コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


私の大事な……

 ふと気付いたら、よく晴れた青空の下にいた。
「わたくし、何故こんな場所にいるのでしょう……?」
 どうやってここに来たんだか、どうしてここに居るんだか。前後がまったく思い出せない。
 考え込んだと同時に、つい視線が下に向く。
 と、そこには――小さな小さな、ミニチュアの高層ビル街がそびえていた。
 一瞬周りが小さくなってしまったのかとも思ったが、それよりも自分が大きくなったと考えるのが自然だろう。
 よくよく周りを見てみれば、ビルだけでなく、遠くに見える港や浜辺も普通より小さくなっていた。
 無意識に能力を使ってしまったのだろうか?
 とにかく、元に戻らなければ。
 そう思って力を行使しようとした。が……何故だか元に戻れなかった。
「どうしましょう……」
 困惑に俯いた時だった。視界に、自分の足元が入ってきたのは。
「あら?」
 靴がない。
 ご主人様のお気に入りのミニ丈エプロンドレスに、黒のストッキング。そこまではいつもと変わらぬ服装なのに、靴だけがなかったのだ。
 いったい、靴はどこに行ってしまったのだろう?
 いくら足元を見つめていたとて、それで靴の行方がわかるわけではないのだが。しばらく視線を外せずにいると、周囲から人が集まってきた。
 ミニチュアの街にふさわしい小さな人たちがわらわらと集まってくる。足元から見上げられて、なんだか覗かれているような気がして、エリスは少し、足を動かした。


 集まっていた人々は、突然動いた巨大な足にさっと蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
 いつもと同じいつもの街並み。そこに突然現れた巨大な人間。
 まあ、たいがいの者はなにかしらの興味を示すであろう。
 最初は暴れだすのじゃないかと思って様子を窺っているのが大半であったが、動こうとしない彼女――巨大な人間は、エプロンドレスを着た女性であったのだ――に興味を持って、そろそろと近づいていく。
 野次馬根性の強い人間というのはどこにでもいるもので、いつの間にやら、女性の足元には人だかりができていた。
 そんな時だ。
 大人しいと思われていた女性が、突然動き出したのは。
 ザッと人ごみが散っていく。だがしかし、人だかりの中、全員が一斉にてんでばらばらな方向へと逃げ出せば、混乱が起きるのは必至。
 人を押し退けて逃げる者、バランスを崩して転倒する者。そして、そんな混乱の中を歩く巨大な女性。
 女性にとってはこの街の道はひどく狭く、歩きにくいのだろう。女性が一歩歩くごとに車であったり街灯であったりと何かが踏み潰される。
「ああっ、俺の車がっ!」
 叫びつつも、自分が踏み潰されてはたまらないと逃げ出す青年。
「きゃあっ!」
 崩れたビルのコンクリートの落下に巻き込まれそうになって腰を抜かすOLの女性。
 それ以外にも、そこここで被害が発生し、街中大混乱である。

 しかしその騒ぎを起こしている当の女性――エリスは、それらの騒ぎをまったく気に留めていなかった。そんな心の余裕がなかったのだ。
 だって、あの靴はとてもお気に入りなのに。
 いったいどこにいってしまったのだろう?
 ぐるりと周囲を見渡して、でもそれだけでは見つからなくて。
 こんな場所には無いだろうとわかっていても、つい、通りがかった車や電車を摘み上げて中を覗き込んでしまう。
 そのたびに、小さな人々の悲鳴があがり、街は混乱の色を深くしていく。
 それでも、エリスはそんなことに構ってはいられなかった。あれは、とても気に入っている靴なのだ。
 ふと。
 何かが思考の片隅に引っかかった。
 どんな靴だったっけ……?
 とてもお気に入りなのに。よく知っているはずの靴なのに。
 どんな色で、どんな形だったのか――冷静に考えてみると、思い出せない。
 でも、それでも。お気に入りの靴がないことが嫌で、見ればきっと思い出せるだろうと思い直して探し続けた。
 そうして、どれくらいの時間、探していただろう?
 長いような気もするし、ものすごく短かったような気もする。
 暗くなってきた空に気付いて、エリスは肩を落とした。
 その頃には周囲に小さな人々はいなくなっていて、ビルの灯りも、街灯も暗く沈黙していた。
 月はあるけれど、ビルに遮られ影の多いこの場所で、月と星の明かりだけで靴を探すのは難しいだろう。
 ああ、あれはとってもお気に入りの靴だったのに。
 大きなため息とともに再度空を見上げた時。ふいに、雲が現れた。月が隠され、星明りも消えて、周囲が闇に閉ざされる――次の瞬間。
 一瞬にして世界は移り、闇は朝の光に照らされた。
「……」
 エリスは、いつもと同じように、いつもと同じ時間に。ベッドの上で目を覚ました。
 あれは夢だったんだと気付いたけれど、すぐにベッドを降りて靴を見に行った。
 靴は、いつもと同じ場所に。昨夜と同じ場所にきちんと揃えて置かれていた。
 おかしな夢に小さな笑みを零して。
 今日の仕事に向かうべく、エリスは手早く着替えを始めた。