねられ、彼女はこくりとうなずく。
「はい」
「解ったわ、少し待ってて」
母が父をを呼びに言ったのを見て、汐耶も元居た場所に戻り、電話を再開する。
「気にする事無かったわ」
『親父様、母様はなんて?』
「気に入ってるみたい」
着替えるからと違う部屋にいた父も、彼女を見て頭を撫でたりしていた。
そんな光景を見て、付け加える。
「二人ともよ」
『珍しいですね』
電話越しの匡乃の声も暖かく聞こえたのは、こちらの雰囲気が伝わったからかもしれない。
そう思った時に、何度めかの名案と言った声が届く。
「おそろいの洋服や小物もいいかも知れないわね」
おそろい?
無言のまま振り返る。
今彼女が着ているのはどう見ても少女趣味なものだから……出来れば勘弁して貰いたいのだが。
電話の向こうから聞こえるのは、楽しそうな会話。
帰っていればもっと楽しい事になっていただろう。
「良いじゃないですか、おそろい」
『……兄さん』
呆れたような声に苦笑する。
別にからかっている訳ではないと付け足す事はしなかったが。
引き取ったという少女の話を聞いている内に、なんとなく思い出した事があった。
昔の事だ。
生まれ持った力は、本人が望んだ訳ではない。
それでも、癒しの力は傷ついた人からは望まれる物であり……ある特定の人や集団から見れば利用される物だった。
私利私欲のために、あるいや地位や名誉、そして金を得るために匡乃を利用しようとする。
身勝手で、自分たちの事しか考えていない強欲な人間が向ける好意的ではない視線。
そう言った人たちが行動を起こすのは、大抵良くない事が起きる時の合図。
「後を付けられる事はあったんですけど……」
今回は、堂々と高そうな車で匡乃の前に姿を現しいてる。
しかも白昼堂々と人目をはばからずなのだから目だって仕方がないはずだ。それともそれにすら何か考えがあるのかもしれない。
「一緒に来て貰おうか」
「僕は今ここで逃げる事は出来ますが」
そうすれば、目立ってしまうでしょう。
そう暗に告げたのだが、それは解っていた様だ。
「連れが先にいると言ったら、どうだ?」
「……連れ」
「黒い髪に青い目の、お嬢さんだ」
車のドアを開くとシートの中央当たりに座らされている人影が見えた。
それが汐耶だと解るのに、時間は必要無い。
「……解りました」
ここはひとまず、うなずいておく。
短所が出来なかった訳ではない、彼らには、それ相応の対処が必要だと思ったのだ。
車に乗り込む直前に隙を見て手の中の物を滑り落とす。
相手もはただの大人しい子供だと思っているのだろう、気付く事すらなかった。
連れてこられたのは、街から離れた大きな屋敷。
「こっちへ」
案内される前に、交わす少ない言葉。
「大丈夫、汐耶?」
「兄さんは?」
「僕は大丈夫」
二人揃って案内されたのは、ここの主の物と思われる大きな部屋で、飾られているのはどれも高そうなものばかり。
黒皮の椅子に座った主らしき男を前に、匡乃は汐耶を庇うように立ったまま反応を待った。
「ようこそ」
品定めするような口調の後、そんな台詞。
相手は、こちらが子供だと思って油断している。
「これは、誘拐では?」
「君が許可さえくれれば、そうじゃなくなる」
「犯罪です」
「ハイと言えるようになって貰おうか」
「それでも罪になりますよ」
咬み合わない会話に男が嫌な笑みを浮かべた。
「連れて行け」
そう言い、周りの大人達が手を伸ばしかけるが……匡乃は汐耶の手を取りサッと人混みから抜け出す。
「追え!」
後ろから追ってくる足音。
「兄さん!?」
「大丈夫」
子供の足ではそう逃げられないと思ったのだろう。
それは紛れもない事実だが、今は少しでも時間をかせぐ必要があった。あのままあそこにいたら、何をされるか解らない。
けれど、時間さえ稼げればいい。
ここの屋敷は新しい家のようだけど、土地その物は古くから建っている家のようだからきっとある。
「汐耶も、瓦の屋根を捜して」
「……!」
それだけで状況を察したらしく、匡乃と同じように汐耶も周りに視線を走らせる。
「兄さん、あれ」
「行こう」
すぐに捕まえられると、逃げ場がないと思っていたのか、逃げる事自体はそう難しい事ではなかった。
幾つか並んで建っている倉の扉を手分けして開いている物を探す、これが駄目なら別の手を考えなくてはならない所だが、どうやら運は良かったようである。
「ここ、開いてる」
重い扉を開き中へと飛び込みドアを閉じ、錠をかける。
外から何度か開けようとしたが、すぐに止まった。
相手にとって見れば逃げ場はないも同然所か、ここにいたほうが楽に違いない。
その証拠に外から鍵をかける音が聞こえた。
閉じこめたつもりなのだろう。
「………これで大丈夫」
「兄さん?」
「すぐに解るよ」
匡乃の言葉通り。その一時間後には屋敷を警察が取り囲み、関係者は逮捕される事になった。
車に乗せられる直前に落としたのは、こういう場合を予測しての警察を呼ぶようなサインである。
連れて行かれるところは見ているはずだから、誘拐だと解りさえすれば事件として発展させるのは容易い。
他にも色々な事をしていたらしい。
余罪は、捜せば山ほどでてくるのだろう。
連れて行かれる主を見て匡乃が一言。
「言いましたよね、誘拐も立派な犯罪です」
相手が、悪かったのだ。
望んでこの力を手に入れた訳ではない。
この身にもてあましている力の所為で自由が得られないなんて、自分の意志を捨てなければならないのは不合理だとしか思えないのだ。
それを知っているからこそ、汐耶も自分の意志で選択が出来なくなっている状況を見て引き取るという選択を取ったのだろう。
『兄さん、聞いてる?』
「もちろん」
『そろそろ出かけるけど……もう一つ』
それから、おきまりの台詞。
『次に家に来る時は、連絡を入れて』
「解ってるよ」
今度汐耶の家に行く時は、新しい家族に挨拶をする時だ。
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