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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


途切れた道を踏み越えて。

 平成十六年一月某日。
『空前絶後の讃岐うどんブームは帝都を席巻!』
 タウン誌TEITO−Qの記事にレンズ越しに目を走らせる槻島綾。
「‥‥‥文章は劣悪ですね。けれどこの写真はなかなか‥‥‥」
 丼に盛られたそれは、絹糸が如き色艶と光沢を放ち鎮座ましましている。
 ブーム。
 そう言われて、はや五年も経とうとしているだろうか。
 これまで、特に讃岐うどんを積極的に味わう事は無かったように思う。
「思い立ったら吉日、と言いますし、ね」
 ぱたむ、とTEITO−Qを閉じると何かをパソコンで検索して、かけてあっ
たバックに適当に荷物を詰めこむ。
「行くか、な」
 消灯。
 そして、施錠。
 微かな金属音が冬の大気を震わして、ようやく天頂に差し掛かろうとしている
月が柔らかなひかりを綾に向けていた。
 そして、途中の行動経路はすっ飛ばして東京駅八重洲南口。
 東京発高松・松山行きの高速バス"ドリーム高松号"に乗り込む。一列3人と
一般のバスに比べてゆとりの配席だ。
 ふと見ると、既に自分の座る席の隣、窓側席には誰か座っているようだ。
「失礼し‥‥‥!?」
 と、声をかけようとしたその時。
「奇遇ですね、槻島さん」
 なんと、そこに座っていたのは旅先でちょくちょく一緒になる西ノ浜奈杖だっ
た。
「本当に」
 苦笑して手荷物を棚に上げると、席においてあった毛布をとって座る。
「高松行きですが‥‥‥目的は?」
 見ると、奈杖の手には『恐るべし讃岐饂飩』と言う本が開かれていた。
「どうやら、一緒のようです」
「旅は道連れ世は情けって言うじゃないですか。一緒に巡りません?」
 苦笑して、奈杖の顔を見る綾。
 大体にして、明日は平日だ。
 一人でフラフラしていては、返って東京より田舎の高松の方が目立つと言う算
段だろう。顔が似ていると言うわけではないのだが、兄弟と言って不信に思われ
る事も無い程度に綾は童顔で、実際の年齢差より近く見える。
「で、最初は何処に行くか決めているのかい?」
 苦笑して頷いてからそう問うと、奈杖は帽子からメモ帳を取り出して頁を捲っ
て書かれている文字を示した。
「はじめはこの店にしようと思って」
 メモには朝5:30開店と書かれているその店。店名の下にセルフと書かれて
いる。
「で、そこは美味しいのかい?」
「優しい味って書いてたから‥‥‥行って一店目だから讃岐うどん御手並み拝見
って言った感じかな?」
「なるほどね」
 さて、出発したバスは特に何事も無く朝6時高松着。
 乗りつくなり路線バスに乗り換えて、まずは1件目を目指す。
 こう言う地方都市の早朝のバスなんて物は、人の姿など殆ど無い筈なのではあ
るが、重装備の客がちらほらいる。
 そして、その手には恐るべしやらうまうひょ讃岐饂飩、讃岐饂飩コンプリート
チャレンジブックなどが握られている。
 そして、1番近いと言う鹿角バス停から歩いて、はじめの交差点を曲がった二
人は目を疑う事になる!
「こ、これは!?」
「じゅ‥‥‥渋滞ですね」
 そう言った二人の目の前には駐車場に入ろうとしている車は全て県外ナンバー。
 その場所にいる人間も恐らくは全て香川県民ではないのであろう。
「とりあえず、並びましょうか」
「そうですね」
 気を取りなおした綾の呼びかけに答えて、二人は取りあえず行列の最後尾につ
いてみる。
