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<東京怪談ノベル(シングル)>


明日へ進むこれからのために

 昨日書き上げた手紙をポストに放りこんで、ついでにコンビニで適当な食料を少し買って。矢塚朱羽は、見慣れた自分の家へと帰って来た。
 なんだかずいぶん心がすっきりしたような気がする。
 妹に自分の想いが知られていたのは心底驚いたが、それを知り、純粋な妹の思いに応える手紙を書いたことによって、それなりに気持ちの整理がついたのだろう。
 古来より人というものは、自分のうちに気持ちを閉じ込めておくよりも、言葉や文字に出した方が思考に整理をつけやすいのだから。
 ようやっと、世界が前へと進み出したような気がする。ぐるぐると同じ場所――同じ思いを堂々巡りになっていた世界が、やっと、少しずつだが動き出したのだ。
 だが。
 未来を見つめる自分がいると同時に、過去を振り返らずにはいられない自分がいる。
 それはある一人の少年の物語。
 妹だけが世界の全てだったあの頃に、唯一たった一人、小さな光を射しこませてくれた友人……。


 冷蔵庫に食料を入れようと動いていた手が止まった。
 バタンと扉を閉め、台所の小さな窓から覗く青い空を見つめる。
 遥か遠くまで繋がっている空は、今どこにいるかもわからない彼の人の上にもあり、もちろん自分の上にも、大切な妹の上にも。地上に生きる全ての者の上に平等に在るものだ。
 だから、空を見つめる。
 おそらくもう二度と会うことのないだろう彼に向けて。
 伝わるはずのない想い。
 伝えたかった想い。
 彼はいつだって彼自身のことよりも朱羽のことを考えてくれた。幼かった日のことであるから、彼自身はそんなに深く考えていなかったのかもしれない。それでも、朱羽の思い出の中に在る彼はいつも精一杯、朱羽に手を伸ばしてくれていた。
 いつでも妹にばかり心を向けていて、他をまったく目に留めなかった朱羽に、少しなりと広い世界を見せようとして。彼は一生懸命に手を伸ばして、閉じた世界に一筋の光をくれていた。
 それなのに。
 いつだって、朱羽の応えは冷たいものだった。
 あの頃より少し成長した今になって思い出せば、外へ繋がる得難い光であった彼の人。だが幼かったあの日の自分にとっては、彼の人は、ある意味で邪魔者でしかなかった。
 妹への想いは、伝えることのできない閉じた想いであったけれど、それでも。それはそれで幸せだったのだ。
 閉じた世界。閉じた想い。それは変わることのない安定した世界であったから。
 あの頃は未来に想いを馳せるような余裕はなくて、近い未来に妹が家族から巣立ち離れて行く日を思い描くようなこともなかったから。
 だから、幼い自分は、想いを伝えることができなくとも今の状態が続けばそれで充分だとも思っていたのだ。
 ……一生懸命に、精一杯に伸ばしてくれた手を、自分は。冷たい刃で報いてしまった。
 彼は、そんな自分を恨んでいるだろうか?
 ようやっと気付いた頃にはもう、彼の人がどこにいるかも定かではなく。
 恨まれても、赦されなくとも仕方のないことだろうと考えられる。
 だけどそれでも。
 これから未来へ向かって歩むために、忘れられない過去があった。
 頭でどんなに納得しようとも、心が理解しなければなにも変えられない。
 自分の気持ちに整理をつけるために。
 自分の心で理解するために。
 朱羽は、空を見る。
 遠く遠くまで繋がるあの空の下のどこかにいるはずの彼の人に向けて。

 謝罪と、そして。
 あの頃確かに、自分は、彼を必要としていたのだということを。
 あの頃彼がいてくれたから、今の自分があるのだということを。

 伝わるはずのない想いを伝えたくて。
 伝えたかった想いを心に抱いて。
 朱羽は、ふと、瞳を閉じた。
 暗い視界の中に浮かび上がる大切な友人の姿を見つめる。
 それで赦しが得られるとは想わないけれど、せめて。
 心のうちの、記憶の中の彼に心からの謝罪を込めて。

 ――彼の人の未来が明るいことを願う。