 だが、気づいた事。
 普通のこう言う飲食店の行列に比べて、御客の吸いこまれていくスピードが段
違いに早いと言うことだ。
「うどんを茹でるのには、15分以上掛るのでしょうに‥‥‥」
 思わず呟く綾。
 だが、その疑問は数分の後に全て解消される。
「セルフ方式‥‥‥ね」
 そう言えば、奈杖のメモにもそう書かれていた。
 人の流れゆくままに歩いていくと、前の人が三種類ある丼の中の小さい丼を手
に取った。
 すると、その丼にはそれに兆度良いような量の麺がカウンターのおばちゃんか
ら入れられる。
 奥を覗くと、店員がなれた手付きで麺を大鍋にどんどんいれていき、そしてカ
ウンター横には詰まれた箱にはツヤツヤの饂飩が光っている。
 早朝からそんなに食える腹具合ではないので、綾も奈杖も小さい丼を取って前
の人と同じように差し出すと、"小"ねといっておばさんが麺を一玉いれてくれる。
丼の大きさによって二玉、三玉となっていくのであろう。
「朝から大繁盛ですね」
 丼を差し出した奈杖がそう話しかけると、にっこりわらっておばちゃんは麺を
丼に入れる。
「今日は平日だからこんなものだけど、土曜とかは戦場だね。まあ、今が一回目
のピークかね」
 後ろの迷惑にならぬよう、笑顔でお礼を返して前に進む。
「てんぷら‥‥‥ずいぶんありますね」
 先行している綾が見たそこには東京の饂飩屋で取ったら結構な値段になるてん
ぷらがところ狭しとならんでいる。
「朝だから‥‥‥てんぷらは良いかな」
「‥‥‥槻島さん、あれも天ぷらって」
 後ろに並ぶ奈杖が指した先には、関東で言うさつま揚げらしきものにじゃこ天
やらと棒天と名前がうっているではないか。
「この辺ではああいう名前なんだね」
 と、そう言うしかない訳であるが。
 だいたい、物の呼び名など地方によって違う事はむしろ当然で、そう言う例は
何度も見てきている。
 そして、次は‥‥‥まあ、はじめてで前に誰もいないのであれば迷うのかもし
れないが、大きなシンクに湯がたっぷり、竹と綿の網がついているものがかけら
れていた。
 前の客もその前の客もその前の前の客もその前の前の前の客も(もうええっちゅ
うねん)ここでうどんを温めていたようなので、取りあえずそこにいれてちゃぽ
ちゃぽと暖めて麺を丼に戻す。
 直前の客がやっていたように、網から垂れたお湯で丼を温めてから麺を入れる
と、うっすらと舞い上がる湯気とつやつやと輝いて、透き通るような照りを見せ
ている丼の中のそれ。
 はやる気持ちを押さえて、ダシをかけて御金を払う。
 既に満席の店内では立ったまま食べている客もいる。
 それが当たり前と言う事がわかると、割り箸を口にくわえて固定して、ぱちん
とわってダシをすする。
「これ‥‥‥煮干し味?」
 溜息と共に、とは言っても不味いというあきらめと虚しさの溜息ではなく、感
嘆と喜びの入り混じった溜息を履いて奈杖はそう呟いた。
「いや、これは‥‥‥イリコ‥‥‥かえりいわしを使っているのでしょう。普段
見る煮干とは大きさが違う物です」
 一般的に煮干とイリコは同じ物である。これは東西の違いと言っても良いかも
しれない。
 で、今出てきたかえりとは五段階ある中の大羽、中羽、小羽、かえり、ちりめ
んと4番目の大きさで、特徴は味が軽やかでかつ香りが強い事だろうか。
 瀬戸内海はいわしの産卵地が浅海にあることもあり、絶好のかえりの漁場であ
るといえよう(近年漁獲は激減しているのだが)。
「やはり‥‥‥本物は‥‥‥違うなあ」
「おいしいっ、麺がふにゅふにゅだけど歯に気持ち良くて」
 と、二人が関心しているその瞬間、隣で物凄い音がした!

 ずびゃばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばは!!
 ずりゅるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる!!
 ごっきゅんごっきゅんごっきゅん!!

「ぷっは〜っ。やっぱうどんは喉越しが命たいっ!!」
 妙齢の女性がそう言って豪快な笑い声を上げると、あっという間に丼を返却口
に返して去っていく。
 時間にして一分経ったかどうか、と言ったところであろうか。
 気を取り直して再び麺に向かう。
「さっきの人の意見も一理ありますね。余りにも柔らかいうどんは口の中で細か
く咀嚼されすぎ、余りにも固いうどんは固さを残したまま喉へ行くことになる。
対してこの絶妙の腰を持ったうどんは、柔らかさと腰を残したまま、喉の中を通
りすぎて行く訳ですね」
 と、呟く間に聞いていたのかいないのか、奈杖はすでに食べ終わっているでは
ないか。
「早く食べないと、置いていきます」
 にっこりと微笑んでそうのたまう奈杖に苦笑して、うどんを口に運ぶ。
 その間に奈杖はダシを飲み干して、テーブルの上に置く。
 ようやく食べ終わった綾と共に店を後にする奈杖。
 美味しいのだが、どうもゆっくり落ち着いて食べる、と言った雰囲気ではない。
 その店に不満を残しながらバス停に向かう二人。
 バスで戻れば、そろそろ駅前の青波レンタカーが開く時間だ。
「今度はどこにいきましょうか?」
 大体の目星はつけている筈の奈杖に、そう声をかける綾。
 しかし、あんなに美味しかった讃岐うどんを食べたのに、何故か浮かない顔の
奈杖。
「どうかしましたか?」
「いや‥‥‥そんな大した事じゃないんだけど。折角来たんだから、あまり人い
ないところに行きたいなって。なんか雑然としてて東京いるのと変わらないって
言うか」
東京、と言っても新宿や渋谷なんかの繁華街と比べて一歩郊外に出れば地方都市
と言ってもわからないような町もある。
 しかも、あきる野や日の出、桧原といった東京西部のはじっこともなると、恐ら
く都民ですら驚くような田舎‥‥‥と言うか秘境がある。
 年中放浪している奈杖にとってそんな場所はとうの昔に踏破して、さらに何度も
足を運んでいるような場所だ。
 高松から出ればいい加減田舎だが、一応街の中、東京にいるのと然程変わらない
といえば変わらない。
「うん、きめた。多分、いいうどんやさんはあるから、そこに行く!」
「行くことにしますって‥‥‥当ては?」
 と、言ってから苦笑する綾。
 もし、それがあればの話であるが、奈杖が本当に行きたいと思っているのであれ
ば必ずたどり着ける事が出来るだろう。
「折角の香川だから、槻島さんは‥‥‥」
 ぽんっ、と背中を叩いて肩をすくめる綾。
「旅は道連れ、世は情けって言ったのはキミだったですよね?」
 ふうっ、と溜息一つ。
「でも、見つからなくても文句言わないでね。行きたいから行くだけであって判っ
てて行く訳じゃないから」
「結構。それでこそ旅の醍醐味が味わえるってもんじゃないですか。そもそも旅と
言う物は」
「あ、あ、あ‥‥‥なんとなーく思い浮かんできた!」
 慌てた表情で地図を取り出す奈杖。
 旅について話し始めたら止まらないことは身をもって何度か体験しているから。
 それはともかく、指した先は綾歌郡綾歌町南東の端、大高見峰と小高見峰のちょ
うど真ん中あたりであった。
 ちなみに地図表示では思いっきり山の中である。
 果たしていけるところなのだろうか。
「まあ、とにかくいってみよう!」
 極力、旅行の話から逃げつつ、向かったのは青波レンタカーではなく、乗ってき
た電車、高松琴平電鉄、通称コトデンに乗り込んだ。
 ゆらゆら揺られ、奈杖がふらりと座席を立ったのは栗熊駅で。
 東京でこのような一面一線の駅はさすがに無いが、コトデンの駅ではもうだいぶ
それが続いているので今更驚く事でもないし、もっと駅前に建物が無いところもあっ
たのだが。
 地図で指した所にはまだ遠いようだ。
「取りあえず地図を見ると、国道32号線まで行った方が良いみたいですね。それ
から‥‥‥ま、心配無いですか」
 眼鏡をかけて、細かい文字をじっくりと見ていた綾だが、自分の地図なのにみよう
としない奈杖に小さく首を振ってそれを返す。
 渡された奈杖はそれを帽子にしまうと、右手の道を指差した。
「間違えなく、あっち」
 そしてそれから、何分経ったろうか。
 二人は高見峰緑地環境保全地域という看板の前に立っていた。
「地図には載っていませんでしたが,地元の人のトレッキングルートのようですね」
 車は、その看板の正面の空き地に置くしかないようだ。
 もっとも、徒歩で来た二人には関係ない話ではあるのだが‥‥‥ようするに車でい
けないような所に果たして店などあるのだろうか、と言う事なのだが。
 相変わらず確信めいた表情で前に進み続ける奈杖は、辺りの風景を楽しみつつ、前
に進む。
「やっぱ、香川は空気が綺麗だなぁ」
「そうですね‥‥‥」
 山道は細く結構な斜面ではあるが、目的がうどんであったことを忘れさせるぐらい
さわやかな空気を纏わせていた。
 冬の寒さに葉を落とした木々が天を衝く中、二人は山肌に刻まれた道をただひたす
らに登っていく。
「どうしました?」
 ふと、歩みを止める奈杖。
 なだらかに見える下のほうをじいっとみつめていた。
「近い! うどん‥‥‥!!」
 言うなりそちらへ行こうとするが、いかになだらかに見えたとて崖斜面である。
 危ないと声を出して、その肩を掴んだ‥‥‥‥‥‥‥‥‥その時!

 う、うわぁあぁああああぁあああぁぁあああぁああぁあああああああああぁぁ‥‥
‥‥‥‥‥‥ぁあああぁあああぁぁあぁああぁ‥‥‥‥‥‥どごっっっっ!!!

 くんずほぐれつで崖斜面をローリングした二人は、何かにぶつかってようやくその
転がりを止める。
 幸運な事に木や岩のような固く、即死上等な物体ではなく‥‥‥何かがさがさちく
ちくする柔らかい物に突っ込んだようだ。
「痛っ‥‥‥いたた‥‥‥だ,大丈夫ですか?」
「モォ」
「もう、どうしました?」
 何とか大丈夫なようですね、と綾が振り向くと。
「うわあっ!? 奈杖クンが牛になったあっ!!」
 ドアップで綾の視界に飛びこんだのは牛‥‥‥恐らくは、日本短角種ですね‥‥‥
と、何故か冷静に分析をしている綾。
「危ない!」
 横のほうから、何かが突っ込んできて、そのギリギリを牛の角が通りすぎていった。
「な、なにボーっとしてるんですか。牛の目の前ででかい声出したらああされて当然
じゃないですか!」
 見ると牛は綱に繋がれていて、そこからこっちに来る事はないようだが。
 そして、声の主は当然ながら奈杖で、心配そうにこちらをみている。
「‥‥‥ぷっ。ははははっ。あはははははははははははっ!!!」
「な、何爆笑してるんですかっ!?」
 どっか悪いところでも打ったのだろうかと、心配になるがどうもそうでもないらしい。
「いやあ、人が牛になる訳はないよね。失礼失礼」
 と、言って立ち上がった綾の視線が一点で止まる。そして、それを奈杖も追いかけると。
「あれ、にんぎゃかだの。なんがでっきょんなあ?」
 ニコニコと老婆が二人のほうを見ているではないか。
 まあ、民家のようであるから誰か人がいるのではあろうが、こうも突然出てくると、
びっくりしてしまうものである。
「あ、すみません。私達道を踏み外してしまって!」
 それを聞いた老婆は再びにっこりと笑う。
「久しぶりに東京弁を聞いたなあ。格好も垢抜けてるし。東京の方かい?」

ぐうぅぅぅぅぅぅ‥‥‥

「あ‥‥‥」
 ばつの悪い顔をして、お腹をさする奈杖。
「腹の虫でお返事かい? 若い者はそうじゃなくっちゃねえ。ちょうど昼を食べようと思っ
ていたんだ。手伝ってくれるかい?」
 棚からぼたもち!
 ではなく、崖から人間!! いや、意味とおってないんですけれど、幸運に顔を輝かせる
二人。
「も、もしかして‥‥‥うどん?」
 そう、それを期待してこんな山奥まで来たのである。
 ここにくれば食べられるって能力が言ってたのである。
 山越え、崖落ちやってきたのである。
 これで‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥食べられなかったら‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
「が、良かったらうどんにするけどね」
「はい!」
 二人の返事が見事にハモって、老婆は思わず苦笑する。
「じゃあ、この小屋の裏手に薪があるから割って持ってきとくれ」
 言われて行って見ると‥‥‥ごろんごろんと丸太が積んである。
 そして傍らに、斧と鉈。
「どう見ても、割れって事か」
「そうだよ、ね」
 斧にしたって、鉈にしたって、東京で過ごしている分には‥‥‥いや、現代社会で普通に
生活している分には余り使う事はない。
 旅行先で客寄せの為に使っているところはあっても、この量はまさしくこれを主燃料とし
て使っている量だ。
 微妙な違和感を覚えつつも綾が斧、奈杖が鉈を取る。
 そして、丸太を立てて綾が斧を降り落とす!
「っつ!!」
 刃先が丸太の上で跳ねて斧は地面へ突き刺さり、当の丸太は切れる事無くころんころんと
転がっていく。
「結構、難しいですね‥‥‥もう一回」
 もう一回、もう一回と続けるうちに、香川とは言え真冬の1月に汗だくになってしまって
いた。
「‥‥‥もう一回」
 何度か変わろうか申し出を続けていた奈杖も、諦めて鉈で薪を切り出していた。
「これで、熱血しててうおーって感じなら、ありがちなんだけど‥‥‥いつもの綾さんの感
じで続けてるから‥‥‥変わってもらえないなあ」
 切り出す手を休めて、そう呟く奈杖。
 だが,その時。
 垂直に入った刃先がついに丸太を二つに別ち、乾いた音を残して大地に倒れる。
「やった、綾さん!」
「ええ、そうですね。でも、これじゃ全然足りませんから」
 そう言って,半分になった丸太を再び立てる。
 だが、こつをつかんだのかコンスタントに薪を作っていき、奈杖の切り出した分と合わせ
て、一回竈を使うのに十分過ぎる量となっていた。
 そして、いつから立っていたのかは判らないが,老婆がその薪をひょいひょいと大きな藤
蔓の籠に入れ、重さから想像する動作よりはるかに軽がると持ち上げた。
「さて、良く頑張ったね。昨日仕込んだのがあるから、そろそろうどんを茹でようかね」
 土を固めて作った竈にわらが入れられて火口となると、老婆は頑張って作った薪を無造作
に入れていく。
 ガスでは出せない強烈な火力があっという間に二つの釜に満ちた水を湯に変えていく。
「さて、その間に。ここに生地があるから二人とも自分のうどんを伸して切って作ってごら
ん? ばあさんが先にやるから、それを見てな」
 打ち粉をして、しゅっしゅと老婆が麺棒をころがすと、魔法のように均一に平たく伸され
ていくうどん。
「よし、じゃあ僕も」
「僕もやってみましよう」
 奈杖も綾も、同じようにしゅっしゅと伸ばそうとするが‥‥‥綾は体重をかけてなんとか
平たい感じになってきたが、奈杖の生地はどんどん丸い形に伸びてきていた。
「あれ‥‥‥あれ?」
「菱形になるように伸ばすんだよ〜」
 と、言われたものの、なかなか思うように伸びてくれない。
「あれ? おかしいな‥‥‥うーん」
「僕は出来ました」
 まあ、綾のは形になっているが、奈杖のはなんとなくでこぼこだ。
 だが、老婆は別に手直しする様子もなく、二人に包丁を差し出す。
「さて、いよいよ切って茹でようか」
 今度は、奈杖は結構トントンとリズミカルに切っているが綾は恐る恐るな感じで不ぞろい
になってしまっていた。
「う、うーん‥‥‥」
「でも、やり直す訳に行かないから‥‥‥お願いします!」
 二人から麺を受け取ると、釜に落とし入れて茹ではじめる。
「うーん、理想的な対流ですね‥‥‥麺類をゆでるときはこの、菊のような対流が命ですか
ら。余計にかき混ぜなくても、熱いお湯が麺の細部まで熱を浸透させてくれます」
 釜を覗きこんで、そう呟く綾。
 奈杖のほうはそろそろ腹の虫が暴れ出しているのか微妙な面持ちで釜を覗きこんでいた。
「葱を入れたかったら表に生えてるから勝手に取って来て刻んでな」
 二人とも慌ててそとに行くと、適当にネギを刈り取って大急ぎで戻る。
「やはり西日本ではうどんに入れるネギは根深ネギではなくわけぎなんですね」
 手に持った葱を見てしみじみうんうんと言っている綾であったが、そんな彼にセルフで見
た網のついた棒を突き出す老婆。
「さあ、良いって言ったらこのタボで釜からあげるんだよ!」
「は、はい」
「いいなー、綾さんが先かあ」
 思わず言ってしまうほどお腹が空いていると言うことなのであろう。
 ふんわりとお湯の中で舞い続けるうどん。
 こうして、目の前で待ち続けていると、時間の流れるのって言うのは結構長く
感じるものである。
 じりじりとしながら待っていると‥‥‥ついに良しの声が掛る!
「こうして‥‥‥こうして‥‥‥八の字を描くようにすくい上げて」
 いかに効率良くあげるか、を考えながら綾はタボを操ってうどんを丼にあげる。
「できました!」
「綾さん、綾さんっ早く早く‥‥‥次僕っ!」
 慌ててタボを使うが、どうしても少しだけうどんは逃げていってしまう。
 とは言え、そう量が多い訳でもないので、すぐに全部集めて丼に入れていた。
「えっと‥‥‥つゆとか貰えます?」
 丼を手に奈杖がそう言うと、老婆はにっこりと傍らにあった陶器の瓶を取り上
げた。
「これをかけてくいな」
 躊躇なく受け取った奈杖がそれをうどんにかけようとするが、それを綾が押
し留める。
「え!?」
「かけすぎ注意です。これ、醤油ですね?」
「えー!! 醤油で食べるの!?」
 驚愕の表情の奈杖に、老婆はにっこりと笑みをくれる。
「まあ、かけすぎたら裏の畑から大根取って来てすって入れればと思ったん
でな」
「醤油うどんに大根うどんですね。大根うどんはそのままですが、醤油うど
んは‥‥‥関東のうどんより甘味が強くて濃厚だったりしますよね、香川の
醤油は」
「良く知ってるねぇ、その通りだよ」
 今度は老婆が驚いた様子で綾を見ている。


 ずりずりずり、ずりゅるるるるるるる!

 そんな話よりもまずは食い気だと言わんばかりに奈杖はうどんをすすり上げる!

 ずるるるるるる、ずりゅりゅーーーーーー!!

 少し遅れて、綾もうどんをすすりだした。
 そして、顔を見合わせる二人。
「う、う、う‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥うまああああああっ!!!」
「そうだろうそうだろう、自分で作ったうどんはうまいだろう」
 満足げな費用嬢で頷く老婆。
 だが、綾はもう一口食べてじっと自分の麺を見つめる。
「柔らかくて、すっと歯が入る気がするんですが‥‥‥噛み切ろうとすると
くにゅっと抵抗するこのコシはすごい!」
「うん‥‥‥小麦粉の味がするよ‥‥‥この醤油うどんって食べ方!」
 瞳をうるうるさせて感嘆する奈杖。
「地粉特有の薄茶色の麺ですね。香りも味も‥‥‥すごい」
 エッジの立ち、軽く捩れている、そんな手打ち特有の表情を持った麺はするする
と二人の口の中に収まって行った。
 そして‥‥‥最後の一口を食べ終わった‥‥‥その瞬間。

「ありがとう‥‥‥来てくれて‥‥‥本当にありがとう」

 そう、老婆の声が聞こえた気がする。
 二人の視界は急激に暗転して。

 そして、再び開けた時。
 何故か二人は、登山口の看板の前に座っていた。
「あ、あれ??」
 先に気づいた奈杖が綾を揺り動かす。
「起きてください、槻島さんってば!」
「ん‥‥‥んん‥‥‥。この味はASWでは出ません‥‥‥ね」
「槻島さんっっ!!!」
 耳元ででかい声を出されてさすがに目を覚ます綾。
「あ、あれ‥‥‥ここは? おばあさんは??」
 問われても、自分も今さっき目を覚まして訳がわかっていない。
「白昼夢でも‥‥‥みたのかなあ」
 呟く奈杖。だが、首を振る綾。
「いや‥‥‥これ‥‥‥」
 手に残された、肉刺がなかった事ではなかった事を現していた。
「うん、それにお腹一杯だよね‥‥‥舌が味覚えてるし」
 その言葉を聞いて、綾は天を仰いで一つ溜息をついた。
「きっと、うどん食いたい食いたいって言う、キミの執念があそこにつれていっ
たんだね‥‥‥時と時の狭間だったのかな」


 いつ、どこの場所にあの老婆が存在しているのか、今ここで知る術は二人には
ない。
 能力を使えば、また行けるのかもしれない。
 けれど、思う。
 もう行けないんじゃないかと。
 どうしてかはわからないが、そんな気がしていた。
 でも、確かに。
 極上の讃岐うどんの味は、舌に‥‥‥そして心に残っていた。
 そう。
 あの老婆の笑顔と共に。

                                              [FIN]